- 作者: 遠藤秀紀
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2010/02/17
- メディア: 新書
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人口一億のこの島国で、普段飼われているニワトリの数は、およそ3億羽。人の数の三倍である。鶏肉の国内生産量と輸入量を合計すると、毎年二百万トン。牛肉のおよそ1.5倍だ。これだけの量のニワトリが、絶えず日本人の胃袋に吸い込まれているのである。もちろん肉そのものが焼き鳥然として食されるのみならず、そこには卵も加わってくる。(まえがき、より)
ということで、「家畜の最高傑作」ニワトリについて解説している一冊。
上述の引用部ではいかにニワトリが多用されているかが書かれているが、著者はそれを「空気化した食品(p.21)」という言い方をしている。卵料理だけではなく、数多の料理に入り込んでいるのが鶏卵。
主食、副食、菓子、飲料と、食卓へ向けた利用方法のバリエーションが、ニワトリの卵ほど多彩な食品はない。さらにいえば、卵の行方を追うときには、台所や厨房の直接的な食材という考え方に限る必要もない。一次農産物を材料に食品工業の産物として生み出されてくる製品類は、殆どが鶏卵を原料に含んでいるとさえ言える。冷凍食品と洋菓子のパッケージの原材料の欄を見て欲しい。シウマイ、グラタン、カステラ、コロッケ、シュークリーム、たこ焼き、ピザ、チャーハン。(pp.20-21)
宗教的な禁忌とも無縁なのも強み。日本の食卓でも「健康食品」扱いされており、この面でもなぜか有利な立場に立っている。
一方で、産業としてのニワトリはすさまじいレベルに達している。ナイーブに考えると、まず雌鳥に卵を産ませ、卵を産まなくなったニワトリが食用になる、となりそうだ。しかし、それは事実ではない。そんなことでは「採算が取れない」のである。
卵用鶏は生後160日目から年に300個の卵を産み、700日目までには殺され廃棄物となる。一方肉用は生後50日に2.8kgまで生長し、ここで出荷される。ということで、鶏卵と鶏肉は全く別のプロセスで生産されているのである。
これは現代資本主義によって到達した一つの頂点だが、もちろん伝統的な家畜ニワトリの世界は若干様相が異なっている。そもそも、そこまで極端な状況に至るまではどういう道筋をたどったのか、ということも解説されている。
ニワトリの原種はセキショクヤケイという種で、遺伝子調査の結果現在のすべてのニワトリの先祖がこの種であることは判明している。「銃・病原菌・鉄」*1では家畜化できる野生種の分布が分明に影響を与えたとしているが、逆にニワトリはこの辺の障害を越えて広がったということになる。
本書では、ニワトリの家畜化には、単に食用だけでなく、闘鶏や観賞用といった様々な目的が組み合わさっていたことが記されている。そうでなければ、単に食糧生産目的という点からはセキショクヤケイは決して優秀な品種ではなかったからだ。ただ、この辺は、上記の「銃・病原菌・鉄」での主張の比較をもう少し読んでみたい気もする。
さて、家畜化したニワトリは、その目的(闘鶏目的であれ、卵目当てであれ、肉目当てであれ、鑑賞目的であれ)のために改良が続けられることになる。その辺りの歴史的経緯の推測も面白い。マレーとかミノルカとかいった品種が組み合わされていたことが多いそうだ。
日本鶏についても、著者は一家言あるようだ。まず従来説は以下の通り
- 弥生時代に最初の集団が渡来。これが古い意味での地鶏。(いわゆる地鶏の先祖)
- 平安期に「小国」という品種が唐からもたらされる。(蓑曳、東天紅、長尾鶏、の先祖)
- 江戸時代に、軍鶏が東南アジアからもたらされる。これと小国の組み合わせから、薩摩鶏などが生まれる。
- 江戸期には、烏骨鶏や矮鶏などの特殊な品種が中国から持ち込まれる。
しかし、遺伝調査はそれほど簡単な構図ではなさそうだということを示している。文献に「なんとか鶏」と書かれていても、それが生物学的にどうかは分からないため、根拠としては弱いのだそうだ。この辺の研究も紹介している。
最後の章は、なんか、著者の情熱がほとばしりすぎていてなんだかよく分からない話になってしまっているのがちょっと残念。特に鶏とインフルエンザの話は、人と家畜の関係や人間活動のグローバル化の絡む複雑な話だけに、情熱で押し通されてしまうとちょっとなあ、という感想を持った。
*1: