Hatena::ブログ(Diary)

スペースコレクション住宅

2010-10-13

スペースコレクション住宅での水平感覚

前回は他人事のように書いてはみましたが、とっちめられたことがあります。


住宅が完成して竣工検査を完了し、家族の方々が生活をはじめてから数か月たってからのことです。


2階の寝室に置いた洋服たんすのとびらが自然に開くそうです。


いくらか前に傾いているか、床が水平になっていないのではないだろうかといわれました。


現場を調べたら床が水平なことは証明され、洋服たんすの扉が金具の不備から前に開くことがわかってほっとしました。


コンクリートを打ち、モルタルやタイルを張った床の水勾配が不十分だったり、凹みがあって水が十分に流れてくれないときがあります。


職方のちょっとした不注意からのことが原因であることが多いのです。


水平であることが第一義であることに異存はないと思いますが、そのデザインについては意外に無関心ではないでしょうか。


たぶん、板の間から畳敷になって、畳を敷けばそれでおしまい、の習わしからでもあるのでしょう。

2010-10-12

フロアスケープ

わたしやいや 墨すってさえ なるたんす


新世帯 昼もたんすの 環がなり


・・・江戸川柳にでてくる長屋ぶしんのお粗末さがしのばれます。


根太がゆるんでいるのか、床板がうすいのか、敷いた畳のトコが軟らかいのか・・・。


いま、この稿を書いている建物の床はコンクリート造で、その上に木質系の材料が張ってあります。


スミをすることはめったにないですし、環のついたたんすは持っていません。


新世帯でないのは申すまでもないでしょう。


つまり音のほうは発生源が皆無なので心配はありません。


しかし、水平ではないのは困りものです。


床にボールを置くところがってゆくのはまあいいとして、食卓の上で鍋物をしたり、ホットプレートで卵をやくと低い方に流れていきます。


設計図で傾斜のある床面を描くはずはありません。


工事中の不注意で凹凸や曲りができたのです。


私自身の持家ではなく、大学からの賃貸住宅です。


棟つづきですから長屋と呼ぶので、長く住んでいられるものではありません。


だからとあきらめていたのですが、神経質なのか私は気になってしまいます。


次に入る人も同じでしょう。


馴れてしまって、完全な水平を直感で判断するための神経がなまってしまうこともないでしょうが、水平や垂直感は厳格でなければいけないと私は思います。

2010-10-08

北欧を訪ねて

タピオラ団地で、長女がお世話になっていたS氏の御宅を訪ねたのですが、周りは静そのものでした。


抱きかかえられるようにして部屋に通されたのも、3年前と変わりません。


ただ、その子息が日本にやってきて1年間、あちこちを訪ねた先をピン止めした日本地図が壁に張ってあったことぐらいです。


そのM君もいまアメリカに渡って留学。


地球は狭くなったのです。


それにしても、


"日本という国はいつでも、わたしがペンを置くときにはすでに書こうとした姿そのものではなくなっている"


・・・と感想を残しました。


ピエール氏のことばを想い出し、なんと対照的なことか、と思いました。


東山魁夷先生が北欧風景を描かれた個展を拝見して何十年も経ました。


会場で領布していた画集に、署名をして頂いたとき、その美しさの御話を伺いましたが、2度、3度と北欧を私が訪れるのはその美しい自然に魅せられていることが第一であり、その国の人たちが住む家並みを探ることです。


