Hatena::ブログ(Diary)

神保町系オタオタ日記

2007-05-31

[][] 稲岡奴之助の娘と散歩する秋田雨雀


秋田雨雀日記』第1巻を見ていると、


大正6年12月8日 晴。夜寒い。昼は温かに日光が輝いていた。今朝下村君がきて小林*1の撮影があるからといって誘いに来た。ちょうど其時稲岡奴之助の娘さんも来たのでみんなで出て行った。停車場前で井出*2の連中と逢った。撮影はなかった。みんなでぼくの家により、それから夏目さんの墓などを見た。


ん、「稲岡奴之助」。「古書の森日記」に出てきた名前だ。

秋田の日記には、稲岡が他の日にも登場していた。


大正6年2月25日 今日起きてまもなく稲岡の娘さんがきた。散歩に行く約束をしていたので、二人で少し話をしてから夏目さんの墓の方へ行く。 


    3月22日 稲岡奴之助氏の娘さんが訪ねてこられた。この人はある病気の女の人の看護に行ってるそうだ。この人を送りながら早稲田文学原稿料をとりにいくと、中村君がいなかった。

夜、井出氏を訪い、原稿料をもらう。しかし金額は少しちがっていた。


    3月28日 稲岡の娘さんがきたので、野原へ出て、それから婦人の友社へ行き、河井酔茗君に逢い、雑誌をもらってきた。


まさか、日記の中で、稲岡奴之助の名前に出会えるとは。


追記:『彷書月刊』6月号の「ホンの情報」に、『宮本常一の見た府中』(府中市郷土の森博物館、400円)について、7月1日まで同博物館で開催中の「宮本常一の足跡展」にあわせてのブックレットとあった。図録はなかったが、ブックレットは存在していたみたい。はほへほ氏はだまされたか。不親切な博物館なり。

*1:「小林商会」か。

*2:井出正一(『活動之世界』発行)か。

hahohehohahoheho 2007/05/31 21:02 ああ、ブックレットがあったのですか…。尋ねた売店の人が何だか要領を得ない感じで、ちょっと不安ではあったのですが。行ったのが展示初日でしたから、中の人も不案内なのは仕方がないですかね。

神保町のオタ神保町のオタ 2007/05/31 21:42 内容は不明だが、事実上図録に相当するのでしょう。
商売っ気に欠けるのは困ったもの。

shomotsubugyoshomotsubugyo 2007/06/01 00:25 さっき気づいたんだけど、革新官僚の奥村喜和男のモンジョが国会で見られるみたいだよ。
http://www.ndl.go.jp/jp/data/kensei_shiryo/kensei/okumurakiwao.html

神保町のオタ神保町のオタ 2007/06/01 06:12 ありがとさん。書簡や写真があるみたいね。
『追憶 奥村喜和男』(奥村勝子,1970)も読まねば。

2007-05-30

[][][][] 永代静雄の鳩事報国に賛同した協力者たち


天羽英二の日記には、永代静雄も登場する。


昭和17年3月10日 新聞研究所長永代静雄ヨリノ、大東亜伝書鳩総聯盟発起人ノ依頼相談


この「大東亜伝書鳩総聯盟」は、永代により昭和17年に創設された団体で、「大東亜ノ要域ニ鳩通信網ヲ建設スル」ことを目的とした。永代は「中央普鳩会」を創設しただけでは、物足りず、鳩事報国に邁進したようだ(3月23日参照)。


天羽のほかに、「創立賛成人」に名前の挙がっている人は、例えば


小野秀雄東京帝大新聞研究室主任)

市島謙吉早稲田大学名誉理事)

針重敬喜(日本庭球協会理事)

三上於菟吉(創作家)

宇野浩二(創作家)

廣津和郎(創作家)

相馬御風(文学者

小川未明童話作家

羽仁もと子(自由学園々長)

上山草人(映画優人)

水谷八重子(優人)

小川菊松誠文堂新光社長)

鶴見裕[ママ]輔(太平洋協会専務理事、代議士

内藤民治(国際日本協会書記長


こんな人もいる。


松本喜一帝国図書館々長)

中山泰昌(南方文庫主幹)


全員が永代のツテではないだろうが、どういうつながりがあったのか気になる人が多いね。「南方文庫」って、ナンダロウアヤシゲ・・・


追記:参照、新「アリス」訳解

shomotsubugyoshomotsubugyo 2007/05/30 22:58 南支調査会所属南方文庫、みたいね。わちきも初めて知った(^-^;)

神保町のオタ神保町のオタ 2007/05/31 06:09 「南方文庫、キター」とくるか、と思っていましたが、貴兄にしても知りませんでしたか。中山も面白そうな人物。

大西小生大西小生 2007/06/03 23:39 拙サイトにリンクしました。ご確認ください。
http://www.eonet.ne.jp/~shousei/alice/

神保町のオタ神保町のオタ 2007/06/04 06:20 はじめまして。
小谷野氏がいつか謎を解いてくれるかと思ってましたが、早々に解明いただきありがとうございます。中山にますます興味がわいてきました。

大西小生大西小生 2007/06/18 02:05 リンク先、移動しました。
http://www.eonet.ne.jp/~shousei/alice/diary07_4.html

神保町のオタ神保町のオタ 2007/06/18 06:25 どうも。訂正しておきました。

2007-05-29

[] 戦時読書運動と関係はあったか市橋善之助


関根喜太郎の正体を知っていたと思われる後藤興善、八木敏夫、斎藤昌三も今はない。昭和25年関根が経営したと思われる星光書院から『読書法と勉強法』を刊行した市橋善之助(いちはし・ぜんのすけ)も『日本アナキズム運動人名事典』によれば昭和44年12月31日に亡くなっている。

市橋は、同事典によれば、明治27年12月名古屋市生まれ。大正7年早稲田大学英文科卒業。石川三四郎に師事し、終生の友に村松正俊、安藤更生らがおり、運動家ではなく、日々の暮らしの中でアナキズムを実践する道を選び、啓蒙的な教育書を多く著したという。晩年は、亀有の自宅で英語塾を開き、地元の青少年の教育に尽くした。参考文献としては、出来成訓「民間英語教師・市橋善之助」(『外国文学』31号、1983年3月)があるとのこと。


市橋の著作としては、『幼児教育論』(三笠書房、昭和16年)とか、『青年のための読書法』(青年書房、昭和17年)があるようだ。なんか、はほへほ氏や書物奉行氏の縄張りと関係がありそうな人だね。もっとも、経歴から言うと、戦時読書運動とは無関係か?

shomotsubugyoshomotsubugyo 2007/05/29 22:21 管見の限りでは無関係みたいですの。批判の対象にもなっていそうにない。
でもその本、よく古本市でみかけますの。
関根喜太郎の正体をそんなに知りたければ稲村テッチャンに手紙でも出してみたら

神保町のオタ神保町のオタ 2007/05/30 06:16 わしは見たことないよ、ていうか今までは見ても気がつかなかったのだろう。
今のところは、文献を掘り起こして追求するつもり。

2007-05-28

[] 日本読書新聞社に送り込まれた刺客、関根康喜


関根康喜(=関根喜太郎荒川畔村)と日本読書新聞社については、昨年5月25日に言及したところだけど、より詳しいことが、金亨燦『証言・朝鮮人のみた戦前期出版界』(出版ニュース社、1992年1月)に書いてあった。


前記の「懇話会」が発足してから、しばらく経ったあとのことだが(多分昭和十二年の晩秋)、いつとはなしに、東京出版協会で機関紙研究特別委員会の委員であった関根康喜氏が入社してきた。同氏は刀江書院の支配人格として活躍していた人で、齢は西村社長と大差なく、協会内での親交度も普通以上であった。私との関係は、新聞之新聞社時代に、いろいろと座談会を開いたが、その席によく出席してくれた、比較的顔見知りの仲である。その彼氏がなぜ、刀江書院を退めてまで「日読紙社」へ入り込んできたかというと、出版協会内に「日読紙浄化運動」とでも称すべき不平不満の動きがあって、その一味に押されて乗りこんできたらしい。そもそもの発端は、私が日読紙を牛耳っている、と誤解してのことらしい。


刀江書院と関根の関係については、既に小田光雄氏が、「古本屋散策(40)池本三喜夫と関根喜太郎」(『日本古書通信平成17年7月号)で、池本三喜夫『仏蘭西農村物語』(刀江書院、昭和10年)の発行者名が関根喜太郎となっていることを紹介している。この小田氏の連載は、関根を始め、大槻憲二や柳沼澤介などでわすのブログのネタと重なっているね。もっとも、わしの方が、後から追いかけている形になっているけど・・・

小田氏には、一度くらいわしブログを見てもらっているかしらね?


