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k19390617の日記

2018-05-02

シベリア抑留関係者の皆様へ〜慰霊訪問(墓参)参加案内〜

10:27

 私は上記の旅に参加しようと考えている故人の妹です。

 長いこと、この機会があることを知りませんでしたが、両親の念願であったろう彼の地に

今年は是非ともと考えております。

 もしかして、思いはあってもこのような情報に出会えなかった方もおいでかと

紹介させていただきました。

  いかがでしょうか?


http://www.zaidan-zenyokukyo.com/

2018-04-19

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17:34

これを見たどなた様かとご一緒できる日を楽しみにしています。

「平成30年度旧ソ連モンゴル慰霊訪問」募集中です。

詳細は4月末発行予定の一般財団法人全国強制抑留者協会

『財団だより』に掲載されます。

毎年下記コース設定有ります。

沿海地方ハバロフスク地方、アムール州、ザバイカリエ地方、イルクーツク

アルタイ地方モスクワ近郊、カザフスタンウズベキスタン等が予定されています。

しかしながら近年、抑留者やご遺族の高齢化で参加者が少なくなってきております。

協会では各コース最低人数6名で催行しています。

ぜひ皆様のご参加をお待ちしております。」

一般財団法人全国強制抑留者協会 事務局


〒102-0073

東京都千代田区九段北1-8-2 九段第二勧業ビル2階

一般財団法人 全国強制抑留者協会

事務局長 吉田 一則

03-3261-6565 / Fax03-3261-6548

e-mail: yoshida@zaidan-zenyokukyo.com

URL: http://www.zaidan-zenyokukyo.com/

2018-04-14

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03:42

一番行きたい場所( シベリア抑留関係者慰霊訪問慰霊墓参訪問)に行くためには

私は私が小学校に入学した昭和21年、シベリアに逝った藤本太市の妹です。

兼ねてから行きたいと思っていたシベリア抑留関係者慰霊訪問慰霊墓参に行ける機会が

あることが分かりました。私は今年は是非と考えています。

しかし、催行8名とのこと。

 私がつい最近までこの事を知らなかったように、他にこういう情報に恵まれなかった方々

もいるのではないかと思い協会の承諾を頂き、ここにアップする事にしました。

これが、できるだけ沢山の人の目に止まり、早々と催行が決まるように願ってやみんせん。

 尚、藤本太市(群馬出身)についてどんな些細なことでもお知らせいただけましたら、どんなに幸せなことでしょう!(高橋キン 旧姓 藤本}

〒102-0073

東京都千代田区九段北1-8-2 九段第二勧業ビル2階

一般財団法人 全国強制抑留者協会

事務局長 吉田 一則

03-3261-6565 / Fax03-3261-6548

e-mail: yoshida@zaidan-zenyokukyo.com

URL: http://www.zaidan-zenyokukyo.com/




過去のブログ及び短歌など  高橋 キン

2018年 4月14日

 去年の夏、内モンゴル自治区を旅した時、たまたま中露国境のアルグン川(アム

―ル川上流)のクルージングをした。その時、シベリア抑留中に死んだ兄の終の地

に、かなり近づいているではないかと思い当たった。

 帰国後、兄の名をネットで検索したところ、アムール州第20ラーゲリと分かった。


七十余年前、兄の戦死の知らせに母は布団の中で声を殺して泣いていた。幼かった私は、

祭壇の兄の骨箱を夜中に密かに開けてみた。一つまみの髪と一かけらの石が入っていただけ

だった。


その後、図書館で見かけた山川静夫著画文集「シベリア抑留1450日」を読んだ。兄の抑留

期間は終戦から翌年4月までの約240日だが辿った場所は重なっていたのではないかと

思われてならなかった。


又、今まで行ったことのなかった靖国神社及び「遊就館」を見て回り、新宿住友ビル「平和記

念展示資料館」も訪れた。ここには「遊就館」より、具体的なものが揃っていて、中でも抑留死

亡者名簿は百科事典のように厚く何冊もあるのには胸が打たれた。

両親はもうとうに亡くなっている。しかし、両親のどこよりも行ってみたかったのは兄の終の地

ではなかったかと兼ねてから考えていた。具体的な場所が分かった今、私の一番行きた

い場所はそれまでのイグアスの滝オーロラではなく、慰霊碑のあるというアムー

ル州ベロゴルスク地区ワシリエフカ村となった。

 今のところ、ネットで検索しても該当する所に行けそうな慰霊旅行の情報はない。私はもう若

くはないので、出来るだけ早く行きたい。しかし、この種の旅はパック旅行の様には行かない。

今年は初めて武道館で行われる政府主催の「全国戦没者追悼会」に出席した。

  

