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神保町系オタオタ日記

2008-06-18

[][] トンデモバスター島田春雄の父翰への思い


三村竹清の日記に、


大正13年5月24日 朝 塩煎餅をもちて内田魯庵へゆく 松崎天民之たむさくてもうれる話 朝倉無声の本をきりとる癖と同しもの 西洋ニ多き話 島田翰 漢土之大家之書物を私したる事を列記して 自分を弁護せし漢文遺書を或判事ニ出して 自縊せし話 其遺書を官のものとして其判事之手元になく 尾佐竹氏ニたのミたるも手に入らさりし話(略)なときく


正しくは、大正4年7月にピストル自殺したとされる島田翰。次男の島田春雄は、明治39年3月生まれ。幼き頃に父を亡くした春雄は父のことをどう思っていたのだろうか。


森本忠『僕の詩と真実』によると、


島田君の父君もまた漢学者だったらしく、著述も若干あるらしいが、私は何も聞いてゐない。また島田君自身、あれほど誇らかに祖父君のことはしじゅう話題に上すのに、父君のこととなると一言半句も言及しなかった。それはすこし異様に感ぜられるが、私は強ひてせんさくしようとはしなかった。ずっと後になって吉祥寺に住む某君が近くの辰野隆博士を訪れた時、博士は朝日の島田君は僕の親戚に当るといふ話から、島田君の父君の噂をしたと某君は私に伝へた。それによると父君は天才肌の男だったがたった一つ、反社会的な或る悪癖があったと辰野博士は洩らしたといふ。事実かどうかは分らないがとにかく、父の子として島田君はあまり父君のことに触れたくない何かの事情があったものと思はれる。


春雄にとって、祖父篁村は誇りだったようだが、父への思いは複雑なものがあったのだろうね。


参考:昨年8月20日


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戦時下の鎌倉ペンクラブに負けじと、日本近代文学館の「夏の文学教室」(テーマは、「東京」をめぐる物語 Part2)。7月30日には黒岩さんの講演(「一九〇五年、戒厳令下の東京」)も。他は、鹿島茂小林信彦出久根達郎高橋源一郎赤瀬川原平らの名前も。毎日通学しようかしら。

2007-06-04

[] 朝倉無声藤沢衛彦


坪内逍遥の日記*1によると、


大正15年10月23日 浅[ママ]倉無声、見世物写本藤沢へ民事の件


    11月11日 藤沢衛彦来、「諸方見聞図会」を朝倉へ貸すこと異議なし

         但し十二月末まで入用云々


    11月13日 朝倉へ藤沢の件いひやる


藤沢衛彦(ふじさわもりひこ)は、『日本民俗大辞典』によると、明治18年福島県生。42年明治大学卒業。大正3年日本伝説学会設立。15年から昭和2年にかけて、雑誌『伝説』を第3巻第2号まで刊行。7年より明治大学で風俗史学・伝説学を講じた。


さすがの朝倉も藤沢から借りた本を切り抜いたりはしなかったであろうね。


追記:新年度になって、2箇月。さすがに、システムダウンを起こして昔ながらの方式で対応したり、返した本を返してないとか、貸す本を取り違えたりする図書館はないよね・・・もっとも、新米図書館員のせいばかりとは限らないけど。

*1:『未刊・坪内逍遥資料集』第4巻

2007-02-13

[][][] 帝国図書館朝倉無声の末路


帝国図書館を「諭旨免職」により追われたと思われる朝倉無声

彼を帝国図書館長田中稲城に紹介した早稲田大学図書館長市島春城は、その経過を田中から聞いているはずだが、市島の日記によれば、朝倉をめぐる不祥事への言及はない。それどころか、朝倉の退職*1後も引き続き交際を続けている。坪内逍遥三村竹清らの日記にも退職後の朝倉が登場することから、彼の性癖を警戒しつつ、その古書蒐集能力を頼りにしていたと思われる。


彼の死について、言及した日記を見つけたので紹介しておこう。


昭和2年4月5日 朝倉無声氏、昨日死去のしらせに八重を倶して吉田書店まで往き聞合せ、八重に香奠持たせ遣し自身は吉田に待ち居れり、是は道伴れのやうなる渠の妻や養子とやら未知の男を避けんが為めなり、遺稿遺物について悶着の予想もあれば也、河内へ帰葬と聞く、五十一歳、其人は気の毒又た愍然此の上なし。