追記:『出版ニュース』5月中・下旬合併号の表紙はどこかで見たことがあると思ったら、ジュンク堂書店池袋本店だった(汗

2007-05-27

[][] 第一書房の二人の社員


第一書房の社員の名前を著名人の日記で見ることができた。

斎藤茂吉の日記*1には、


昭和16年4月8日 来客(略)鍛代利通(改造)、(略)鹽陳臚鵝癖胡椹痢法◆蔑)木下(第一書房)等。


「木下」は、長谷川郁夫『美酒と革嚢 第一書房長谷川巳之吉』に出てくる第一書房の編集部員木下嘉文と思われる。「鹽陳臚鵝廚蓮△△痢指輪物語』の訳者の瀬田貞二(せたていじ。大正5年4月〜昭和54年8月。昭和16年東京帝国大学文学部国文科卒)かしら。


三木清の日記*2には、


昭和13年2月7日 本日第一書房の小川君来り、同社をやめる由。


この「小川君」は不詳。

*1:『斎藤茂吉全集』第31巻

*2:『三木清全集』第19巻

たかさわたかさわ 2015/07/08 17:46 『街歌しぐれ』第39輯、平山蘆江の「山小屋日記」昭和16年6月1日条に「第一書房の木下嘉文氏、ハイキングの途すがらとて訪ねてくる。」とあります。

jyunkujyunku 2015/07/10 16:54 ありがとうございます。まったく未知の日記ですね。

2007-05-26

告発!星薬学専門学校不敬事件


天羽英二の日記昭和18年9月21日の条に謎の一行がある。


投書 星薬学専門学校生徒校長不敬事件


調べてみてもこの事件の内容は不明だったが、『星薬科大学八十年史』に面白い記述があった。


大條(おおえだ)正雄校長時代(昭和17年12月24日〜昭和22年2月24日)


新任の大條校長は銀座に自分の事務所*1を持ち、昼近くから午後に鞄を下げて任務につくという有り様で、いささか不謹慎のそしりはまぬがれないものであった。学校が主か銀座の事務所が主か分からない状態で、学校への出勤回数も毎日ではなかった。当時戦時中で純粋で多感な若者であった生徒は、校長の教育勅語の読み違い等、いろいろなことが重なったことからついに不満を爆発させ校長排斥運動を展開するに至った。


トンデモ図書館員(笑)、じゃなかった、トンデモ校長だったみたいだね。校長は不敬事件を起こしそうだが、天羽の日記には「生徒校長不敬事件」とあり、生徒にも不敬なことがあったのか、結局よくわからなかった。


追記:タイトルは冗談ですので、念のため。私は、右翼ではありません(笑

*1特許事務所

2007-05-25

[] 戦時下に迷惑な武林無想庵一家


秋田雨雀日記』第4巻によると、


昭和20年7月23日 今日約一ケ月黒石に滞在した武林夢[ママ]想庵夫妻と、夫人の息子の広康君は黒石を出発して新潟に向った。新潟では画家の水島君のところに一時滞在するらしい。二人とも漂浪癖があって一ケ所に滞在する考えがない。平素としては面白いがこんな時にはちょっと困る。頼ってこられる方でかなり迷惑をする。形勢を観望しながら黒石滞在をすすめたが夫人は一向きき入れなかった。なかなかわがままな性格だ。


武林の略年譜(『武林無想庵追悼録』無想庵の会、昭和37年7月)の昭和20年の欄に、黒石の秋田雨雀を訪ね、岡崎旅館に一月近くいた後、7月に青森県にも空襲が始まったため、裏日本秋田、燕町、二田、金沢京都と廻ったとある。


「画家の水島君」とは、水島爾保布のことだろうと思い、水島が当時どこに住んでいたか調べてみる。そうすると、『現代出版文化人総覧 昭和23年版補修版』(『出版文化人名辞典』第2巻)で、新潟県西蒲原郡燕町下横丁 関川敏雄方に居住していたことがわかり、年譜にある「燕町」とは水島の疎開先と確認できた*1

しかし、無想庵に押しかけられた水島がどう思ったかまでは今のところ不明である。

*1:かわじ・もとたか編著『水島爾保布著作書誌・探索日誌』(杉並けやき出版、1999年6月)にも、水島が硫黄島陥落後、新潟県燕市に移ったことが記されている。ところで、この本の続編は存在しないかしら。誰ぞも、『戦時読書運動書誌・探索日記』なんてのを刊行しないかしら・・・

2007-05-24

[] 岩波書店の小熊虎之助?


菅原憲二他編『田中秀央 近代西洋学の黎明』(京都大学学術出版会、2005年3月)によると、[1920・21年]12月17日付け田中秀央宛岩波茂雄書簡に次のように記されている。


哲学辞典の編纂につきては一方ならぬ御尽力相煩はし奉謝候、(略)校正は小熊乕之助文学士に一任いたし居り候へは、(略)


この小熊乕之助とは、後に明治大学教授となるあの心理学者の小熊虎之助*1のことかしら。

*1明治21年新潟県柏崎市生。大正3年東京帝国大学哲学科卒、同11年明治大学予科教授。

森 洋介森 洋介 2007/05/28 00:03  その小熊虎之助のことです。岩波哲學辭典に關はったことは、『夢と異常の世界 小熊虎之助鶴寿記念文集』(小熊虎之助先生満八十歳祝賀会実行委員会、1969.2)にも出てゐたはず(買ってありますがいま出て來ませんので)。

神保町のオタ神保町のオタ 2007/05/28 06:16 これに答えられるのは、森氏だけだと思っておりました。やはりあの小熊でしたか。

2007-05-23

星製薬の謎(その3)


寺田寅彦の日記*1によると、


大正7年5月2日 中村先生*2より○○君を星製薬に周旋せんとの話あり、


    8月19日 朝約により五反田なる星製薬株式会社工場見に行く 佐瀬君*3停車場へ迎に来れり、テルモ部詳細見分 意見を述べ置く、製薬部も石津君の案内にて一見す Viscose製紙の見本と香水一瓶貰ふ


   12月18日 夜○○君来り星製薬株式会社を辞する決心の由なり


大正9年1月18日 午後佐瀬君が来た、(略)今の横河製作所は居心地がいゝそうである。星製薬に居た時は丸で病人のやうに見へたが此頃は愉快そうに見へる。


星製薬の謎という程のものではないけれど、「佐瀬君」がなぜすぐに辞めたのか気になるところ。

*1:『寺田寅彦全集』第20巻、第21巻

*2:中村清二と思われる。

*3:佐瀬正道(大正7年東大理科実理科卒、横河電機製作所社員。(『大衆人事録第14版』帝国秘密探偵社、昭和17年))と思われる。

2007-05-22

[][][] 中山忠直の暴走する妄想(その2)


中山忠直(中山啓)のSF詩『火星*1に関する噂について書いた文献があった。

「昭和漢方の先駆者中山忠直」(『大塚敬節著作集』第1巻、春陽堂、昭和55年4月)によると、


この中山啓が自分の詩集を出版してくれといって、新潮社の玄関に、三日間坐り込んだという話を聞いたことがあったが、私をしていわしむれば、この『火星』はたいした代物ではなく、その当時、新潮社から出た『佐藤春夫詩集*2萩原朔太郎の『純情小曲集』や『青猫』などと比べると、まあよくも新潮社が出版したものだと感心する程度のものである。(略)

彼ははじめに木村博昭と手を握ったが、やがて別れた。沢田健とも手を握ったが、やがて別れた。桜沢如一とも手を握ったが、やがて別れた。なぜ、彼は次々と旧友から別れて孤立したのであろう。私はその理由を知らない。しかし彼の性格の中に、何か尋常でないものがあったのではあるまいかと、想像する。およそ先覚者には、異常性格者が多い。彼にも、そうしたところがあったのではあるまいか。(略)

ともあれ、私は彼が、昭和の漢方復興に尽した功績をみとめることに、やぶさかではない。


追記:国会図書館に『古書店と読者の雑誌』(高原書店編集部編)37号から134号までが所蔵されているんだ(参照:「はほへほ旅日記・書物日誌」)。

*1:中山啓『火星』(新潮社、大正13年)

