うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

浜松でハロウィン!と、文庫X!と、アメリカ人さんとブルースセッションと、『転移性恋愛:抵抗の執拗な一形式』


 今日は、浜松に行って来ました!
街はハロウィン一色!
 ところでハロウィンっていつでしたっけ?(笑)

 昼食も摂って、ショッピングモールを歩いていたら、皆さんユングの言う無意識は海底のように繋がっているかのように、盛り上がってこられ

 振り向けば、まりちゃんがかぼちゃの帽子を試着しているではありませんか(笑)あまりにも良い笑顔だったので、写してしまいました!
これでは終わりませんでした(笑)

 何と!二人で素敵な事になっていました!(笑)
これは特ダネ!と思い(笑)思わずシャッターを切っていました(笑)
 撮った写真を三人で見て、お店の中で大笑い!何も買わなかったので済みませんでした.....。おっちゃんの財布の中は181円の残金......。
 食後みんなでコーヒー飲んだもんね!



 まだ終わりませんでした(笑)
今度は、本屋さんでドリルを見たいとのことで、本屋さんにいったら、妖怪ウォッチのこんなのがあって、まりちゃんがずっと眺めているので、もしかして写真?ってきいたら「うん!」撮らせて頂きました!
 Kさんはおっちゃんの横でくすくす笑っていました(笑)



 帰りのトイレ休憩で潮見坂の道の駅に行き、トイレ後、足湯に入りましたが、温度が熱く、三人共断念しました。横にいたおじさんが、こちらの方がぬるいよと教えてくれましたが、やはり熱かったのであきらめ、海に行きました。
 こちらでも『熱い! 熱い!』と三人で大笑い!
三人で沢山笑った一日でした!



 行った本屋さんに。巷で話題になっている『文庫X』がありました!

 中身が気になりますが、個人的な所持金は181円(笑).....。
ふと思いましたが、お金に余裕がないと恐くて買えませんね(笑)
 親分からどこから出て来たのか知りませんが(笑)3,500円分の図書券をもらったので、明日の名古屋で『文庫X』があれば買ってみましょうか?
 自分が選ぶと同じような本ばかりになるので、この戦略はありですね!と言いながら、自分好みの本を買ってきたりして(笑)
 明日が楽しみになって来ました!


 うたたねに帰ると、ホワイトボードを見ると、なんとおっちゃんは事務仕事の日でした(笑)まあ、夜勤の前や夜勤明けに沢山事務仕事片付けたので、後は常勤換算くらいになっています。(月末までは.....)

 夕方は、学齢児さんの入浴介助があり、スクールバスを待つ間『フロイトを読む』を少し読ませて頂きましたが、アップさせて頂くのは昨日読ませて頂いた箇所です。
今日読んだ方のが、ためになるかも?ですが、予習として読んだ方が今日の箇所が深く理解できるかも?と思って自分の為にもアップしました。
 長いですが......。時々読み返しますが、誤字脱字だらけ(笑)お許しくださいね!

 そういえば、入浴介助が終わって、渥美まで送迎の帰りに、すろーじゃむに寄って除湿していたら、ハック長屋に住んでいるアメリカ人さんがギターを横に納豆を食べておいででした。先日セッションする約束をしていましたが、お互い時間が合わずできていなかったので、ギターを借りて、スイートホーム・シカゴを弾いてみたら、違う曲なのか?即興なのか?英語で唄ってくれました。おっちゃんに時間があれば、ギターを持って行ってジャムれたのにと、残念でした......。
 何かしら、何日分も時を過ごした様な、不思議な一日でした!

