現代詩・没論理的な現代

 昨日の歌仙「還暦の巻」には辛止散人の前書がある。冒頭を抜書きする。
「つらつら考ふるに、現代詩といふものの袋小路に迷ひ込んで低迷せる姿は、才能と言ふ資本金なき者が無理矢理個人商店を開業したためにあらざるや。」
 うまいわ。昭和の時代にはせっせと買っていた詩歌集を、平成になってからは殆ど買ってない。

 毎日新聞昨夕刊、渡辺裕「考える耳」のお題は「没論理的な現代」。見出しは「『癒し』の音楽は危険な罠」。ベートーベンの「第九」は、
「ニ○世紀初頭のドイツで労働者運動を盛り上げる切り札として使われる一方、一九三六年のベルリン・オリンピックの開会式では、ナチが人々を引き込むための道具となった。日本でも戦時下の一九四四年に東京帝国大学の出陣学徒壮行大音楽会で演奏されたかと思えば、戦後のうたごえ運動や労音の音楽活動でも好んで使われるなど、全く逆と言ってもよい様々な動きの中で出現し、そのたびごとに絶大な効果を発揮した。」
「音楽は『癒し』どころではなく、人々を政治的に支配するための強力な武器だったのである。」
「言ってみれば、論理を抜きにして感情レベルで人を動かし、引き込む絶好のメディアなのである。」
「必要なのは、音楽のもつ巨大な政治的力を認識し、そのあり方を見きわめた上で、それをプラスに転化して『平和利用』する術を考えることのできる知性である。」

 この評論の隣には塚原史ボードリヤール氏を悼む」。六日に亡くなった「フランス最後の大思想家」。
「記号の消費から現実の消滅へ、さらには不確実性の支配へといたる現代社会の危うい展開を鋭く論じて、思想界に波紋を投じ続けたことは、すでに知られているとおりだ。」

 ブックオフ長泉店で三冊。「現代日本文学大系97 現代評論集」筑摩書房1973年初版月報付200円、嵐山光三郎「文士温泉放蕩録 ざぶん」講談社文庫2001年初版、同「変! おばさん忍法帖光文社文庫2004年初版、計 410円。

 名古屋から中型トラックで来館した男性、これで只っていいの?と感心しきり。ついでだから無料のPamへ彼の車に同乗して案内。入り口で別れ徒歩で戻る。