神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

清水彌太郎、プラトン社員にして読売新聞社員


プラトン社の清水彌太郎については、昨年9月6日に言及した。
『新聞人名辞典』第3巻(底本:新聞人名鑑昭和五年版)を見てたら、


清水彌太郎 読売新聞社文藝部長 (入社)大正7年6月 明治二十六年二月一日に生れ、早稲田大学卒業、市内某高女並に某女子専門学校の講師たりし事あり、以後は読売新聞に入り、文藝部外交約八ヶ年の後編輯員となり今日に至る


とあった。兼業が禁止されていたわけではないだろうから、読売新聞社員の清水がプラトン社員であっても不思議ではないのだが、同一人物とするには決め手に欠けていた。ところが、同一人物であることを示す記録(例によって日記)があった。


坪内逍遥の日記*1がそれで、

大正12年8月13日 「読売」の清水弥太郎、「女性」の用にて来、十月号へ「芸術教育論」をと、十一月なりと約す


とある。

*1:『未刊・坪内逍遥資料集』第3巻

謎の植民地図書館


『大蔵公望日記』に謎の図書館長が登場する。

昭和17年6月17日 一時三五分徐州発 二時五〇分南京着/直ちに首都飯店に入る。夕刻まで室に居る。図書館長の福崎氏、関屋夫人来訪。


    6月19日 一〇時、福崎氏の案内により、近く公開される筈の博物館及図書館を見る。
         博物館では殊に支那古来の古董の優秀なものあるのに興味を感じた。


この南京の図書館って何だろう。東條文規先生、じゃなかた、書物奉行センセ、オセーテ。


参照→「書物蔵」(週末公開中)

(参考)大蔵公望は、明治15年7月生、37年7月東京帝大工科(土木科)卒。昭和4年10月〜6年7月満鉄理事、7年10月〜21年2月貴族院議員。43年12月24日没。