まったく当然のことですが、先生が描かれると美しい絵になるのに、見た感動をペンや筆で紙の上に表現できないのはいかにももどかしいものですね。

2010-10-07

スペースコレクション住宅とセウラサーリ

ヘルシンキの小島セウラサーリを訪ねるのは3度目で、バス停を降りて木製の橋を渡っていると、澄んだフィヨルドの水に遊ぶ水鳥の姿がなつかしいです。


働き者の小さなリスが、木の実を持つ掌に近づいてくるのも変わっていません。


アメリカに嫁いだ長女が、ルイユ織の研究でヘルシンキにいる時に訪ねて4年たちます。


エバ・ブルンメル女史が案内して下さったときは秋が近づいているころだったのか、リスは実を口いっぱいに頬ばっては、自分の巣と往復していました。


なか6年をおいて2度目にやってきたR教授は、東京の変わり身が早く、大きいのに肩をすくめて見せましたが、こちらから行くと、なにもかもが静止しているような自然です。


・・・とはいうものの、ヘルシンキの目抜き街のバスターミナル周辺もクリアランスされていましたし、ストックホルムの都心部再開発も整ってきました。


日本の川の流れのように急ではないですが、徐々に歴史は動き時の流れも動いているのです。

セウラサーリ

日本を外にし、住居にあらわれた果をながめ、比較することなどによって因を求め、あるいは因を探って比較することをはじめて20数年たちます。


訪ねた国は多いですが、まだ訪ねていない国も多いです。


因と縁の和合によって果が生じます。


因は直接的な原因、縁は原因を助長する間接的条件。


それを因縁と呼び、原因と結果を因果というのは仏教の根本原理で、私たちの日常語としてひろく謄炎されています。


また、因の中に果を含まなければ因が果を生ずることがなく、果の中に因を含まねば因から生じた果であるはずがない、というのも仏教の教えるところであるようです。


人並みに召集をうけ、輸送船や貨車に詰めこまれて運ばれた先の朝鮮半島や中国大陸で見たのが初めての旅です。


大地にへばりつくようにつくられた住居で、したたかに生きる姿を農家や街の裏通りで眺めたことから始まりました。


2007年、夏の北欧への旅がもっとも新しいものですが、民家博物館を巡ることになってしまいました。


はじめて外国の土を踏む学生数名を案内する立場だったからです。

2010-10-06

増築したら

酔客の跡始末がたいへんと男便器をつけてあったのが、幼児用の小型腰かけ便器にとりかえられてしまいました。


石油ストーブやガスストーブでは危ないものです。


火傷でもしては、とセントラルヒーティングを奮発してファンコイルユニットをつけました。


そう、忘れていましたが、マイカーのためのパーキングのため屋根をつくりました。


上4人のグループのころあったれんが造りのプールはこわされて、ビニールの袋に替わりました。


仔犬をもらってきて飼ったり、鳩に夢中になった子どもたちの設備や、縁日で買ってきた鳥が5年も長生きしていたのも、昇天したあとは影は消えてしまいました。


さて、これから先、どうなってゆくのでしょうか。


たぶん、妻と私のための老人室をつくりたくなるでしょう。


次の間付きで、おちついた畳の部屋がいいな、と、それだけはいまの所、コンセンサスが成立しています。


他人さまのお宅のことで忙しいせいか、戸惑いがちです。

2010-10-05

スペースコレクションの増築

第二次のは西隣さんに、日照と眺望の点で、いくぶんご迷惑をかけてしまいました。


いまほど、ではなかったのでご好意に甘えた結果です。


かくて6年。


もういいだろう、と思っていたのですが家族がさらに増えました。


計画が狂った、というと人ぎきがよろしいですが、もともと"ない"のと同じです。


なんとかそこを凌げたのは、責任上、私の居場所を提供したからです。


それから10年。


また、新規まきなおしになりました。


よくしたもので、上2人は大学を卒業すると職につき、嫁をめとって一戸をかまえ、当然のようにわが家から巣立ってくれました。


いまはやっているそうな留年など、していられない環境を自覚していたにちがいないでしょう。


その次のは勤め先の独身寮に、四子の長女はアメリカに嫁ぎます。


かくて、閑散と相成ったものの、スペースコレクション住宅の耐用年数がやってきたようです。


風向きによって、ポタポタ雨が漏り」天井にシミができます。


壁も汚れました。


それに、長男と二男の一家合わせて8人がくると狭いのです。


どうしても居間と食事の場をひろげることが、物理的に必要になりました。


ついでに、最後の2人の子のために遊び場をつくってやう、ということですが、叔父・叔母になるその2人といくつもちがわぬ4人の孫たちが機嫌よく遊べ、昼寝もして頂こうという名分を、女房殿から宣言されたからです。

2010-10-04

わが家の増築史

私事で恐縮ですが・・・


うちはわりと家族が多いです。


戦時規格と呼ぶ極小面積の、6畳と3畳大のオンドルの官舎が出発です。


発つ寸前、付近の住民たちがやってきて、根こそぎ何もかも剥いでしまいました。


引揚げはリュックひとつで、ずいぶん転々と移りました。


すべて、職揚、友人、知人、のご好意にすがりました。


公庫融資で、やっこらさのスペースコレクション住宅に入ったとき、子供たちは2段ベッドが2組の6畳大で、夫婦は4畳半。


それが、父親の稼ぎにはおかまいなしにどんどん育っていきます。


部屋が間尺に合わなくなったのはあっという間、だったかどうかも記憶にありません。


第一次はタテ方向、つまり2階に増築。


まず男子グループと女子に区分けする作業。


しかし、やがて、男子グループから"もっと広いところが……"、"となりの音がきこえないように"とつきあげられて、ヨコの方向にも増築となります。


第一次のは構造的に、つぎのは法規的に許される範囲でした。


工事費の面から、もうこれ以下にはケチられない節約をしたものです。

風呂敷の利便性

フランス生まれで日本の公立大学の語学教授をしているルネさんは、パリ大学に学ぶフランス政府の国費留学生の日本人がもつ、グリーンと黄色の布きれに驚き、次のようにその印象をつづっています。


"うしろの席につくと、その布はしでまず眼鏡を拭く。


すんで眼鏡をかけるとその包みをほどきにかかる。


そのシーツの中身をひっかき回した揚句、いくつかの品物をひっぱりだす。


中身は歯ブラシ、靴下、サンドイッチ、辞書、タオルその他。


日本人学生は、このふろしき一枚ですべてを間に合わせている。


旅に出るとき持物のぜんぶを包んで持ってゆく。


いらなくなったものは捨てる。


両手をときどき空けたくなるとふろしきを広げて、風の中で何もかもはたいてしまう"・・・と。


ルネさんは、ポケットサイズの辞書1冊と、紙きれ10枚しか入っていない自分の大きなアタッシュケースを見た、といいます。


山手線の駅でぴょこんと頭を下げられた相手がどうしても想いだせません。


背広を着て、アタッシュケースを持っているからだったのですが、数日あと、現揚で会った経師屋さんです。


畳部屋は風呂敷のようなものさ、としたり顔で詰めこんでいます。

2010-10-01

日本のスペースコレクション住宅は風呂敷?