         俳句  盆棚や兄の御霊はロシアから

8月1日

 テレビを見ていたら、内海桂子さんが兄と同じ1922年生まれであることが分かった。

大正11年生まれ、生きていれば彼女と同じ94歳かと現実的なイメージが湧いた。

 それならば、兄と同じアムールから帰還して健在な人はいないものだろうか。

会って話が聞けたらどんなに幸せなことだろうか。

兄の所属していた場所

厚生省の名簿 より

6028第20収容所・第17支部 7 21.04.25 アムール地方 藤本 太市 群馬県


シベリア死亡者収容所埋葬者リスト  より

名簿番号 36017 A3-041

名  前  藤本 太市 1922年生 上等兵

死亡日  1946年4月25日

死亡場所 アムール州・第20(ブラゴヴェシチェンスク)

埋葬地 所属名  収容地区 第17支部

所在地名   ニージナヤイリイノフカ


    短歌     アムールに散った兄(旧仮名遣い)

兄の逝きし地に限りなく近からん中ソ国境の川の光れる

兄の逝きしラーゲリは空のどのあたり中ソ国境の川遡る

兄の名がネットに一つ出てきたりアムール州第20ラーゲリ

気の遠くならんばかりにラーゲリの散らばるサハリンよりウクライナまで

享年は二十四歳早春アムールの空はいかにありしか

ラーゲリに逝きたる兄の命日はわれの小学校入学の春

捕虜となりし兄の命日を覚えたり昭和二十二年四月二十五日

戦没者名簿に兄の名を探すあたかも面会に来るごとくに

ロシア語より翻訳をしたためならん兄の名前の一字違える

ラーゲリに兄と同じ日に逝けるあり若しや同行の二人ならずや

ラーゲリにシベリアの風の音すれど体感し難し零下四〇度は

改めて兄の墓石の字をなぞるソ満国境での鮮烈な死と

シベリアに逝きたる兄が先ず母をやがて父をも迎へたりしか

今さらに兵隊送りは春なりき黄梅の咲く兄の写真に

戦死せし兄の軍事郵便の文字は父に似てゐしにあらずや

布団をかぶり声を殺して母泣きき兄の戦死の公報の夜

骨箱を夜更けひそかに開けてみき一つまみの髪一かけらの石

「岸壁の母」の思ひがわが母の思ひなりしか今に思へば

軍事郵便の文字しか記憶なき兄をたぐりよせゐる喜寿の真夏に

どこよりも父母の行きたかりし場所ならん兄の戦死したるアムール

兄も似たる日々なりしかといまさらにシベリア抑留の画文集読む

アムール川の波」を歌ひしははるかなりかく繋がれる兄と知らずに

兄の逝きしアムール州アムールへなびきやまざる喜寿の思ひは

かなしみを投げ合ふことはもうやめよう アムール州の空仰ぎたし


2017 全国戦没者慰霊祭にて

亡き兄の誕生日さへ知らざるにこの身に仕舞ふ戦死せし日は

喜寿過ぎてはじめて向かふ追悼式武道館に以後何回来れるや

田安門の若き機動隊員に一瞬怯む兵に重なりて

「G線上のアリ」流れてゐる中に戦没者への献花の続く

御霊なら三百万余の収容も可ならん終戦日の武道館

2017-08-01

一番行きたい場所  〜兄の強制抑留に逝ったアムール〜  

06:35

4月14日

 去年の夏、内モンゴル自治区を旅した時、たまたま中露国境のアルグン川(アム

―ル川上流)のクルージングをした。その時、シベリア抑留中に死んだ兄の終の地

に、かなり近づいているではないかと思い当たった。

 帰国後、兄の名をネットで検索したところ、アムール州第20ラーゲリと分かった。

 

