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2011-07-08

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 「現存在はもともと世界=内=存在として存在している」(M.ハイデガー



是枝裕和監督の『奇跡』を観てきた。

九州新幹線開通日、上下の一番電車がすれ違うところをみると願いがかなうということを聞いた子どもたちが、自分たちの願いをかなえるためにその現場を見にいく。

そんな、ナイーヴ子どもたちのドラマだ。

映画の内容を簡単に言うとそれだけのことなのだが、見終わったあと、ここちよい感動がじわじわっとやってくる。

「奇跡」には「神話」が付きものである

この映画でいう神話とは、九州新幹線に関する噂話だ。

神話」には必ず神が起こす「奇跡」がある。

しかし、この映画には、絶対にありえないことが起きるという奇跡は描かれていない。

描かれているのは、まったく別次元奇跡である

映画クライマックスで映されているのは、数秒間の新幹線が行き違うシーンだ。

客観的にいえば、それによってなにかが劇的に変わるわけでもなく、なにか問題が解決するわけではない。

けれども、奇跡は起きている。

しか新幹線を見にいく旅の過程子どもたちは内面的に成長している。

しかし、そのような精神的な成長が奇跡なのではない。

この映画が描く奇跡というのは、そうした内面的成長をもっと下の方からささえる、自分存在そのものを構成している何かが、突然変容するという経験である

映画にそくしていえば、それは、「意味わからん」「世界」が、突然、豊饒意味を持つ世界として立ちあがってくるという体験というとこである

主人公たちの目線でいえば、「セカイ」という言葉意味はよくわからんけど、なんとなくわかったような感覚といったところだろうか。

しかし、この言葉にできないけれども、なにかわかったような感覚は非常に重要である

そうした体験を経たからこそ、映画最後に描かれる「覚悟や決心」、また現実を肯定することが、子どもたちのなかでできたのである

主人公の弟が兄との別れ際に、「家族より世界を選ぶ」という親からの受け売りの言葉をしたり顔でいう。このシーンは確かにコミカルなのだが、なにか非常に意味にあふれた場面である

子どもを主人公としたこの映画が、ぼくたち大人のこころに響くのは、ぼくを含めてぼくたち大人が「世界」というものにたいする理解や「世界」の経験の仕方が、子どもときと比べてもそんなに変わっていないからではないか

はじめて「セカイ」とであったとき感覚と、今の「世界」理解にどれだけの違いがあるのだろうか。

多少の違いはあるだろうけれど、そんなに大きく変わったとは思わない。

まあ、自分がそう感じるのは、自分が成長していないからなのだろうけれど…。

冗談はさておいて、この映画は「世界」ということについて、また、「世界」とどう向き合うかということを、もう一度考え直すきっかけを与えてくれる。

最後に、映画を観終えて思い浮かんだ言葉を紹介してこの文章を閉じよう。

世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」(森達也

「君と世界の戦いでは、世界を支援せよ」(K)

(もりやま)

唐にゃん唐にゃん 2011/07/11 19:27 最後の「君と世界の戦いでは、世界を支援せよ」とは…?

この映画を観てはないので、観てからコメントすべきなのかもしれませんが、
この言葉の意味(感じ)どんなものでしょうか?

k-daigakuk-daigaku 2011/07/12 12:44 正直自分も分かっていないんですけどね。。。
この言葉はドイツの作家フランツ・カフカの言葉で、「お前と世界との決闘に際しては、世界に介添えせよ」と翻訳されています。
「君と世界の戦いでは、世界を支援せよ」というのは、加藤典洋という文芸評論家が、そ
のように訳し直し、それを自らの著作の題名にしたものです。
カッコがいいので、使ってみたくなっただけです。。。

さて、この言葉の意味についてですが、独りよがりな解釈を紹介しておきます。。。
本文でも言及していますけど、映画のなかで「家族より世界を選ぶ」というキーワードがあって、この映画はこの謎の言葉の意味を子どもたちが探っていくという物語になっています。
「…となってほしい」という願いは「エゴ」から発信されるわけですが、この映画が描いているのは、そのようなエゴイスティックな願望がなにを産むのかということです。
映画で描かれているのは、子どもたちのエゴイスティックな願いがエゴ間の「対立」を産み出すということではなく、そうした願望からエゴとは全く逆の方向に向かい、自分たちがそこに存在している「世界」になんとなく気付くということです。
この映画が素晴らしい理由は、ここにあると思っています。
エゴを肥大化させていくことは非常に簡単ですが、それに歯止めをかけるのは困難です。
エゴの肥大化を阻止できるのは、肥大化するエゴよりもさらに大きななにか(=「世界」)が存在していることを感得することが必要だと思います。(この映画は、子どもたちが「世界を感得する」瞬間を見事に映像化したものだと思います。)
エゴと世界では、比較しようもないくらい世界のほうが広大で奥深い。こうしたことについては、いろいろと異論はあると思いますが、自分はそう思っています。そうした世界に気づき、寄りそう。
僕は、「世界を支援する」(「世界に介添えする」)とは、このようなことではないかと考えています。
…やはり、うまく説明できませんね。。。すみません。。。
(もりやま)

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