k-takahashi's blog

個人雑記用

遠藤雅伸のゲームデザイン講義実況 〜今、実学としてゲームを語るための一冊

[rakuten:book:15795449:detail]
遠藤雅伸氏が、社内教育や学生向け講義を行った際の記録を一冊にまとめたもの。「今」「実際に」というところにこだわった「実践的」内容で、非常に興味深い。


なお、少しでも関心がある人は、出来るだけ早く本書を読まなくてはならない。遠藤氏自ら

エンターテインメントコンテンツ、特にゲームには「こうすればOK」という確立された基準や方法はない。ないというか、流行と市場と技術の進歩によって予測不可能な方向に変化していく。その意味では、1984年に自信を持って世に出した『ドルアーガの塔』が、今評価すると、「難易度が高い上に不親切でユーザーを無視している、最低のゲームデザイン例」となってしまうように、本書の内容も2011年下半期に通用していた話で、数年で陳腐化する可能性が高い。ぜひ、ここに書かれていることを1つの定点として、新しい時代の新たなゲームデザインを作り出して欲しい。(前書き、より)

と述べているくらいであるから。


特にお金絡みのところとかは、今知っておいて、今の状況を自分で考えるのに有用だと思う。

具体的な話としての面白さ

システムからゲームを考えてみよう(p.48)というのがあり、そこで遠藤氏が出しているアドバイスが、

最近ありがちなゲームだと、例えばホストのゲームを作るとしてホストは結果として何を得るんでしょう?
給料ですか。ホストのゲームだったら、お客さんをいっぱいとか。
だとすると、集めるのかな。「集める」とか「そろえる」ということで。
(p.50)

とか色々並べていき、最後に

1個決めたところで、「それ、いいね」と言って終わっちゃダメ。1個決めて「いいね」と思ったらいったん置いといて、
それより何か面白いものがないかな
と次を探さなきゃいけない。いっぱい探して、例えば5個くらいみつけておいて、その中から良い3個を持って行くとかね。(pp.51-52)

とやってくる。広げ方を説明した上で「もっと出して」と言う。話の具体性と合わさって説得力がある。


緊張持続時間という考え方があるそうだ(p.55)。それをすぎると「飽きてしまう」時間のこと。これだけだとよく聞く話だが、「手を挙げるのを待っている」と「パンと音がするのを待っている」のは違うとか(刺激の種類により持続時間が異なる)、「区切りがいいから、1分間とか設定しがちだが、これは長すぎる」とか例を挙げている。
そして、これを切らさないようにして長い話をするために構造化が必要、と。


操作のホームポジション
普段どのボタンに指をかけておくのかということ。そして、「1つのボタンを押しながら、もう1つのボタンを押したり放したりする操作」(p.61)を考えると、「下を押しながら右を押す」「左を押しながら下を押す」のはやりやすいが、「下と上」「右と左」はやりにくい。と、ここまでは簡単に分かるが、

緊急的に他のコントロールを切って別のことに集中するようなときは、ホームポジションになりにくい上ボタンを押させる形にすると綺麗にデザインできます。(p.62)

というところには感心。


また、いわゆる「ガチャ」に絡んだ確率の話。
1/100を設定したときにどういうことが起こるか? 
100人が10回やったとき、90人はまだ出ていない。
20回やると、82人がまだ出ていない。
100回やると、37人がまだ出ていない。
500回やっても、実は数人はでない。(計算上は150人に1人くらい)
これを数十万人がプレイしたとすると、数千人が500回やってもでないということになる。これは確実にクレームになる。つまり「確率的に考えてはダメ」(確率的に正しいだけではダメ)となるわけだ。


「半分」というのが意外と難しいそうだ。時間の半分や距離の半分はいいのだがけれど、「半分の力で押してください」とか「半分の角度までスティックを倒してください」とかすると、半分とはほど遠いところになってしまうそうだ。
なので、そこに厳密性を求めるようなデザインをしてしまうと、非常に取っつきの悪いゲームになってしまう。


