福居伸宏さんのブログの2008年のエントリ経由で知ったCAMPという活動?集まり?の2008年のトークの概要。

「関係性」の「美学」の大問題!

<ゲスト>
辻憲行(キュレーター/翻訳者)

■ニコラ・ブリオーの「関係性の美学(Esthétique relationnelle)」が書かれてから今年でちょうど10年になります。フランス語で執筆された「関係性の美学」は英語やスペイン語に翻訳され、欧米では批評家やキュレーターからアートスクールの学生まで広範な読者を獲得し、様々な批判的受容も見られました。また、ブリオー自身がキュレーターであったこともあり、「関係性の美学」の態度表明とも言える展覧会企画を通じて、この概念は視覚表現におけるアナロジーとしても受け入れられました。ブリオーが企画した展覧会でも用いられている「関係性の芸術(relational art)」とはこれを表象するものです。
■現在に至るまで日本語訳が刊行されていないこともあり、また、ブリオーの「明らかにとらえがたい」衒学的な文体、さらにアカデミックな理論として受け入れるにはあまりにも統一を欠く構成のため、日本国内では概念としての「関係性の美学」よりも「関係性の芸術」という表象、もっと言えば「関係性」の/という表象がより広く受け入れられているように思います。
■「参加型」作品の理論的基盤として取り上げられたり、「集合知」や新しい「公共性」の原理(動因)と(混)同一視されがちな傾向にあったりすることも、そのような事情が背景にあるのでしょう。
■そんな状況を考察しつつ、「関係性の美学」を記述に即して確かめつつ、「関係性」の「美学」の大問題に取り組んでみたいと考えています。

日時:2008年12月4日(木)20:00〜22:00
会場:Otto Mainzheim Gallery
定員:30人(予約制) 参加費:1,000円(1ドリンク付)

このあいだの日記で「日本のリレーショナルなアート」と書いたけれど、よくよく考えてみるに、日本における「アートとコミュニティ」あるいは「アートとコミュニケーション」あるいは「アートと公共性」あるいは「アートと開放性」あるいは「アートと民主制」にまつわるなんらかの具体的な活動を「リレーショナル・アート」としてくくるのは無理があるだろうし、美学あるいは表象の形式としての「関係性の〜〜」が先にあるというより、ここ何年かの重要な論点として「コミュニティ」「コミュニケーション」「公共性」「デモクラシー」とかがまずあり、アートもそれに反応している、というふうに考える方が自然な気がしなくもない。デザインや政治も敏感に反応しているし。しかし、上に引用したイベント概要の『「参加型」作品の理論的基盤として取り上げられたり、「集合知」や新しい「公共性」の原理(動因)と(混)同一視されがちな傾向にあったりすることも、そのような事情が背景にあるのでしょう。』という部分を読んでみるに、なんらかの社会的な論点や問題への反応としての運動なり活動とは異なる、それ自体独立した「美学」としての「関係性の美学」の可能性というものがあるようなほのめかしがある。これはちょっと気になるところ。となると、社会的な問題への反応と「関係性の美学」は切り分けられる、ということになるのかいなあ。わからんけど。たしかに言葉・概念として、「美学」は「表象」や「原理」とは違うような気がするが、どう違うかよくわからない。メタ感性みたいなもんなのかしらな。わからん。いや、というより、アートの現在的な問題を「関係性」で考える、みたいなことなのかな。