k-takahashi's blog

個人雑記用

ルールズ・オブ・プレイ(上) 〜Meaningful Play (意味のある遊び)とは何か?

ルールズ・オブ・プレイ(上) ゲームデザインの基礎

ルールズ・オブ・プレイ(上) ゲームデザインの基礎

数年前に、文献を読んでいてやたら引用されている本があるのに気がついた。"Rules of Play"*1という本で、一応取り寄せてみるかと思いAmazonに頼んだ直後に「和訳が出ますよ」というニュースを聞き、待つこと数年。今年の初めにようやく前半部が出版された。それが本書。
丁寧な注のついた日本語版でもかなり読むのが大変で、英文のまま読もうとしたら挫折していただろうな、ということで待って正解でした。


読むのが大変な理由は、訳者後書きに書かれているところを引用すると以下のようになる。

本書の読解には二重の困難があります。一つは多様な領域から召還される概念や考え方を理解することです。例えば数学や理系の話が苦手な読者は、確率やゲーム理論を扱った章などは逃げ出したくなるかもしれません。哲学や文系の話が苦手な読者は、意味やら記号論やらシニフィアンと言われても困るかもしれません。
もう一つの困難は、召還された概念が、ゲームやゲームデザインについて考えるという必要に合わせて変化させられていると言うことです。つまり読者が、召還される前の概念の用法に忠実でありすぎると、今度は本書での理解が阻害されることになりかねないという次第です。(訳者あとがき、より)

私のお薦めは、「意味ある遊び」という言葉にそれぞれのタームがどのように関わるかを考えながら読むこと。分からないところは飛ばしても良いと思う。あとで、辞書的に使えば良い。


本書はゲームについて語るための「辞書」であり、語るために必要な語彙を整えようとする試みである。いわば、道具箱。被引用が多かった理由は、道具としての有用性を多くの人が認めたからである。安田均氏がRole&Rollの80号で本書を批判していたが、あれはやや的外れだと思う。本書が提示するのは語り合うための言葉であって、それで何を語るかは別の話だから。(原書が書かれたのが2004年だということも失念しているように見える。)

ゲームとは、プレイヤーがルールで決められた人工的な対立に参加するシステムであり、そこから定量化できる結果が生じる。(p.161)

ゲームデザインとは、ゲームデザイナーがゲームを作り出す過程である。作られたゲームは、プレイヤーに見出され、そのゲームから意味ある遊びが生じることになる。(p.162)

この分だけ読むと、「何の役に立つのだ?」という感想が出ると思う。しかし、システム、プレイヤー、人工的、対立、ルール、定量化、といった言葉は、なぜそういう言葉を選んだのか、何を表現しているのかというところまで踏み込んで、本書内で説明される。
そしてこういう定義の話が出れば、「あれは違うだろう」という話になる。しかし、そういう「境界」を本書では積極的に肯定する。例示されているのは、パズルとRPGシムシティ。そして、その境界を

定義の境界周辺は、洞察と探求のための豊かな土台となる。こうした遊びの余地があって境界のはっきりしない場でこそ、仮定が試され、発想が展開し、定義が変わってゆくのだ。(p.168)

と見ている。
遊びはゲームの一部なのか、ゲームが遊びの一部なのか、という問いも同様に言葉を考えた上で、どう扱うかの見解が示されている。


以下、幾つかそういった「辞書」から、備忘録的に

  • 記号は記号自体とは別の何かを表している(p.88)
  • あらゆるシステムに共通する四つの要素、構成要素、属性、内的関係、環境(p.103)
  • インタラクティヴな状況は、選択への参加として現れる(p.136)
  • 魔法円(p.187)
  • ルール、遊び、文化、という構造は概念上の基盤となる。(p.208)
  • ルールは遊びの経験とは別のもの(p.241)
  • ルールの特徴は、「プレイヤーの行動を制限」「明確」「全てのプレイヤーが共有」「固定」「拘束」「反復」(p.250)
  • 三種類のルール。「操作のルール」「構成のルール」「暗黙のルール」(p.260)
  • 意味のある遊びは、行動と結果(明確で、まとまりのある結果)の密接な組み合わせから生じる。(p.275)
  • 四種類のシステム。(混沌、複雑、周期、固定)
  • 決定の要素がないようなシステムでも、意味ある遊びが生じる(p.367)
  • ランダム要素のあるゲームをデザインするときは、偶然の仕組みだけでなく、プレイヤーがどう捉えるかも考慮しなくてはならない(p.382)
  • 情報の四分類。「全てのプレイヤーが知っている」「一人のプレイヤーだけが知っている」「ゲームだけが知っている」「ランダムに生成される」(p.418)
  • フィードバックシステムは、プレイヤーから操作を奪うとも言える(行動と結果がつながらないから)(p.458)
  • 劣化戦略(p.496)
  • 競争と協力の両立(p.535)
  • ルール破りの5分類。「標準的なプレイヤー」「凝るプレイヤー」「姑息なプレイヤー」「ごまかし屋」「妨害屋」。最後の2つは「プレイヤー」でないことに注意。(p.549)
  • ゲームデザイナーはルールを破る(p.582)

例えばTRPGを語るのに

TRPGのプレイスタイルを語るのに、「リアルマン、リアルロールプレイヤー、マンチキンルーニー」という言葉が使われる。これはこれで有用な視点なのだが、ルールをきちんと研究するタイプの人間と、抜け穴探しの人間と、いかさま師とをうまく区別できないことが指摘されている。


それについて、本書では、ルールへの向き合い方で上述のような5分類をしている。「標準的なプレイヤー」「凝るプレイヤー」「姑息なプレイヤー」「ごまかし屋」「妨害屋」。
研究の度が過ぎるタイプが「凝るプレイヤー」、抜け穴を探すタイプが「姑息なプレイヤー」、いかさま師が「ごまかし屋」となる。
凝るプレイヤーは、ルールを遵守し、ゲームの魔法円に価値を置くが、ひたむきさがルール破りへと一歩近づける。
姑息なプレイヤーは、上述の三種類のルールのうち、暗黙のルールに違反する。ゲームの精神に反し、ゲームの困難を迂回しようとして、遊びの非効率を拒否する。つまり、魔法円からしばしば足を踏み出す。
ごまかし屋は、価値を目指すためにルールを破る。それでも、ゲームが規定している「勝利」にはこだわる。
と捉えると、マンチキンの分類が多少なりともクリアーになりはしないだろうか。


あるいは、リアルマンやリアルロールプレイヤーも、「姑息なプレイヤー」になることがあり、「ゲームの困難を迂回」することで、ゲームの意味を否定している、ということができる。
ルーニーの問題は、「魔法円」を尊重しないのであれば「妨害屋」と同じだと断ずることが出来る。
吟遊マスターについては、「インタラクティブ」を否定するため「意味のある遊び」とならない、という言い方ができる。


こういう分析自体が正しいかどうかは別として、こういう風に考えるための道具が、本書には色々と書かれているのである。

*1:

Rules of Play: Game Design Fundamentals (The MIT Press)

Rules of Play: Game Design Fundamentals (The MIT Press)