70余年前、兄の戦死の知らせに母は布団の中で声を殺して泣いていた。幼かった私は、

祭壇の兄の骨箱を夜中に密かに開けてみた。一つまみの髪と一かけらの石が入っていただけ

だった。


その後、図書館で見かけた山川静夫著画文集「シベリア抑留1450日」を読んだ。兄の抑留

期間は終戦から翌年4月までの約240日だが辿った場所は重なっていたのではないかと

思われてならなかった。


 又、今まで行ったことのなかった靖国神社及び「遊就館」を見て回り、新宿住友ビル「平和

記念展示資料館」も訪れた。ここには「遊就館」より、具体的なものが揃っていて、中でも抑

留死亡者名簿は百科事典のように厚く何冊もあるのには胸が打たれた。

両親はもうとうに亡くなっている。しかし、両親のどこよりも行ってみたかったのは兄の終の

地ではなかったかと兼ねてから考えていた。具体的な場所が分かった今、私の一番行きた

い場所はそれまでのイグアスの滝オーロラではなく、慰霊碑のあるというアムール州ベロゴ

ルスク地区ワシリエフカ村となった。

 今のところ、ネットで検索しても該当する所に行けそうな慰霊旅行の情報はない。私はもう

若くはないので、出来るだけ早く行きたい。しかし、この種の旅はパック旅行の様には行かな

い。

さる旅行会社に問い合わせたがなしの礫。一人か二人旅では儲からないからだとか…。

 去年の今頃は、今年はアムールの空の下で兄の慰霊をしたいと思っていたのだ

が今のところとても果たせそうもない。しかし、諦めてしまったわけではない。その代わり、

今年は初めて武道館で行われる政府主催の「全国戦没者追悼会」に出席する予定である。

   

         俳句  盆棚や兄の御霊はロシアから

7月31日

 ネットで改めて検索したところ、慰霊墓参を毎年しているサイトを見つけた。

しかし今年は間にあわないので来年は是非と考えている。

https://zaidan-zenyokukyo-com.ssl-xserver.jp/img/ireihomon2_on.jpg

8月1日

 テレビを見ていたら、内海桂子さんが兄と同じ1922年生まれであることが分かった。

大正11年生まれ、生きていれば彼女と同じ94歳かと現実的なイメージが湧いた。

 それならば、兄と同じアムールから帰還して健在な人はいないものだろうか。

会って話が聞けたらどんなに幸せなことだろうか。

兄の所属していた場所

厚生省の名簿 より

6028第20収容所・第17支部 7 21.04.25 アムール地方 藤本 太市 群馬県


シベリア死亡者収容所埋葬者リスト  より

名簿番号 36017 A3-041

名  前  藤本 太市 1922年生 上等兵

死亡日  1946年4月25日

死亡場所 アムール州・第20(ブラゴヴェシチェンスク)

埋葬地 所属名  収容地区 第17支部

所在地名   ニージナヤイリイノフカ

2018年6月29日 事務局長吉田様より  

厚労省HPによりますと

1.第20収容所・第17支部(もしくは7支部)

第20収容所・第17支部

6028 9

2.同地埋葬者

6028 0007 210425 フジモト タユチ

6028第20収容所・第17支部 7 21.04.25 フジモト タユチ  アムール地方 藤本 太市 群馬県



    短歌     アムールに散った兄(旧仮名遣い)

