神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

図書館職員養成所長舟木重彦


広津和郎らと『奇蹟』を創刊した舟木重雄の弟で、小説家、独文学者の舟木重信宛書簡(『人間、この愛しきもの 舟木重信書簡集』)に重信の従弟舟木重彦が出てくる。中野重治の昭和26年3月25日付け書簡だが、


(略)さて、先日重彦君(1)のこと御知らせを受け、非常におどろき、さっそく奥さん(2)に手紙を書こうとしていましたところ、まわりいろいろにごちゃごちゃして、住所の記載をなくしてしまいました。(略)/アメリカ行き(3)のことは少しも知らなかったのですが、横浜まで来てなくなったことは、夫人にもよほどお心のこりのことと思います。われわれ旧友のうちでは、彼は至極丈夫な方で、こんなことは全く考えられぬことでした。

原注 (1) 舟木の従弟・重彦と中野とは旧制第四高等学校、東京帝国大学逸文学科の同期であった。
   (2)舟木恭子
   (3)海外図書館事情調査のためにアメリカへ派遣された。


同書の注も兼ねた「人名索引」によれば、

舟木重彦(明33-昭26) 舟木の従弟。旧制四高(金沢)を経て、昭和2東大独文卒。昭5から上野の帝国図書館に勤務。昭22、図書館付属の「図書館員(ママ)養成所」所長、昭26、海外図書館事情調査のためアメリカへ行き、帰国直後死去。興地實英、中野重治と四高以来の同期の友人。恭子はその妻。

重彦さんは、昭和初期から帝国図書館に勤め、戦後は図書館職員養成所の所長になった人なのだ。
ん、ググったら、誰ぞが既に言及しているぞ。わすが、未踏の地かと足を踏み入れる先々には、常に誰ぞの足跡が・・・(「http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20061026/p1


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林哲夫氏が、自分にそっくりの古本者を知っていると書いていたが、わすに似た人も昨日の東京古書会館での「体験古本市場」に出現していたらしい。わすのドッペルゲンガーって、どんな人だらう。