声優さんの依頼の仕方やコストに見積もり、心構え(指示の出し方)、写真の扱いとかも面白かったが、

演出の役得としては、自分で言って欲しいことを台本に足しておいて言って貰うということがあって、これは全然OKです。
(中略)
みんなお気に入りの声優さんを使うときには、必ず余計なデータがいっぱいついているシートを持ち帰ってきます。(p.274)

なんか、やっていることがクロみたいだと苦笑。

怪盗ロワイヤルがコンソール系メーカーから出なかった理由の一つ

ゲーム業界は、ヤクザとの癒着とか、不良のたまり場とか、そんな
世間の悪い認識をできるだけ払拭するように、努力をしてきている。
その中で、不文律としてやってはいけないものが色々ある。(p.99)

ヤクザと一線を引きたいとか、世間からまっとうな産業と見られたいとか、そんな過去からの思いを引きずっていて、必要以上に世間と違う厳しいレベルになっていたかのかもしれない。(p.101)

CEROの規定はモバイルゲームには適用されていないのね。
(中略)
ウェブ系の企画者はCEROの倫理基準とは全然関係なくゲームを作っている。それだと、CEROの判定基準だと絶対審査外になるようなもの、例えば『怪盗ロワイヤル』みたいな人様のものを盗むゲームとかが出てくるわけです。(p.102)

というのが遠藤さんの説明なんだけど、どうなんだろう。
アーケードゲームがパチンコなどの遊技機との絡みから、そちらの社会との繋がりがあったという話は確かにあるんだろうけれど。

身も蓋もなく

ユーザへのフックの話。
幕末は受けが良いけれど、という話から

みんなすごい好きなんだけれども、実際にその中で物語を書くのはすごく難しい。新撰組が、薩長が、西郷がその後どうなったのかとか、いろいろあるけれども、みんなあまり良い話にはなっていないのね。
そんな中で、坂本龍馬だけがきれいに幕末の時間内に生涯を終えているので、そこだけが使える。実は個々がポイントで、実際にやったことがあるので分かるんだけれども、幕末は亮馬が出てくるもの以外はほとんどダメ。龍馬自体をテーマにするとか、龍馬を絡めて幕末を語るとかするのが正解。
(p.84)

新撰組はそれなりに人気あるようなきがするけれど、マス相手には龍馬以外ダメらしい。
同じような感じで戦国時代の見方もまた

自分に縁がないものとかあこがれのあるものはフックになるわけです。
(中略)
殿様とお姫様しかいない世界
なので、そもそもみんな金持ちだったりするわけじゃない。なので、城を建てるとか簡単にできちゃうんだよね。その辺が、貧乏人しか出てこない幕末とか、筵売りが皇帝になる話と言われる三国志と比べると、最初から全部がきらびやかな世界の中にある。他の2つより圧倒的に輝いているわけで、こんな複数の要因から人々は戦国というテーマに対して強いフックを示す。
(p.86)

とバッサリ。


遊戯王のデザインがビジネス的に正しかったという話。

エクスパンションで前のカードの価値を相対的に下げていったり、あるいはそれまで強かったカードに対する優位性をあらたに作っていったりとか、そういう具合に対応していった。そうなるとゲームに勝つには新しいカードが必要になってくるから、ビジネスとしては社会問題になるほど大成功したわけですね。(p.144)

マジックがコンテンポラリーなカードバランスを基本セットの形で守っているのに対して、遊戯王は焼き畑農業的なコンテンツ消費なんだけれども、版権ものであるという性格上それでもOKなんだね。逆に、「マジックやポケモンは七面倒くさくてやってられないよ」というターゲット層には、そういうゲームデザインのほうが、善し悪しは別として、というかゲームデザインとしては最低線の部類に入ると思うけれども、分かりやすくて支持されているわけです。でも、これは、今のソーシャルゲームにも同じ事が言えるね。(p.144)