出典は、『三田村鳶魚全集』第26巻(中央公論社、昭和52年5月)。朝倉無声を中心とする書痴のネットワーク、「朝倉無声山脈」を調べたら面白そうだね。


追記:「晩鮭亭日常」さんが復帰された。

*1明治44年5月1日付けで帝国図書館書目掛を「依願免本官」(川添裕編『見世物研究 姉妹篇』の「序」(延広真治)による)

vanjacketeivanjacketei 2007/02/13 20:27 気にかけていただきありがとうございます。何の変わりもありませんが、これまで通りに続けて参りますのでよろしくお願いします。
このところシリーズ化していた加能作次郎と谷崎兄弟の出会いの話を興味深く読ませていただきました。

神保町のオタ神保町のオタ 2007/02/13 20:51 こちらこそよろしくお願いします。
余談ですが、『新潮』のあの評論はホント、面白いですね。

shomotsubugyoshomotsubugyo 2007/02/13 22:24 末路とはなかなかきびしいね。わちきも末路?(・∀・) あんまり最近の人だと子孫がいたりするから要注意だすよ。

神保町のオタ神保町のオタ 2007/02/14 06:12 「末路」にそんな厳しい語感があるとは思っていなかった。
まあ、あまり遺族のことを気にしていたら、藤澤親雄や小島威彦らの事を書けなくなってしまうしね。

shomotsubugyoshomotsubugyo 2007/02/16 00:08 オタどんマンガ史もフォローしてたとは(・o・;)
わちきは諸々のねーちゃんたちに義理チョコ(って死語?)もらいましたですわいわいo(^-^)o

神保町のオタ神保町のオタ 2007/02/16 06:10 わしにもおすそわけを・・・
マイチョコで我慢するオタどんであった(しょぼーん)

くれどくれど 2007/02/17 21:39 木久蔵師匠ではなかったんですね

神保町のオタ神保町のオタ 2007/02/18 06:47 時期はかなり遡ると思われます。

kumtinkumtin 2007/02/19 22:12 おひさしゅうございまする。色がオレンジに変わりましたねぇ。チョコは積極的に女性にあげるのがイマドキでござるよ!

神保町のオタ神保町のオタ 2007/02/20 06:13 わっ、kumtinさんだ。
男の方から渡すとは、アメリカ方式ですね。やっぱり、もらいたいものですね。しかも、複数・・・あつかましい、オタさんでした。

2007-02-01

[][] 帝国図書館朝倉無声、出勤に及ばず!


朝倉無声が帝国図書館の朝倉とすれば、朝倉治彦は国会図書館の朝倉と言うべきか。もっとも、前者はほとんど無名に近い人、後者は図書館界でこの人を知らなければモグリと言われるぐらい有名な人(なのだろう)。

さて、その朝倉治彦は、幸田成友との出会いについて、次のように回想している*1


幸田先生にお目にかかったのは、あとにも先にも、たった一回であった。上野図書館に入って、本に関する知識の獲得に心の進んでいる頃であったと思うが、つれていって下さったのは、当時整理課長の弥吉さん*2であった。まず、君は朝倉無声の子供かねといわれた。これは、多くの人の抱く疑問らしいのであるが、全く関係のない旨を答えた。


朝倉治彦に、無声の子供かと聞いた幸田は、おそらく、無声がかつて、帝国図書館時代に図書破壊行為により図書館を追われたことを知っていたのであろう。

先に紹介した幸田を「書婬」呼ばわりした人物、すなわち、三村竹清の日記*3によれば、



大正11年1月7日 朝倉無声は 図書館勤務中いろいろきりぬきなとしたる噂なりしか或時帰省中卓子のひき出しよりいろいろ悪事あらはれ 帰京後出勤ニ及はすといふことになりし也とそ 其時山田君国書刊行会に居たる処へ来り これからのミに行かうといふ 近所之とりやへ行きしニ女の上る処へ行かうといふのて そこを出てうまく尾張町ニてわかれてしまひしニ とうとう三日斗帰らす 涙金之二百余円 皆のミつくして帰りたる由 尤も今にても 一年ニ一度位はかういふ豪遊をする也と云


