W・H・オーデンとパブロ・ネルーダの詩集を探しにいった結果がこれだよ!

マチュピチュの頂

マチュピチュの頂

下の鼓直さん訳の詩集を今度探す。


ボルヘス詩集 (海外詩文庫)

ボルヘス詩集 (海外詩文庫)

このシリーズでオーデンがあるらしいので今度探す。
一応他のオーデン詩集も見たけど、分厚いのか、「子守唄」と「1921年」が一緒に入っていないかなので保留。
9.11の同時多発テロの際に注目されたのは「1921年」だと思っていたら「1939年9月1日」だった。


刊行シリーズの名前が「バベルの図書館」なのに負けた(笑)


上の三冊が何となくヘビーなのでライトなのを二冊。

建築史的モンダイ (ちくま新書)

建築史的モンダイ (ちくま新書)


天下無双の建築学入門 (ちくま新書)

天下無双の建築学入門 (ちくま新書)

藤森先生の文章はリラックスできるから好きだ。

で、何でパブロ・ネルーダにたどり着いたかを思い出す。
「国王」を読む→ウィキペディアでフアン・カルロス一世を調べる→フランコの葬儀でピノチェトを追い返した、のところからピノチェトのページに→チリ・クーデター→アジェンデ→パブロ・ネルーダ。亡くなったときのエピソード。

しかし翌1973年9月11日にアジェンデ政権がピノチェトのクーデターによって滅ぶと、軍事政権はネルーダの家に押し入り、調度品を破壊し蔵書を破り捨て、徹底的に家を破壊した。ネルーダはこのことで絶望し、病状は急激に悪化したといわれる。クーデターの12日後、ネルーダは危篤状態に陥り、病院に向かったが、途中の軍の検問で救急車から引きずり出されるなどして、病院に着いたときには亡くなっていた。「彼は病気で死に、クーデターで魂を殺された。彼は二度死んだのだ」とチリでは言われている。

( ;ω;)ブワッ


そのあとアントニオ・タブッキのページのテンションの高さやバルガス・リョサがペルー大統領選に立候補してフジモリに敗れたことを知って噴く。
タブッキのウィキクウォート(イタリア語)

ついでに今度探す本チェック。

オーデン詩集 (海外詩文庫)

オーデン詩集 (海外詩文庫)

ネルーダ詩集 (海外詩文庫)

ネルーダ詩集 (海外詩文庫)

つまりこのシリーズ探せばいいのか(苦笑) パブロ・ネルーダ鼓直さんじゃないけど。
しかし鼓直さんのが見つからないという……あれー?

私が本を読んだり知識を求めたりするのは、自分の内側にあるものに名前を与え形を与える過程の出来事でしかない。もちろん、自分がすべてを知っているとは思わない。けれど自分の内側にある、ともかくは混沌としか名づけようのないものに、それぞれの名前と形を与える術を私は探している。
そして私はそれを言葉という形で再編纂し、再編集し、再生産する。