*2:正しくは第一書房から大正15年3月に刊行。『第一書房長谷川巳之吉』(日本エディタースクール出版部昭和59年9月)の「第一書房刊行図書目録」で大正13年5月刊行としているのはどうした間違いか。

hahohehohahoheho 2007/05/22 21:45 高原の雑誌、ぜひぜひ見たいと思います。でも都内では国会だけですか(目黒区立に少しだけあるみたいですが)。

森 洋介森 洋介 2007/05/22 22:26  中山忠直の名は存外色々な古雜誌で見掛けますが、それも、あちこち人づきあひの出入りが激しい人だったからなのでせうか。SF詩や皇漢醫學も一面に過ぎないやうです。管見では、『日本及日本人』に結構寄稿してゐる風なので、政教社人脈の筋が氣になります。

shomotsubugyoshomotsubugyo 2007/05/22 23:13 (’0’*)あっ!なつかし〜『古書店と読者の雑誌』(^-^*)
もう何年もたつのだのう… 町田まで一生懸命通ったもんよ(*゜-゜)

神保町のオタ神保町のオタ 2007/05/23 06:16 はほへほさん:
納本されてるだけですごい。将来の研究者のために『古本共和国』も納本しておかないかしら。
森さん:政教社というと皆川三陸がらみで最近関心のあるところ。調べてみねば。
書物奉行さん:やっぱし「単なる古本オタ」ではなかっただすね(笑

2007-05-21

[][] 中山忠直の暴走する妄想(その1)


ヨコジュンさんのお気に入りで、SF詩人として著名な中山忠直は、日ユ同祖論者でもあったのだが、トンデモの領域を超えた妄想の世界に入り込んでいたようだ。


天羽英二(あもうえいじ)の日記によると、


昭和20年4月9日 沼津 中山忠直ナル狂気染ミタモノヨリ書物*1、印刷物送附シ来ル、小生ハ猶太「アモン」ノ子孫、猶太接近の運動を起せと言ふ。


    5月3日 皆見健治なる者、中山正[ママ]直の手紙持参 中山正[ママ]直は、小生は「アモン」ノ後裔 猶太の子孫、畑俊六など然り、猶太連盟を作れといふ


天羽に「狂気染ミタモノ」と言われてしまった中山だが、戦後執筆したものを見ても確かにその感はある。

『共通の広場』*2昭和27年6月号)の「人類に呼びかける」では、


天照大御神とは聖母マリヤで日本の最初の天皇神武天皇でなくハクニしらすスメラ・ミコト(御肇国天皇)と記されている崇神天皇で、このお方はキリスト(救い主)と云はれて来た人間イエスが殺されてから生れたイエスの遺児で、天皇は、イエスの理想の後継者にあらせられる。


この超トンデモない内容の文章を読んで、私は八切止夫を思い浮かべてしまった。


同誌昭和27年9月号の「天皇譲位論」では、


佐伯ハクシ*3に次ぐふるい研究家わMr.NAGAO Sin-Zi(長尾眞治・羊舟と号す)で、同じく明治41年の『福音新報』に『日本民族人種論』としてオオヤケにされた。ソレラをまとめて1942(昭和17)に『CHRIST チシキ』のフロクとしてだされたのを、イクサがすんでから『CHRIST SINBUN』のMr.SAITO Kiyosi(斎藤潔)からもらった。


と書いている。この長尾眞治とは、従来の日ユ同祖論では未知の人物。中山の言っていることが本当とすれば新発見の事実だね。

*1:『わが対ユダヤ戦線』(昭和18年11月、中山忠直)か。ただし、『発禁年表』によると、同年12月27日、「「日本とユダヤの風俗の類似」皇室ユダヤの風習あることを説述」として発禁。

*2神田孝一の独立評論社が発行する雑誌

*3:佐伯好郎「太秦(禹豆麻佐)を論ず」『歴史地理明治41年1月号(『景教碑文研究』待漏書院、明治44年12月所収)

青桃青桃 2007/05/23 00:56 神田孝一の独立評論社・・富士宮瓊光こと内山昌宣のデビュー作「祖国日本の予言」も昭和27年に独立評論社から刊行されています。

神保町のオタ神保町のオタ 2007/05/23 06:19 よくまあ色々知っているね。
Y書店の関係者だったりして。

2007-05-20

[][] 古本の女神に出逢ふ


書物奉行*1(以下「誰ぞ」という。ていうか、このブログで「誰ぞ」という場合は原則として同氏を指している)のマネをして夢ネタ。


気がつくと、ガレージの前にいた。古本に群がっているオジサンたち。それほど混んではいない。ざっと見て二階に上がると、「ガーーン」。満員電車状態。


「す、すまった!」

皆さん、とっくにガレージは見終えて、2階に突撃していたのだ。


ん、あそこにいる紅一点、いやモスグリーン色一点の女性は、もしや・・・

神保町系女子の女王ではなかろうか。思わず誰ぞみたいにナンパしかける。

いかん、いかん。いくら夢とは言え、そげな不埒な事をしてはいかん(笑

数冊かかえてホクホク顔をしておられるから、女神におかれては掘り出し物をゲットしたのであろうか。


気を取り直して、セドリに専念。

神奈川県図書館史』(400円)なんてのがある。相場は知らぬが、まだ残っているということは、誰ぞは既に持っているから拾っていないのか、そもそも出現していないのか・・・


明治大学文学部五十年史』(1000円)。これは森洋介氏が言及していた本だ。パラパラ見かけたが、買わず。


昔持っていたなあという本にばかり出会い、セドリとしては収穫はなかったものの、某女史の神々しい雄姿を拝見でき、得がたい夢であった。ていうか、これは夢だったのかすら、それとも・・・


追記:今日は、NHK教育で午後10時から「後藤新平」を見るか。

*1:正式には「shomotsubugyo」氏

shomotsubugyoshomotsubugyo 2007/05/20 10:42 神奈川…はここしばらく探してるもの。相場は桁が2ケタちがう…(×o×)

森 洋介森 洋介 2007/05/20 15:02  『明治大學文學部五十年史』は、藤澤衞彦の出て來る箇所だけコピーして、まだ買ってません。中山和子女史擔當の章いくつかが、明大と無關係に一般的な昭和文學史の記述を展開してしまって、困ったものです。學部史讀者はもっと明大關係者のことを具體的に知りたいんですから、そんなのは別の學生用教科書ででもやればよいのに。が、まあ知られざる文學史本と思へば買ってもよいものかも?

神保町のオタ神保町のオタ 2007/05/20 17:51 「誰ぞ」さん:わしは買ってないよ。どこにでもころがっている本かと思ってた。入ってすぐの左手の壁側だったけど。残ってなかったのかすら。
森さん:箱付きだったし、とりあえず買っておけばよかったかも・・・

shomotsubugyoshomotsubugyo 2007/05/20 23:49 なんとなくプロフィールが変わっているような…

神保町のオタ神保町のオタ 2007/05/21 06:26 ばれたか。自分の方から「畏友」というのも変だね・・・

2007-05-19

[] 渋谷ブックファースト、おまえもか・・・


遅ればせながら渋谷ブックファーストの閉店を知る。割と好きな書店だったのだが。


阪急電鉄グループは4月25日、渋谷文化村通り沿いにある旗艦店「ブックファースト渋谷店」を今年10月中旬で閉店すると発表した。


 同社によると、閉店は入居中のビルの建て替え工事に伴うもので、閉店後は近接するビルに新店舗を出店するほか、「新旗艦店」として新宿に売り場面積=1,000坪を超える大型店を開設する。


 新店舗「ブックファースト渋谷文化村通り店(仮称)」は、大盛堂書店の閉店に続き同年9月に閉店した「旭屋書店渋谷店」が入居していた道玄坂下交差点近く「渋谷第一勧業共同ビル」(宇田川町)地下1階・地下2階にオープンする。売り場面積は約200坪で、営業開始は渋谷店閉店直後の10月中旬を予定。(引用は「シブヤ経済新聞」より。一部省略)


スムース文庫」まで備えたその恐るべき書棚を好きな人も多かったと思うけれど、「渋谷文化村通り店」ではどうなることやら・・・

kumtinkumtin 2007/05/19 16:29 えー、そうなんですか?!大盛堂書店も結構がっかりしたんですけど。。。最近渋谷方面に行かなくなったので、知らなかったです。

神保町のオタ神保町のオタ 2007/05/19 18:01 閉店といっても、実際は移転ですね。より駅に近くはなるけれど、スペースが狭くなるから、今みたいな充実した品揃えは望めませんね。

