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神保町系オタオタ日記

2018-11-08

竹岡書店の均一台で摺師西村熊吉の次男亀次郎の遺稿集を発見

知恩寺古本まつりでは、初日は均一御三家の赤尾、キクオ、竹岡が白っぽい本が多くもう一つであった。結局下鴨納涼古本まつりに続いて福田屋の200円均一コーナーが一番良かった。最初から福田屋に張り付いた人はウハウハ状態であっただろう。開場前に私も含め多くの常連組がキクオ書店や竹岡書店のあたりにたむろしていたが、やはり何事も「人のしないことをしろ」ですな。

さて、竹岡書店の3冊500円(1冊売り不可)のコーナーでは3日目にしてようやく買えるものがあった*1。三富秀夫編『亀山遺稿』(旧日本会、大正10年7月)、非売品、136頁。西村亀次郎、号亀山の遺稿集である。年譜によれば、

明治31年6月7日 東京市本所区亀沢町生。父熊吉は、木版印刷業者にして、技術の精妙を以て斯界に推さる。母はやす。一兄一姉あり。

明治38年4月 市立深川尋常小学校入学

明治39年7月 父居を赤坂区青山南町に移す。

明治43年 2月神田区田町の居に移る。3月学友と回覧雑誌『火星界』を作る。4月『少年タイムス』と改め、社名を少年タイムス社と呼ぶ。後に『お伽世界』となる。

明治44年 3月神田小学校卒業。4月府立第一中学校に入学

明治45年 少年タイムス社の後身お伽会を改組して、日本会と号し、雑誌『錦旗』を出す。

大正3年1月 神田区神保町に遷る。

大正4年9月 日本会解散。会員12名。

大正5年3月 第一中学校を卒業。

大正6年4月 東京高等商業学校入学

大正9年 2月27日没。谷中長運寺で葬礼。

回覧雑誌が気になるが、それよりも父親が西村熊吉とあって驚いた。彫刻師伊上凡骨とコンビで優れた木版画を残した著名な摺師である。盛厚三『木版彫刻師伊上凡骨』(徳島県文化振興財団・徳島県文学書道館、平成23年)によれば、宇野浩二が『文学的散歩』(昭和18年)の金尾文淵堂にふれた中で「藤島武二、中沢弘光、満谷国四郎、その他に装釘や挿絵などを依頼し、写真を田中猪太郎(後の半七田中)製版印刷所にやらせ、彫刻を伊上凡骨にたのみ、木版を西村熊吉に印刷させるなどといふ事は、ほとんど、最上の顔ぶれであり、最上のしごとであった」と書いているという。また、木股知史『画文共鳴ーー『みだれ髪』から『月に吠える』へーー』(岩波書店平成20年)では、第二『明星画譜』(明治38年)や与謝野鉄幹・晶子『毒草』(本郷書院、明治37年)に関し、彫刻の凡骨と摺師の熊吉の組み合わせについて言及されている。

本書には熊吉に関する情報は上記年譜の記載のほか、自由な家庭で女名前の手紙や女の訪問などを亀次郎の父母はとがめなかったことぐらいしかでてこない。その点で物足りないが、熊吉の研究者の方がおられて少しでも参考になれば幸いです。最後に大正期東京に暮らす若者の青春がうかがえる亀次郎の手紙を紹介しよう。

(略)今僕は非常にマンドリンに熱中して昨日は朝六時から晩の十一時までひき立てゝたうたう持つてゐる譜のハ調ト調のもの全部と其他の調のものも二三、あげてしまひました。明日あたり又単調な譜を集めに出かけるつもりです。それで音楽会の御伴はできません。(略)エスペラント音楽会の入場券を君に差上げたいと思つてゐます。ーー後略。(大正八年三月二十五日、井上金太郎氏宛)

画文共鳴―『みだれ髪』から『月に吠える』へ

画文共鳴―『みだれ髪』から『月に吠える』へ

盛氏からは創刊15年目の『北方人』30号を御恵投いただきました。ありがとうございます。

*1:最終日にもトンデモないものが出ていた。