「子宮破裂」

産科医のsuzanさんがmixiの日記で書かれていた「子宮破裂」を、そのまま当ブログでも紹介させて頂きたいとお願いし、ご快諾頂きました。suzanさん、ありがとうございます。

VBACを考えられている方は読んでください。

もう何度も書いているが、
わたくしが遭遇した子宮破裂で一番ショッキングだったものは、
「子宮がお花のように開いた」ものだ。

前回も帝王切開で、今回も予定入院が決まっていたが、
入院予定日より数日はやい夜中に陣痛がきた、と連絡があった。
一刻も早く来て、と準備万端整えて待っていたが、
あいにくだんなさんが夜勤の日で、
上の子(まだ小さい)をみてくれる人が見つからず、
来院したのは電話があってから3時間くらいたってからだったと記憶している。

陣痛は弱かったが3分おきくらいで続いており、
出血はなく、母親は「どっちかというと元気」だった。
ただし、赤ちゃんの心拍が100をきるかきらないかに下がっていた。
手術同意書へのサインもすごくすごく急いでもらって手術室に運んだ。
来院してから30分以内に手術室に入ったはずだ。

おなかを開けたときに、「お花が開いたようだ」と思った。
一瞬だったと思うが、自分が見ているものを理解できなかった。

大きな中華まんで、上に切れ目が入って中身が見えているものがありますよね。
あんな感じ。
盛り上がった子宮の頂点(前壁の下のほうだけどそう見えた)が
ぱっくりと割れて花びらのように開いて、
中央に赤ちゃんを包む膜が見えて、
中で赤ちゃんがゆらゆらしていた。

子宮の「割れ目」を押し広げて
膜を破り、赤ちゃんを取り出し、
小児科医に渡した。
赤ちゃんは薄紫色で、ぐったりと私の手から垂れ下がっていた。

「お花のように割れた」子宮を縫い合わせるのも
いつもより大変だったが、
そんなことは、その後にその赤ちゃんとご両親が
たどった道にくらべたら、ぜんぜん、たいしたことはない。

1年後に、赤ちゃんは病院で亡くなった。
あちこちの大きな病院で尽くせる限りの手を尽くしたあと。
一度も退院できなかった。
最後は、私の勤務先の小児科病棟に戻った。
少しでも家の近くで、との配慮だった。

もちろん、悪い条件が重なっている。
陣痛が始まった条件も最悪だが、
何よりも、この患者さんの前の帝王切開
「逆T字」という切り方だった、ということ。
横一文字の中央に、たてに少し切って切開を広げる。
子宮の伸びが悪いとかの条件下で行うものだが、
子宮を「たて」に切った部分は破裂しやすい。
それを、目の前で見てしまったことになる。

ただし。
普通の帝王切開のあとの患者さんでも、
子宮破裂を見てきている。
一番多いタイプは、「サイレントラプチャー」(ラプチャーは「破裂」)。
帝王切開傷のあたりが薄く、薄くなって
つまり、中の膜が透けてみえるほど筋肉が薄くなっているもの。
決して珍しいものではない。
手術後に「もう妊娠しないほうがいい」と申し渡すしかない。
サイレントラプチャーはあくまでも外見だけで、
実際には「薄くなった筋肉がちゃんと中を守る」という意見も聞いたが、
別に実験したわけでもなし、断言できることではない。

帝王切開だから見ることができる。
この患者さんがもし、VBACを希望していたら?
赤ちゃんを出すために、最後のひといきみをがんばったときに、
この薄い筋肉、薄い膜は、破けないのか?
VBAC後は、子宮の中に手をつっこんで、
子宮に避けめがないかどうか、手探りで確認するのだが、
この薄い膜を手探りしたら、指で穴をあけてしまうこともあるかもしれない。

わたくしの知り合いの、子宮破裂を経験したことのある産婦人科医は
絶対にVBACを手がけない人ばかりだった。
しかし、子宮破裂を経験した、ということは
VBACをこころみて失敗したことがある、という意味だ。

VBACをする病院はどんどん減っている。
VBACを経験したことのある医師、
失敗して子宮破裂を見てしまった医師も、減っている。

それなら、産科医でもVBACのこわさを知らない人間が増えても、
仕方ないかも知れない。
人間は、自分の失敗からしか学べない、とは言わないが、
自分の失敗から学んだことは、一生忘れない、ついて回る。
VBACを望む女性は自分の子の死や重度障害からしか学べない、
VBACを扱う医者は、患者の死や訴訟されたことからしか学べない、としたら
人間という生き物の業の深さを、嘆くばかりだ。

帝王切開が楽なお産だという人がいたら、その方にもこのお話をしてあげてください。
よろしくお願いいたします。