2007-05-18

[] 天羽英二と国木田独歩


独歩の三十五回忌については、2月3日に紹介したけれど、出席していない招待者がいた。

天羽英二の日記によると、


昭和17年7月12日 来 婦人画報社国木田独歩35回忌案内


     7月16日 朝9時 婦人画報東京社ヨリ国木田独歩ノ三十五回忌案内欠席


天羽と独歩って関係があったのか不明。同年4月4日には「往来 国木田喜三郎夫人ミヤ弔詞」、4月10日には「来 国木田喜三郎」なる記載もあるが、これも独歩と関係があるのか不明。不明ばかりで、いささか恐縮。


(参考)天羽英二(明治20年9月21日〜昭和43年7月31日)徳島中学、神戸商高を経て、明治45年7月東京高等商業学校卒。大正元年10月外交官及領事官試験合格。昭和8年6月〜12年4月外務省情報部長、16年8月〜同年10月外務次官、18年4月〜19年7月情報局総裁

2007-05-17

[][] 早稲田一言堂の加納さん


次のようなメモが残っているのだが、出典がわからなくなってしまった。

「加納和弘 早稲田大学近くで一言堂という古本屋の店を開く」


向井透史早稲田古本屋街』によると、『別冊太陽 早稲田百人』の「古本屋地図」に戦前の早稲田通り沿いの古本屋として「美術関係の一言堂」があったことが書かれているという。この一言堂に当たるのであろう。


それにしても、わすはいったいどの本で見たのだろうか。ネタはしこんだらすぐにブログにアップしないといけないね。

追記:出典を思い出した。某文豪の麻雀仲間だった。弟の正吉は留女書店を経営。


追記:結局最後の「BIGBOX 古書感謝市」には行けなかった。しかし、坪内祐三氏が行くであろうという予言4月12日参照)が当たったのでよしとしようか。


追記:5月1日〜3日分の岡崎氏の「okatakeの日記」にトラバした覚えはないのに、したことになっているみたいだがどうなっているのだらう。おっと、5月1日はリンクしてた。2日・3日分は何だろう?

okatakeokatake 2007/05/17 21:08 あ、すんません、ぼくがアクセスして読ませてもらったからかもしれませんね。しかし、それがどうしてトラックバックに「ほしのあき」と一緒に上がるのかが不思議。

神保町のオタ神保町のオタ 2007/05/18 06:21 はじめまして。先日はサイン本を買いそびれて残念でした。
謎の「ほしのあき」は私も4月23日分にトラバされてます(見てみたい気はするものの、いまだ見ず)。

エイジエイジ 2014/09/17 22:35 はじめまして。志賀直哉の「奇人脱哉」(昭和24年)の中に、加納和宏と一言堂が出てきます。ネットのキーワード検索「加納 一言堂」で、この日記に行き当たりました。

jyunkujyunku 2014/09/18 07:17 はじめまして。コメントありがとうございます。大分前の記事なので出典を忘れてしまいましたが、志賀の日記の注だったような気がします。

2007-05-16

[] その時乱歩が動いた!


今日の10時からNHKその時歴史が動いた」に乱歩登場(日本ミステリー誕生〜江戸川乱歩大衆文化との格闘〜)。

そう言えば、都営地下鉄の駅でもらえるけれど、『中央公論アダージョ』創刊号(4月25日発行)は、「江戸川乱歩浅草を歩く」特集。表紙が、石塚公昭氏の「月と乱歩と凌雲閣」。もらっておいて損はないどころか、次号以降の特集も楽しみなフリーペーパー

[] 第一書房の廃業に振り回された社員たち


昭和19年に廃業となった第一書房。その社員について、長谷川郁夫『美酒と革嚢 第一書房長谷川巳之吉』には、


伊藤禱一は戦後、八雲書店、斎藤書店を経て、第二書房を興した(「第二 著書と出版社」)。

八雲書店は、中絶したが、太宰治の最初の全集を計画したことで戦後文学史に名を残す出版社。(略)斎藤書店は斎藤春雄がはじめた新興出版社。斎藤は、十返肇編集の「新文化」を手伝った「新入社員」だった。


とある。


この二人の社員が斎藤茂吉の日記に登場している。


昭和17年11月24日 来客第一書房斎藤春雄(後略)


  18年11月11日 午後、童馬山房夜話ノ原稿ヲ整理シ、第一書房ノ斎藤氏ニ手渡セリ。


  18年11月12日 童牛漫語ノ原稿整理ニ著手ス。


  18年11月15日 童牛漫語ノ後記カキヲハリ


  19年 2月 9日 第一書房ノ斎藤春雄氏来リテ社長ガ第一書房ヲヤメルツモリノ由、ヨツテ童牛漫語ノ方ハ止メヨウト思ツタ。


     3月15日 夜、第一書房ノ斎藤春雄氏ヨリ應召令ガ来リシ趣ノ電話ガアツタ。


     3月16日 午後、ウタタ寝、第一書房ノ斎藤春雄氏應召ニテ挨拶ニ来ル(10圓銭)   


     3月26日 午前中、少シク古イ歌稿ヲ整理中、第一書房ノ伊藤儔[ママ]一氏来リ、午近クマデヰタ


     4月 7日 第一書房伊藤禱一氏来ル。山房夜話ノ表紙見本持参

   

     4月 29日 八雲書店ノ伊藤禱一氏来リ、夜話ノ校正持チカヘル。


茂吉は『童馬山房夜話第一』(八雲書店、昭和19年7月)中の同月20日付け「後記」で「出版については八雲書店の斎藤春雄・伊藤禱一二氏の盡力を得」と書いている。第一書房の社員だった斎藤春雄は、八雲書店に移ったものの、すぐに応召したことになる。


また、茂吉の『童牛漫語』(斎藤書店、昭和22年7月)の「後記」(昭和18年11月上澣付け)に続く「又後記」(昭和19年3月16日付け)には、「右の如くであるが、その後の状勢やうやく深刻となり、進行の中途に於て第一書房が業を廃したが、今日即ち三月十六日斎藤春雄氏が應召することともなつたため、私も自粛する心持になり、「童牛漫語」の原稿は二たび筺底ふかく潜むことになつた」とある。茂吉は律儀にも戦後春雄が創業した斎藤書店から、春雄が第一書房時代に担当した作品を刊行したのだね。


第一書房の廃業により、春雄や伊藤は翻弄されたと思うけれど、敗戦を無事に生き延び、戦後も出版界で活躍したようだね。

2007-05-15

[] 国策出版社だったか、第一書房


佐藤優の『国家の自縛』(扶桑社、2005年9月)に、


開戦の説明責任についても、実は戦争が始まって一週間経ったところで日本政府大川周明を呼んでNHKで十二回の連続講演をやらせているんですよ。六回は「米国東亜侵略史」、あとの六回は「英国東亜侵略史」。(略)

それが当時の国策出版社である第一書房というところから昭和十七、十八、十九年と出版された。戦時中の大ベストセラーですよね。


とあった。佐藤氏は「国策」という言葉が好きみたいなので、まあ第一書房を国策出版社というのもしょうがないかと思ったが、長谷川郁夫『美酒と革嚢 第一書房長谷川巳之吉』でも第一書房の『セルパン』昭和15年10月号の「出版部便り」について、「これは意志的な国策出版社宣言であった、とみるべきだろう」と書かれていた。政府が出資した特殊会社でもないのに「国策〜」という用語を使うのには違和感があるが、どうだろうね。


佐藤氏には、起訴休職外務事務官という肩書きを使われるときがあるが、最高裁で二審判決が確定し、失職したら失職外務事務官と称したりして(笑

それにしても、起訴休職中の人は、もう少しおとなしくしてなさいと思うのだが。


追記:某紙によると、『文学』(岩波書店)7,8月号はSF特集になるとの事。SF冬の時代も終わり、春になったかと思っていたら盛夏だったか。でも短そうな夏・・・

2007-05-14

[] 隣近所の柳田國男丹下健三


丹下健三の自伝『一本の鉛筆から』(日本経済評論社、昭和60年8月)によると、


前川建築事務所にいたころ、四谷の木造アパートの設計を担当したが、出来上がると自分も住みたくなリ、しばらくの間はそこに入っていた。同じアパートに松村さんという若いご夫婦がおられたが、夫人三冬さんは画家の石井柏亭先生のお嬢さんであった。柏亭先生には、大学の三年間、絵を習っていたというご縁もあってご夫妻とは特に親しくしており、アパートの強制疎開後、松村さんに誘われて成城に移り住んだのである。


