神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

慶應義塾の“図書館内乱”

慶應義塾図書館史 | 慶應義塾大学メディアセンター』(←ネットで見られる)の面白さは、過去に紹介したけれど、館内の派閥についても言及されている。
庄内閥の代表選手として、国分剛二という人が登場する。この人は、明治25年鶴岡に生まれ、大正8年雇員として就職後、同13年事務員に昇格。学歴は、高等小学卒業後、正則英語学校に一年ばかり在学したのみだが、勉学心に富み、山形県郷土史を中心に幅広い趣味を持っていたという。また、筆がたつので、郷土史ばかりでなく、図書館雑誌などにも投稿し、昭和3年発表されて急速に普及されつつあった森清の「日本十進分類法」に対する批判を執拗に繰返し、図書館界にも名を知られていたという(同書第4章5)。森清対国分剛二なんて「書物蔵」には出てなかったね。
それはともかく、この国分と図書館の相談役だった幸田成友の間でも戦いがあったようだ。三村竹清の日記*1によると、


大正11年2月9日 国分剛二君きて 羽柴古香翁之遺書 慶応図書館へ納めたるに 其中古文書を幸田君のそミ 其事にて国分君とごたごたしたり 云々と これも山中翁之話


大正11年2月14日 午後 慶応図書館に国分剛三君をとふ 羽柴君之遺物見る 羽柴君 生前不治之病をさとりてか 自鈔之書其他をこの図書館へ納れるへく交渉して 納れることゝなりし也 それより八日斗にて没し あとの書物中(中略)其余古文書を写したるもの百五十斗と 金石史十巻 同草稿 補遺か 一束(中略)其他を国分氏こゝへ持来りて 買上けて貰ふつもり之処 幸田君見て 金石史なとも五円位之評価なりし由 其時は国分氏不在なりしか 其後国分氏立会ての評価ニは 国分氏より色々説明したる為 古文書なとも一枚十五銭としても四十円位はありませうとて これはこゝの図書館へ納めるもの故 四十円と計上したるに 其外之もの全部を二十円にて幸田君自分之方へよこせといふ それかいやなら図書館之方も破談にするといふ故 国分氏も面白からす 実は 羽柴氏にてハ(中略)旁金子も入用なるに 丁度先日尽日に幸田君駄々をこねしなれは 国分氏も四十円才覚して 図書館之方か不調となれは 其金を融通するつもりにしたる処 幸田君また 二十円の方かいけなけれはこの方を自分か引取る より分けて図書館へも其一部分は納める とて持去りしとか 二十円の方は価か安いといふなら 五円位なら買上けるとの事なりしか(中略)幸田君之書婬には時々利益問題か交るのて 先生とかく名を汚す也


読解力がないためか、2月14日の条の文意がよくわからないが、結局、職権を乱用して横取りしたということだろうか。その古文書も結局、今では幸田文庫となって、慶應義塾図書館に納まっているのかしらね。


追記:帝国図書館国会図書館の派閥についての文献はないかしら。
タイトルの「内乱」は「内紛」あたりの方がふさわしいのかもしれないけれど、某書をパクった。

*1:『演劇研究』第29号、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館