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non-orthogonal petit [非直交犬] RSSフィード

2008-02-29

Friend Relation is not Transitive

(僕の)顔が映っている写真を(僕以外の誰かが)Web 上に載せることを,「(Flickr や mixi などの)友人限定公開だから」という理由で当たり前のようにやらないでほしい。これは別に,載せるなって言ってるわけでも,必ず許可をとれというわけでもなくて。「友人限定だから大丈夫だよ」みたいな主張をされるとしょんぼりしますよ,という話。ある人を信用することとその人の友人を信用することは違うし,そもそも,写真公開に関する懸念を顔バレだけだと思われると悲しい。

ちなみに,ほとんど出しちゃダメとか言わないです(多分一回しか言ったことない。そしてそれは別の理由)。あともちろん,公開範囲を制限してくれる配慮をありがたいと思うことも多いです。

2008-01-12

フィードバック頻度と意思疎通

フィードバックの多い意思疎通では,最初に用意していた対話の内容を伝えきれない(で対話が終わる)かもしれないことに注意したほうがいいかな,と思う。

以前,とあるコミュニティで話し合いをするときに,文字によるチャットで話すことによる齟齬を避けたい,という理由から,Skype などの音声会話を望む場面に出くわした。そこでの話し合いはシリアスな内容を含んでいて,内容により不利益を被る人もいたので,悪いとられ方をされたくなかった,というのが思惑のひとつにあると思う。僕も似たようなことを思ったことがある。

文字会話よりも音声会話のほうが,例えば声の調子や大きさ等,交換できる情報が多い。会話相手が怒っているのか困惑しているのかも汲みやすい場合が多いだろう。こういったことを汲めれば,対応を変えたり,言い方を変えたり,臨機応変に対応できるかもしれない。もちろん,デメリットもいろいろあるけれども。例えば,対話にかけるコストの話とかは今回はしない。

で,言いたいのは情報の種類の話ではなくてその塊の大きさの話。臨機応変に対応するためには,行動変化のチャンスが多いことも必要だよねえ。音声会話でも,2時間録音した音声を互いに交換し合うのでは,一度に言い切らないといけない内容が大きいので,相手の変化に対応して言うことや調子を変えてしゃべれない。短い頻度で相手の反応をうかがい,自分の発話に対するフィードバックを得ることが,臨機応変な対応につながっている。そういった意味では,文字メディアだと,IRC やインスタントメッセンジャーのほうが,一度にまとまった内容を伝える電子メールのようなメディアよりも行動変化のチャンスが多い。リアルタイム性の高いメディアにこういった特徴があると思う。前例の Skype は両方の向上に役立っている。

フィードバックが多いと,行動変化を起こせてしまうので,最初に想定していた行動と違う行動を(とることができるので)とりやすいと思う。今回はこれくらいで良いのかも,という感触が得られれば,最初用意していたカードの一部を出さないで終了,みたいな変更が可能になる。変更が可能ならやってしまう,という人も多いと思う。意識してなくても,「あ,結局あれを言えなかったな」みたいなことにはなりがち。僕は結構やってしまう方。競売とかの中には,最終結果までフィードバックを返さないようにして,ある種の交渉を封じるものがあるよね。この例は不適切かもしれないけど。

だから,交渉みたいなものを成り立たせるのが第一の目的なのではなくて,根本的には意思疎通が重要なのであれば,リアルタイム性の高い対話でのデメリットにも敏感になっておくほうがいいのかなと思う。途中でフィードバックが得れなくて,おかしなことを「言い切って」しまうことは,危険性とも,出しづらいことを吐き出せた,ともとらえられるかもしれないし。

なってから・なるまえに

以下のような二種類の助言をみることがある。

  1. 外から調べたり準備したりしても限界がある。中に入ってしまえば吸収のスピードも段違いだし,外からは見えないものも見える,できないこともできる。何でも,実際にやってみなくちゃわからない。
  2. たとえ中に入れたとしても,そこでうまく振る舞えなければ得られるものも得られない。うまくいかなければ駆逐されてしまう。中に入る前に綿密に準備しないと,結果的には幸せになれない。

何についての話かは,いろんな具体例を代入可能。「学校(受験)」「職場(就職)」「対人関係(コンタクト,コミュニティへの参加)」などなど。どっちにもそれなりの説得力がある。たぶん,渋ってる人には前者の助言を,いきあたりばったりな人には後者の助言がされるんじゃないかと思う。境目(受験や就職など)の事前を重視するのが後者,事後を重視するのが前者と考えることもできる。

ここで,ふたつのちょっとあやしい解釈をしてみる。

  • 1 を,中に入ってから何をどうするかこそが重要だと解釈して,『事後努力の総和が「結果的にうまくいく度」である』と。事後が重要なんだから,可能な限り事前を短くするのが「結果的にうまくいく度」の最大化につながる。
  • 2 を,『事前努力に,事後に結びつくまでの閾値がある』と。学校なら受験に通るくらいは勉強しなきゃいけないし,中に入ってもうまくやっていけるだけのスキルを,事前に身につけておくわけだ。

この条件だと,閾値がわかると効率的に努力ができる。それを満たすだけ事前努力すればよいからだ。なので,受験だと模試とかそういうので,閾値を推測することが重要なわけだ。しかし,一般的には閾値はわからないことが多いと思う。

とすると,最大限の努力が可能になるための十分条件のひとつは「締め切りが切られていること」だよなあ。すごく当たり前の結論な気がするんだけれども,ほどよい必要条件が見つからなければ,「締め切りを切らないと最大限の努力ができない」ことにつながる,という認識ができて有益だったかもしれない。