という。丹下のこの成城への疎開について、柳田國男の『炭焼日記』に出てきた。



昭和20年4月24日 隣の森氏あとに来た松村七郎君夫婦、丹下健三君来る、松村は石井柏亭氏聟のよし。


追記:講談社学術文庫から鈴木棠三『日本語のしゃれ』のリクエスト復刊。そんなリクエストっていつやってたっけ?鈴木は、昨年10月8日に紹介した柳田の『炭焼日記』に大いにやせて登場した人だね。

2007-05-13

[] 展覧会場としての星製薬


河内紀氏の著書で知ったのだけれど、星製薬は展覧会場として重要な役割を果たしていた。


『古本探偵』(北宋社、2000年1月)によると、ポーランド人のウビェンスキー(日本滞在中の署名表記はルビェンスキー)が、三越と星製薬で二回展を開催した(出典は、五十殿利治『大正期新興美術運動の研究』、中央公論美術出版、2005年5月)。


また、『解体旧書』(北宋社、2000年5月)では、ロシア・アヴァンギャルドが日本に紹介されたのは、1920年10月に京橋の星製薬三階で開催された「日本に於ける最初のロシア画展覧会」だという(出典は、五十殿利治・土肥美夫編『ロシア・アヴァンギャルド』第4巻、国書刊行会1991年8月中の五十殿による解説)。


展覧会場としての星製薬についても、もっと知りたいものである。


(参考)「日本における最初のロシア画展覧会」は、大正9年10月14日〜30日、星製薬3階で開催。

kokada_jnetkokada_jnet 2007/05/13 19:32 最相さん、もしかして、星一の評伝も書いてくれるかもしれませんね。
もしくは、「星新一」に触発されて、他の書き手の方が書いてくれるても、いいですね。

神保町のオタ神保町のオタ 2007/05/14 06:14 さほど売れはしないだろうけれど、星新一のやり残した謎の解明をしてほしいものですね。

2007-05-12

今日はドラマの「めぞん一刻」を見てから寝るべ


多分がっかりするだろうけど一応見ておこう。原作では、一の瀬、二階堂、三鷹、四谷、五代、六本木という登場人物名の頭の数字は、部屋の番号と一致していたね(ただし、住人でない三鷹を除く)。

追記:三鷹が登場する前に寝てしもうた・・・

[][] トンデモ系人物のレファ本


人名事典については、「書物蔵」でも特集されたことがあったけれど、戦前のトンデモ系の人物については、意外と総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』(日比谷政経会、1949年)も役に立つかも。もっとも、公職追放の該当事項だけで、生年月日すらわからないけれどね。


たとえば、星製薬の皆川三陸については、黒龍会書記長国体擁護連合[会]委員とある。これによると、大日本生産党よりも黒龍会で重要な立場にあったようだ。


参考までに書いておくと、皆川は『全国国家主義団体一覧 昭和十六年十月現在』では、政教社の役員欄に名前がある(肩書きは不明。事務長高畑正*1の次に挙がっている)ほか、国体擁護連合会常任委員、戦時体制強化連盟常任実行委員だったことがわかる。


追記:大阪くらしの今昔館で「吉田敬一コレクション「大大阪パノラマツアー」〜まちのよすが〜」展。5月27日まで。同展のチラシには、心斎橋の「カフエー高橋」の広告(?)が載っている。

*1明治34年5月福島県若松市生まれ。

kokada_jnetkokada_jnet 2007/05/13 19:25 あ、そうか。部屋番号だったんですか。
私は、三鷹、四谷と、中央線の駅名かとばかり、今の今まで思ってました。

神保町のオタ神保町のオタ 2007/05/14 06:12 部分的には駅名もあるのでしょうね。さすがに全部を駅名ではそろえられなかったか。

shomotsubugyoshomotsubugyo 2007/05/14 21:02 わちきは見んかったけど、感想は? アニメや映画も見んかったがマンガは見てたよ。

神保町のオタ神保町のオタ 2007/05/15 06:13 漫画では違和感のないドタバタも実写になると空々しいものになってしまうのは、これに限ったものではないけれど、やはり原作の味は完全には生かせないね。それでも、色んなエピソードについて、原作にそんなシーンがあったなあと思い出されて多少は楽しめました。

2007-05-11

[] 東京帝国大学附属図書館司書渋川驍


高見順日記』第3巻(勁草書房1964年11月)に渋川驍が出てきた。


昭和20年1月23日 田宮君(原註=田宮虎彦)来る。渋川君(原註=渋川驍、当時東京大図書館勤務)来る。渋川君は家族を静岡疎開させてひとりで大学図書館にいる。朝昼は学校の食堂で食い、夜は自炊とか。顔色がはなはだ悪い。そういえば田宮君もいわゆる疎開やもめ、同情にたえない。


司書の渋川は初登場だす!

2007-05-10

[][] 星製薬の謎(その2)


最相葉月星新一』では、昭和26年1月ロサンゼルス星一が亡くなったという訃報を受け開催された緊急の取締役会議に集まったメンバーとして、常務取締役の日村豊蔵、監査役顧問弁護士花井忠のほか、元陸軍中将若松只一の名前を挙げている。

この若松は、明治26年3月、福島県生まれ。この人も星一と同じ福島生まれだ。昭和17年12月に陸軍中将、20年7月から10月まで陸軍次官を務めている。


若松の名前は、佐野眞一『旅する巨人』にも出ていた。民族学岡正雄と親交が深かった人物として、元イタリア大使館付き駐在武官で終戦時参謀本部第二部長だった有末精三のほか、元ハンガリー公使館付きの駐在武官で終戦時陸軍省次官だった若松の名前を記している。


若松については、更にトンデモ関係者との交流もあったことが判明している。


ユダヤ主義者の四王天延孝の『四王天延孝回顧録』(みすず書房昭和39年7月)に、航空校下志津分校長時代(大正11年9月〜12年8月)のこととして、民族研究会なる組織が出てくる。


また思想問題、殊にユダヤ人問題を真摯に研究するの必要を同感せられた人士中熱心な方々は、故貴族院議員赤池濃氏が当時警視総監をしており、その相棒には警視庁の最高幹部の一員で敏腕の聞え高き正力松太郎氏(後の読売新聞社長)及警備軍司令部参謀長秦真次大佐(後の憲兵司令官中将)などであり、東京会館(?)に会合し民族研究会の基礎を相談し、秦氏を幹事とし毎月東京の偕行社で会合を催うし、研究発表をすることになり、随分長年の間ジミではあるが真面目な会合を重ねたのである。


赤池警視総監時代は大正11年10月〜12年9月、正力は、大正10年6月〜警視庁官房主事、12年10月〜13年1月警視庁警務部長、秦は大正12年11月〜臨時東京警備参謀長仰付、13年7月〜15年3月常設東京警備参謀長。四王天の記述通りに全員の任期が重なるわけではないが、民族研究会は大正12年頃創設されたようだ。


この研究会については、宮澤正典氏の著作にも出てこない*1ので詳細が不明だが、最近発見した例のトンデモ日記にその様子が書かれていた。


昭和10年3月5日 午后五時偕行社ニ於ケル民族研究会ニ出席ス。本日ノ出席者ハ飯田久恒、伊佐一男、飯村穣、林文太郎、若宮卯之助、若松只一、高島己作、田多井四郎治、辰見[ママ]栄一、宗義雄、坪井善明、内藤順太郎、中島資明[ママ]、中沢三夫、宇佐美興屋、福島久治、赤池濃、佐藤巳之吉、四王天延孝、東戸策、諏訪部造民等ナリ。(略)其他四王天中将フリーメーソンノ前会后ノ行動ニ就テ談話アリシモ、主ナルコトハ仏国ニテモ其ノ反対運動起リシコトヲ指摘セシコトガ主ナルコトナリシ。


飯村、伊佐、辰巳、中沢、宇佐美、坪井は陸軍軍人。飯田、佐藤、中島資朋は海軍軍人。

高島(陸軍軍人でもある)、田多井、東は竹内文献関係者。内藤は外務省等の嘱託

若松只一はつきあいで参加したのかもしれないが、トンデモ世界の身近にいたわけだ。


追記:『英語文学事典』(ミネルヴァ書房)を見る。J・R・R・トールキン(『指輪物語』の作者)は載っていたが、「ガンダルフ大統領に!」のことは書かれていなかった・・・

