たしか、阿川弘之の随筆だったと思う。遠藤周作と京都旅行をした話があった。

阿川と遠藤は、京都ですき焼きを食べたらしい。注文してしばらくすると、生卵が出る。割ってみると、遠藤の卵に血が混じっていた。

卵を換えるように仲居に言った。すると女将がわざわざ出てきて、どうも申し訳ありませんと頭を下げた。

遠藤周作はこの時に無茶苦茶に怒った。

親友の阿川は、例によって「変な狐狸庵先生」を書いてからかいたいわけで、私もこれを読んだときは、深く考えることはなかった。

ただ今は、なぜ遠藤が怒ったのか、よく分かるような気がしている。

遠藤周作を読んだのはもう10年以上も前なのでよく覚えていないが、遠藤のテーマの一つは、日本人の罪意識だ(と私は思う)。カトリックの遠藤は罪の問題を真面目に考えたはずで、罪意識と日本人の関係に相当に頭を悩ませた。

さて、遠藤は、すき焼き屋の女将に対して、卵に血が混じることなど、当たり前にあることであって、なぜ謝るんだと怒ったらしい。

つまり、大した罪でもないのに、相手が著名な作家たちだから、わざわざ仰々しく女将が出てきて、頭を下げたにすぎない。本当に悪いと思って頭を下げたわけではない。だから、この女将は嘘つきだ、許せない、日本人はいつもこれだ、ふざけとるのか、、、こういうことなのではないか。

遠藤の虫の居所も悪かったのかもしれないが、私も10年の間にいろいろあって、気分としては遠藤の気分が分かるようになった。繊細な遠藤周作は、過敏な時にはこういう些細なことにすら敏感に反応してしまい、許せなかったのだろう。

遠藤は、ただすき焼き屋の女将をなじったのではない。何が良くて何が悪いことか、自分の身に引きつけて深く考えない、深く感じないで、適当に口先でやり過ごせばそれでいいという態度が気にくわず(遠藤が化けて出てきて、そこは「日本人の」態度が気にくわずだ、と言うのかもしれないが)、たまたますき焼き屋の女将の言動にそれを察知し、激怒した。問題の根っこは本当は深く、「謝るなと言って怒る狐狸庵先生」で済む話では、おそらくない。