A市に住んで以来、行政側の依頼で、審議会や委員会に出る機会が増えました。


なにか関連する資料があると持参しなければならないときがあります。


封筒に入るていどのとき、それが鞄に入るほどであればそれでもすませます。


しかし、馴れている人は布地の風呂敷に包んでこられます。


婚礼の引き出ものを頂くと、正方形のビニールか、赤い系統の色をした風呂敷に包んで下さいます。


いつのまにかその数が増えますが、それで役所の会議に資料を包んでゆくわけにもいきません。


ほどほどの色・模様・大きさのがあればいいのですが、意外とないものです。


かばんや、買物袋などよりよほど便利ですし、用ずみのあとは小さく折りたためるのだからなお好都合ですよね。


その風呂敷にえらく感心をした碧い目の婦人がいて、日本のスペースコレクション住宅も風呂敷によく似ています、といった私のことばに大きくうなずいていました。

2010-09-30

ドイツの田舎町

ドイツの街を歩いていると小さな田舎町にも、ファルベ・ゲシェット(色の店という意味でしょうか)という店にお目にかかることが多いです。


人件費が高くつくから自分自身でやる・・・


日本でも近ごろおなじみになってしまいましたが、ペンキ塗りが好きなのか、楽しみなのでしょうか。


ドイツから帰ってしばらく甥がぶらぶらしていたことがあります。


ある日、私は家に戻ってあっと驚いてしまいました。


刷毛と塗料を買いこんできた彼は、庭にある物干しの金具、錆びかけはじめた自転車、スペースコレクション住宅……をぬりかえてしまったのです。


テラス用の木製の椅子、おまけにシートまで。


"あちらでは煉瓦でもコンクリートブロックでも塗ってしまうよ"


と平然としていた彼は、驚いている私に驚いていたようです。


しかし、月日のたつにつれ、そういう感覚はなくなってしまったのでしょうか、あるいは定職について忙しく、ひまがなくなったせいかもしれません。


もとのもくあみです。


ある人が道心を起こし、妻と別れて山にこもり、木食をして行をしたので、都人は木阿弥と呼んで尊敬をしました。


年をとって心が弱り、妻恋しさのあまり山を下り再び同棲しました。


・・・それを元の木阿弥といったとか。

2010-09-29

寿命のあるスペースコレクション住宅

人間の寿命にも同じように限りがあります。


いくら手入れをしても駄目になるときが必ずやってくるのです。


ロンドンから西に、鉄道で数時間。


バースという街があります。


17世紀に、親子3代、100年以上の年月を費やして計画し、実現した都市だといわれています。


道路沿いにドライエリアと呼ぶ空堀をへだてて、ベースメントと呼ぶ地下室、その上がグラウンドフロア、1階・2階・屋根裏のアティックがある棟つづきです。


地下室はそのころ使用人たちの部屋か、台所として使われた形跡があります。


裏側の庭には馬車用につくられたと見える建物も残っています。


それをいまも立派に住みこなしているところにジョンブルのしたたかさを見る思いがしたし、表から見る限りでも手入れを重ねていることに気付くのです。


半円形で、前庭は南下りの広い芝生で、美しく刈りこまれ、ローンボーリングを楽しむ人々の姿がありました。


かつて、暖炉の煙突から出た煤を磨き上げたのだろう黒い扉に、黄銅のドアノッカーが見事に光っていました。

2010-09-28

彼の部屋で

屋根裏部屋で、彼の部屋に一歩足をふみ入れると、別世界に入りこんだように乱雑だったのですが、廊下、それに共同の台所、便所など、板床は木県でるほどに拭きこまれ、掃除がゆきとどき、便所には花が一輪生けてありました。


たずねたわたしが日本に帰ってしばらくすると便りをよこしました。


"部屋ではシャツ1枚、お湯もでるし申し分ありません。


しかし、たった1日でこんな設備のよい部屋が見っかったのは、まったく運がよかったのだ、と一緒に探してくれた友人が申しました。"と。


"弟や妹がこちらにきたいということだが、くることには賛成です。


しかし、長くいる所ではない、と思うよ。


日本に帰って働いたほうがよっぽどやりがいがあると思うようになった。勉強し、吸収できるものを吸収したら、帰ったほうがよい"と。


大学を卒業したその4月の初めに、片道切符を買って出かけて10年になります。


帰ってきて、入れちがいに長女がフィンランドに行き、そしてアメリカに嫁いでしまいました。


"子が立派に成長して、親に心配をかけないようになると、親はがっくりして老けこんでしまう。心配させておいたほうがいいんだよ"とは長男の言です。


建てたままで放っておいても故障のこない住まいのほうが、物ぐさな私には有難いのですが、木造で、ぎりぎりいっぱいの工事費で節約した建物は予想していた通り、あちらこちらががたついてきたようです。


