ナボコフの誕生日に『マクダ』を。

マクダ

マクダ

例によってTwitterで、4月22日はナボコフの誕生日、と流れてきて、それはやはり何かを読まなくては、と、本棚の並びを見て、『マクダ』を。ところでこの作品は『カメラ・オブスクーラ』という邦訳もあり、また底本違い(ナボコフによる改稿英語版)に『マルゴ』という邦訳もある、ということで、『カメラ・オブスクーラ』を文庫で買って重複してたことに気づく。でもって内容はというと、後年の『ロリータ』の原型となるような物語、ということでそれはそれで他にもあったような。まぁしかしたしかにインテリ中年が俗悪な少女に入れあげて破滅するというお話なので、それはまぁ、後年の『ロリータ』の原型となるような物語ですねということになる。クレア・クィルティ的な男も出てくるし。まぁ、長さがさほど長くないのと、視点がたまにマクダ側にも置かれて、つまりマクダというのが得体の知れない対象ではなくそれなりに人格をもつように描かれるので、まぁある種の通俗メロドラマとして楽しく読めるというところがある。

はてさて、夜が明けて23日。昨夜の続きで『マクダ』について、というか『カメラ・オブスクーラ』や『マルゴ』や『闇の中の笑い』について、それから『マーシェンカ』や『魅惑者』や『ロリータ』との関連について、何か書いていないかなということで、本棚から何冊かのナボコフ本とかをひっぱりだしてぱらぱらとめくっていたところ、『ユリイカ』のナボコフ特集に、「四月二十三日万歳!」という、ナボコフの70歳の誕生日に寄せられた小文を見つけておや?と思い、他の本の年譜を見ても4月23日、と書いてある。きのう、いちおう確認のためにみたWikipediaでは4月22日、とあったので(ウラジーミル・ナボコフ - Wikipedia)、おやおや?と思うけれど、これもちょっとした偶然というか、22日に読んで23日付の記事に書いたのがちょうどぴったりになったのがちょっと面白かった。まぁ、日付そのものは、暦の換算の具合かなにかでぶれたということもあるのだろうし、まぁどちらかが正しくてどちらかが誤っているというよりも、いずれも何割かの理があり全くの誤謬とは言えないものの定説としてはこちら、みたいなことかもしれないなあぐらいに思う。

追記:ていうか、その「四月二十三日万歳!」というJ.バースの小文を落ち着いて読んでみたら、絶妙な感じに、誕生日が前日であることに触れているね。

ナボコフの誕生日について検索したら出てきた。秋草俊一郎(2008)「世界は注釈でできている : ナボコフ『エヴゲーニイ・オネーギン』注釈と騙られた記憶」『スラヴ研究』55

承前。ナボコフの誕生日、なにかありそうと思って検索をかけたら、こういう論文がでてきた。『ナボコフ 訳すのは「私」』(http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20110624#p1)の人の論文(あれ?ということは『訳すのは「私」』に収められてるかな?とまた本棚へ・・・ぱらぱら見るに、直接はなさそう。注の中に言及されてる)。
秋草俊一郎(2008)「世界は注釈でできている : ナボコフ『エヴゲーニイ・オネーギン』注釈と騙られた記憶」『スラヴ研究』55
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/39238/1/55-004.pdf

・・・その論理を支えているのは、プーシキンが日付に几帳面な性格だったというほぼ一点に集約できるが、ナボコフがここまで日付にこだわる理由は、自分が「運命の日付にはとてもやかましかった」せいである。有名な例として、ナボコフはロシアの旧暦で1899年4月10日に生まれたが、この日は新暦では4月22日にあたる。だが、20世紀にはいると旧暦は新暦よりもさらに一日遅れるため、4月23日が誕生日として祝われることになってしまった。ナボコフはこうした「ずれ」を一面では「誤り」だと認めながらも、4月23日がシェイクスピアの誕生日だという理由からわざと矯正しなかった

『漫画として現れるであろうあらゆる恋のためのプロレゴメナ』読んだ。

『俗の金字塔』の窓ハルカの新しい単行本。長編でラブコメという体裁。よくはわからないが窓ハルカという人にそもそも基本的に長編が描けるものだろうかという疑念は払拭されるのか。しかし『俗の金字塔』よりもより少ないひどさ、より浅い業ではあったし、これは窓ハルカとしてはポップなラブコメということでかまわないのではないか。その証拠に楽しく読んだし何か所か心の中では笑った。