遊戯王のデザインってどうかと思っていたけれど、あれはあれで正しい、と。


カードのコスト(サイズや、角の丸め方、紙質、キラカード)の説明とかも、なかなか露骨で面白かった。

課金

最近よく話題になる課金プレイについても、なんというか身も蓋もない。

「お金、払っていない人はそれでいいんだよ、おまえら苦しめや」
というふうにニコニコ笑いながらそういうやつらに苦しみを与えていけるやつこそが優秀なゲームデザイナー、というのがオンラインゲームの世界なんですね。

実は、お金を払っているやつは文句を言わないという特性があります。お金を払っているやつはお金を払って快適にゲームができているから文句を言わない。文句を言うやつはたいてい無課金なので、お客様として相手はしない、というふうにハナからすごいうチョー高い目線で見下ろして、下々の者がギャアギャア騒いでいるのを見て、
「おまえたち、パンがないならケーキ食えばいいじゃん」
みたいな(笑)(p.317)

こういう発想の切り替えは、コンソール系の人には難しいだろうと思う。


あるいは、マナーのルール化について。

現実にオンラインゲームをやっている人っていうのは、
精神的にやんでいる方の比率が絶対的に高い
と思っています。単に自分勝手な人たちが集まってるだけなのかもしれないけど、細かいことにこだわるというか、ルールに厳しいというか、相手をするのが大変です。逆にこういう方々は、ルール化しておくと、
「ルールだから従わなければダメ」
みたいに納得してもらえます。マナーとかを明文化するのはナンセンスとは思いますが、それで収まるトラブルもあるんですね。(p.323)

この辺も、実践ベースというか、苦労が伺えるというか。

デザイン論として

ちょっと引っかかった部分なのだけれど、賭け麻雀について

ベットもオッズも決まっていないから、ハイリスク・ハイリターンじゃないんだよね。
しかも麻雀はゼロサムなので、誰かが勝ったら必ず損するやつがいるという関係の中で行われる。さらにランダム要素も大きいので、点数が高い手で上がって大喜びする人がいれば、自分に責任がないのにそれと等価の不幸を背負う人も出てくる。賭け要素としてとても良くない例です。なので、そういう形のものは作らない。(p.39)

この論自体には同意なのだけれど、ではなぜこのシステムが延々使われ続けているのかというのが分からない。単なる習慣なのかな?


「バランスブレイカー」という言葉があるそうだ。バランスの良いゲームは長時間になりがちだが、それでは疲労する。そのため、どちらかが有利になったら一気に勝負を終わらせてしまうようにする。それがバランスブレイカー。トップにハンディを付けるという考え方と逆だが、ゲームを収束させるのには有効。
また、遠藤氏によれば、

勝った方には勝った感がすごくあるけれども、負けた方には負けた感があまり残らない。そういう状況が作れるので、リプレイ率がすごく上がる。(p.118)

のだそうだ。カード・ボードゲームにもこの考え方は使える。


テトリスができるまで

プラパズルが非常に好きだったロシア人がいつもプラパズルをやっていたところ、最後の1個がはまらなくてムカつくんだよな、と考えた。それで、最後の1個をはめる手前までできたことにして、次の段、みたいな感じでパズルを続けていれば、ずっとプラパズルができるじゃないか、ということで作られたのが「テトリス」なんです。
これは明らかです。いっぺんパジちゃんと会ったことがあって、そのときに「なんでこんなもの、考えたの?」と尋ねたらそう言っていたので。(p.354)

冗談か本気か分かりませんが、一応。


最後に

遠藤雅伸といえば、「ゼビウス」や「ドルアーガ」の時代からのデザイナー。その遠藤氏が、最新情報をきちんと集め、それをビジネスにし、その内容を伝えているということ、それ自体が素晴らしいことだし、それが読めると言うことは本当にありがたい。
最初に書いたとおり、「今」読むべき一冊だと思う。


一つ要望があって、デザインや電子ゲームについての部分では、画面写真が欲しいと思った。権利処理がややこしいとか、コスト的な問題とか事情は分かるけれど、絶対に載せた方がいいと思う。
社内講義とかでは見せているのだろうな。