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ka-guの日記

2017-03-01

アトリエ・カーグ展と、少しだけホットと、【投影性同一視」という用語は、メラニー・クラインが1946年に分裂機制に関する論文で導入して以来、神経症や精神病患者に見られる機制や原始的自己愛対象関係を記述するために、分析家に広く使われている。】(治療の行き詰まりと解釈より)

14:05

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 朝一で、6月のカーグとバンドクラブの予約を入れてこいと(笑)親分に言われ行って来ました。

6月は11日で、アトリエの1と2が使用できます。音楽練習室も予約できました!

 その後、直ぐに豊橋商工信用組合さんで展示させて頂いている『アトリエ・カーグ展』の写真を撮って来ました。丁寧に飾って下さり、ありがとうございます!見やすくて素敵でした!親分の書いたとおりになっていたのでびっくりしましたが。

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 豊橋商工信用組合さんからうたたねに戻って、会計から食数が(金額が)出ていないと言われていたので直ぐに作成し、図書館さんから予約していた本が来たとの連絡があったので、出勤簿を急いで集め(笑)図書館に寄ってから帰宅しました。(今日は夜勤なので)

『本書には、ジャック・デリダの二つの文章が収めれている。その主要なモティーフは、デリダ自らが述べるように、彼自身の「ユダヤ性ないしユダヤ教への帰属なき帰属」である。これらの文章はそれぞれ一九九八年と二〇〇〇年という日付をもっている。そこでは、七回にわたりハイデガーの名前に出くわすが、この名がユダヤ性という主題において特殊な含意があるとされているわけではまったくない〜』大丈夫でしょうか?読めるでしょうか?


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 ひーひー王子の朝の散歩がまだだったので、ちょこっと行き、水仙が沢山咲いていたので、事務仕事の合間に生けさせて頂き、お薄を頂きました。葉が柔らかく、中心に寄せてから写真を撮ったのですが、離れると直ぐに広がってしまいます(笑)

 3月は事務仕事に追われるのに、おっちゃんのシフトは事務の日が一日しかない......。

おっちゃんだけブラックです(笑)




 事務所でしかできない事務もありますので、もう少ししたら再出勤します(笑)

下記は、文化会館で待っていた時に打ち込んだ箇所です。(読んだのは昨日の電車内ですが....)

 またまた、投影性同一視の復習です(笑)メラニー・クライン恐るべし(笑)ですね!


第8章 実地臨床における投影性同一視

1) 「投影性同一視」という用語は、メラニー・クライン1946年に分裂機制に関する論文で導入して以来、神経症精神病患者に見られる機制や原始的自己愛対象関係を記述するために、分析家に広く使われている。ここでは、投影性同一視という概念のいくつかの異なった使われ方を比較してみたい。最初はエディス・ジェイコブソン(Edith Jacobson)の仕事であるが、彼女は私が観察し「投影性同一視」と呼んだのと全く同じと思われる分裂病患者のさまざまの精神病的同一視を記述している。ジェイコブソンは「投影性同一視」という用語を『精神病的葛藤と現実』という著書(Jacobson 1967)のなかで、しばしば用いている。

 1954年にエディス・ジェイコブソンは、最後には意識上も自分自身が別の人間だと信じるようになった妄想型分裂病患者の同一視を論じた。彼女はこれを早期乳幼児期の魔術的性質を持つ同一視機制に関連させたが、これは、「現実とは無関係に、対象と一つになっているかなっていくという空想、もしくは一時的な確信にすら基づいた、魔術的な自己と対象イメージの部分的または完全な混合」(1954a)につながる。1964年に彼女はこの過程をより詳細に次のように記述した。


 精神病患者の自己愛的水準への退行では、自己と対象イメージの境界が弱まり、これらが融合するという空想もしくは体験が起こる。この原始的取り入れまたは投影による同一視は、飲み込む、貪り食う、侵入する(自分を押し込む)、対象にむさぼり食われるといった乳幼児期の空想に基づいている。


 彼女はまた、次のように述べている。


 少なくとも自己と対象の区別が始まっていることを前提としているそのような空想は、発達の早期自己愛的段階の特徴であり、子どもの母親への関係は、正常な場合は、取り入れと投影による同一視は、早期自己愛段階への患者の固着と自己愛的退行の深さとにかかっている(1967:84)。 