トレード・オフ

世の中の多くの問題はトレード・オフに起因していると感じていて,だからこそ,「結局はトレード・オフだよね」という結論は十分に有益でない場合が多いよなーと思う。自分もよくそういう結論を出しがちだけれども。

もちろん,何と何のトレード・オフなのかを認識することには有益さがあると思う。

2007-12-31

一年の総括

自分にとって大事だと思っている二つのことがどちらも宙ぶらりんなので全然一段落な気にならない。そういう意味ではあまり総括がない。もっとよく考えろ俺。

そんな大晦日。ほろ酔い。年賀状まだ作り終えてない。明日しか印刷するタイミングがない。

年が明けて

意識がすこしはっきりしてきたのでちょっとだけ考え直したら,その二つのことを自分にとって大事だと認識したのが去年の(総括ではないにしても)大切なことなんだなと思った。

2007-12-23

名指しするか否か

ある事柄に関して思ったことを一般化したものを Web の記事なんかにするとき,1) なるべく元の事柄から切り離したから事柄や対象を特定するようなことは書かない,か 2) 元の事柄の色が残っちゃってるからきちんと明示するか,の二つの書き方の選択が簡単ではない場合があると思う。

たとえば,誰かの Web 上の記事だとか,どっかでのやりとりとかを観て自分が不快になったとして,それについて想うことをつらつらと Weblog かなんかに書くときで,書きたいのはそのケースそのものではなく,それを自分なりに一般化したり,なんで不快になったかを分析したものである場合が該当するかもしれない。

書き手が当該のケースを通じて自分について考えていて,特定の誰彼には(ほとんど)興味がない場合,当人を登場させるのは不要な文脈だしむしろ「わざわざ」引き合いに出すと当人に迷惑がかかると思って削るかもしれない。

一方,特定の誰彼に実は読んで欲しいのだけど名指しはしたくないのでぼやかして書いているかもしれない。指摘は当人の名誉を傷つけ,名指しすると角が立つかもしれない。記事を読んで当人がひそかになにかを改善すれば丸く収まる可能性がある。

読み手は,当事者もそうでない人も,該当の記事を読んで「これは自分のことではないだろうか」と勘ぐり悩むことがあるかもしれない。「読む人が不要に悩まないために」2 を推奨する考えを聞いたことがある。また,1 の書き方は,誰の勘ぐりに対しても「自意識過剰なんじゃないの」と(嘘をついて)あしらえるので卑怯だという意見もみたことがある。それはそうだと思う。一方,自分のことについて書いているのにあれこれと言われるのはげんなりする。

この記事は 1 のスタイルだ。

TeX に慣れてると,改行いっこで改段落というのにどうも慣れない。

わたしのよわさ

羊飼いは羊を飼うから羊飼いと呼ばれるのであって,羊飼いだから羊を飼うわけじゃない。

一方,なにかを成すための素晴らしい方法のひとつは,その十分条件をみたすことだ。羊飼いは羊を飼うのだ。

だから立場をほしがる。

ドラクエだとダーマ神殿で神官さんにお願いすれば羊飼いになれる。そうすれば羊が飼える。立場がローコストで手に入れば,何かができる自分になる。だから立場をほしがる。でも立場がなくても羊は飼える。いや,ダーマ神殿で転職するのがローコストかどうかはわからんけどさ(笑。

2007-12-16

触りがたいとか言いつつも,やってはみるのであった。

2007-12-15

いつも見切り発車

スタイルをいじるのにプライベートモードにしてたら,いつまでたっても完成しなくて精神衛生上よろしくないので,白いままパブリックにした。

はてな記法ひさしぶりすぎてリファレンスみまくり。

絵とのかかわり

絵を描くことに相当なコンプレックスがある。はてなハイクは触りがたいな,と思った。この感情はずっとうまく言語化できなかったのだけれども,なんとか吐き出したい。ひとまず関係ありそうなことを吐き出す:

  • 小学校の時の謎の漫画(吉田戦車センセのパクリ)
  • 美術部
  • 絵しりとり
  • 手紙の華
  • 絵とコード
  • プロセスとプロダクト
  • 改版と描ききり,あるいは書道とかの「書き足しするな」
  • 過去はみない
  • インターネット
  • 一貫性

まとまるわけがない気がした。遠すぎるのがあるな(笑。

もしかすると単純に,描いててもそんなに楽しくないのかもしれない。これはよくわからない。

はてなハイクの,絵投稿数/文章投稿数の比とそれぞれにスターがつく度合いはどれくらいなんだろう。

トップページをしばらく眺めた限りだと,絵ばっかりなわけではないのに星がついてるのは絵ばっかりにみえる。

なぜそうなのかを考えようとしてるわけではない。

字にコンプレックスがあると主張してた人がハイクで字(テキストじゃないほうでだ)書きまくってるの見て少し元気出た。

2007-11-11

日記を書くことにする

ここで日記を書き「はじめる」のはおそらく3度目。

最初は「おこわめも」などと称し,適当なメモを綴っていくつもりだった。しかし実際には,はてな的イベント(** 欲しい!)に使うのみだった気がする。

2回目は「non-orthgonal petit」という屋号で,本家のドラフト書きや一言書きに使おうとやり直した。一言のために携帯で更新できるようにもした。しかし,ドラフト書きは後に導入した自前の Wiki 上でやるようになってしまったし,一言には Twitter を使うようになった。またしても,何も書かなくなったわけだ。

今回は3回目。今回もいつまで続けるかわからない。すぐにやめてしまうかもしれない。