最低の手入れはしたつもりでも、耐用年数には限度があるようですね。

2010-09-27

ノルウェーのスペースコレクション住宅

ノルウェーでオスロから西にフィヨルドの旅をしたときのこと。


ウルビクなど、谷の底と水面との間にあるわずかな土地に作られた木造のスペースコレクション住宅があります。


どの家も美しく、いま塗ったばかりと思われるほどのペンキの手入れが行き届き、窓辺にはカーテンと鉢植えの花が顔をのぞかせています。


静かな村のなんとさわやかなことだったでしょう。


北欧諸国が文化圏としてなにかにつけて大きな影響をうけているのだと私は思っているドイツ。


ドイツ人たちの清潔好きも定評があります。


だれだって、どこの国の人だって、不潔より清潔なほうが快適なほうがいいにきまっていると思いますが、不潔に見える生活をしている人が多い国々はあります。


住まいを手入れすることひとつにも違いがあるのはたしかでしょう。


西ドイツのボンの近郊に住みついていた二男が借りていた家もご多分にもれず掃除好きな主婦のようでした。


そして合理的なケチ、節約家です。

スペースコレクション住宅の手入れ

継目を締めなおし、釘を打ち直さねば屋根は崩れます。


『心に絶えず手入れをし、誤解をとく努力をしなければ、友情や愛情でも破れることがあるものだ』


アンドレ・モーロアのことばは抽象的ですが、住まいの命脈を美しく保つにも、人間の心や身体と同じようにそれなりの手入れが大切なことを教えてくれます。



建ててしまえば半永久的にそのままでよいと思いこんでいる人々が多いのではないでしょうか。


当事者はしたくても先立つものが・・・とおっしゃるかもしれません。


手入れをするにはお金がかかるのは事実です。


しかし、新しいスペースコレクション住宅や、お金をかけて手入れをした建物だけが美しい、とは限りませんね。


風雪に耐え、雨の日も照る日にも住み人と共に生き永らえてきた古い住まいに、手塩にかけた人の美しさを私は見ます。


それはただ日本の住まいだけのことではありません。

2010-09-24

スペースコレクション住宅の変化

家康のころ、


"雨戸の桟、関東の家造りにはなし。これを開く音に驚きたること物に見えたり"


・・・と「倭訓栞」にありますから、のちになって普及したものと思います。


江戸の長屋九尺二間などは、雨戸なしの油紙を張った腰障子が表戸。


寝殿造りから桃山、江戸時代をへて長年月をかけて、ゆっくり変化、改善されてきた日本スペースコレクション住宅の姿がここ数年で非常な様変りをしました。


雨戸も例外ではありません。


単線が複線・複々線になり、木、プラスチック、軽合金と材料も多岐です。


古来の無双つき、輸入もののガラリつき。


戸袋なしのも戸袋におさめるのもあります。


安全性や機能性だけでなく、住まいの外観を大きく変える要素のひとつであるだけに無関心ではいられません。

2010-09-22

台風による被害とスペースコレクション住宅

台風による大きな被害が少なくなったのは、アルミサッシュの普及やガラスの厚さが大きくなったせいもあるでしょう。


しかし、台風がやってきそうな面に向かって、大きな開口部とガラス面が無防備で、居間や階段室などの吹抜部分にしているのが気がかりなのです。


雨戸をつける、つけない、で設計を担当している長男と親子の論争になることが度々あります。


出窓や、採光と眺望だけが主目的のはめ殺しの窓で広く高い位置のガラス面こそ危険だと思うのだが、どうやって雨戸をつけるのか、つけてもいいがどうやって開けたてするのか、となります。


じゃあ、やめておこう、となってしまいます。


数年に1回あるかなしかの台風さまのために雨戸をつけることはない・・・。


そのときはそのときで、合板でも打ちつける応急的処置でまに合うのだ、とする若い人の考えに妥協してしまいます。


9月26日ごろが実際には台風の多い厄日であるのに、半月ほども早い210日を暦の上でなぜ示したのか、稲の開花期を農民たちに教える意味がルーツだ、とする説があります。


しかし、稲をつくる人々、つくることさえ減らされようとしています。


それでよいのだろうか、と専門外のことはさておくとしても、236説のほうに注意しなければいけないと私の自戒は変わりません。

2010-09-20

嵐から家を守る

ガラス張りの壁面は無惨に割れて、頑丈そうで頼もしく見え、モダン建築だと竣工のとき校長が自慢したのが、骨組が飴のように曲がりくねってしまいました。


送電が切れ、電車はとまり、歩いて帰りましたが、そのときでも上体を大きく前に傾けないと動けなかったのです。


私の住んでいた古い家の屋根は瓦がとんだ程度ですみました。


しかし、伯母の家はひどいものでした。


畑の中集ツンと建っていたせいでもあるでしょうが、洋服だんすや仏壇が100メートルもとばされ、泥の中に半分埋まっていました。


近くの高圧電線を支える鉄塔は折れ、曲がり、切れた電線がたれていました。


雨戸を締め、畳をあげて内側から押えていたのに、と避難先で蒼くなっている人々はまだ運のよいほうだったことを、死者3036人、全壊家屋3万8771戸の数字や、河岸に並べられた水死体の列を見て知ったのです。


それから10年ほどたって、こんどは空襲のあとの焼死体と鼻をつく異臭とが私の記憶にだぶってきます。


そんなことが直接雨戸と関係があるわけではありません。


ほとんど残らないほど割れていた校舎のガラス面に雨戸をとりつけられるわけでもありません。


しかし、ガラス面に飛ばされたものがすごい勢いでぶつかり、割れ、そこから吹きこんだ秒速数十メートルの風が大きな傷跡を残したのであって、雨戸さえついていれば、という印象が深いのです。


火事にあったり、火元になったことを体験する人は、経験のない人からみるといささか行きすぎと見えるほど火災について神経をお使いになります。


それと似ているのか、私はいまもなお風のカの恐ろしさとガラス面のもろさと危険なことに神経を使ってしまいます。

2010-09-18

スペースコレクション住宅の雨戸

9月1日は210日。


つづいて220日と暦の上では厄日がつづきます。


しかし、昭和28年の13号、その翌年の洞爺丸、31、33、つづいて34年の伊勢湾台風などは9月26日。


ざっと数えるとその日が多く、そして被害が大きいのです。


210日は8年に1回ぐらいです。


いろんな記憶が私から消え去ってゆくなかで、その当時の風のカの恐ろしさが刻まれていて忘れえません。


古い話で恐縮ですが、昭和9年9月19日から21日にかけての室戸台風もそのひとつです。


新しい校舎が完成して、鉄筋コンクリート造の3階にある教室の窓から、強い風の威力をまざまざと見せつけられました。


日本瓦を葺いた屋根の棟瓦がトランプのカードのようにとんでいきます。


看板が倒れ、飛び、煙突は折れます。


屋根そのものが三角形のままもってゆかれます。


校庭に植えられ、夏の問は樹陰をつくってくれた並木が根こそぎ抜かれて隅っこに固まっていました。

2010-09-15

地価番付に見るスペースコレクション住宅

新聞で拝見したことですが、家事評論家の西川さんが試みにはじきだされた数字が面白いですね。


国税庁がだした地価番付で1平方メートルが280万円もする日本一高い所ですが、1平方メートル33万円で買った家ならミシン1台で11万5500円分を占有していることになるそうです。



