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神保町系オタオタ日記

2007-04-14

[] 諸岡存、時代遅レナリ!


とあるトンデモない日記(公刊されている)を発見。諸岡存や、あの人もこの人も出てきた。全貌を調査中。

とりあえず、誰ぞの好きな諸岡存をアップ。


昭和18年5月12日 諸岡八時ニ来訪、ユダヤ禍排撃同志会規約案ヲ持チ来リ、予ニ后援ヲ乞フ。四王天、白鳥赤池等ノ企ツル処ナリ。予ハ趣旨ハ賛成ナレドモ自ラ参与スルコトハ断ハルト答フ。


昭和18年5月23日 諸岡七時半ニ来訪、先日ユダヤ思想排撃ノ会長タランコトヲ予ニ乞フ。予ハ堅ク之ヲ断ル。同時ニ彼等ノ世相ニ無理解ナルニ驚ク。


昭和20年8月14日 諸岡六時半ニ来訪、五月二十五日ニ罹災シタリト云フ。赤池モ罹災シ予ノ身上ヲ案ジ諸岡ニ依頼シ予ヲ見舞ニ遣ハセリト云フ。諸岡例ニヨリ時代遅レナリ。


ユダヤ禍排撃同志会」とは、大直会(昭和19年10月21日創立。3月12日参照)のことであろう。また、「白鳥」は白鳥敏夫、「赤池」は赤池濃と思われる。

「例ニヨリ時代遅レナリ」と言われた諸岡だが、まさか「角髪(みづら)」だったりして・・・


追記:塩村耕こんな本があった!江戸珍奇本の世界』(家の光協会)を見ると、西尾市岩瀬文庫へ一度行きたくなるも、余りにも遠いというか、行くのに不便そう。

[] 萬朝報社婦人部長だったトンデモ系女性


オッサンばかりのトンデモ世界の住民。それでもわずかに女性がいる。

キリスト日本渡来説にはまった山根菊子(本名キク)もその一人。

彼女の経歴は興味深い。『日本女性人名辞典 普及版』によると、


明治26.6.1〜没年不詳*1 明治・大正期のジャーナリスト山口県に生まれる。萩修善女学校を卒業後、横浜共立女子神学校東京桜井女塾に学んだ。昭和四年(一九二九)に万朝報に入社*2、婦人部長をつとめたのち、日本と世界社社長になり、貧民救済伝道事業雑誌『民衆公論』『女性時代』を創刊した。『光[ママ]は東方より』などの著作がある。


彼女が萩を出るきっかけとなったのは『婦人世界』との出会いであったという*3


丁度十七歳の時であつた、婦人世界に載つてゐた記事をみて、早速その記事中の人物に手紙を出し始めた、その人は米国婦人で、エステラ・フィンチといつて、日本へ帰化して星田光代と呼ばれてゐた


大正4年に横浜共立女子神学校を卒業した山根。東京都庭園美術館で丁度「大正シック」展が本日から開催されている(7月1日まで)。

*1:山根治巳「亡き母の生涯」(『光りは東方より』(八幡書店版、昭和60年10月))によれば、昭和40年4月23日に狭心症の発作により死亡

*2:『新聞人名辞典』第3巻、日本図書センター、1988年2月(底本:『新聞人名鑑 昭和五年版』)によれば、入社は昭和4年10月15日

*3:『光りは東方より』(日本と世界社、昭和12年10月)の「序言」

森 洋介森 洋介 2007/04/14 09:54  涙香生前と違って『萬朝報』は昭和期にはもう三流新聞社でしたからねえ。以前、松崎てる女『亀のごとく 元『萬朝報』女性記者の半生』(青峰社/星雲社、1986.7)といふ面白くない本を讀んで、つくづくさう思ひました。同書に婦人部新設の頃も回顧されてゐますが、山根キクは一切出て來ず、「東洋大学を出た市川菊子さんや法政大学を出た本島百合さんが婦人部に迎えられた」(p.87)とある位が部の同僚の記述です。

神保町のオタ神保町のオタ 2007/04/14 17:42 森さんからコメントとは意外(でもないか)
新聞学とも関係するからか・・・

HisakoHisako 2007/04/14 18:04 ついに『婦人世界』とトンデモを結びつける人が出てきましたか……。同誌にトンデモ系の記事が多いのは、やはり村井弦斎が原因でしょう。弦斎が福来友吉の著書に興味を持ち、彼に原稿を依頼しようとしていることを、妻への手紙に書いているものがありますので……。実際に『婦人世界』には福来が書いた記事が載っていますし、ほかにも催眠術や霊術などいろいろあります。

神保町のオタ神保町のオタ 2007/04/14 21:07 最近、村井が出てくる日記を見つけますた。
福来もまだまだ面白そうなネタが隠れていそうな人ですね。