この三村が山田清作から聞いたという話によれば、不在中に図書切り抜きなどの悪事が発覚し、無声は諭旨免職になったと推測できる。それにしても、帝国図書館員が図書破壊行為を行っていたとは。昨今、図書切り抜き行為が日本人のマナーの低下の例として挙げられるが、かつて、帝国図書館員自身が行っていたのだ。

無声は、やけになって、退職金を飲み尽くしてしまったみたいだが、豪快といえば豪快な人物。ますます、興味が湧いてきた。


幸田と朝倉無声の二人の事例から得られる教訓は、職場を休むときは、引き出しに悪事の証拠を残しておいてはいかんということだね(笑


(参考)三村は、前掲の引用部分に続けて次のように記している。


無声の先妻は 無声か早稲田学生時代ニ箱へパンを入れて売りあるきて 助けたるものにて 卒業後も生活費二十円より渡さす 蔭でハ塩をかけて茶漬けをたへてゐた位の婦人也しか いつか無声今之妻を拵へ 先妻が郷里の四国へ帰りたる留守中引入れ 始は国から姪が来たといふ吹聴なりしが 或朝同衾中を山田君に見つけられ 不倫を咎められ いたく恐縮してゐたる中 先妻帰り大もめにもめて 先妻は泣々郷里へ帰りし也と云 島田筑波を或家へつれゆき こゝか女房の居た家也といひし事あり 其素性も分り居る由也 これも山田君之話


いつのまにか朝倉無声のキーワードができているが、書物奉行氏かと思ったら違う人だった。


追記:昨日の日経夕刊に岡崎武志(内澤旬子イラスト)「昭和30年前後の新書ブーム」あり。

*1:「細野要斎と駿河御譲本と」(『幸田成友著作集』月報7、昭和47年6月)

*2:弥吉光長。昭和24年12月から26年4月まで支部上野図書館整理課長

*3:『演劇研究』、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館

okjmokjm 2007/02/01 22:47 キーワードを設定した者です。説明がなく「役に立たない」と評されていますので、よければ説明を入れてください。説明がなくても、キーワードで繋がるからそれでよい、と思って登録したものです(ほぼ一年前ですね)。最近はちょっと登録を遠慮しています。

神保町のオタ神保町のオタ 2007/02/02 06:05 はじめまして。
去年からでしたか。見間違えて今年と思ってしまいました。

shomotsubugyoshomotsubugyo 2007/02/02 22:50 わちきもせっかく立てたキーワードがボケナスどもに役に立たないといわれむかっぱらたったから新設するのやめちゃったよ

神保町のオタ神保町のオタ 2007/02/03 06:03 わしはまだ一つも作ったことがないよ。ネットでしか情報を収集しない輩が多すぎるね。

2006-12-29

[] 帝国図書館朝倉無声の図書破壊疑惑(その4)


帝国図書館朝倉無声に関するよくない噂をまた発見した。林若樹から又聞きの内田魯庵の話。



大正7年12月5日

午後 林君を訪ふ

(略)

魯庵又曰 此間 不忍之稀書複製会にて 是非出品物のカタロクを作ろうといふ相談あり 市島は金を十円だすといふ 自分は写真撮影を受合はうぢやないかといふ 無声は解題をかいて上けようといふ事にて 山田清作方へとにかく出品物を預り 無声は二三日通ひて内容を調へたり 平生評判よからぬ男故 山田も同し早稲田文科之同期なれは 充分に注意したる由 さて夫々返上したるに 水谷不倒君より新可笑記七枚不足 織留にも其他にも不足あり かゝる事あるへしと思はぬと 御かし申前に丁数もよく調へ置きぬ 且可笑記は自分製本したる故よく覚えあるが たしかに綴糸が違へりとの事 無声を疑ふより仕方なしとて 山田が尋ねて話したるに こなたより画とも字とも何ともいはぬ先に 無声より 馬鹿々々しい 画ならハとるといふ事もあれ 字の処許りとる奴があるものか などとふに落ちす かたるに落するふしもあれと 結局 知らぬ知らぬにて帰りたる由(略)

林氏か稀書複製会へ関係せさりしは 朝倉無声か関係せる故なるよし こわいからね といふ事なりし 果して然り


(参考)

大正7年11月17日

朝 道了堂より上野不忍池弁天堂上池院にて 稀書複製会の古書陳列あるを見る これは国書刊行会に居たる山田清作ニ仕事を与へるとて 市島謙吉か目論見たる也


出典は、「三村竹清日記」(『演劇研究』第25号、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館、2002年3月)。