床にポンと週刊誌を置いたら1万5180円。


無料だからと気やすく粗品だともらってくるコップひとつでも、馬鹿にできない値段になる計算になってしまいますね。


"狭いながらも楽しいわが家"なのでしょうか。


江戸のころ、黒船に乗りこみを失敗して捕えられた松陰の記述によると・・・


「隆牢半間、膝を交えて居る。寝ぬるに裳枕なく食に魚なし」とあります。


畳2枚の広さに2人が入れられたのですが、まだそれはいい方でしょう。


平の囚人にも格差があり、金比羅下畳1枚に4〜5人、中通り5〜6人、向通り7〜8人、とされました。


東京近辺を走る国電の通勤時間では、1平方メートルに17人、という数字を見ましたが、信じることができない超過密です。


その計算では1人当り588平方センチメートル、人間1人当り胸部の断面積を620平方センチメートルとして、苦しいほどの過密です。


しかし、運ぶほうは"能率がいい"とほくそえんでいるのでしょう。

2010-09-14

船の面積

18世紀から19世紀にかけて帆船による移民たちは、広さ30平方メートル、天井高2メートルの船室に30人も詰めこまれ、航海中に1割近くの人が死亡した、とあります。


どれい船はさらに悲惨です。


4人に1人が上陸前に死亡したといわれますが、150平方メートルに600人近くの空間で耐えるのは、並み大抵の体力では生き残れません。


その試練をのりこえ、虐待を耐え抜いた人たちの子孫が解放されたのですから、優れた強い肉体と資質があるでしょう。


国鉄の寝台列車に乗って、ずいぶん狭苦しい感じをもちますが、どれい船はもちろん、移民船にくらぶべくもないでしょう。


アメリカの一等寝台は一人当り120立方フィート、監獄の独房は一人当り2.5立方フィートだといいます。


日本では国がきめた役人たちの役所における占有スペースの数字を見たことがあります。


ひと昔前のことでいまの公費天国ではもっと広くなっているのでしょうし、どうせカラ定員でうまく帳尻を合わせているかもしれません。


ヒラ1畳、係長1.8、課長5、部長12、局長15、大臣30、という数字です。


それに比べて東京都はヒラ、係長が0.8、課長2、部長7、局長13、知事21畳。


また、学長、教授、助教授、そして講師以下、それぞれ広さに差をつけるのだ、と国立大学の官舎を設計する人からききましたが、じっさいにはどうなっていることでしょう。

2010-09-13

動物と人間の個体群密度

個体数とは、培地の容積当りの密度で面積ではありません。


個体群の密度が高くなると、群集効果と呼ぶ現象で増殖が押えられることがおこるので、ある一定の密度に達すると増殖がとまり、個体数は定常状態に達してしまうのであろう、としておられます。


人間社会ではどうなのでしょうか。


貧乏人の子沢山ともいいますが、動物の世界にあるその種の生理的反応が、私たち人間社会にもそのまま当てはまる、などと考えはしませんが、なにかしら示唆されるところがあるような感じがしてならないのです。



回数密度が多いからといって増殖が多くなるわけでもあるまいし、量より質だよと反論される向きもあるだろうのがセックスではないでしょうか。


都のスペースコレクション住宅局長ご自身の体験か、その他の方のことなのか、いずれにしても月4回が0.6回におちこむとはたいへんなことのように私には思えます。


0.6回というのはありえないから5か月に3回というのを換算されたのでしょう。


年齢、体質などによって個人差があるにしても、貧者は富める人々より小さな床面積と小さな容積の住まいで、つねに居住密度は高かったのです。

2010-09-10

スペースコレクション住宅に住む人の意識

団地サイズという寸詰まりのコンクリートの箱の中で、電気製品に囲まれて、中流意識をもち、そういう自覚症状を感じている人が多いのかもしれません。


なぜなら、いまこの稿を書いていると、テレビのコマーシャルが、気力減退、胃腸病、神経痛に効きますと思わせぶりな薬品類の企業がスポンサーになって流れています。


ビール・ウィスキー・酒・ワイン、などアルコール飲料のも多いです。


狭いアパートで、薬をのみ、晩酌の量がふえ、医者が長者番付の上位にランクされる、ところまではありそうなことでしょう。


東京都のスペースコレクション住宅局長時代、自ら調査したという平均広さ以上の人のセックス月4回が、広さ以下では月0.6回に落ちる、という件りは果たしてどうでしょうか。


動物学者の説を拝見すると、"ちょっと身体を動かすごとに、他の個体の姿が目に入ったり、体がふれ合ったりするようになるとその刺戟が脳に伝えられて、神経ホルモン系の活動のしかたが変わる"といわれます。


ヒトと他の動物を同じ次元で考えてはいけないのでしょうが、個体数が増えすぎると、接触の増加という信号を介してそれを感じ、ホルモンの分泌が乱れて生殖器官が発育しなくなる、とも書いておられます。

