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k096410mの日記

2010-07-31

書評:篠田謙一『日本人になった祖先たち』

書評:篠田謙一2007『日本人になった祖先たち』日本放送出版協会

 著者、篠田謙一(シノダケンイチ)は1995年静岡県に生まれる。京都大学理学部卒業、博士(医学)を取得する。佐賀医科大学助教授を経て、現在国立科学博物館第一研究室長を務める。専門は、分子人類学であり、日本や周辺の諸国の古人骨DNA解析を進めて、日本人の起源を追求しているほか、スペインによる征服以前のアンデス先住民DNA研究から、彼らの系統と社会構造について研究している。

 主な著書に『骨の事典』(朝倉書店)、『日本列島の自然史』(東海大学出版)、『日本列島人類学的多様性』(勉強出版)、等がある。

 筆者は本書を通して筆者が研究対象としているミトコンドリアDNAの分析によって明らかになってきた、私たち日本人の成り立ちについて紹介をしている。そもそも著者が専門とする分子生物学(Molecular biology)とは、生命現象を、分子を使って理解することを目的とする学問である。現在では、脳、再生、免疫、癌などに研究対象が拡大している。

 本書では、ミトコンドリアという人類の各細胞のなかに多数存在ずる細胞小器官が独自にもつDNAゲノムを解読することで、人類の系譜をさかのぼることを試みている。なぜミトコンドリアDNAを読み解くことで人類の起源を調査することができるのかというと、ミトコンドリアは受精卵を形成する過程で、父親由来のものは消滅し、母親由来のもののみ次の世代へと受け継がれていくためである。つまり、ミトコンドリアDNAを解析していくことは、すなわち母親の系譜をさかのぼることが出来るのである。現在この研究分野において、人類の起源をアフリカのある一人の女性に見出すことができるということが発表されている。

 ミトコンドリアDNAは、細胞内の核に含まれるDNAよりも規模が小さく、また、突然変異の経過が蓄積されやすいという点で実験に適している。そのため人類全体を制限酵素切断パターンとregionVの九塩基欠損とによって4つのハプログループと呼ばれるグループに分類が可能となる。その4つのハプログループは突然変異を繰り返すことで更に枝分かれしていくことになる。筆者は日本人のミトコンドリアDNAにみられるハプログループの種類の特徴をもとに、特に日本人の起源を明らかにしようと試みた。

 まず、日本人のミトコンドリアDNAを解析すると、ハプログループD,A,G,M,Bなどが含まれていることを述べ、それらの起源をどの地域により多く分布しているかという点に注目し、一つ一つ個別的に起源を調査している。その緻密な調査の結果に筆者独自のデータを見出すことが出来るといえよう。その調査の結果、日本人の起源は、アフリカのある女性から出発し、南アジアを経由するルートとヒマラヤ山脈の北を通過する経路二つのルートによって東アジア拡散した人たちに見出すことが出来ることを述べた。しかし、日本人のミトコンドリアDNAも様々なハプログループによって構成されていることからそれら一つ一つを調査し帰納的に起源を明らかにしていくことしかできず、ある特定のDNA日本列島に到達し、そこから子孫を増やしてきたと考えるより、様々な時期に、様々な場所から日本列島に到達し、それらが混合したと考える方が有効であると考えるということしか結論が得られない状況である。そのため筆者は、日本のような四方を海で囲まれている地域であっても、固定されたものではなく歴史の中で入れ替わり、変化しつづけているものだという認識は大切であると述べている。

 さらに筆者はDNAを解析していくことで、アフリカからどのようなルートにより辿りついたのかという移動の経過を辿ることはできるが、今日のハプログループの分布をつくりあげた要因については、考古学言語学、形態人類学などの関連諸分野の研究との更なる統合が必要と述べている。

2010-06-30

書評:有吉佐和子『複合汚染』

書評有吉佐和子『複合汚染』

今回紹介する本は有吉佐和子の『複合汚染』という一冊である。筆者は小説家であり、主な著作には『出雲の阿国(上)(下)』、『紀ノ川』、『私は忘れない』などがあげられる。本書の中では小説のスタイルをとりつつも、高度成長期後1970年代の昭和の日本での、健康や環境への配慮を欠いた開発を、農薬や化学肥料、添加物合成洗剤などといった切り口から批判的に述べている。

筆者は参議院選挙出馬する市川房枝紀平悌子議員の応援を通してこのような環境問題に対する関心を抱くこととなった。紀平議員は演説の中で、市販されている豆腐の中に含まれる防腐剤AF2の危険性を、奇形児出生率増加の点から述べている。そのことをきっかけに本書の執筆に関する筆者の情報収集が開始される。

本書の題名ともなっている「複合汚染」とは、二つの毒性物質の相乗効果および相加効果のことである。一つの食材に含まれる保存料などの添加物は微量であるが、日々接種される非水溶性の毒性物質が体内から排出されることなく蓄積され、複合汚染を引き起こすことの危険性を筆者は述べているのでいるのである。

筆者の情報収集の方法は専門家、また、農家、消費者への聴取が主であるが、筆者の本職はあくまでも小説家であり、あいにく専門的な知識は持ち合わせていない。そのため筆者は人体に有害であるものは全て「毒」としてカテゴリー化するが、その定義は非常に曖昧であり、有害と判断されるべき根拠も薄いことが多い。実際、専門家による難しい解説を理解するのに苦戦している場面が多々出てきている。

しかし、特に農薬散布の危険性に関しては、農林水産省厚生省などの禁止農薬制定の曖昧さについて、制定時期、動物実験から人間へ応用したデータの非実用性など、これらの観点から鋭く指摘している点は大いに注目すべきであり、同時に政府に対する不信感をも読者に与える役割を果たしている。更にまだ有機栽培農業が非効率的であるとされ、世間からの評価も価値の低いものとされていた時代に、いち早くその安全性に注目し、農家に密着した取材の末、読者の問い合わせを殺到させるまでの影響力を発揮した。

この本を読み進めていくうちに、読者は、スーパーで販売される食品に対し、目にはみえないが大量に付着しているであろう、決して完璧に水で洗い流すことの出来ない農薬を想像させ、不信感を募らせることになるだろう。また、洗濯機での洗濯を可能にし、家事の負担を大幅に軽減させた合成洗剤の危険性を知ることで、洗濯が洗濯石鹸と洗濯板での重労働へと逆戻りすることへの絶望観を感じるだろう。

しかし、筆者はそれらの感情を逆立てるためにこの本を執筆したわけではない。筆者はそれらの「毒」に対して、人体に有害で有るものは全て使ってはいけないと主張しているのではない。その質に関して理解を深めたうえで、適切な量を、適切な方法で使用することが大切なのであると述べているのである。つまり、筆者は私たち消費者に対してそれらを正しく判断する力を身につける必要性を訴えている。

 最後になるが、本書は小説のスタイルで書かれているため、日常では取つき難いも問題に対しても比較的取り組みやすい形になっていると感じた。更に問題の提起が広範囲にわたるため、社会に対して多角的アプローチから批判する視点を得られると思う。環境問題という視点から、政府に対する批判も可能であろう。それも、筆者が選挙活動をとおして関心を得たからだと考えられる。