細江逸記と国語学

細江逸記と国語学
岡田 誠

はじめに

細江逸記は、英語学の泰斗として知られているが、実は、国語学にも多大な影響を与え、先行研究として引用されている。本稿では、国語学に与えた多大な影響について述べることにし、偉大な英語学者は、日本語の言語感覚が卓越していたことを述べる。また、細江逸記は国語学に影響を与えたが、そのヒントになったのが、山田孝雄であったことも述べ、その言語観の共通性を述べる。

『動詞時制の研究』
「き」と「けり」
細江逸記は、『動詞時制の研究』の中で、日本の古典文の例をあげ、「き」は目睹回想(経験回想)、「けり」は伝承回想(伝聞回想)として処理し、その後、文法教科書にも採用されるようになった。そして、教師用指導書の類には、必ず、細江逸記の名前が記されるようになったのである。このことは、国語学者が気付かなかったことに英語学者が気付いたことの典型的な例であるとともに、細江逸記の語学センスのよさを示すものであろう。この研究を基本として、「き」と「けり」の研究が発展することとなった。

「」『岡倉先生記念論文集』
「中相」
日本語のヴォイスの研究として、本格的なもののさきがけをなすものとして、細江逸記の「中相」という概念がある(注)。能動態・受動態・使役態のほかに、中相態という概念を設定したのである。中相態は、インド・ヨーロッパ語で、受動態が発達する以前の形として知られ、受動的な意味を持つ自動詞である。この概念を、細江逸記は「煮える」「売れる」「くずれる」という受動的な意味を持つ自動詞だけではなく、「決まる」「授かる」「教わる」「預かる」などの他動詞にも適用し、こうした動詞を中相動詞としたのである。これらは、「−の状態になる」という状態の変化の意味が加わる。

『動詞叙法の研究』
「叙法」
叙法については、ムードの種類として対立があるが、日本語の陳述論争・モダリティ論争などのはるか以前に、叙法としての研究は、細江逸記がすでに『動詞叙法の研究』の中で、「indicative」を叙述内容を事実界のものとして述べる言い方で「叙実法」と訳し、「subjunctive」を叙述内容がただ脳裡に浮かべられている言い方で「叙想法」と訳し、日本語でも「ん」に「甲斐なく立たん名こそ惜しけれ」のようがあるとしている。

「細江逸記」と「山田孝雄」との関係
『動詞時制の研究』は、日本語のテンス・アスペクト研究の論文の中でも引用されることがよくある。簡単にいうと、英語においてテンスとムードの不可分な関係を徹底的に究明している。また「わが国語との比較」という形で日本語も視野においている。現在形の職能を「直感直叙」、現在完了を「確認確述」というような名付け方もその本質をついているような気がする。このムード説に関する論としては、山田博士の「日本文法論」の「文法上の時の論」がある。細江博士自身、「暗中模索の状態にあった私の目に一条の光明を与えたものは…「日本文法論」であった。」と記している。また「動詞叙法の研究」もあわせて読むと、博士の「テンスとムードは別個の存在ではない」という論が理解できる。

(注)
大槻文彦・三矢重松はヴォイスのことを「相」としており、使用されていた。

(参考文献)
金田一春彦(1957)「時・態・相・および法」『日本文法講座1』明治書院