兄の逝きし地に限りなく近からん中ソ国境の川の光れる

兄の逝きしラーゲリは空のどのあたり中ソ国境の川遡る

兄の名がネットに一つ出てきたりアムール州第20ラーゲリ

気の遠くならんばかりにラーゲリの散らばるサハリンよりウクライナまで

享年は二十四歳早春アムールの空はいかにありしか

ラーゲリに逝きたる兄の命日はわれの小学校入学の春

捕虜となりし兄の命日を覚えたり昭和二十二年四月二十五日

戦没者名簿に兄の名を探すあたかも面会に来るごとくに

ロシア語より翻訳をしたためならん兄の名前の一字違える

ラーゲリに兄と同じ日に逝けるあり若しや同行の二人ならずや

ラーゲリにシベリアの風の音すれど体感し難し零下四〇度は

改めて兄の墓石の字をなぞるソ満国境での鮮烈な死と

シベリアに逝きたる兄が先ず母をやがて父をも迎へたりしか

今さらに兵隊送りは春なりき黄梅の咲く兄の写真に

戦死せし兄の軍事郵便の文字は父に似てゐしにあらずや

布団をかぶり声を殺して母泣きき兄の戦死の公報の夜

骨箱を夜更けひそかに開けてみき一つまみの髪一かけらの石

「岸壁の母」の思ひがわが母の思ひなりしか今に思へば

軍事郵便の文字しか記憶なき兄をたぐりよせゐる喜寿の真夏に

どこよりも父母の行きたかりし場所ならん兄の戦死したるアムール

兄も似たる日々なりしかといまさらにシベリア抑留の画文集読む

アムール川の波」を歌ひしははるかなりかく繋がれる兄と知らずに

兄の逝きしアムール州アムールへなびきやまざる喜寿の思ひは

かなしみを投げ合ふことはもうやめよう アムール州の空仰ぎたし


2017 全国戦没者慰霊祭にて

亡き兄の誕生日さへ知らざるにこの身に仕舞ふ戦死せし日は

喜寿過ぎてはじめて向かふ追悼式武道館に以後何回来れるや

田安門の若き機動隊員に一瞬怯む兵に重なりて

「G線上のアリ」流れてゐる中に戦没者への献花の続く

御霊なら三百万余の収容も可ならん終戦日の武道館

2018年  歴史より

https://scontent-nrt1-1.xx.fbcdn.net/v/t1.0-9/31891042_1504687856307673_3608307183348875264_n.jpg?_nc_cat=0&oh=5e0ca479842e7a9f727065c1c8f023bd&oe=5B8C172C

鈴木鈴木 2017/09/24 19:47 大変遅くなりましたがシベリアの簡単な旅行記を書きました。
シベリアのことで何かあれば何でも聞いてください。

鈴木鈴木 2017/09/24 19:47 大変遅くなりましたがシベリアの簡単な旅行記を書きました。
シベリアのことで何かあれば何でも聞いてください。

鈴木鈴木 2017/09/24 19:47 大変遅くなりましたがシベリアの簡単な旅行記を書きました。
シベリアのことで何かあれば何でも聞いてください。

鈴木鈴木 2017/09/24 19:49 http://4travel.jp/travelogue/11271298
アドレスはこちらです↑

k19390617k19390617 2017/09/24 23:03 鈴木様 
コメント有難うございました。
あす早速併読させていただきます。
来年の夏は、現地で慰霊ができたらと願っております。

2017-05-13

今朝の驚き シベリア抑留死者、10人特定

10:05

朝日新聞33面の6行の記事に釘づけになった。

私の兄も、アムール州ラーゲリ20で昭和22年4月25日に亡くなっている。

私の場合は、その知らせは戦後まもなくであった。

戦後70余年、今になってやっとわかった人もいるかと思うと

まだ幸せな方だったのか。

f:id:k19390617:20170513083129j:image:w360

以下は毎日新聞デジタル版より

厚生労働省は12日、終戦後に旧ソ連に抑留され、

シベリア地域で死亡した10人の身元を新たに特定し、

漢字氏名や出身地を同省ホームページで公表した。

ロシア政府から提供を受けた名簿などと日本側資料を

照合して確認した。

出身地は青森茨城埼玉山梨長野滋賀兵庫

大分、鹿児島の9県。自治体を通じて遺族に連絡し、関係

資料を提供する。 以上

シベリアの開発は強制労働によってなされたことが多いと聞く。

その苦労は並大抵なもものでなかったことは明らかである。

しかし、こんなに年月が経った今ではその礎になったのは日本人であったことに

大いに胸を張ってもいいのではないか。

この夏にはアムール州を訪ねたいと念願している。

今回、判明した遺族の中にも私と同じ思いの人がいるのではないか。

ご一緒にいかがと言いたいところだが、計画はこれからである。

俳句

盆棚や兄の御霊はロシアから

短歌

兄の名がネットに一つ出てきたりアムール州第二十ラーゲり

兄の逝きしラーゲりは空のどのあたり中露国境の川さかのぼる

気の遠くならんばかりにラーゲリの散らばるサハリンよりウクライナまで

戦没者名簿に兄の名を探すあたかも面会に来るごとくに

ロシア語より翻訳をしたためならん兄の名前の一字違える

ラーゲリに兄と同じ日に逝けるあり若しや同行の二人ならずや

ラーゲリにシベリア風音すれど体感し難し零下40度は

軍事郵便の文字しか記憶なき兄をたぐりよせゐる喜寿の真夏に

兄も似たる日々なりしかといまさらにシベリア抑留の画文集読む

享年は二十四歳早春アムールの空はいかにありしか

アムール川の波を歌ひしははるかなりかく繋がれる兄と知らずに

英霊にささげられゐて色あせぬ花嫁人形より垂るかなしみは

戦没者名簿に兄の名を探すあたかも面会に来るごとくに

ロシア語より翻訳をしたためならん兄の名前の一字違える

ラーゲリに兄と同じ日に逝けるあり若しや同行の二人ならずや

ラーゲリにシベリア風音すれど体感し難し零下四〇度は

改めて兄の墓石の文字なぞるソ満国境での鮮烈な死と

心境の一首を作曲してもらったのでかの地で歌いたいと夢見ている。

かなしみを投げ合うことはもうやめようアムール州の空仰ぎたし