うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

【しかしながら、抑うつ態勢での自我が十分に強力で、不安を取り扱う能力をもっているなら、より早期の状況のかなりのものが自我のなかに統合され、象徴化を通じて取り扱われるようになり、それはより早期の体験にある大きな豊かさで自我を豊かにする。】


 今日の日中は、お風呂が中心の方がおられたので、マッサージさせて頂きながら、お体を洗わせて頂いたり、硬縮している箇所を温めて、少しでも緩まればと思い、軽くマッサージをさせて頂きました。

 昼食前は歌留多大会で、午後からはお天気が悪かったので、蔵王山の展望台に行き、女子はプロジェクションマッピングを楽しまれ、男子は五平餅を食べておられました........。
 楽しい一日でした。





 もともとは、自分の支援を文章にできるようにと、精神分析の本に向かっていきましたが、今となれば、自分のために読んでいる様な気が、下記を読んでいて思いました。
恐らくそれが自分にはないものなのでしょうか?

『しかしながら、抑うつ態勢での自我が十分に強力で、不安を取り扱う能力をもっているなら、より早期の状況のかなりのものが自我のなかに統合され、象徴化を通じて取り扱われるようになり、それはより早期の体験にある大きな豊かさで自我を豊かにする。』



象徴を使って自分自身とコミュニケートする能力は言葉を用いる思索の基礎であると私は思う。このことは言葉を用いて自分自身とコミュニケートする能力である。すべての内的なコミュニケーションが言葉を用いる思索というわけではないが、言葉を用いる思索のすべてが象徴群――言葉――による内的なコミュニケーションである。 内的なコミュニケーションの重要な側面は象徴化によってより早期の欲望、不安、空想をのちの発達段階へと統合することにある。たとえば、性器期的機能が十分に発達したところには、すべてのより早期の――肛門期、尿道期、口愛期的な――目標は象徴的に表現され満たされる。フェレンツィは『サラーサ』Thalassa(1923)においてみごとにこの点を描き出している。 さて、ここから私はこの論文の最後の核心に移ろう。抑うつ態勢において自我が成し遂げる重要な仕事のひとつは抑うつ不安だけでなく、未解決なより早期の葛藤をも取り扱うことであると私は思う。抑うつ態勢に属する新たな達成物は象徴化の能力であり、不安を軽くし、葛藤を解決するその方法である。このことがより早期の未解決な葛藤を象徴化することで取り扱うために利用される罪対象とか類象徴での対象代理物とかとの体験が極度に具体的であったためにより早期には処理されなかった不安が、統合されてきた自我によって象徴化でもって徐々に処理される。こうしたやり方でそれらは統合される。抑うつ態勢において、そしてそののちにも、象徴群は抑うつ態勢に特徴的な破壊され、再創造されたひとつのまとまった対象からだけでなく、(極度によいと極度に悪いに)分割した対象からも形成されるし、全体対象だけで取り扱う部分対象群からも形成される。妄想的で理想的な対象関係や不安のいくらかは抑うつ態勢での統合過程の一部分として象徴化されるであろう。おとぎ話は適切な例である。それは基本的には魔女、妖精の代母、魅力あふれる王子、人喰い鬼などを扱っており、そこには精神分裂病的な内容を多く含んでいる。しかしながら、それは子どもの早期の不安や願望を十分に象徴化している高度に統合されたものであり、芸術的な創造物である。



抑うつ態勢のワーク・スルーの過程において、成熟している自我が早期の対象関係を取り扱っていくそのやり方はたいそう重要である。より早期の自我の体験の排除を伴ってはいるが、ある程度の統合と全体対象関係は抑うつ態勢において成し遂げられる。この状況には、精神分裂病というポケットのようなものが自我のなかに分離して存在するし、そして、それは安定性への不断の脅威となる。最悪のときには、精神の破綻が生じ、より早期の不安や排除された類象徴群が自我へ侵入する。最良の場合には、比較的成熟はしているが限られた自我が発達し機能することができる。しかしながら、抑うつ態勢での自我が十分に強力で、不安を取り扱う能力をもっているなら、より早期の状況のかなりのものが自我のなかに統合され、象徴化を通じて取り扱われるようになり、それはより早期の体験にある大きな豊かさで自我を豊かにする。 象徴”symbol という言葉は寄せ集めた材料でつくる、一緒に連れてくる、統合するといった意味するギリシャの言葉に起源している。象徴形成の過程は内的なものと外的なもの、主体と対象、早期の体験と後期の体験を一緒に集め、統合する連続性のある過程であると私は思う。