『 レトリック感覚 』

 佐藤信夫『レトリック感覚』講談社1978年4刷、前半「序章」「直喩」「隠喩」「換喩」「提喩」 を読んだ。ずいぶん前に感心した本。経験を積んだせいか、今回は一層感心。

《 読むときも、聴くときも、私たちの心のなかには、きっとどこか醒めている部分がある。 だからであろう、やっきとなって、効果的でありたい、魅力的でありたい……と努力している 愚かなことばに出会うと、たちまち何かが白ける。 》 7頁

《 有限のことばを使って無限のものごとを表現するには、じゅうぶんに揃っていない大工道具で 工作をするときのように、工夫が必要だ。工面しなければ用がたりない……ということこそ 言語のひとつの宿命だと言わなけれなならない。 》 48-49頁

《 直喩ばかりでなくレトリックのことばのあやは一般に、名状しがたいものを名状せざるを えない、という欲求にこたえるための、やむをえない手法である。 》 53頁

《 その読みかたは、作者の意図とは逆である。が、逆の読みかたもまたひとつの読みかたであって、 作家にはそれに不平を言う権利はない。 》 56頁

《 表現も理解も、基本的な信頼にもとづく小さな冒険に近いのである。そして、直喩だけではなく すべてのことばのあやは、その冒険をできるだけ成功させるための、努力にほかならない。 》  60頁

《 《大きさ》とは《小ささ》のことでもあり、《高さ》とは《低さ》のことでもあるという事実を、 私たちはうっかり忘れがちだ。 》 74頁

《 すなわち、レトリックの直喩とは《発見的認識》である。 》 77頁

《 すなわち隠喩は、直喩にくらべて誤解の可能性が高い。 》 87頁

《 直喩が相手に対して説明的に新しい認識の共有化を求めるのとは逆に、隠喩は相手に対して あらかじめ共有化した価値を期待する。 》 93-94頁

《 古来、提喩はいつも換喩とからみ合うかたちで、あるいは換喩と抱き合わせで検討されてきた ことばのあやである。 》 140頁

《 そして、概念=意味の膨張と収縮とは、提喩現象にほかならない。提喩は、比喩のうちで もっとも比喩性の目立たぬ形式である。 》 166頁

 今回も提喩には手こずった。やっぱりよくワカラン。

 近くのスーパーに文庫本にちょうどよいダンボール箱が出ていたので、三箱もらう。 大きな段ボール箱に入れてあった都筑道夫の文庫本を入れ替える。一箱に五十冊あまり 入る。三箱で少し余裕。そこへ新書版を入れる。文庫本は百四十冊あった。

 ネットの見聞。

《 コーヒーのサードウェイブは、日本式コーヒーが発端だとか。確かに。そろそろ、 そういう価値観で、世界に出ていくときかもしれない。茶の湯も形を変えるときか。 》 原研哉
 https://twitter.com/haraken_tokyo

 ネットの拾いもの。

《 昨日勝率五割だったヤクルトと阪神が負け、セ・リーグ全球団が借金に。 交流戦セ・リーグの球団がパ・リーグの球団に大きく負け越し、リーグの借金は十七。 プロ野球史上初、全球団借金が実現。人呼んで「セ界恐慌」「ギリシャリーグ」 》

《 いきものがかりの対義語、墓守になるのか。 》