朝倉無声の「罪状」については、「書物蔵」10月4日参照。

書物奉行氏よ、わしは、『公私月報』未見につき、書きかけという「朝倉無声の大罪本と国会図書舘」とやらを早く、アップされたし。


追記:今日は、「立石書店」に乾杯!唐突だね、理由はナイショ。


追記:『ユリイカ』1月号は、松本大洋特集。漫画家みたいだが、だれだっけ?という感じ。マンガ喫茶へ行かないと、やはり「バカ」になるか!?

shomotsubugyoshomotsubugyo 2006/12/29 08:10 ますます怪しくなってきますた(・∀・)

神保町のオタ神保町のオタ 2006/12/29 16:58 『見世物研究』だけ読んでいてはわからない世界だすね。奥が深そう・・・

shomotsubugyoshomotsubugyo 2006/12/29 18:05 あ、そだった(^-^;) 朝倉無声だけではインパクトに欠けるかと思って類似ネタを仕込もうとしたら忘れてた(・o・;)

shomotsubugyoshomotsubugyo 2006/12/29 21:39 ぬぬぬ。。。おぬしもしかして

神保町のオタ神保町のオタ 2006/12/30 06:06 よろしくね。もしかしたらもしかしたかも・・・

2006-10-31

[] 『見世物研究 姉妹篇』を読む


10月4日に言及した帝国図書館朝倉無声について、不明であった出典*1は書物奉行氏(の友人)の教示(同日の「書物蔵」参照)により解明された。出典が記されていたという、川添裕編『見世物研究 姉妹篇』の「序」(延広真治)を見ると、朝倉が明治44年5月1日付けで帝国図書館書目掛を「依願免本官」されていることも書かれていて参考になった。朝倉の帝国図書館における在職期間が不明であったので、これで退職時期だけは判明した。


朝倉無声については、既に紹介したほかにも、市島春城の日記に登場している。

例えば*2



明治41年3月22日 朝倉亀三を招き続燕石十種ニ収むべき材料を帝国図書館の図書ニ就て探索セんことを依頼す。


明治41年4月7日 朝倉を帝国図書館ニ訪ふて、続燕石十種の材料となるべきものを協議し、終に書庫内に入り随意捜索、ニ三種を得。(中略)朝倉亀三宅を訪ふて安田善之助ニ会し、図書館協会へ入会を勧めて、其の承諾を得。


明治41年9月9日 朝倉無声より、新著日本古刻書史三巻を示さる。


朝倉無声の研究者が、もしまだ市島の日記の存在を知らないのであれば、『早稲田大学図書館紀要』を読むべし!

て、俺はワセダの回し者か!?

*1:川添裕氏が、朝倉の帝国図書館蔵書の名家蔵書印切り取り行為について、外骨が唾棄すべきことと攻撃したという根拠

*2:『早稲田大学図書館紀要』第39号

2006-10-04

[][] 帝国図書館朝倉無声の図書破壊疑惑(その3)


初代早稲田大学図書館長市島春城の日記(『早稲田大学図書館紀要』)によれば、



明治39年10月31日 朝倉亀三より円光寺活字若干を贈らる。


明治40年9月15日 朝倉亀三より名家書翰二軸を示さる。直ちに購入。


明治40年9月18日 朝倉亀三より馬琴の手柬壱通を贈らる。


明治40年12月8日 朝倉亀三来訪、朝倉より南畝自筆(中略)磐渓詩草各一巻を購ふ。価八円即納。


明治41年3月27日 晩間朝倉亀三を訪ふて、某の所蔵の書翰二十余通を譲り受け(後略)


いくら何でも帝国図書館の蔵品を横流ししてはいなかっただろうから、公私共に業者に接する機会が多かったであろう朝倉無声(本名亀三)が、安く買って人に売ったり、時には贈答品に使ったりしていたのだろう。

図書館員にして、せどり師だったか。昔は、いたのね。

「今もいるだす!」って(笑


(おまけ)

岡崎武志氏の「週刊新潮」のグラビア連載で、氏が本当は訪問したいが、既に思い出の中にしか存在しない場所は、京一会館、駸々堂、そして「しあんくれーる」かもしれない。