「啓旅社」はてな出張所

2016/12/18 (日) バイリンガル

バイリンガル

 妻と僕の母語が異なるので、娘をバイリンガルに育てようというのは当初から夫婦間の合意だった。方法はずいぶんとシンプルで、娘に話しかけるときに、妻はタイ語を使って僕は日本語、を原則とするだけ。

 これは、僕ら家族にとっての会話の一つの自然で素直な形でもある。途切れることのない子育てカオスの中で、これ以外に、例えば何かのDVDを見せたり、毎日定期的に本を読んだりというような義務的なことが一つでもあると、とてもではないが、対応できるものでもなかろうと思う。

 さほどたくさんの事例を知るわけではないが、多言語環境にある子が話し始めるまでは、単一言語で育つ子よりも、時間がかかるそうだ。

 1歳と9ヶ月を過ぎた娘、やはり、まだ話すとまではいかないが、それでも発音簡単な語は少しずつ獲得している。もっともよく聞くのは「ママであるが、ママ・パパという語彙を我が家では使うことがないので、単に発音のしやすから、この発声をいろいろな場面で、それぞれの意味独自付与して使っているものと見える。だいたいは、娘が他人の興味を引こうとするときが多いように思う。

 とは言え、事物には固有の名称があるということは、体得しているように見える。「っぱい(「おっぱい」」と全部は言えない)」や、「パン」だったり、牛の鳴き声の「モー」であったり。タイ語では、食事やお米を表す「カーオ」、魚の「プラー」、水の「ナム」などを、その物が目前にあると、まだ頼りなげながら、小さな口から音として出す。よく読む絵本に登場する動物は、象は「ぞう」だけど、ウサギは「たーい(クラターイの短縮形)」で覚えている。

 ある語が日本語なのかタイ語なのかはまちまちなのだが、結局は母親からインプットが元だと推測される。彼女ときどき日本語を話すから。実際に暮らし子どもを育てていくと、そう簡単原理原則だけで切り分けできない状況も多い。

 僕にしてみても、娘と日本語で話しながら、話題を妻に振るときは、その場で言語をすっと切り替えるのだから、娘の目にしてみれば「お父さんは日本語」という原則にのっとった一貫性が見えなくてもしょうがない。いつかその内、理解する日がくるのだろう。

 ただ、そこへの気づきは始まっているのではないかと思うこともある。最近の遊びの一つに、ある一つの物に対して両親のどちらかがその名称を言うと、もう片方を向いてもう一方の言葉を知りたがる、というものがある。

 例えば、鶏のササミを食べさせているときに、母親がそれを指して「ガイ」と言う。すると、くるっと僕の方を向いて「なあに?」という期待に満ちた目で問うてくる。僕は「鶏」だと答える。すぐさま母親を見て「ガイ」と聞いて、また僕を向くので「鶏」だと言う。くりっとした黒目がちで楽しげな瞳が、食卓のあちらとこちらを飽きることなく往復していく。次第に娘の首を振るスピードもどんどん早くなって、母親「ガイ」と僕の「鶏」が混ざっていき、しまいに3人の笑い声に収斂する。

 二つの言語でそれぞれどう言うのかを本当に知りたがっているのか、それとも、同じ物に対して両親が違うことを言うのが単におもしろいだけなのか、よく分からないけれど。

 娘にとって、両親への二人称は、また言語が分かれている。と言うより、やはり両親が自身のことをそれぞれの母語で呼ばせたい欲求から、「ほな、そうしよう」と、生まれてくる前だか後だかは忘れたが、二人で合意したものである。だから母親は「クン・メー」だし、父親は「おとうさん」であるべき。

 ただ、「メー」はときどきそれらしき発音をしているときもあるのだが、「おとうさん」はやはり音節も多く、まだその音が出てくる気配は見られないのが、僕としては悔しい。

 心中の焦りはつのり、なんとかして呼ばせたいと、自身を指さしては「おとうさん」と言うことを日々繰り返していたのだが、ある日のこと、どうにもおかしな方向に進んでしまった。娘が僕を見て「ごじらぁ」と連呼し始めたのだ。

