神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

 黎明期の大東亜トンデモ学


戦時図書館運動(笑)、じゃなかった、黎明期の大東亜トンデモ学そのものと言うべき写真を発見!


「民族研究会創立当時の会員(大正13年)」なる写真だが、会員として、安江仙弘、中岡彌高(後に皇戦会理事長)がいる他、酒井勝軍に、何と安岡正篤までが・・・
参照:5月10日


追記:石立鉄男の逝去にセドローさんはどんなコメントをするかしら。

「茗和協会」と「大直会」

例のトンデモ日記(今のところ、タイトルは内緒)に次のような記述があった。

昭和19年10月18日 諸岡八時半ニ来訪、茗和協会ヲ組織シ、来ル二十日大東亜館ニテ発会式ヲ行フ為案内ニ来ル。


「二十日」でなくて、「二十一日」であれば、「茗和協会」改め「大直会」となったのだろうと推測できるのだが、1日ずれているね。この「諸岡」がそもそも諸岡存とは別人なのか、同一人物としても「茗和協会」が「大直会」とは別の団体だったのか、謎である。


参照:4月14日

甲鳥書林の鈴木さん


野上彌生子の日記*1甲鳥書林が出てきた。

昭和16年4月25日 朝甲鳥書林の鈴木氏来る。原稿を渡す。はじめは「叢林」とするつもりであつたが、それではあまり掻きあつめたものゝ気がする。をりから盛りの藤をおもひ、その一字を題にした。中川一政に表紙をたのむ事にする。旨く藤が描けるか知ら。


    6月11日 午前甲鳥書林の鈴木氏に来て貰らひ、光明皇后の「藤」といふ文字と序文を渡す。


    6月18日 夜鈴木君今度の随筆集「藤」の表紙の校正持参。


この「鈴木氏」であるが、林哲夫『古本デッサン帖』(青弓社、2001年7月)によると、甲鳥書林の後身養徳社の編輯部員の一人に鈴木治という人がいたそうだから、その人か。

*1:『野上彌生子全集』第Ⅱ期第7巻