2009-08-16
『あまんちゅ!』刊行記念の天野こずえさんの原画展(@有燐堂ヨドバシ秋葉原店)に行ってきました
WINS後楽園*1に馬券を買いに行くついでに行ってきました*2。修正跡等があって感激。午後4時を過ぎあたりで長々と原画を眺めてるグラサン野郎がもしいたのでしたら、それ私です(笑)。
しかしコミケがあったせいか、人多すぎるよ秋葉原…。私はコミケには行かないのですが、なんというかその恐ろしさの片鱗を味わった感じ(ポルナレフAA略)。
- 作者: 天野こずえ
- 出版社/メーカー: マッグガーデン
- 発売日: 2009/08/10
- メディア: コミック
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下巻突入
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4年ぶりに読んでもやっぱり重い…。しかし凄い作品ですよ、これ。ちょっと次元が違いますね。
細田守監督作『サマーウォーズ』感想その1――ネット/リアルの二項対立を超えて
客観:★★★★☆(4つ半−α)
主観:★★★★★(5つ)
一昨日あたりに新宿まで出っ張って観て来ました。面白かったー。大変よく出来た娯楽大作でしたね。とりあえず、観て損をすることはないと思うので、盆休み暇な人はひとつ映画館まで足を運んでみてはいかがでしょうか?
■ネット/リアルの二項対立の解体と「その先」の模索
本作の脚本のいちばんの特色というのは、「ネットでのコミュニケーション」と「生身の人間とのコミュニケーション」、このふたつのコミュニケーションのありかたを「二項対立の構造では真実の姿を捉えられないもの」として設定しているところだと思うんですよ。要するにそれは「ネットとリアル、どっちも大事だよね?」という、ネット/リアルのそれぞれがそれぞれを否定しあう従来の言説に対する批判的な態度ということですね。
で、ここからが本作のキモだと思うのですが、『サマーウォーズ』という作品は、そういったネット/リアルの二項対立の解体といったテーマを、「生身の人間とのコミュニケーション」を肯定する文脈のなかにひっそりと忍び込ませるというかたちで表現しているんですよね。
つまりどういうことかというと、「大家族との絆」的なモチーフというのは、やっぱり「生身の人間とのコミュニケーション」への賛歌として援用されやすいんです。「ネットでのコミュニケーション」なんか虚構だ!「生身の人間とのコミュニケーション」へと帰れ!みたいな言説ですね。要するに先鋭化した「ネットのコミュニケーションこそ新しいコミュニケーションのかたち」的な言説に対する振り戻しの運動です。
ところが、この『サマーウォーズ』はそういった文脈を語るフォーマット(=田舎の大家族)を形式上は借りつつも、「ネットでのコミュニケーション」も同じくらい大事なんじゃないか、そして両者は二項対立ではなく相補的な構造のなかにおいてこそはじめて真実の姿をとらえることが可能なのではないか、というきわめて特殊な態度をとっています。
要するにジンテーゼの提示ですね。先鋭化されたネットとリアルにまつわる言説と、それに対する振り戻しの運動である保守的な言説を対立させることなく両立させ、そういった構造をもとに物語を物語ることによって「その先」への可能性を模索するという態度、これが『サマーウォーズ』を評価する際にいちばんのポイントになる部分なのではないかと私は思っています。
しかし、この構造には致命的な弱点があります。それは、この作品が「そう見たい人」にとっては、この作品が作り手の意図に反して、単なる(生身の人間との)コミュニケーション賛歌の映画としか映らないという点です(雑誌「CUT」のインタビューにおいて、監督の細田守氏はネットとリアルの二項対立の解体を主幹に据えたという旨のことをはっきりと言っています)。
- 出版社/メーカー: ロッキング・オン
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たしかにプロットの内容をそのままベタに読むと、仮想空間OZの危機というのは「ネットの危険性の告発」と読めないこともありません。そしてその危機を田舎の大家族の団結が救う、というプロットの内容も「ネット批判・リアル賛美」という見方を補強しかねません。この二点を鑑みるに、『サマーウォーズ』という作品を「ネット批判・リアル賛美」として見ている層も一定数以上(というか、大多数?)いるんじゃないかと思います。なるほどたしかに仮想空間OZの危機というプロットと、その危機を田舎の大家族の団結が救うというクライマックスを直接つなぐと、そう読めなくもありません。
が、これは明らかな誤読です。
というのも、その読み方は、主人公の健二とカズマ少年が「共同体の成員として認知されるまで」、つまりイニシエーションの過程、そのドラマツルギーを見落としているからなんですね。
彼らは「生身の人間とのコミュニケーション」により動機を与えられ、そしてネット世界での活躍により共同体の成員として家族に認知されます。これは、この作品が単純な「ネット批判・リアル賛美」の構造ではないことを端的に表しています。彼らのイニシエーションは、ネットとリアルの世界を跨ぐようにして達成されます。主人公の健二はサイバーテロの解決に向けた作戦の立案、暗号の解読によって事件の解決を図り、そしてカズマ少年はOZ最強の格闘ゲーマーとして彼をサポートする。
彼らはネットの世界において、大人に代わってきわめて中核的な役割を担うことになります。それが「共同体の成員として認知される」までの過程の核となるわけなんですが、それに加えて、彼らに直接の動機づけを与えたのが栄婆ちゃんであるというのが、ここにおいて重要な意味を帯びてくるんですね。ここにおいて、彼らのイニシエーションがネットとリアルを跨ぐようにして展開されているのがわかります。これはいろいろな意味で重要なことです。ここには「ネット=世界とそれを指先三寸で操る俺」的なサイバーパンク的な世界認識と、「生身の人間とのコミュニケーションこそが真の実存」的なコミュニケーション主義・集団主義的な世界認識、両者が相補的な関係性でもって存在しているというきわめて特殊な世界観があらわれてきます。これは、ネットとリアルをめぐる言説の相互のパラダイムの振り戻し運動を繰り返してきたエンターテインメントの歴史を解体して、「その先」のモデルを提示したという意味できわめて重要な作品構造である、といってしまっても、あながち大げさにはならないのではないかと個人的には思っています。
- 作者: 佐々木敦
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/07/17
- メディア: 新書
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↑思想の歴史が「振り子運動」の繰り返しである、というのが割とよくわかる本。筆者の主観が過ぎる点は鼻につくが、その歴史認識の明瞭さは買いたいところ。
■群集劇への回帰
へつづく。