 なぜゴジラなんという言葉を知っているのか。思い当たる原因はある。まだ喃語だった時代に、「ゴジラ」と娘に声をかけると、「がぁー」という音を出させることを、おもしろがって芸の一つとして仕込んで楽しんでいたからだ。

 「おとうさん」が「ゴジラ」に置き換わるギャップがあまりにおかしくて、妻と二人でけらけらと笑う。そうしたら、そこに味をしめた娘が、どうしてもお父さんのゴジラ呼ばわりから離れなくなった。おとうさんと呼ばれる日は、まだ当分先になりそうだ。

2015/01/31 (土)

二人で過ごす最後の週末

 2015年が始まって4週間めの金曜日。妻と二人で過ごす最後の週末が来た。

 夜、その日、天王寺に出ていた妻からマリオットのバーでちょっと飲まへん?」と提案。御堂筋線からつながる地階の入り口の前で待ち合わせる。久々にホテルバーだ。57階から大阪夜景を見下ろして。

 土曜のお昼は梅田に出てグランフロントバンコクのど真ん中、スリウォン通りに本店があるレストランマンゴーツリーの支店サービス内装も良く、味も相当しっかりしている。特に週末のブッフェコストパフォーマンスが極めて高い。日本に越してきてからいくつか試したタイ料理屋さんの中で、一番の気に入り。今回は、2週間ぶりである

 日曜。もともとはちょっと外出の予定があったのだが、妻に風邪の気配があってキャンセル。代わりにというわけではないが、家の近所へ。雰囲気と味とサービスのよいイタリア料理レストランランチ。築80年という昔の家屋をうまく利用しているし。隙間から入り込む冬本番の寒さも、エアコン電気カーペットでしっかりと手当されている。1時間前に電話したら、もうテーブルがいっぱいで、バーカウンターに座って食事をいただく。お店の人には恐縮されたけれど、ラベルをこちらに向けて端正に並ぶとりどりのお酒の瓶を眺めながらというのはむしろうれしい。

 妻と二人で過ごす最後の週末は、このようにして、概ね、食べて、飲むことに集中している内に終わった。いつもの通りだけど、少しだけ密度が濃かった。最後なので、という気持ちを二人とも抱えているから

 バーやレストラン、あるいは旅行へ二人だけで出かけるのは、ないわけではないと思う。ただ、これまでのように、「気が向いたから」というだけで実行に移すのは難しそうだ。それなりの努力と、事前の入念なアレンジが必要になるだろう。

 妻のお腹の中でぐりぐりと動く(動かれる妻は楽ではない)、「人の中の人」が、来週にはこの世に出てきて三人になる予定。スタートしたころには相当先のことだと思ったが、ほぼ10ヶ月というこの期間も、大方の時間感覚と同じく、実際に流れてしまえば、さほどではなかったとしか思えない。

 準備は万端。必要衣服は洗って太陽さらして、折りたたんで棚に収めた。あれがいいこれがいいと先達から教えてもらったり、あるいは譲ってもらったものも多い。いざと言うとき病院へ行く手順のメモも、冷蔵庫磁石でとめてあるし、iPhoneにもMacBookAirのデスクトップにも置いている。

 期待感希望を抱えて過ごしていく10ヶ月は、もちろんとても楽しい日々だった。どこかちょっと特別なところへ旅行に行く前の雰囲気にも似て、そのことに思いを馳せるだけで、日常に倦みそうな心が引っ張り上げられる。

 だけど、自分が親になるのだという実感がわかない。より率直に言うと、何のどこをどのようにつかんだら、実感と呼んでいいのかすらも見えない。

 それに、「裸で母の胎を出」てくる、小さく無力な存在に対する、計り知れない重圧を伴った責任感に身震いもする。高揚感と表裏一体で、この先、この人の存在がもたらす結果に対する社会への責任感。

 自分たち家族という場を内向きに見ると、子どもを産んで育てていくということは、これ以上はないくらいに個人的な営みで、長く重たく計り知れないことに思える。光すら射さない漆黒深海にいながら、我が身は黒く冷たい海中を漂っているのか、その底にある柔らかな砂の上を這っているのかさえも知覚できない。