 患者Aの臨床素材を論じるなかで、エディス・ジェイコブソンは、あらゆる愛情のこもった身体的接触は飲み込まれることとして体験され、続いて精神病状態の顕在化につながるというこの患者の恐れを記載している。成人の患者の取り入れと投影による同一視は、この同一視の発生した早期自己愛的段階への固着にかかっているという彼女の見解は、私の意見と全く同じで、上に引用した彼女の臨床的理論的観察に対して、私には何の異論もない。ところが彼女は、転移のなかで観察されたり、環境のなかで対象との間で行動化される成人の患者の投影性同一視は実際には早期乳幼児期の投影と取り入れ家庭の反復ではなく、より後期の防衛過程として理解されるべきであるという点で、自分の意見は、メラニー・クラインや私の意見とは異なると強調しているが、その理由は彼女の見解では、早期乳幼児期の過程は転移で観察されることがないからである。また、彼女は転移にあらわれた投影性同一視を言語的に解釈するという私の分析技法にも不賛成である。ところが、これこそ私が転移状況において精神病過程を徹底操作するのに最も重要だと見なしている技法なのである。

 私は、患者が分析家の身体に侵入するために用いる具象的な自己部分として自分の思考や言語を表出しているとき、すなわちこの過程のために自己の断片化と混乱とが起こるようなレベルで機能しているときのみ、精神病患者に対する言語的解釈が危険であることを見出した。患者が体験を具象的なものとして感じている限り、分析家の解釈も具象的な侵入として感じられ、治療者が意味することを患者は混乱して誤解する。そのような状況では、患者は正常な抽象思考能力が失われていることに気づくが、それは転移の中で、コミュニケーションを目的とする原始的投影性同一視が動かされることにより回復するのである。この(抽象思考の)過程が再び機能し始めると、分析家の言語や思考を具体的なものとして受け止めるが傾向は減じ始め、言語的解釈の危険度も少なくなる。〜

2)メラニー・クライン(1946)は分裂機制に関する論文で、分裂、否認、万能感の過程がより重要であると考えており、これが発達の初期段階において、自我発達の後の段階で抑圧が果たす役割に近い役割を果たすと考えた。彼女は次に早期乳幼児の本能衝動を論じて、「口唇リピドーがまだ主導権を握っている間に、他の源からのリピドー的、攻撃的な本能および空想が目立つようになり、やがて口唇、尿道肛門のリピドー欲求や攻撃欲求が合流するようになる」と述べた(1946:300)。



 攻撃のもう一つの経路は肛門尿道衝動に由来するもので、危険物(排泄物)を自己から母親に吐き出すことを意味する。増悪をもって吐き出されたこの有害な排泄物とともに、自分の自己の悪い部分は、対象を傷つけるだけではなく、対象を支配し専有しようとすることになる。自己の悪い部分を母親がコンテインするようになる限り、母親は分離した個人とは感じられず、悪い自己と感じられる。自己の一部分に向けられた憎しみの大部分は、今や母に向けられる。これは攻撃的な対象関係の原型を確立する同一視の特別な形式が導かれる。私はこの過程に投影性同一視という用語提案したい。


 同じ論文の後のほうで、メラニー・クラインは、自我の悪い部分だけでなく良い部分も吐き出されて外部の対象に投影され、その投影された自己の良い部分と同一視されると述べている。彼女はこの同一視を、乳幼児がよい対象関係を発達させるのに必要不可欠なものと見なしている。しかしこの過程が過剰であると人格の良い部分は自己から失われたように感じられ、自我の弱体化と貧困化が起こる。また、メラニー・クラインは、対象に無理やり侵入することに関連した投影過程の側面や、私が先に言及したこの過程に関連した迫害不安を強調している。彼女は投影性同一視に関連した妄想的不安がどのようにして取り入れ過程を阻害するかについても記述している。「そうして取り入れは、凶暴な投影への報復として起こった、外部から内部への無理やりの侵入として感じられるであろう」(1946:304)。メラニー・クラインが「投影性同一視」という用語を、自我分裂と自己の部分を対象に投影することで生み出された「自己愛的」対象関係の双方に用いていることは明らかである。

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