転移性恋愛:抵抗の執拗な一形式
 もうひとつの技法論文「転移性恋愛についての見解」(1915a[1914])の中でフロイトは、女性患者が分析者に恋い焦がれるようになったときに採るべき態度について考えている。治療を中断することは、何の解決にもならない、なぜなら、転移現象が問題であり、反復現象のために必然的に第2、第3……の治療者との間で再生産される傾向があるからであると彼は言う。医師がこの恋愛を、本物の愛として受け取ることも問題とならない。なぜなら、「女性患者の愛情要求をかなえてやることは[……]これを抑え込むことと同様、分析にとって致命的」(1915a[1914]:166,岩波13:318)。だからである。それらしい状況が生じている時には、治療者は「逆転移」(同160)の可能性に警戒するべきであるとフロイトは警告する。言い換えれば女性患者が治療者に対して感じる愛は、転移の発展を妨げる抵抗の表現であり、だからそれをその無意識的起源に連れ戻すことが重要である。フロイトによれば、この恋愛状態は過去のある状況の再版であり、それに強迫的で病理的な性格を与え抵抗の源となっている幼児的諸反応の再版に他ならず、それらを分析しなければならない。転移性恋愛に直面したとき、分析者は自制と禁欲の態度を採ることが重要である。「分析者にとって屈することはありえない(ausgeschiossen)。
分析者は、愛をいかに高く評価していようとも、それ以上に、患者を人生の決定的な段階へと高める機会のほうを重視しなければならない」(同170,岩波13:324)。フロイトは結論として、これらの条件においてのみ分析者は患者に、「意識的な心の活動を「……」無意識的な活動から区別する、このより大きな内的自由を獲得する」ことができるようにすると述べている。
転移と反復強迫死の欲動 
 1920年の『快原理の彼岸』の中でフロイトは、転移が克服不可能な反復的性格を保持し、記憶を想起して反芻処理しないので、進歩する代わりに失敗と症状を反復し続ける患者がいることを認める。フロイトはこのような患者の行動が、人の心的構造は本質的に快の追求と不快の回避を目標としている、という彼の最初の欲動理論と矛盾することを観察して、自分の理論を再検討する。彼は、容赦ない心的な力がある種の患者たちに対して、繰り返し苦しみを挫折するがそれらの克服に至らない状況を強いる、という仮説を表明する。この臨床的現象を単なる「反復」から区別するために、彼はそれを「反復強迫」と名付ける。なぜなら患者は、フロイトが「悪魔的」(1920g:21)と形容するこの強迫的な欲動の力から離れることが、全くできないように見えるからである。こうしてフロイトは大胆にも、快原理の彼岸に、2組の欲動すなわち生の欲動と死の欲動の間に、より根本的な葛藤が存在すると仮定するに至った。この新しい見地によって彼は、「転移神経症」を呈して快・不快原理に従う神経症患者と、うつ病や倒錯。精神病に苦しみ、「自己愛神経症」を呈して生の欲動と死の欲動の根本的葛藤に根ざした敵意のある転移を示す患者との相違を説明できるようになった。


フロイトにおける逆転移
 逆転移の概念は、フロイトの著作中ほとんど登場しない。彼はそれを1910年に「精神分析療法の将来の見通し」の中で、「患者の影響のせいで医者の無意識的な感じ方に生じる」(1910d:144,岩波11:195)ものと定義し、医師が「自分自身の内にあるこの逆転移に気づいてこれを制圧する」ために、前もって分析を受けることだけでなく、自己分析を継続すること(1910d:145)を勧めている。1913年2月20日付L,ビンスワンガー宛の手紙でフロイトは、逆転移は「精神分析の技法的な問題の中で、極めて複雑なものの一つ」に入ると指摘している(1922[1908−1938])。彼は、分析者が患者に自分の情緒を直ちに伝えようとする誘惑に警告し、自分の逆転移を吟味するためにそれを割り出すことを勧める。 「分析者が患者に与えるのは、その場の情緒であってはならないだけでなく、つねに意識的に調整された情緒であって、多少とも、その瞬間の必要性に従っているべきです。状況によっては多くを与えることもできますが、決して自分自身の無意識から汲み出したものであってはなりません。それが私にとっての公式でしょう。ですから、分析者は逆転移を、毎回認識して克服しなければなりません」。最終的に転移性恋愛についての論文では、私たちが見たように、フロイトは医師に、「ありうる逆転移」(1915a[1914]:160,岩波13:311)に用心するように助言している。
 フロイト逆転移の問題を、これ以上探求しないだろう。そしてこの観念は彼にとって本質的に、患者の転移に「対するcontre」分析者の無意識的な反応にとどまる。つまり、分析者によって十分に反芻処理されていないときの、転移の展開を妨げる反応である。逆転移の観念をより拡張して展開することは、フロイト以後の精神分析者たちによることになる。それは以後、分析的関係の中心にある転移の反芻処理において、決定的な道具となるだろう。