2010-09-09

お茶をたてるのも大変だ

道具畳の上で、作法にしたがって、きまった位置に道具を据え、定まった手順で茶を点てるのが点前です。


ムダを省いた合理的な構成は、大きさがちがう畳の上では成立しえなかったでしょうに……。


寸詰まりの畳敷の上で、風炉先屏風が大きく、畳からはみ出していました。


京間の畳は90センチ×1.8メートル。


ときには97.5センチ×1.95メートルですから当然でしょう。


それを超えたところに私はかつて興味を覚えて、戦地の野外で野点てを楽しんだものですが、些細なことに違和感を覚えるのは平和の有難さかと、かれこれ40年前のことを想起しました。



さて、話をもとに戻しますが、小さな畳の狭い部屋での体感的症状は、東京の家に戻ると和らいでくれます。


もっともそれは私だけで、起居を共にしている家族にはその気配はないようです。


だから、"年のせいですよ"といわれるのですが、果たしてそうでしょうか。

2010-09-08

スペースコレクション住宅の畳は・・・

室内容積にすると、東京22.53立方メートル、アパート17.29立方メートルで、東京の4分の3にしかならないことになります。


新年の釜開きがあるというので親しい方から茶会へのお招きを頂きました。


ホテルの上階に畳敷の部屋があり、その広間に通されました。


畳の上で洋服姿で男性が正座するのはこのごろの若い人でなくとも、きゅうくつな思いをします。


そのために椅子に腰をかけテーブルのある立礼形式が発案されたのだろうと思っていましたが、当日は畳の上でその立礼があって薄茶をいただきました。


畳の大きさに関係なく、コトが運んでいましたが、次の濃茶の席ではちょっと気になったことがあります。


主客で、京都からの宗匠の間近に座ったせいかもしれませんが、道具の大きさと畳との関係にぎこちなさのあることに気づいたのです。

2010-09-07

畳の大きさの変化

このごろの畳1枚の大きさはずいぶん小型で、寸詰まりのがあるからでもあります。


ところが、どうやらここ数か月その調査結果をうらづけそうな自覚がでているのです。


展に里、間と呼び、対する京間の畳より小さい畳を単位としている東京のわが家から、北海道の鉄筋コンクート造アパートに移って約半年。


畳を敷いてある数は6畳と4畳半で6畳のほうは壁の内法寸法が2.47メートル×3.24メートル。


4畳半は2.47メートル×2.77メートル。


東京の私宅は柱心々を91センチにして、6畳は2.63メートル×3.54メートル。


ですから、同じ6畳でも床面積にし北海道のスペースコレクション住宅アパートのほうが1.55平方メールも狭いのです。


東京の家より17%も小さいことになります。


畳1枚の大きさはアパートが78センチ×157センチ。


東京は87センチ×77センチです。


天井高はアパート2.23メートル、東京2.42メートル。

2010-09-06

東京と北海道のスペースコレクション住宅の違い

生活スペースとあるその内容が、寝室に関することだけなのか、その人が家族と共に住んでいるスペースコレクション住宅の床面積を人数で割り算をしたものか。


あるいは、玄関や廊下、階段、便所などを除いたものなのか、はつまびらかではなかったのです。


どんなメカニズムで関係が及んでいるのか、因果関係を省略してあるので、一読して短絡だときめつける向があったかもしれません。


私は私で、ふだんから、床から天井までの高さや環境的アメニティを無視して、床面積だけで生活スペースを云々することに疑問をもっています。


そのため、ほんとうだろうか、とこれまた単純で失礼かもしれない見方をしたものです。


天井高は世間一般、似たようなものかもしれません。

2010-09-03

桶屋が儲かる?

いりもせぬ物の値をきく雨宿り


・・・は店屋の軒先でいまもときどき体験しますが、次のもそうですね。


本ぶりになって出てゆく雨宿り

雨宿り惜しい娘に傘がくる

これも縁ぬれてる軒で雨宿り


・・・軒下を借りている人はぬれていなくても、部屋の中では雨の日に雨漏りはなくてもぬれています。


スペースコレクション住宅の屋根の形や勾配は降水量の多い少ないにもよりますが、単位時間内に降る量やその降りざまに左右されます。


すみを流したように暗くなった空から大粒の雨が、劇画ふうに表現すると、ドカーッ、ザァーッと、まるでバケツで水をぶちあけるように降ってくる地方があります。


樋はあっても役立たないのか、ついていません。


ヨーロッパ大陸の夏の午後、フランスでは夜が二度あるのかと冗談をとばしたくなるほど暗くなって、稲のない平野に稲妻の閃光がジグザグに走るのです。

2010-09-02

スペースコレクション住宅の広さが人体に及ぼす影響

雨宿りの間に、彼の腕の中でなんども声をあげたフランス娘の話や映画はそういう風土の中で生まれたのでしょう。


つぎに誘われて、"明日は夕立ちのない予報のようだわ"と拒絶したと小咄ではからかっています。


局地的に大地が熱せられて、気流が上昇し、断熱膨張するのは洋の東西同じなのです。


"スペースコレクション住宅の広さが人体に及ぼす影響"という調査の結果をA紙の記事で見ました。


いささか旧聞で恐縮なのですが、大筋は"東京都民の一人平均の生活スペースは3.4畳。


この平均以下の部屋に住む人と、それ以上の広さに住む人とを比べてみると、以下の方は、記憶と推理の能力がだいぶ落ちる"。


そして"気力が減退し、腰痛、胃腸病、神経痛となるとはるかに率が高い。


晩酌の量は5割方ふえ、セックス能力は月0.6回"


