神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

森茉莉のために一肌脱いだ吉野作造


吉野作造の日記*1に、森茉莉に関する記述があった。


昭和4年6月16日 森鴎外夫人より電話あり 遇ひたいと云ふ 夜来て貰ふことに返事して九時内を出る(中略)七時過帰宅す 鴎外夫人来て居られる 山田珠樹君の所へゆかれた令嬢翻訳ものをされ岸田国士君に見て貰ひたいから知つてゐるなら紹介して呉れとなり 知らないが書面を出して見ようと約束する


森茉莉の翻訳というと、『婦人之友昭和4年7月号〜12月号掲載のミュッセの戯曲「恋をもてあそぶ勿れ」があるが、この戯曲であろうか。
吉野が実際に岸田宛の書簡を書いたかどうかの確認はできていないが、森茉莉の作品に岸田に関する記述がある。


『マリアの気紛れ書き』によれば、

ついでに前回うつかり書き落したが、貴司田刻士と竜野豊とは交際つてゐて、仲間ではない、とは言へなかつたが、彼と彼らとの間には距離があつて、小さな河を距ててゐるやうなところがあつたやうだ。マリアが離婚後、翻訳のことで教へを乞ひに行つた時、会つてくれて、近くに住んでゐた貴志讃次といふ人物を紹介してくれた。それはいくらかは交際のある竜野豊に対する遠慮だつたのだらう。この時の彼の様子には彼が、竜野豊と交流はあつたが、それが、いくらかの距離を置いたものだつたことを、マリアにわからせたのである。


「貴司田刻士」が岸田国士、「竜野豊」が辰野隆(「貴志讃次」って、誰だ?)。これから言うと、おそらく吉野は、岸田宛の紹介状を書いたとみてよいのだろうね。


追記:「貴志讃次」は、貴司山治(きしやまじ・きしさんじ、1899-1973。小説家)かもしれない。

*1:吉野作造選集』第15巻