*1:正確には、宮澤正典『ユダヤ人論考』(新泉社、1973年10月)で、筆者が紹介した箇所の四王天の記述の一部を引用しているが、「民族研究会」という言葉はでてこないし、引用以上の解説はされていない。

2007-05-09

[][] 星製薬の謎(その1)


戦後、星新一の下、星製薬の社長代理となる皆川三陸の名前を幾つかの文献で見つけたので紹介しておこう。


右翼事典』(双葉社)の巻末の「右翼民族派運動年表」昭和4年3月の条に、「黒龍会皆川三陸、船生利量等、政教塾創立」とある。


また、「柴田宵曲翁日録抄(15)」『日本古書通信昭和57年9月号には、


昭和10年11月9日 午後須永氏と落合ふため政教社に行く。三田村氏在り。重松清行、山本枇村、皆川三陸いろゝゝの人に逢ふ。


追記:『右翼事典』の「年表」の昭和11年10月15日の条には、「皆川三陸、川原信一郎等、対外硬各派同志会結成」とある。

2007-05-08

[][] きまぐれオタのメモ


エス奉行 「最相葉月の『星新一』(新潮社)は読んだだすか?」


ジンボウ町のオタ 「読んだよ。ベタぼめはしないけれど、久しぶりにぐいぐい引き込まれるようなノンフィクションを見つけたという感じ。

猫猫先生もビックリというネタが出てくるよ。

星新一谷崎潤一郎の養女恵美子が見合いをしていたのだ。

本書には、恵美子とは明記されていないけれど、星と親しかった牧野光雄が新一と谷崎の娘の見合いについて証言している。それによると、谷崎の娘と見合いをしたところ、器量はいいのだけど、週1回上京しては三越で毎月十万円の買い物をするので、そんなに使われたら暮らしていけないということで、だめだったと星が言っていたということだよ。星の結婚は昭和36年3月、恵美子の結婚は昭和35年4月だから、二人の見合いは昭和30年代前半のことだと思われるね」


エス奉行 「猫猫先生こと小谷野敦先生が、『谷崎潤一郎伝』で谷崎が養女恵美子の縁談には苦労して、見合いをしてはうまくいかないことを繰り返したと書いてましたね」


ジンボウ町のオタ 「そうだね。星を谷崎家に紹介したのが誰であるかが気になるところだけど、そこまでは書いてないね。

星の母親についての新知見となる事実を鴎外の日記から発見しているのもさすがと言うべきことの一つだね」


エス奉行 「鴎外の日記については、オタさんも亀井貫一郎や谷崎潤一郎・精二、生方敏郎ネタで使ってましたね」


ジンボウ町のオタ 「そうそう、『神皇紀』も出てくるし、鴎外の日記には意外な活用法があるものなのだよ。

本書の取材対象者は134人ということらしいけど、何分ノンフィクションを書く場合の標準的な取材数がわからないので何とも言えないのだけれど、少なくとも本書にはそんなに証言者は登場しないから、この本を書く背景には、書かれていないインタヴューが数多くあるということだね。同じく女性ライターである黒岩比佐子さんもブログでそのようなことに言及してたね」


エス奉行 「労作なんだすね」


ジンボウ町のオタ  「うん。でも、一つだけ付け加えたいことがあるね。私ごときが、彼女に教えるというのはいささかおこがましいのだけど、新一の父一が亡くなった後の星製薬で社長代理を務めた皆川三陸という人物について、旧玄洋社系の人物かと推察されるが定かでないと書いているけれど、皆川は、明治33年4月、福島県石城郡勿来町生まれで、星一明治6年12月福島県石城郡錦村生まれ)とは同郷の人物。星一の後援を受け、政治運動に投じ、昭和4年に政教社に入り、15年2月には大日本生産党評議員になっているね。

戦中や戦後の星一・星製薬の実態の解明については、星新一が取り組みながら果たせなかったけれど、私としては是非、最相葉月さんに引き続き挑戦していただきたいと思っているよ」

kumtinkumtin 2007/05/09 17:18 日経新聞の書評で賞賛されてましたよ、「星新一」。ここにきて、ますます読みたくなってきました。

神保町のオタ神保町のオタ 2007/05/09 17:50 ぜひ読んでみてください。星の作品を愛した人には意外なことが多いのだけど、きっとますます星の作品が好きになると思うよ。

2007-05-05

[][] つかの間の池袋往来座モンパルナス


今から80年ほど前、池袋、板橋、練馬付近に若い芸術家たちが集まった。住人の一人である小熊秀雄は、この界隈の詩を詠んで「池袋モンパルナス」と名づけたという。今日明日と、その池袋には老若の古本者が集まるという。「第2回外市」、みんなで「外、行こう!」


ちなみに、板橋区立美術館では明日まで「池袋モンパルナスの作家たち」展を開催(無料)。近くの板橋区立郷土資料館では「茶道具から見た喫茶のこころ」展を開催中(これも無料)。


追記:『國文學』5月号に田中貴子さんが、ちょっと前にジュンク堂書店京都BAL店(明記はしてないが)で「国文学の本は何階ですか?」と聞いたときの女性店員のトンチンカンな対応を書いている。ジュンク堂書店に「国文学」を知らない店員がいるとは!?

shomotsubugyoshomotsubugyo 2007/05/05 13:38 オタどんはお外へ行くの?(´・∀・)σ

神保町のオタ神保町のオタ 2007/05/05 18:00 いきそびれた・・・

2007-05-04

[][] 東京帝国大学附属図書館司書小山栄三


今はなき「ジュンク堂書店日記」2006年4月28日分によると、


東大附属図書館姉崎正治と古野清人


日本古書通信」の「徳永康元さん」(八木福次郎)で徳永が、東大図書館に一時勤めていたことや、岡正雄と古野清人によって昭和18年に設立された民族研究所にも在籍していたことが記されていた。

ところで、実は、その古野清人も、東大図書館に勤務していたことがある。

『古野清人著作集 別巻』中「姉崎先生と私」によれば、

震災の後、図書館復興に渾身の努力を続けられたが、ロックフェラー財団の寄附金で新館が建設される頃は、アメリカ資本というのでいろいろな批難もあったらしい。しかし、先生は無条件で寄附してくれるのだからと意に介しなかった。その落成式の直後、館長室でほんとうに悦んでくれたのは英国大使ベルギー大使だけだと語られた。(中略)

わたしは大学を出てから世田谷の野砲第一連隊に志願兵として入営したが、三か月半で兵役を免除され、しいて定職を求めもしなかった。司書官の山田珠樹さんが、あるときブラブラ遊んでいないで、図書館にきませんかと勧められた。何かの事情で小山栄三君がやめていたので、小山君のあとでは嫌ですといったら、外に枠があるからといわれるので、先生に、山田さんが入れといわれましたがと伺いをたてると、先生は、山田君がそういったかねよかろうというわけで入れてもらった。

図書室に入ってから珍しく決闘をしたことがある。カトリック神父をやめてローマから帰った立花国三郎氏が先生の庇護ですでに図書館に勤めていた。


ここにちらっと名前の出てくる「小山栄三」って、あの社会学者の小山だったのだね。『近代日本社会学者小伝−書誌的考察−』に、小山は1925年東京帝国大学文学部社会学科卒業、同年東京帝国大学嘱託、同大学司書1929年同大学新聞研究室発足に伴い研究員となる、とあった。


追記:『編集会議』6月号に江古田の「銀のさじ書店」登場。でも、江古田ってどの辺だ?

shomotsubugyoshomotsubugyo 2007/05/05 18:14 江古田は以前古本屋がたくさんあってねぇ。いいとこですじゃ。練馬の手前とでも考えたらよいでせう。って、オタどん、東京のねぐらはどこなの〜

神保町のオタ神保町のオタ 2007/05/06 17:10 さて、どこでせう。ネットカフェ難民だったりして(汗

shomotsubugyoshomotsubugyo 2007/05/06 22:57 みやこでは○○茶寮に、それも夜に行けるヒトが、トウケイではネットカフェとは… あやすぃ〜(σ´∀`)σ もしかして帝國ホテルに連泊しとるのでは?

神保町のオタ神保町のオタ 2007/05/07 18:14 度々新幹線で関西にでばってくる人には負けるよ。

2007-05-03

[][] 『文献継承』を見ると・・・驚愕の事実が!?


