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30代からの脱オタク

2007-07-29

[][][]”否定”のファッション


脱オタクファッションガイドの久世氏からこのようなトラックバックを頂きました。

どうもありがとうございます。


「脱オタクファッションの限界」について


脱オタクファッションのあり方




さて、コレを読んでオレなりに感じ入ったことをつらつらと・・・。



脱オタファッションは「オタクスタイルの否定」という所からスタートしてる。

オタクっぽく見られたくない!」「ダサく見られたくない!」「侮蔑的視線で見られたくない!」等々・・・

その根底には「○○たくない!」という、強い「否定的感情」があるわけだ。

つまり脱オタファッションは「オタクというライフスタイルの表現」の”否定”を起点とする「”否定”のファッション」とも言えるのかも知れない。

氏が、批判を覚悟で敢えて名指しで「オタク定番ブランド」を設定したのも、そうやって「○○はダメ!」と”否定”することで「オタクというライフスタイルの表現の”否定”」を、わかりやすく提示するための手段だったのだろう(ソレにしても、なぜLeeやHanesやckカルバンクラインが槍玉に上がっているのかは今ひとつ得心が行かないんだけど)。

そしてソレは「脱オタファッション」という事を考えると、極めて妥当で、合理的な判断だっただろうと思う。

その意味で「”脱”オタク」とは、まさに言いえて妙ではないか。

そしてオレ自身も、そうやって”脱”ヲタ道に入っていった。

オタクだと思われ”たくない!”」「ダサいヤツだと思われ”たくない!”」等々・・・。

そしてソレは、突き詰めた考えたら「昔のオレに戻り”たくない!”」・・・つまり、オレ自身への否定的感情でもあった。

  




ただ、様々な雑誌や周りの人々を見て思うのは、往々にして人がファッションに興味を持つキッカケというのは「○○たい!」であるということ。

モテたい!」「カッコ良くなりたい!」「いい人だと思われたい!」「○○みたいになりたい!」・・・

その根底には「○○たい!」という肯定的感情がある。

言わば”肯定”のファッションだ。

そして、その「○○たい!」のために、前向きに努力する。

モテたいために服や髪型、メイクにも気を使う。

カッコ良くなりたいために、サーフィンアウトドア趣味を始めてみる。

いい人だと思われたいために、表情のつけ方や話し方等にも気を配る。

キムタクみたいになりたいために「キムタク着用」と書かれた服を買い漁る・・・。

動機がどうであれ、ソコには「○○たい!」ために前向きに生きようとする姿勢が垣間見える。

そしてその前向きさは、多分顔や表情、立ち居振舞いにも必ず影響が出てくるだろう。

そうやって、人はカッコ良くなって行くのかもしれない。



となると、所謂「脱オタファッション」は、普通一般の「ファッション」とは、全く性質が違う物なんじゃないだろうか。

脱オタファッションの持つ「○○たくない!」という否定的感情から来る物は、ファッションというよりもむしろ「他人に不快な思いをさせない(他人から不快な思いをされたくないという否定的感情)」ための身嗜み、社会に溶け込むための適応技術と言った方がいいかも知れない。

つまり、周りに対して自分をアピール”しない”技術だ。

ファッション」は全く逆で、「○○みたいに見せたい」自分をアピール”する”技術だ。

モチロン、全てがそうという訳じゃないけど、大まかに言ってそんな感じなんじゃないだろうか。

ただ、根本がこうも違うと(久世氏の意図はともかく)「脱オタファッション」の中の「脱オタク」の部分が一人歩きをはじめてしまうのも「むべなるかな」という感じだ。

そもそも「オタクっぽく見られ”たくない!”」から始まる「脱オタク」と、「カッコよく見られ”たい!”」から始まる「ファッション」は、相容れない概念なのだから。

そう考えると、「脱オタク”ファッション”」というのは実は適切じゃなく、例えば「脱オタク”行為”」等と言い換えたほうが良かったのかもしれない。



「○○たくない!」から始まった「脱オタク”行為”」と「○○たい!」が根本感情の「ファッション」の乖離。

結局の所、オレの躓きはソコなのかもしれない。

オレの場合、その「○○たくない!」がありとあらゆる物事に及んだ。

スタイルの無い人間だと思われ”たくない!”」「中身が薄っぺらなヤツだと思われ”たくない!”」「流行に流されるミーハー野郎だと思われ”たくない!”」「モテにしか興味の無い恋愛至上主義者だと思われ”たくない!”」そして「脱ヲタだと思われ”たくない!”」・・・・・・。

行き詰まるのも、当然の帰結だろう。

その「脱ヲタに行き詰まった人」の例は、ここにも書かれている通り。

オタクというライフスタイルの否定(それは、取りも直さず「オタクであった”自分”の否定」でもある)の行き着く先が「他人の否定」に結びつくか「自分の否定」に結びつくかの違いなのだろう(余談だけど、オレが「他人の否定」に走らなかったのも「脱ヲタ失敗者、説教坊だと思われ”たくない!”」という”否定的感情”からなんだけど、ソレはソレで別の問題がありそうな感じが・・・。)。

天馬氏が「ファッションは楽しむべし」と繰り返すのも、結局の所ソレは「”自分を”楽しむ」という肯定的感情が大切であるという事なのではないかと、今更ながらに思い当たった。



脱ヲタ道を進む人が須らくこんな問題を抱えるのかどうかは分からない。

全く行き詰らずに過ごす人も居るだろうし、壁にぶつかりまくって右往左往する人も居るだろう。

そして、そうやって行き詰った時に他人を否定するのか、自分を否定するのか、それとも自分の進んできた脱ヲタ道を否定して(「面倒臭いから、もう止〜めた!」ってな感じで)元のオタク道に戻っていくのか、それも人それぞれだろう。

ただ一つ言える事は、今のオレはそんな行き詰まり感をヒシヒシと感じているということ。

脱ヲタの”次”の段階が見えずに、どう進んでいいのか分からなくなっているということ。



・・・今のオレにとっては、ココが重要な岐路なのかも知れない。