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ka-guの日記

2017-02-09

火災報知器と、【わが国の自閉症の子どもへの心理援助の歴史に関して―平井正三】

18:40

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 昨日、夜勤に入ったら、火災報知機の工事が完全に終わっていました。

外壁工事も終わっていて、後は小さな物置を作って頂いたら終わりです。

 昨日は2回図書館に行きました、お昼は親分の用事で、夕方は貴ちゃんと行ってき、親分が借りたい本の中の一冊が戻って来ていたので、借りて来ました。貴ちゃんは夕食前だったので空腹だったのか?3冊とも料理の本でした。

 戻って一緒に夕飯を頂きました。

ショートさんも居られ、賑やかな夕食でした!




自閉症スペクトラムの臨床』をやっと読み終えましたが、解題が分かり易かったので、何回かに分けてアップさせて頂きます。

 確かに絵や写真や音楽等を使えば、お互いが楽になる事が多々ありますが、一時しのぎという事も多く感じます。ツールとしては役立つので、そのツールを使いながらも、きちんと心の動きを見て行かないと、その場限りで、あの時は上手くいったのに......。状態になりますね......。

 精神分析的な考え・方法、行動療法的な考え・方法をよく学習して、その方に一番合う方法で支援させて頂ければと思い、本を読ませて頂いています。難しいですが......。

《解題――子ども自閉症へのアプローチ》

 平井 正三

1、わが国の自閉症子どもへの心理援助の歴史に関して

 自閉症を持つ子どもに対する援助法として、現在わが国では心理療法専門家の間であまり推奨されていない。半世紀ほどまえには、こうしたこどもの問題は「情緒的」なものであると捉えられ、心理療法はそれを「治しうる」アプローチとして熱心に実践されていた。そして、いくつか「治療」例のようなものが報告されたりもしていた。しかし、実際は、少なくとも大半の子どもは長年の心理療法にも関わらず自閉症の主要な「障害」がなくなるわけでないことに気づかれ、むしろ器質的な要因の色濃い発達上のハンディキャップである「発達障害」の一種と理解されるようになった。このような理解の変化に伴い、心理援助の力点は、子どもの行動面での改善を目指す、行動療法やTEACCH,そして応用行動分析などのアプローチに移っていった。 

 しかしながらこうした子どもの行動面ばかりに注目し。子どもの心、そして子どもの持つ人間関係に注目しない援助の限界や弊害も明らかになってきているように思われる。そもそも子どもは、一人ひとりの心を大切にする大人との関係性を通じて情緒的に発達するということはさまざまな発達研究で明らかになってきており、子どもの情緒面や人間関係に注目せずして発達援助は困難であることは休痛理解になりつつある。特に、ウィングのスペクトラム概念が広く受け入れられ、自閉症芸念が拡大する中で、軽度の自閉症スペクトラム障害を持つ子どもが非常に多くみられることに気づかれていったことがこうした視点の重要性を浮き彫りにしている。つまり、自閉症スペクトラム障害を持つ子どもの行動面だけに注目するのでは十分ではなく、他の非自閉症的な子どもと同じく、彼らの心や人間関係をじっくりみていくことが必要なのである。実際、こうした子どもは環境の影響に晒されやすく、混乱した物の見方や捉え方を持ちやすい。逆に、こうした子どもを育てる親にとって、子どもの振る舞いは不可解であったり、無用な誤解や戸惑いが起こりがちであってりする。こうしたことがあいまって、子どもが行動面での問題を引き起こす場合も多いし、そのような状態が恒常化していくとパーソナリティに大きな問題を持つ大人に成長してしまう。 

 自閉症と関わる多くの専門家にとって、心理療法に対する批判の大半は、それが「情緒障害の原因は母親の愛情不足である」といった見方をとっているということに向けられているようである。現在の心理療法、特に本書で述べられているような精神分析の見方からすれば、完全に誤解に基づくこうした見方もあながち単純化しすぎでもないといえる状況は過去にあったように思われる。確かに長らくわが国の子どもへのプレイセラピーの歴史の中で、「子どもを受容し、共感と愛情を示すこと」が子ども心理学的問題を解決すると見る見方が支配的であったかもしれず、その含みとしては「親の愛情不足、共感不足」という考えがあったのは否定できないだろう。振り返ってみれば、自閉症スペクトラム障害を持つ子どもと関わる、多くの臨床家たちのこうした反応や態度には、自閉症そのものが持つインパクトが大きかったかもしれない。自閉症は人間の基本的な条件である。他者とのつながり、そして自己の存在基盤自体が脅かされているようにみえる状態であり、関わる大人たちに深刻なショックを与えうる。「母親の愛情不足」という非難はそうした衝撃の矛先を母親に向けるものであり、「受容と共感」はある種魔術的な解決に思えたのかもしれない。しかい、もちろん、何かに責任を押し付け、また現実を見ないで、目の前にいる子どもの日々の育ちを支えていけるわけもない。

 とはいえ、子どもの「認知特性」や行動面での変化だけに目を奪われ、一人ひとりの子どもの心、その子どもがどのような家族関係の中で育っているのか、そして学校や社会の中でどのような関係性を持っているのか、と言ったことに目を向けない援助というのも、子どもの日々の育ちの現実に目を向けない姿勢かもしれない。子どもの発達援助という場合、やはり実際の子どもの心や人間関係をじっくり見ていくことに基づく必要があろう。そうした実践を築き上げてきたのが、本書で示された精神分析の取り組みの発信源である、英国のタヴィストック・クリニックである。本書の編者のケイト・バロウズをはじめ、タスティン、アルヴァレズ、ロゥドなど第1部の論文の執筆者の多くはタヴィストック・クリニックで子ども精神分析心理療法の訓練を受けている。

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