 しかし同時に、人類誕生以来500万年間、それに、今まさにこの瞬間にも、脈々と、世界のあらゆるところで、人間は同じ行動を続けていると捉えてみる観点もある。我々だってその内の一つに過ぎないのだ。こう考えると、少しは気が楽になる。

 これからの日々を、概ねうまいこと過ごすことができたなら、その20年めの区切りに、今度はこの三人で、どこか素敵なバーのカウンターに座ろう。子よ、悪いけれど、最初の一杯はお父さんとお母さんが選ぶシャンパンに付き合え。そして、静かに乾杯しよう。子の成人と、妻と僕との20年と10ヶ月の功績に対して。

2014/11/01 (土)

新しい生活

 今、朝に晩に、radikoを使ってFMラジオを聞いている。休みの日は、ほぼ流しっぱなしだ。

 エフエム京都α-STATION地下鉄の中でも、放送局エリア外でも、手元のiPhoneから常に高音質で放送が流れてくる。久しぶりに日本に暮らすことになって、たくさんの驚くことがあったが、ああ、これが一番うれしいことかもしれない。

 僕はむしろ、環境の変化を嗜好する性格で、結構どこでもなじむことにはそれなりに自信がある。特に3年と3ヶ月を生き延びたインドニューデリーでの生活は、この思いをさらに強固にさせた。楽じゃないけど、なんとかちゃんとやってきた。

 今度の日本生活だって、帰ってきたというよりも、「さあ、次だ!」の先が、たまたま日本だったという意識の方がよっぽど強い。加えて「この次はどこだろう」という認識割合も、減少しているものではない。

 が、そうでありながら、このラジオ局だけは、唯一「ああ、戻ってきたんだな」という気にさせてくれる。懐かしいという気持ちではけして、ない。自分が依って立つことのできる一つの流れはずっとそこにあった。その流れの色合いや、匂いや、映される感情風景は、何も変わっていない。僕はちょっとよそに行っていた。そして、「やあ、久しぶりやん」というだけのことだ。

 インパクトのあるDJ谷口キヨコ)のおしゃべりと、地元放送局からという理由で聞き始めた学生時代から12年と半年前に日本を出るまで、だいたい、家にいるときはかけっぱなしだった。そのときと同じ番組、同じDJ、同じジングル交通情報BGMも変わらず、コマーシャル提供社もなじみある所が多い。

 ネットワークに加盟していない独立局だから、全番組を通したコンセプトが一貫していて、地に足が着いている。悪く言うと泥臭いという部分も抱えつつも、ちゃんとFMらしい洒落っ気と先進性をまとっていて、そこに京都という、長い歴史を持つ土地の静けさが含まれているのが独特だ。聞き心地がよくて、飽きがこない。

 それでも、同じ番組名だけど、DJは変わっていたり、同じ名物DJでも、再会最初の興奮が収まってよく耳を澄ませてみると、時の経過によるその声質の変化は認めざるをえなかったり。逆に、その頃新しく出てきて「なんや、がちゃがちゃして落ち着かんしゃべりやな」と思っていた人が、ベテランらしい貫禄を身につけていたりもする。当たり前だ。

 長く日本を離れていたと言っても、少なくとも年に一度は、特に最後の3年は、半年に一度は日本に来ていた。その頃、現地出発前には決まって、とにかくこれだけはと強く願っていたのが、「刺身ラーメン生ビール」であった。もちろん今でもまだ、その3種への欲求は衰えてはいない。

 だがそれよりも、ラジオスイッチを入れようと思う気持ちの方が、はるかに強い。(生ビールちょっと別として)、刺身ラーメン毎日はいらない。でも、気持ちのよいFM放送は、常にすぐそこにあってほしい。

 食べ物ラジオ比較できるものでもないのだが、向かう気持ちの量の変化の理由を考えるに、ようやく一月半ほど経って、自身日本にいることが、旅行から生活に移行完了したからだと思う。

2013/07/02 (火)

ビザ更新

 15メートル四方くらいだろうか、正方形に近い空間である。真四角の部屋というのが、珍しい気がする。内の3辺に沿って、カウンターが並び、それぞれの業務を担う係官が座っている。代金収納、書類確認、署名などなど。ずっと順につながっていて、並びに従って処理を進めてゆけばよいのかと思うが、でも一連の流れは、どう見てもシステマティックにはできあがっていない。あっちに行って、こっちに行って、しばらく待ってまたこちら。