『文献継承*1なる小冊子が落ちていた。何気なく見てみると、ダレゾが「某図書館員」となっていた。「某」ではなく「元」ではなかったかすら。あやすぃだすね〜

*1金沢文圃閣が発行するパンフ

2007-05-02

[][] 市河彦太郎夫人、市河かよ子


市河彦太郎は、外務省文化事業部第二課長だった時に小島威彦が主宰する第一期スメラ学塾講座(昭和15年6月17日〜7月16日)に講師と参加している。翌年彼はイラン公使として赴任するが、現地でスメラ学を究めたかは不明である。赴任する前の市河夫妻が野上彌生子の日記に登場する。


昭和15年5月10日 午前淀橋市河彦太郎夫人を訪ふ。おとなしやかなよい夫人である。


昭和16年2月23日 帰りに市河彦太郎さんの家へ挨拶による。丁度ゐて玄関で逢つた。八日に羽田を出て、台北ハノイ、と七日間でテヘランへ飛ぶとの事也。


野上が「おとなしやかなよい夫人」という市河彦太郎の妻、その名前をかよ子というが、ただの女*1ではなかった。


佐佐木信綱明治大正昭和の人々』(新樹社、昭和36年1月)によると、


外務省の若い外交官なる市河彦太郎君が入門された。(略)

市河君は、後、イラン公使となり、戦時中を善處して帰朝されたが、不幸にも病を得て歿せられた。未亡人かよ子さん亦文藝に志あつく、「ミキコちやんのおけいこ」といふ幼い人の為にかかれた洋樂の本を出版された。


という。


また、『有島武郎全集』第15巻*2には、有島の[住所録手帖]が収録されているが、そこに藤澤親雄の名前があるのは、4月12日に言及した関係と思われるが、鶴見祐輔市河彦太郎・同嘉代子の名前もある。有島を通じて鶴見と市河はつながっているわけだが、それだけではなく、小谷野敦氏の発見したことだが、鶴見と市河かよ子には血縁関係があった。

[トンデモ]明治新聞雑誌文庫に迫るトンデモの影


吉野作造の日記*3には、スタール博士の友人にして、竹内文献の関係者たる前田惇が登場してくる。


昭和6年5月25日 午後は外骨翁を新聞文庫に訪ねる 暫く用談をして居る中前田惇といふ男来る 茨城埼玉かで大変な古代の遺物があるとて大騒ぎせる事件の関係者 一見して山師なるを知る [欄外「此男脳溢血で死んだと云ふ話を七月初めに聞いた」](略)持つてゐる材料は一々貴い面白いものなれど之を一つの史実に組み上げる能力は全然此男に欠け只々推測想像に依ていゝ加減の事を云ふものの如し 史料の渡辺世祐君も一緒に聞いたがこの点では呆れて居られた


前田については、昨年6月18日6月20日参照。もしかしたら、明治新聞雑誌文庫トンデモない史料が収蔵されていたりして。

*1:これって、斎藤美奈子さんの言うFC(フェミコード)的には大丈夫かな?

*2筑摩書房昭和61年9月

*3:『吉野作造選集』第15巻

shomotsubugyoshomotsubugyo 2007/05/03 17:55 市河彦太郎ネタキタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!!
大東亜トンデモ学と大東亜図書館学の接点たる市河公使。そうか、奥さんも文筆をしていたのね。これはびっくり(゜∀゜ )

神保町のオタ神保町のオタ 2007/05/03 20:19 夫婦で『フインランド雑記』(黄河書院, 1940.3)という著作も出してますね。一度、名前を覚えると色々発見するもので、最近あちこちで市河の名前に出会っている。もっとも、たいした事は書かれていないのだけれど。

jun-jun1965jun-jun1965 2007/05/09 15:45 北岡寿逸編『友情の人鶴見祐輔先生』に市河かよ子が執筆していて、祐輔を「叔父」と呼んでいます。前に間違えて俊輔の叔母がかよ子と書きましたが。
ということは、広田理太郎の娘か?

神保町のオタ神保町のオタ 2007/05/09 16:58 そうです。4月13日のコメント欄に書いておいたのですが、気づいてもらえませんでしたか・・・

jun-jun1965jun-jun1965 2007/05/10 00:38 あ、すみません。これで明日国会図書館へ行かずに済みました。

神保町のオタ神保町のオタ 2007/05/10 17:29 出典は、『昭和人名辞典』第1巻東京篇(日本図書センター)の廣田孝一の項です。

genchangenchan 2008/05/07 18:57 黄河書院で検索しますと市川先生の名前を発見してここに辿りつきました、
父亡き後父が生前刊行したと見られる一冊の和綴じの句集が書架から出てきました。
黄河書院から出版されていて序文を市川先生が書いておられました。
私の父の恩人の名前を見ることは大変喜ばしい事です。
このページを作成して頂きありがとうございます。

shomotsubugyoshomotsubugyo 2008/05/07 23:41 余計なことかもしれませんが、次のページでgenchanさまとおぼしき人を探しておられるようです。ご参考までに。
http://yushodo.co.jp/micro/search_2-8.html

神保町のオタ神保町のオタ 2008/05/08 06:04 はじめまして。参考になっていればよかったです。市河夫妻の名前は小谷野敦『日本の有名一族』(幻冬社新書)177・179頁にも登場しております。

genchangenchan 2008/05/08 17:55 shomotsubugyo様ありがとうございました、早速メールしてみました。
あのページを検索出来ると言う事は亡父の”栗実る頃”をご所有されてのですか?

神保町のオタ 様
父が生前中には市川先生の奥様が刊行された”竹の交響曲”?など実家に送って
頂いておりましたが、父が高齢になってからは音信普通になりました。

父が良く言っておりました、市川先生は文化事業部に持ち込まれた山と言う本を
ページをめくるかめくらない内に一冊を読み上げあっと言うまに山積みされた本を
読破してたそうです。私の父が”本当に頭に入っているんですか”と聞くと何でもいいからその本を見て質問してご覧と言われ質問すると、全ての事に答えられたそうです。
沼津のお墓には25年前に父と一回行った記憶があります。

genchangenchan 2008/05/08 18:21 先ほど母に電話して聞くと市川先生の奥様かよ子さんは、鶴見祐輔氏の妹さんだよと言っておりました。

神保町のオタ神保町のオタ 2008/05/08 18:40 正しくは、祐輔の姉敏子の娘です。

shomotsubugyoshomotsubugyo 2008/05/10 08:48 genchanさま> いえご父君のことはここで初めて知りました。国会図書館の所蔵目録(http://opac.ndl.go.jp/)を見て推理した次第です。ちなみにそこでは生没年不詳の詩人ということになっていますね。

genchangenchan 2008/05/11 00:27 shomotsubugyo様
元々は禅宗の坊さんだったのですが還俗してからは市河先生に認められて
外務省で市河先生の秘書をしておりましたが先生がフィンランドの公使で
フィンランドへ行かれてからは外務省を辞め小田原で余生を過ごしました。
詩人になってますが俳句が先で芭蕉の俳禅一如を極める為禅宗に身を置きました。
西鶴の一晩で万句云々に影響され独吟一万句など未整理の俳句や碧眼随筆遺稿が未整理に残って
どうして良いか手付かずです。
国会図書館のURLありがとうございました、
”栗実る”と”雨薔薇”は手元にあるのですが”祈りは私の〜”は父が人に貸したまま
返ってこないと言っていた作品で私もまだ未読なものです。
これらの作品は秘書をやっていた26歳頃の作品だと思います。
このサイトをもっと早く見つけていれば市河先生の色々な話を聞けたのですが、
シベリウスとの親交の話やマリアカラスの話当時文化事業部に毎日訪れた著名な芸術家の話など沢山聞いたのですが忘れてしまいました^^:(健忘症の為)

本は時間が出来たら国図書で閲覧したいと思います、神保町のオタ 様shomotsubugyo 様
本当にありがとうございました。

genchangenchan 2008/05/27 19:06 又おじゃまします、父親の遺稿のなかに次のような市河先生の事を書いた一節が出てきました。市河先生は沼津市の出身で、沼津市でも有名な旧家の出である。何しろ清水の次郎長が借金に来た位の家だったと云うから名実共に勝れた家柄であったろう。余談になるが、市河先生のお母様が言われるには、(次郎長と言う人は偉かった。百両の金を借りる時は必ず、二百両も価値のある刀などを持って来たと聞いてます。私が幼い頃ですから、唯、大きな体のおじさんが来ては「お嬢さん」と呼びながら、頭をなでてくれたのを覚えています。本当に優しい方でした。)こんな一文が有りました、それでは失礼致します。