・・・などのようでした。

日本と外国のスペースコレクション住宅の違い

煉瓦や石造りの多いヨーロッパの昔話の中に雨漏りがこわい、と子供に承えたものは、まだ聞きません。


三匹の子ぶたにあるように、住まい作りは時間をかけても丈夫なもの、外敵を防げるもので作るべし、と教えているような気がします。


フィンランドヘルシンキから西に数時間、古都ツルクがあります。


そこにあるツルク城を舞台に、国を代表する童話作家トベリュウスが書いたのに"ツルク城の小人"があります。


主人公の小人は700のおじいさんで、石造りの古城に地下深く住んでいる、という設定で、日本では安政2年。


その年の10月2日夜10時すぎから翌朝にかけて、江戸直下の大地震があり、倒れた家1万余戸、死亡者6641人と記録にありますから、雨漏りどころの騒ぎではないです。


頑丈に作られた石の城の屋根は木造ですが、雨漏りなどを気にしないでもすむ壁や床であるからでしょうか。


軒の出が少ない、というかほとんどないのと等しいのですから、雨宿りをする余地はありません。


雨が少ないから雨宿りの必要もないのです。


バーバリのレインコートの襟を立ててゆくか、降らなくても傘をもって歩くのか、イギリスの風土と風俗にも因果関係があって、それぞれサマになっていますが、日本の雨宿りのようなことは少ないのではないでしょうか。

2010-09-01

信濃の昔話

中国・朝鮮・インドにも似た話があるそうですが、「日本昔話事典」や「信濃の昔話」によると"古屋の漏り"があります。


村はずれの蒔家に、おじいさんとおばあさんが住んでいました。


ある夜、狼がきて、夜になったら食ってやろうとねらいます。


そうとは知らないで家の中のおばあさん。


"じいさ、おらあ狼どんが一番おっがねえが、じいさ、なにが一番おっかねえかい。"と聞きます。


外できいていた狼は"なんといっても、おれが一番おっかねえぞ"といばっています。


そのとき、雨がポツンポツンと降ってきたので、おじいさんは、"おらあ狼どんより漏り(もおり)どんのほうがおっかねえ"と言いました。


狼は"今夜も、もおりどんがくるずらか"といったら、おじいさんが"くるかも知れねえ、ああ、おっかねえ、おっかねえ"といったので狼は


"おれよりまだおっかねえもんがあるなんて、それこそおっかねえ"と逃げていった・・・というお話です。

(「信濃の昔話」)

2010-08-31

雨漏りのするスペースコレクション住宅

隣接する書院造りの親方の居住区より、漁夫たちの生活部分、特にその水槽、下流し、かまど、台所と庭とが一体になって構成する空間の美しさには、お勝手などとなまやさしい呼び名では表現することができそうもないでしょう。


そこに、軍・隊とはちがった男たちだけの世界を幻想したのです。


育った家が瓦ぶきの古い家で、豪雨のときはアチコチにバケツや洗面器をおいて雨漏りを受けていました。


雨は無色のはずですが、受け皿の水は茶っぽく汚れます。


それが当然のように思っていたせいか、人様の家にはきびしくしなければならないのですが、わが家の雨漏りにはきわめて寛大です。


シトシトと降る雨が、バケツに落ちるときにピッチャンと音をたてます。


その音にリズムやハーモニーさえ感じてわびしい思いはまったくありませんでした。


カビがはえるほどのことがなかったのは土壁で天井が高く、小屋裏に十分ゆとりがあったからでしょう。


建てて20年になるいまの家はアルミニウム板を瓦棒葺にしましたが、バケツに受けるほど派手ではありませんが、天井の一部にシミ跡があります。


屋根に葺いた金属板の裏側が空気中の湿気が多いために結露をする現象をおこすのです。


軒先に見える合板は腐朽してしまいました。

勝手が消えた理由

米軍が入ってきて、その人たちの家族用宿舎づくりが仕事になりましたが、家具什器と共にステンレススチールの流しの設計と製作がはじまり、勝手という名が消えはじめたのではないでしょうか。


いまや、煤けた台所は現揚に建てられる飯揚ぐらいかもしれません。


いえ、ヤ飯場だってポータブルの清潔な台所になりましたし、ステンレス流し台の普及は広いです。


はじめに、勝手という呼び名は女性がそこでのみ勝手にふるまえるからか、と勝手な憶測を書きましたが、アフリカのある部落にみる円錐形のひとつひとつの小屋は、複数の妻の一人である彼女たちの私的な、まったくスペースコレクション住宅的私的な世界です。


北海道の日本海側に、かつて棘の大群が押し寄せてきた時代があります。


明治から大正にかけてのことで、海の色は群来(くき)と共に乳白色に変わり、波間を渡るヤン衆の沖揚音頭と、もっこ背負いの人々で浜が湧きかえったのです。


そのころ、東北地方から小舟で海岸沿いにやってきた漁夫たちが生活をした番屋が修復、復元されたのを見ました。


壮大というか雄大というか、その室内空問は100人前後のヤン衆の生活を想起させます。


機能的で、当時なりに合理性がある台所と流し。


かまどと中央部分にある漁夫たちが生活する板の間、中二階を含めて三段になった寝所の形と共に、特有の平面と断面をもつ構成です。

2010-08-30

戦後のスペースコレクション住宅

研究室のあるマンションには、流しの横にディスポーザーと呼ぶ処理機がついています。


そのほかのゴミはたまったものを階段の踊り場にある指定の場所に置くと係の人が片づけて下さるのです。


逝くなられた清水さんが、"ステンレスの輝く台所でつくられた料理は、一面煤だらけの台所でつくられたものにおよぶべくもない"と書いておられました。


私はそれほどまでには思いませんが、さいきん外食産業に対して内食産業と呼ぶ、いわゆるお袋の味とか、手作りのお惣菜めいたものを提供する小さな店の飲み屋などでは、なるほどそういわれればそういうものかもしれないな、とも考えます。


