うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

アンパンでお薄と(笑)、『上に立つより役に立て』と、【このことは、これらの子どもたちについて私たちが研究していた心的過程は、純粋に病理的であり、発達史には直接には何の役割も担っていない、もしくは分裂機制が作動するに至る発達時点には到底達していないと私たちが考えていることを意味している。】


 早番で現場に入って、皆さんを送り出させていただいてから、9時から事務所が使えなかったので、自宅で事務仕事をしていたら、隣市役所さんから書類の不備があったとの連絡を受け、急いで書類の訂正を(追加ですが)してついでがあったので、持って行って来ました。
 朝から少しバタバタしたので、お薄のともを買おうと、親分に108円くれって言ったら、昼食用に買っていたアンパンで飲めと(笑)言われ、ちょっと試してみました(笑)
 あわない事はないように思いますが、パンにお薄が吸収しすぎて(あんぱんとお薄を交互にいただいたのでw)個人的にはちょっと口の中が忙しく感じ(笑)ほっとしませんでした.....。
 まあ、何とか持ち直して(笑)事務の方頑張りました。
15時までの予定でしたので、15時過ぎまでで一区切りしました。
 休憩がてら斉藤和義の『うたうたいのバラッド』をアコースティックギター用にアレンジしました。
スムーズに弾けるまで、自分は不器用なので1,000回くらい弾き込まないとだめなので毎日コツコツと頑張ります(笑)自分が綺麗なメロディーと思う曲をアレンジしています。この1年で何曲アレンジしたでしょうか?忘れましたが、時々弾かないと忘れてしまうので、順番に弾いています。  


 ふと、ネットのニュース(清宮君関連の)を覗いたら、熊本、秀岳館の鍛冶舎監督の言葉がいくつか出ていて、一番心に残ったのをアップさせて頂きました!
 『上に立つより役に立て』って凄い言葉ですね!
偉そうにしたい人が多い中(笑)胸に詰まっていた物が少しだけ取れた感じがしました。
 巨人が負けた日のように(あんちですw)清々しくなりました。(単純な野郎です.....)
【日常生活でミスが出ると野球でもミスが出る。素直さを失ったら成長は止まる。上に立つより役に立て】
 鍛冶舎監督は、関西人にとってはなじみ深い方です。



 早番で6時半に現場に入りましたが、尚且つ家を早く出て6時25分まで、うたたね横のファミマでコーヒーを飲みながら下記を読んでいました。


 下記の例えは、分かり易いですね!こういう例え方を学ばなければいけませんね。

『正直なところ、このような成果の後ですら、ティミーはまったくもって藁の家を作った子ブタも同然である。けれども、私たちは木製の家、ゆくゆくは、どのような心的苦痛というオオカミが発生しても吹き倒されることのない、レンガの家を構築する可能性も見ることができるのである。』

 精神分析から見た自閉症(状態)の本を、何冊か読ませて頂いていて、同じような内容や人物が出て来ますが、ギターと同じく不器用なので(単に頭が悪いw)何度も同じことを読まないと頭に入らないので、いつも新鮮に(ではいけませんね....)感じられます。まあ、何度目かには自分の物にできるので、それまで読み続けないといけません(笑)
 現場で支援をさせて頂いていたり、難しい方々の支援方法を考えていると、タスティン⇒アルバレズ⇒メルツァーと偉大な精神分析家の方々は、資質があった上で、大変な努力をされていたのだなあと感服せざるを得ません。自分には資質がありませんが、偉大な先人たちが残してくれたものをしっかり読ませていただき、支援に活かせていければ、資質のない自分でも少しはましな支援ができるのでは?と期待と希望を持って読ませて頂いています。ただ、難しいですが.....。


 
第3章 中核的自閉状態――ティミー――
考察
〜自閉状態を、分裂した心の状態というよりも全体的な心の状態としてみる私たちの見解は、批判に耐えうるものだろうか?自閉状態の可逆性は、分裂が非常に重篤であり、非統合失調性の精神病もしくは青年期のようにアイデンティティの感覚がしっかりと根づいていない場合に見られる、心の状態の急激な変化とも根本的に異なると私たちが結論付ける時、それはどのような根拠に基づいているのだろうか?実際のところ、私たちは分裂過程を目にしているという前提から始めており、何年も経過する中で、このような異なる見解を抱くようになったのである。これは驚くには当たらない。というのは、その根拠は必然的に、むしろ過去の素材を振り返ることを通じて得られるからである。ティミーの「締め付け」の素材と、第15セッションを比べてみると、建築物其のもの以外は何も変化していないことが分かる。建築の素材はごく初期からすべて存在していたのだったが、4年間たってようやく、内的ないし外的対象を持つパーソナリティ構造として観察される。正直なところ、このような成果の後ですら、ティミーはまったくもって藁の家を作った子ブタも同然である。けれども、私たちは木製の家、ゆくゆくは、どのような心的苦痛というオオカミが発生しても吹き倒されることのない、レンガの家を構築する可能性も見ることができるのである
 このことは、これらの子どもたちについて私たちが研究していた心的過程は、純粋に病理的であり、発達史には直接には何の役割も担っていない、もしくは分裂機制が作動するに至る発達時点には到底達していないと私たちが考えていることを意味している。病の重篤さの程度はかなり異なるが、自我の構造の壊れやすさが中心課題になっている、他のタイプの患者たちとの研究成果は、後者を示唆すると思われる。この領域で先駆的な業績は、皮膚の心的機能に関する、E.ビッグ夫人の仕事であり、これにより、心的生活におけるコンテイナーコンテインの概念についてのウィルフレッド・ビオンによる論述が臨床的に意味のあることが示されている。著者の一人(メツツァー)が述べているように、分解タイプの原始的な強迫機制において、フェティッシュの形成において一定の役割を担っているという証拠によって、この見解はさらに強く支持されている。〜