k-takahashi’s 雑記

2009-05-04

[][]「おもしろい」のゲームデザイン

「おもしろい」のゲームデザイン ―楽しいゲームを作る理論

「おもしろい」のゲームデザイン ―楽しいゲームを作る理論

 原題は、"A Theory of Fun for Game Design"。ゲームデザインにおいて、「おもしろい(fun)」とはどういうことなのか、という本で、ラフ・コスター氏の代表的著作。すみません、まだ読んでませんでした。

ちなみに英語版wikipediaのラフ・コスターのページにご尊顔がありますが、一見スパタ斎藤かとも。


 本書は様々な内容を含んでいますので、きちんとした研究・紹介は専門の人に任せる(定義論とか、倫理とか、社会との関係とか)として個人的におもしろいと思った点をいくつか。

ゲームの面白さとは

 ゲームから得られるおもしろさは、達成感から得られるものです。そしてそれは会得したという事実からもたらされます。それは、ゲームをおもしろくするパズルを解く行為そのものなのです。(p.44)

 「おもしろさ(fun)」とは、課題を精神的に習得する行為を指します。(p.98)

 おもしろさはフローではありません。数え切れないほどの活動の中にフローを見つけることができますが、必ずしもそれらのすべてがおもしろいわけではありません。フローを引き合いに出す典型的な例のほとんどが、習熟のための練習に関するものであって、学習に関連しているものではありません。(pp.106-107)

 おもしろさとは、抑圧が存在しない状況下で学ぶことに関連していて、おもしろさこそ、ゲームが重要であるという理由になるのです。(p.107)

 充分熟達している活動にのめり込み、その領域の中に入り込んで、フローを感じるようになることは、うきうきするような経験でもあります。そして誰も瞑想の肯定的な効果を否定できる人はいないでしょう。いうなれば、プレイヤーは自分が強いと感じたいだけの理由から、もう完全に熟達してしまったゲームばかりを繰り返し選んでは遊ぼうとするなら、それこそ、そのゲームが目的を欺いていることにほかなりません。(p.148)


 コスター氏の理論は、「Fun = Learning」と言われることもあります。その部分こそがゲームのおもしろさだと言っています。興味深いのは、ゲームから得られる高揚感や満足感などには、「Fun = Learning」以外のものもあることも認めているところです。しかし、氏はそれはゲームにとって重要なもの「Fun」ではない、という考えをとっているようです。



どんなゲームを作るべきか

 今日、もっとも普遍的に必要とされる技術が何なのか考えてみるのもいいでしょう。ゲームを、そういった技術を教える方向に進歩させるべきなのです。(p.72)

 節約や資源管理や兵站や交渉といったゲームのあらゆる分野に存在しています。なんであるにしろ疑問なのは、最も人気のあるゲームが、今となっては廃れてしまった技術を教えるものであるのに対して、微妙な技術を伝える、ずっと洗練されたゲームがあまり流行らないのはなぜなのか、という点でしょう。(p.79)

 プレイヤーに何も技術を求めないのは、ゲームを設計するに辺り、根源的な罪と見なされるべきです。それと同時に、ゲームを設計する者達は、そのゲームがあまりに多くの技術を要求しないように注意を払う必要があります。(p.136)

 ゲームが異なれば、別種の性格に訴えかけるものなのですが、これは特定の問題が、ある決まった種類の脳に訴えかけるからだけではないのです。それは特定の解決策が、ある決まった種類の脳に訴えるからでもあり、それでうまくいったら、それを変えたがらないからでもあるわけです。これは、私たちの回りで絶えず変化し続ける世界において、長期間にわたり成功を収められる方法とは言えません。(p.146)


 「Fun = Learning」という立場からは、当然何を「Learn」するべきかという問題が出てきます。それは現在、そして将来の人にとって重要な技術であるべきだというのが氏の立場です。

 個人的にはこういう発想は、すぐに「シリアスゲームマンセー!」に繋がるので嫌いなのですが、題材やモデルや方法論を従来の枠組みよりも広く求めるべきだというところに異存はありません。


 最後の引用部は、TRPGとかだとありがちなんですよね。ただ、「更なる高みを目指す」のと「怠惰な反復」との間は結構微妙だったりしますが。


ゲームと物語

 ゲームはこういった種類の本質を見抜く理解力を磨く助けになります。ゲームがそこに含まれるパターンを教えるものである以上、プレイヤーが、そういったパターンを覆い隠している虚構の物語を無視するように訓練してくれるのです。(p.89)

 物語を読むためにゲームをやっているわけではないのです。ゲームを包み込んだ物語は普通、脳に与える添え物でしかありません。(p.94)

 ゲームが一般的に権力や支配と言った、その他多くの原始的な事柄に関連しているため、採用される物語も同じような傾向に陥りがちなのです。これはすなわち、そういった物語が、力への幻想(あるいは、武力のファンタジー)に他ならないことを意味しています。その手のものは、一般的にかなり幼稚な物語とみなされています。(p.94)

 氏は作家としての訓練を受けているためか、ゲームで使われる物語の質の低さにはかなりご不満のようです。

ただ、私は、添え物だろうと、幼稚だろうと、Learningの対象となるならばFunであり、ゲームとして楽しむ価値が存在すると考えます。

 TRPGで「物語性」を声高に主張する人の意見が聞いてみたい部分でもあります。


補足

 本書の専用ページというのが http://www.theoryoffun.com/ にあります。原書(英語)の他、日中韓の3カ国語に訳されているらしいです。中国語版の装丁ゲームソフトのようだったり、韓国語版が一番技術書っぽかったりするのが面白い。


 本書の翻訳の質はあまり高くないように感じました。何カ所か意味不明な文がありましたし、GTAの訳注が

グランド・セフト・オート(Grand Theft Auto)」は神奈川県で有害図書コンピュータゲーム)に指定されている自動車ゲームです(p.271)

となっているところからして、訳者はあまりゲームにも詳しくないのかもしれません。

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