木製の流しがトタンや銅張りに、やがて、スペースコレクション住宅のようなタイルを張ったものや人造石研出しのを木製の台や脚の上にのせる時代がきて、戦争に突入したのではないでしょうか。


引き揚げてきて、焼夷弾で焼きつくされた東京の原っぱに、焼けトタンで屋根や壁をつくった掘立て小屋の外に、焼け残ってところどころタイルのはげた流しを使っていました。

消えた勝手口

かまどと便壺が並んでいるような勝手の土間では洗いものは長屋共用の井戸端でします。


江戸庶民たちのスペースコレクション住居には奉公人はみられませんから、女中室どころか生業と係わりのない主婦は家政専業です。


昭和ヒト桁のころ、私が育った家は三和土の土間にへっついがあって、女中さんが2人高下駄をはき、カラコロと音を立てて仕事をしていました。


はじめ、薪を燃していましたが、都市ガスが入りました。


朝早く出かけるときは私一人で湯を沸かして茶漬をかっこんだものです。


数年たって再び上京したころの下宿の勝手の床は板張りで、揚げ床の中には漬物がありました。


流しは木製で、トタン張り。


洗濯機はなく、冷蔵庫はありましたが、木製で毎日氷屋が氷を運んでいました。


そこに勝手口があり、勝手と呼んでいたように思います。


いま、勝手口という名の出入口をつけるスペースコレクション住宅が少ないのに気づきます。


台所で出るゴミをどこからどう通って外に運ぶのでしょうか。

2010-08-27

スペースコレクション住宅改良

三十数年前、私の許に嫁いできた妻は、当時近所の人から"奥さん"と声をかけられ、誰のことかとおろおろしていたものだ。

西洋の諺に"妻は台所から貰え"という意味のがある。

台所とゼうより"勝手"と呼ぶほうがより広い意味をもっていたのではないでしょうか。

というのは、武家の役職のひとつにあった"勝手方"や、玄関に対して"勝手口"に、表入口に対する裏の出入口というニュアンスを感じるからです。

じっさい、明治三十七年刊の「日本家屋構造」にある当時の中流、というより上級生活者であったであろう人のスペースコレクション住宅の平面には"勝手"とある。

土間か板張りか判然としないし、流しやかまどがどういう配列になっているのかもわからない。

ところが、時をへて大正期になり、スペースコレクション住宅改良の気運が高まり、和風スペースコレクション住宅は古く西欧の形式こそ新しく進んでいるのだとする傾向が出てきます。

大正中ごろに行なわれた設計競技の一等入選案には"炊事室"となっています。

台所を改善することを前面におしだしているころ、だが、変わらないのはその近くに女中室という名の三畳大の広さに押入れがついた部屋があることだ。

"勝手"とか"勝手口"の名が裏出入口の感をもっし、じっさいそうだったのです。

ご用聞きは玄関に顔を出しません。

もし出たとしたら"勝手口に回って下さい"といわれた時代で、私自身子供心にはっきりそのようなことを覚えています。

"間口は九尺か二間。

入ると一間ほどの土間があり、その片すみに簡単な座り流しがある。

へっついがあって、木切れなどが積んです。

"のは江戸の典型的な棟割り長屋で、木挽町六丁目町屋図にある平面図からの印象です。

2010-08-26

お勝手

都合のよいこと、便利なこと、私的なことを"勝手"といいます。

それにおがついているのは女のことばだからで、台所を呼ぶ名でもあります。

座敷回りでは男性がいばっていて、女は台所だけで勝手にふるまえるから、との説もうなずけないではない。

私たちスペースコレクション住宅や建築を設計する者は、図面の中に書きこむ室の名称を"台所"とか"厨房"とすることが多く、勝手と書くことは少ない。

厨房は厨(くりや)をする房(部屋)。

女房は貴族たちの食事の膳立て所に詰めていたのが主婦の代名詞になったのだという説や、貴族階級の台盤所が武士階級に受け継がれて、はてはその末流で俸給生活者クラスのはしりになった人々に及んだのだ、との説もうなずけないではない。

自分の女房のことを"ウチの奥様"という男がいた。

昔、ちょっと気どってフラウとドイッ語でいう先輩がいた。

ワイフと英語で呼ぶ人は多いが、私は"ウチのカミさんといえ"と教えてくれた上司のことばを初心にしてときどき守っています。

妻をその夫がなんと呼ぼうとお二人の間では勝手のことだが、奥様と呼んでいるのをきくと、どんなスペースコレクション的キッチンをお使いになっているのですか、と嫌味のひとつもいいたくなります。

カミさんといってるほうが、お勝手というほうにつながりを感じる。

カミさんは上さんで、商人や職人の、また一般に普通家庭の妻をいい、奥様とは他人の妻の敬称です。

大名や旗本などの夫人の呼び名であった"奥様"は、夫を送り出したあとは主婦専業で家の奥を担当し、カミさんのようにあるじの生業を兼ねることはなかったのです。