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2006-10-17

絵描きと絵描きでないもの間に仕切られる絶対的な何か

『角煮豚』


この言葉の由来は、過去に自分が所属していたオタクコミュニティ内での、とある絵描きの発言に起因する。

そのコミュニティは、にちゃんのとあるスレをメインにぐだぐだとたわいもない話と、絵描きによって時たま絵がうpされるを絵描きと共に楽しむ場であった。あるとき、そのスレに絵描き*1によるひとつの書込みがあった。


「半角二次元板にあるスレ*2はもうダメだ、あそこには豚のように絵を請うだけのクレクレ厨しかもういない」*3


この書き込みの後、“角煮豚”という呼称が自然に湧いて出てくることになる。

自分はこの“豚”という表現に猛烈なショックを受けた。豚のように絵を請う、というのは家畜として飼われている豚が、日々家畜小屋の一角に設置された餌やり場に群がって、定期的に、それこそ動物であるかを示すように、ただただ餌を貪るかのような光景を思い浮かべた。それは罵倒としてとても厳しいものであった。連想される光景では品なんてものは全く感じられず、求めて消費をするというスタイルそのものを真っ向から批判するような念が込められているように思えた。

元々は、いわゆるクレクレ厨を標榜とした言葉だったが、最終的には「絵描き以外は身内でもない限りタイトな発言は許されないものである」という"教祖と信者"的な構図を強調する形で使っていた。*4


今はそのコミュニティから離れたが、未だに、消費するだけの自分の行動に対して、少し後ろめたいものを感じている。「ならば絵を描けばいい」と軽々しく言われたこともあったな、その絵描きに。それは非モテのアレと同じく、簡単にそうできれば、後ろめたい気持ちになんてなるはずもない。

また君か。@d.hatena - 個性話

ようするに、「やってみようかな」と思ったことができなかったり、より本質的には、「やってみようかなと思うことのできないこと」があったら、それが個性の境界線だ。

自分にとって、“絵を描くこと”は「やってみようかなと思うことのできないこと」だった。いやま、絵は時たま描いていたにはいたけど、継続して楽しめるものじゃなかった。思い通りに描けないことが、ただの苦痛でしかなかった。「それを乗り越えるのが楽しいんでしょ」というありがちな論に正面からぶん殴ってなりたくなるような、じりじりとした悔しさだった。


絵を描けない人は、果たして創作者と対等な目線で絵を楽しんではいけないのだろうか?*5

たしかに、創作者の目線に立てないと言うことは、創作者が感じる嫌悪感をそのままぶつけた挙句に逆撫でまでしてしまう場合があるのは否めない。では、結局、教祖と信者ばりの、言ってみれば女子ニケーションの延長上であるコミュニケーションしか取ることができない(取ることを許されない)のだろうか?


……うわ、とても視野の狭そうな叫びだ(苦笑)

*1:表現力が高く、キャラも濃かったため、発言力も強かった

*2:ジャンル別のエロ絵うpスレのひとつ

*3:実際はもっと投げ捨てるような書込みだったと思う

*4:個人的な話、この“教祖と信者”という構図には今でも気に掛かっていて、多々mixi内で余計なことをした経験が……

*5:それは考えすぎなんじゃないのだろうか?

SBSB 2006/10/17 12:19 基本的にネットのみのつきあいにおいて、絵描きは非絵描きのことを「俺の絵にノックダウンした奴か、そうでない奴か」ぐらいにしか考えていません(勿論例外はいくらでもありますが)。
なので、絵描きに対しては「信者ヅラをしつつメタ優越感ゲーム視線に立つ」事で、絵描きが押しつけてくるヒエラルキーを相殺することが出来るのではないでしょうか。
「ああ、またオタ絵描きが非絵描きを相手に優越感ゲームをしてるな」という鳥瞰視点を持ち、
「オタ絵描き連中はケツに賞賛という刺激をくれてやればいくらでも萌え絵という蜜を出すアブラムシなのでどんどん褒めてどんどん働かせよう」ぐらいの気構えでいるのが良いと思います。
勿論、漏らしてはなりませんが。

junkMAjunkMA 2006/10/17 14:07 叩けば出る出る!
みたいなシステムとして見るというのはちょっと面白いですね
返し優越感ゲームはやってみたくもありますが
若干、絵を描けることへの羨ましさみたいなのがあるので
下手に手は出さないようにしてます……;

あとアレですね、たまに出てくるアレっぽい絵に対しても何らかの(まともな)反応を出さなきゃいけない、みたいな変な圧力も苦手です。だから絵に関しては固有名があまりかかってこない方が気が楽でいいです。(反面、そういうえり好みをするからこそ“豚”である、という評価が下されかねないとも思いますが)(人間的なコミュニケーション=女子ニケーション、をきちんとこなせ!という圧力と言うか)

なま〜えなま〜え 2006/10/18 12:41 絵描きと絵描きでないものを分ける物の一つに「匿名性」があると思います
絵を描かない人たちは基本的にネットの匿名性に守られていますが、絵描きにはそれがありません
サイトを特定されるなんて序の口で、同人活動などをしていれば実名、住所、素顔などもヤバイです

そして絵を描かない人と絵描きがまったく同じ発言をしても同じ結果にはなりません
匿名性に守られた「場」の一員としての発言には自由がありますが質量がありませんが
しかしネットの中でも現実の「個」に縛られた絵描きの発言には質量があります
それは必ず何らかの影響を与えてしまうわけです、絵描きの「本音」は=悪です

そのため普通は周りに合わせた不自由で空虚な、質量のない言葉を発することになります
それがいやな人は自由を得るため暴君になるしかないのでしょう

junkMAjunkMA 2006/10/19 02:23 つまり、自分が言っている絵描きは暴君になったということですね。
まぁ、回りには丁度囲ってくれるような“信者”さんがいたので、あー、という気分ではありました。

職業ライター職業ライター 2006/10/19 08:35  いいなあ仕切りがあって。

 文章の場合、掲示板に書きこみしてるぐらいで、自分は文章が書けるって思い込んで、仕事させてくれってやついるんだよ?
 絵で言えば、ペン絵を描いたこともないのに、イラストやカットの仕事させてもらえると思ってるバカに悩まされたことのないプロライターがいたら、よほど引きこもってるか、運がいいと思うね。

junkMAjunkMA 2006/10/19 12:32 アマチュアの参入コストの下がっている世界だからこそ起こる現象ですね。
お疲れ様です。

obacanobacan 2006/10/20 20:08 前提として「かけるほうがえらい」はあったほうが自然だと思うな。ただ、それを前提として「偉ぶってるやつは痛い」とか「鑑賞者と対等に接する絵描きは人気が出る」みたいな感覚が生まれるのは健全なことなんじゃないかな。よくわかんないけど!

junkMAjunkMA 2006/10/21 03:57 “描ける人”に対する尊厳は確かに必要ですね。ただ、その状況に甘んじてしまう環境が発生しかねない(教祖と信者みたいな)、という部分はやっぱり懸念しないといけないのかなぁ、とも思います。

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