 もう一つの辺は、ガラス張りで別の部屋になっていて「アフガン・セクション」とある

 ビザ外国人登録手続きのための役所である

 昨年に引き続き、2度目の年次更新に来た。

 様々な肌の色の、また種々の宗教文化背景に基づいた服装をした100人近くの老若男女が、この部屋の中に並んだベンチに座ってにいる。座りきれない人は所在なげに隅の方や柱のそばに立っている。時折「ここに立ってちゃいけない」と係官に移動を要請されたりしている。でも、その立っちゃいけないところと、立っていていい所がどのように決まっているのか、今一つ明確でない。

 僕と妻もその中に座る。隣の人はオランダの人で、前の列の体格のいい4、5人のグループはコンゴ人。パスポートを携えているから国籍が明らか。落ち着いた赤色の表紙の僕のには、十六一重表菊が、もう少し暗めの赤い色味の妻のには彼女の国の国章である、羽を広げた神鳥、ガルーダ意匠されている。

 5月半ばのデリー、外気温は40度を超えているが、部屋の中はエアコンが効いている。それでも、腋臭なのか、汗なのか、人いきれもあろうか、あるいは誰かの弁当からエキゾチックなスパイスの香りが漂ってくるからなのか、総体として、あまり快適とは言えない匂いが立ち込めている。妻は「頭痛がする」と。

 不快環境。よく分からない進行。幸いにして僕らには、案内する人がついてくれているのだが、その人の能力想像力限界から手際の悪さもまた、僕らの苛立ちの原因ともなる。

 去年の経験から、完了までに軽く数時間はかかることは分かっているので、ひたすらに順番が来るまで読書に励む。文庫本の、須賀敦子全集の第二巻。ほとんどの文章が、再読になる。多いものだと、今回で3度めになる作品もある。だけど、そのことは、ページをめくるさまたげになるものではない。

 彼女の文章では、真夏の描写ですら、それは実家のあった岡本南イタリアやらの場所にかかわらず、少しの涼しさが溶け込み、まぶしいはずの光も、ごく薄いフィルターで一段階減光された風景として描かれる。文章からは、精密な機械で丁寧に加工された硬質な物体が、隙間なく見事に噛み合わされていく様子がイメージされる。

 そして僕も、静かに緻密に本の世界に浸っていく。ふと、今の周囲の状況と、入り込んでいる本の世界とが、対極にあることに気がつく。須賀敦子デリー外国人登録事務所。静寂と喧騒、整然と混沌、硬と軟、緻密と混乱、透明と濁り。善し悪しというのではなく、単純な事実として、あまり位相が異なり、次元すら合致しないような気さえする。

 どちらも極端は肌に合わないが、それでも前者寄りの価値観の方を僕は好む。インドは、少なくとも2年間暮らしているデリーは、後者の果てにぐっと近い。

 「この国が好きか」という問いには、残念ながら肯定の返事は返せない。人生において、できるだけ関わらずに生きていければ幸せだと、さえ思う。少なくとも長い間住むには、全く向かない。心がささくれ立つことが、多すぎる。それに、心震える感動体験が、極端に少ない。

 僕にとっては二つめの、妻にとっては初めての外国暮らし願わくば来年の今頃は、この事務所ビザの延長手続きをしていないと良いのだが、と、相当真剣に思う。

 ここ以外であれば、結構どんな国でもやっていける気がする。そう思えるようになったことは、辛うじてこの国で暮らすメリットかもしれない。

2012/07/14 (土)

ヨガ

 時間にすると10分にも満たない間だったけれど、心地のよい感覚に包まれていた。仰向けに寝転んだ床の上で、手足をゆるやかに開いて目を閉じ、インストラクターの歌うような声に合わせ、つま先から順に身体の各部へ思いを集中しながら、ゆっくりと鼻から腹式で呼吸する。睡眠にも似ていると後から思った。

