世界はどちらを向いているのか?


まだ、まとまっていない。いや、まとまっては、いる。ただうまく言語化できない。概念的過ぎて、今の僕の能力では、言語化するのが難しい、しかし確固として存在する思考方向である。
世界はどちらを向いているのか、と言われると、二つの方向性が考えられる。図、AとBである。両者は、同じ町の風景であり、視点が違うだけである。認識の方向性を映像化したものだ。図AとBの町は、どんどん発展していく。外側を向いている世界はAである。内側を向いている世界はBである。Aは、無限へ進んでいく。Bは、零へ進んでいく。両者は特異点で入れ替わる。Aは拡散し、Bは収縮していく。Aは拡大し、Bは縮小していく。Aは薄くなる、Bは濃くなる。Aは、自分がいなくなる。Bは、他人がいなくなる。
キリストはAの形状をしている。信者各々の中に、自分を埋め込んだ。「生きている」の定義によるが、キリストは自分の思考を他の人間に埋め込むことで、「生きている」と定義できる。死者が他者の胸の中で生きつづけるという考え方は、このAの形状に基づく。
逆にBの形状は、すべてが己の中にある。友人もキリストも、自分の一部である。自分が世界であり、自己の死は、世界の死である。「自分とは何か」を問う姿勢は、Bの形状をしている。