神保町のオタ神保町のオタ 2008/05/27 19:47 市河をモデルにした芹沢の小説がありますが、確かに旧家とされています。どこまで本当かと思ってましたが、ある程度事実のようですね。次郎長の話は出てこなかったと思います。

shomotsubugyoshomotsubugyo 2008/05/27 21:15 市河さんって独特の魅力があったみたいですね。イラン公使として赴任するさいにも、百人以上の人があつまって壮行会したくらいですもの。

genchangenchan 2009/07/13 22:29 父のアルバムから市河先生の写真多数出てまいりましたが。
もしお必要ならおっしゃって下さい。

神保町のオタ神保町のオタ 2009/07/14 06:12 ご丁寧にありがとうございます。

みきちゃんみきちゃん 2009/09/01 21:03  はじめまして

 市河彦太郎がかよ子夫人と結婚された時、父親と一緒に河合栄次郎のところにあいさつに行っていると、河合の日記に出てきます。また河合がオックスに留学していた時に、市河もロンドンで勤務しており、よく常盤に食事に行っていました。
 もうひとつ言いますと、芹沢の「人間の運命」では石田という人物のモデルとされていますが、その広い有名な庭を持つ家は植松家がモデルです。一部履歴は変えられています。
 有名な喜劇役者の古川ロッパの日記にも市河は登場してきます。この時は麻雀をしにきているので、夫人同伴ではありませんでしたが。

jyunkujyunku 2009/09/02 06:29 はじめまして。河合の日記は知りませんでしたが、ロッパの日記については、「http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20070605/p1」で言及しております。その他、このブログ内の市河については、画面左の「日記の検索」で検索できます。

shusukeshusuke 2010/07/01 23:22 はじめまして。市河彦太郎は、私の伯父です。私の父から、皆さんがコメントされていることは、聞いておりましたが、彦太郎さんの
ことは、あまり聞いたことがなく、大変興味深く、拝見させて頂きました。有難うございます。

jyunkujyunku 2010/07/02 06:15 はじめまして。市河の御一族の方ですか。市河は、スメラ学塾や読書運動など、色々な方面に名前を見かける大変興味深い人物です。今後も見かけたら紹介していきたいと思っておりますので、よろしくお願いします。

2007-05-01

[] 一箱古本市で古本萌え


不忍ブックストリートにおける第4回一箱古本市で「工場萌え」、じゃなかった、「古本萌え〜」してきた。


まずは、退屈男氏に敬意を表すべく、オヨヨ書林へ。

オヨヨ、「いらっしゃいませー」という声が板についたこの人が神保町勤務の退屈男さんか。予想していたのと異なる種類のメガネだったので意外であった。懐かしき広瀬正の『ツィス』の文庫版に出会う。売れたかしら。


とっくに処分してしまったけれど、私は単行本の方で読んだ。あの広瀬のノスタルジックな作風にははまったものだ。ホント、広瀬があんなに早く死ななければ確実に直木賞受賞のSF作家第1号になったはずだね。ここでは他の箱でメリットの『イシュタルの船』を見かけた。400円とは安い。


しのばずくん神社では、生の岡崎武志氏を発見。実物にお目にかかるのは3回目か。実は未だに買っていない『読書の腕前』(サイン本だったみたい)を買おうかと思ったが、前の兄ちゃんがもたもたしてるからイラチのわしは、撤収(怒


「乱歩゜」では、「森茉莉街道をゆく」さんの箱あり。このブロックでは、晶文社が100円で売っていた旧版の「植草甚一スクラップ・ブック」の月報(一部)入り袋を買いそびれた。


「コシヅカハム」の「「北方人」日記」さんは、売り上げ冊数では3位だったようですが、個人的に「シブかったで賞」を差し上げます。


どなただったかスーツ姿の店主がおられたが、出張の機会を利用して参加されたのだろうか。謎であった。


MAPで気づいた事を記録しておくと、地下鉄の出口の表示はもっと大きく、かつ、何番出口かも書いてほしい。また、「しのばずくん神社」が書かれていなかった(スタンプ用の地図には書かれている)。


一箱古本市も4回目ですっかり地元に定着したイベントになったようだ。連休でつつじ祭りに来て、初めてその開催を知って寄った人も多いだろう。連休がつぶれる主催者の方には御苦労だけど、地方から出店したり、客として来る人にはこの時期の開催はありがたい事であろう。


南陀楼氏を始め、開催に携わった方には本当に感謝。

私もいつかは店主となってトンデモ本を売るか(笑


それにしても、書物奉行氏はどげしてるだすかね・・・


追記:谷根千工房では、伝説の雑誌『Bookman』を見かけた。

休憩なしに2時間以上かかって廻ったが、1箇所はあきらめ。黒岩比佐子さんは全部制覇したようで、やはり元体育会系の強みか。

夕焼けだんだんでは、名物(?)猫を見ることができた。

[] 安くはなかった明治


明治堂=雑書=安いというイメージがあるが、必ずしもそうではなかったようだ。

吉野作造選集』第15巻(岩波書店、1996年10月)によると、


昭和7年2月24日 午後は大学、経済学部明治堂から購入した明治思想史文献目録を借りて見る 猛雄君の蒐集品だ 主として経済関係のものであり中に二三の珍本もあるがコレクシヨンとしては案外不完備のものである もツと完備してる筈と思ふがマサカ別に取つてあるのでもあるまいが之れだけでは仕様がない 経済以外の文献では手当り次第集めたものでその数は殆んどいふに足らぬ それに値段の高いのに驚いた 巌松堂程ではないが慥かに一誠堂辺を凌ぐものである あんなものにあんな高価を附けるとは明治堂らしくない 思ふに猛雄君に頭がなく系統的に集めることを知らないから数の相当多きに慢心し之れだけ集めたといふところに価値ありと考へたのであらう さるにても経済学部がこの高価でやくざものを買込み之で明治研究の資料が揃つたと吹聴するに至ては滑稽の至りである 丸で盲が物を買つてゐるやうなものだ


吉野は、この年の6月に明治堂の主人三橋猛雄の結婚披露宴に招かねる*1程親しい仲だが、値付けには厳しい意見だね。

退屈男退屈男 2007/05/01 20:44 どうも。天候がよくて散歩には最高でしたよねぇ。メガネ、意外でしたか?『ツィス』、やや悪どい値つけ(七〇〇円)をしてしまい、やはり売れ残りました。

kozokotanikozokotani 2007/05/01 23:01 「北方人」です。はじめまして。「シブかったで賞」ありがとうございます。金額ではなく本がシブかった思っています。なにせ、金額のベストスリーにはほど遠いですがら。それにしても、いつもブログを拝見しています。シブイ人たちがが出てきて、いつも勉強させていただいております。

shomotsubugyoshomotsubugyo 2007/05/01 23:34 オタどんが一箱トチゲキしてるすきに大阪京都へトチゲキしたですよ(^-^*)
おや(’0’*) オタどんもたうたう一箱店主になるのかすら…
屋号は「トンデモ本箱」でどうでせう(^-^;)

神保町のオタ神保町のオタ 2007/05/02 06:17 退屈男さん:
メガネをかけている事は知っていたけれど、予想外のタイプのメガネが意外でした。お疲れ様でした。
kozokotaniさん:はじめまして。もちろん内容がシブかったという意味です。ごあいさつもせずに失礼しました。
shomotsubugyoさん:トンデモ本は、やはり売れないだろうねえ。

HisakoHisako 2007/05/02 08:23 元体育系としましては……それでも15カ所全部制覇するのは、結構きつかったです(笑)。

神保町のオタ神保町のオタ 2007/05/02 09:22 私もがんばって、賞品をもらえばよかったかも。

kawasusukawasusu 2007/05/02 17:19 ご来臨ありがとうございます。
「しのばずくん神社」は、空き店舗をこの日一日だけお借りしたので、メインの地図に入れるわけには行かなかったのです。ココに限らず、古本市の開催場所をすべてメインの地図に載せられるわけではない(個人宅もあったりするので)のが悩みどころです。
地下鉄の出口については、次回入れるようにします。

神保町のオタ神保町のオタ 2007/05/02 17:50 そういう事でしたか。失礼しました。
私もいつかは店主で楽しみたいものです。
とても楽しい1日となり、ありがとうございました。