 現実から切り離された上での心地よさがあった。しかし眠りに落ちる瞬間を知ることがないように、いつからその状態に入り込んだのか自分では分からなかった。同時に、ずっと底の方で、細い線が一本だけ、辛うじて外の世界とつながりをもった覚醒を保っていた。春の昼下がりの電車の座席で、ふっと遠のく意識感覚というのが近い例えかもしれなない。

 週末、妻と一緒にヨガの体験コースに来てみて、すぐに翌週から初心者コースを申し込んだのは、何よりこの気分の良さが一番の理由だった。

 もう一つ。その土地しかないことを体験してみたいという欲求はどこにいても変わらない。だからインドにいる以上は、何かしらインドらしいことをやってみたいと思っている。

 最初に思いついたのはヒンディー語だが、試すまでも至らなかった。常々、自分語学学習に向いていると思っていたのだが、実はそれは誤解だと知ることになった。その言語の美しさや、それを使う人々や社会への興味、こういった背景があってはじめて、習得への努力へと向かうのだ。インドインド人・インド社会からネガティブな体験により、デリー暮らし始めてからすぐ、そういった前向きな思いはおもしろいほどにさっぱりと消えていき、結局一ヶ月も経つころには、ヒンディー語を学ぶべき理由が一つも残らなかった。そしてこれは一年経った今でも同じだ。

 そしてこの点について、自身への後ろめたさを感じていたのも事実だ。せっかくインドにいるのに、それでよいのか、と。

 ヨガは心身に快く、インド文化に根ざしている。しかもこれも常日頃抱いていた「少しは運動せねば」との思いも同時にかなう。悪くない。

 具体的にヨガが何かということについては、単なる運動のための運動とは違うのだろうなという程度の漠然としたイメージしか持っていなかったのだが、渡されたハンドブックや、講師からの教えによれば、こういうことらしい。

 我々の人生には、誕生・成長・変化・衰え・死という流れに伏するだけではなく、より偉大な目標があるはずである。そこに至るには鋭い知性と強力な意志が要求されるが、それは健康な心身があってのこそ。そこで古の賢人たちは、人の衰えの進行を阻止し、心身ともに頑強に保つための完成された体系を作り上げた。このヨガの体系はとてもシンプルで、「適切な運動」「適切な呼吸」「適切なリラックス」「適切な食餌」そして「ポジティブシンキングと瞑想」という五つの原則にのっとっている。

 実際のクラスでは、特に前半の3つについて身体を動かしながら実践していく。

 カパラバティ(頭蓋骨の輝き)という呼吸からはじまり、全体の7割くらいが身体の各所のストレッチ、バランスを保つ姿勢が残り3割。それぞれに名前があって、「太陽礼拝のポーズ」「コブラのポーズ」「蛙のポーズ」「魚のポース」「子どものポーズ」などと呼ばれる。

 何がいいって、楽なのだ。もちろん筋肉を伸ばすのでそれなりの痛みは伴うが、限界を超えてということはなく、なんとかまだ我慢できる時間で終わる。直後に、それと対になる動きが入る。前傾姿勢の次は背中を後ろに反らす、というように。

 さらにそのセットが終わると、仰向けに寝て手足を広げる「屍のボーズ」をとって、ゆっくりと休むことまでが一連の流れになっている。

 運動はしたいけれど楽でないと困るという人間にとっては、これはうってつけだ。

 この「快さ」と「楽さ」が苦痛凌駕していることにより、毎日ではないにせよそれなりに1ヶ月以上続けられている。しかも、わずかながら上達を感じられる。直立して前屈すると、床に指が着くかどうかだったのが、手のひらごとべったりと届く。まっすぐ足を伸ばして座り、上半身を前屈させていくと、これまた額が膝にに触れるまで曲げられる。両手で頭を抱えたような格好で倒立するヘッド・スタンドが、何の支えも無しに三分くらいは保てるようになる。心なしか腹回りが小さくなって、代わりに腹筋がつき始めたような気さえする。

 しかも、時間の制約上、平日に僕が参加できるのは、朝の6時半から8時のクラスなので、前夜に深酒をせず、早起きする。家に帰ってシャワーを浴びていると、妻がコーヒーをいれて、朝食を整え、お昼のお弁当の準備をしてくれる。いやはや、いいことづくめである