歩行者天国

 洲之内徹『しゃれのめす』世界文化社、「夭折ということ」から。

《 彼女の絵にははっきりしたイメージというものはなく、しかも、どのようなイメージにも変化して行ける、いわば原イメージとでもいうようなものがあり、 作品は確乎とした美を構築しようとするよりも、浮動する不安定なものをそのままに再現しようとしているようであった。恐ろしい世界だった。 》 166頁

 白砂勝敏さんの絵を連想。自宅に持参され、初めて見せられたとき、コリャ、ナンダ?とびっくり動転した。直感で買わねば、とその場で購入。直観ではない。
 http://shirasuna-k.com/gallery-2/two-dimensional/

《 絵というものは、よく言われるように、ひと目で惹きつけられてしまうというものではない、とこの頃私は思う。 》 168頁

 私もそう思う。絵といわずヘンだなあ、ナンダロウと通り過ぎ、その後ずっと気になる作品がある。上記白砂さんの絵も木彫作品も、その一例。 「ナニ、コレ」と当初はなんとも言いようがなかったけれど、引っかかるものがあって、これは解明せねば、とある意味必死で考えた。既成の枠に収まらぬモノ。 自らの思考を組み換え、枠組みを押し拡げることになった。そして新たな地平が現われた。拙文が生まれた。
 http://shirasuna-k.com/gallery-2/wood-sculptures-objet/

《 私はモランディーの画集を何冊か繰り返して見ていて、ふと、虚と実ということを思ったのだ。そして、モランディーは虚を描くことで実を描く、彼の場合、 物はそこに在って見えるものとしてではなく、可能性として存在する、と書いた(「芸術新潮」一九八五年四月号)。 》 「ヒトバンヂュウフイタカゼ」172頁

 一昨日、”物質感を突き抜けたその先の世界……。”と書いたが、ここにつながる気がする。

 自宅前の道路が歩行者天国。今年も賑やか、騒々しい。女子高生もいる応援団が、我が家の前で絶叫。なんだかわからんけど、ま、お祭りだ。

 ネット、いろいろ。

《 (ロンドン万国博覧会の遺構である『水晶宮』を見学したドストエフスキーは、そこに功利主義などの近代悪の勝利と、計算に基づかれた未来を見出し、 水晶宮を近代合理主義の権化とみなした。体育競技における成果主義や優生思想も然り、と私は思う。) 》 「風間サチコの窓外の黒化粧」解説コーナー
 http://kazamasachiko.com/?p=6270

《  雑誌を読んでて気になるページは「次号予告」だったりする。   ならばあらゆる雑誌の「次号予告」を収録した雑誌があれば便利ではないか。 》 花本 武
 https://twitter.com/takeshihanamoto/status/992256225600393216

《 麻生さんのバカ発言のバカさって、言葉そのもののバカさだけではなくて、たとえば発言の後に「言ってやった言ってやった」「はい完全論破」 「効いてる効いてる」みたいな顔で記者を眺め回すその仕草のバカさを含みおいたうえで成立しているバカさだと思う。 》 小田嶋隆
 https://twitter.com/tako_ashi/status/992563314973540352

《 レッテル貼り罪もないので、今後はセクハラ太郎と呼ぶことにします。 》