決断の太平洋戦史
軍人の評価には色々あるが、大木氏は戦略・作戦・戦術といったレベルに分けて評価を行い、またその思考や決断に至る経緯にも注意を払っている。そもそも置かれた境遇が違えば長所が活かせないことも多いことにも言及する。そうした姿勢で日米英戦争の人物を紹介する一冊。
最初が英軍のパーシヴァル中将。1942年のマレー戦で英軍の指揮を執り、その敗北から愚将のレッテルを貼られている人物だが、英軍は開戦前から準備不足であり、そのことを指摘し対策を取っていたと評する。もちろん、作戦・戦術的な面での不手際は事実だが、責任を一人に負わせるのは不当ではないか、となる。
こんな調子で12人の紹介を行っている。副題の「指揮統帥文化」というのは、経緯や状況の一つとして各軍の持つ文化的背景を指している。帝国陸海軍の不仲や硬直した人事制度などは良く指摘されているが、それを米英と比較することで際立たせている。
昭和の日本陸海軍の指揮統帥には、一定の特徴、それも芳しからざる特徴がはっきりとみられる。
戦略における政治との相互作用への配慮の乏しさ、硬直したドクトリンへの固執、作戦要素の偏重(当然、兵站や情報といった他のファクターの軽視につながる)、即興性・柔軟性の欠如、不適切な人事……。(No.2497)
ここまでならよく出る話で、それこそ「失敗の本質」にも似たような指摘はある。だが、さらに
多数の問題点をはらんだ日本的指揮統帥の文化は、いかなる種子から芽を吹き、根を下ろしていったのか。(No.2504)
と議論を進め、終章で幾つか視点を示している。「官僚化」「戦争の変化(総力戦への非対応)」「秀才の戦争」「人事システム」など。ここで面白いのは大木氏はさらに一歩進めて、明治期に既に似たような事例があり、これは指揮統帥文化だけで捉えられる問題ではないかもしれない、と指摘している。
といった視点を持った上で、個々人のエピソードを読むとまた面白さが増す。
夕食:TKG、積ん読:3冊
駅前に来ていた卵専門店で買った高級卵でTKG。普段買っている卵の数倍の値段だが、色も味もさすがではある。
軍事研究2024年5月号
「ウクライナ軍反転攻勢「失敗」の理由」(渡部悦和)は、昨年夏のウクライナ軍攻勢の分析記事。戦力集中不足(バフムトに向けた戦力が大きすぎた。その戦力も集中が遅れてロシア軍に準備時間を与えてしまった)や航空優勢不足(機動戦の前提として防衛線弱体化が必要。通常は空軍を用いるがウクライナ軍に航空優勢を獲得するための空軍力はない)がある。これは西側の援助不足が遠因としてある。この援助不足がハマスの攻撃でさらに悪化する。
「ウクライナ軍無人兵器/ミサイルの実戦録」(山形大介)は、ウクライナ軍の活動歴の紹介。砲兵戦を有効に戦うためのドローンの役割は大きい。
「露A50撃墜、AWACSは生き残れるか」(石川潤一)は、早期警戒管制機撃墜の解説。もちろん詳細は公開されていないのだが、両機は現在のトレンド(小型化、ロトドーム撤去)とは違う方向に進化した機体であることに注意が必要だが、この問題は日本も直接関連してくる。
「中東テロ勢力 3つの系譜」(黒井文太郎)は、中東テロ組織の3つのタイプ、イスラム勢力、パレスチナ武装組織、イラン系組織がある。今回のガザ紛争はカッサム旅団とPIJが起こしたもので、その背後にいるのがイランの工作機関コッズ部隊。
「世界が期待する日本の機雷戦部隊」(川上康博)は、機雷戦の現在と未来の解説。機雷も技術革新が進んでいるが、だからといって旧世代機が無力化したわけではないところが大きな違い。中共が台湾を侵略するならば台湾へ機雷をばらまくのは確実で、それは台湾救援を妨げるのみならず、日本近海にも漂着する。また、これにより海上保安庁の活動が低下すれば、それを好機とみて尖閣諸島の占拠を目論む可能性もある。
「演習場は陸上自衛隊の道場」(渡邊陽子)は、演習場整備という地味な活動のレポート。公道を走る前に、念入りすぎるぐらいに洗車しているのだそうだ。また「道場」という言い方は、自分が訓練するための場所は自分で整えるという意識とのこと。この辺はいかにも自衛隊っぽい。