うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ツバメの巣と、【それは後の存在のために肯定的な生の衝動と動機を導き入れることを意味する。】

 
 今日は、本当は休みでしたが、朝は親分が携帯とうたたねの鍵を忘れたから、うたたねに来てくれ!(笑)との事で、うたたねに行ったついでに、ファミマでコーヒーを飲みながら本を読みました。後一章で読み終わります。
 ふと、顔を上げたら、以前見つけたツバメの巣が見え、雛たちがすっかり大きくなって、どちらが親鳥か?分からなくなっていました。
巣立ちが近そうですね!
 夕方、入浴介助を手伝いに行ったら、結局遅番にされました(笑)。

 下記は、現場でも、長い時間一緒に過ごさせて頂くと、先天的では無い様な感じがする時があります。
『私たちの症例では、外傷が時期的に早いことから病的傾向に生得的であるかのような装いをとっているという点に違いがある。』

 下記は、どうしても教育的になってしまう、施設が多いですが、遊びの大切が理解出来ない方が多すぎるのがいけませんね.....。
知的に障がいをお持ちの方々は、サリヴァンが言うように(サリヴァンの症例は、統合失調症が多いですが)、バーバルでなくて、ヴォイスが大事になって来ますので(相互に)、言葉ではなくて、ボディランゲージも含めて見て行かなければならないと思っています。
『こうした患者に子ども時代の無責任さを楽しむことをそもそもはじめてゆるすことになるが、それは後の存在のために肯定的な生の衝動と動機を導き入れることを意味する。』

 人間、色々あって退行してしまった場合には、幼児期に受けた待遇や環境を設定することが、本当に大切なことだと、精神分析関係の本を約30冊くらい読ませて頂いて、やっと気づくことが出来ました。


 自分の頭の中は、今読んでいる、リトル先生の方に移ってしまっているので、ウィニコット的になってしまっているのかも知れません。






 あまりに早期に人生への嫌悪感に支配された人は、適応能力に欠けた生き物の印象を与える。フロイトの分類に当てはめると、生まれながらに生きる力が弱いために苦しんでいる人に似ているが、私たちの症例では、外傷が時期的に早いことから病的傾向に生得的であるかのような装いをとっているという点に違いがある。もちろん、そもそもの初めから虐待された子どもと新生児初めは熱心な情熱的な愛によって扱われ、その後に「捨てられた」子どもとの神経症症状の細かな違いを確認する課題はまだ果たされていない。 このように疾病群のための特別な治療法に伝わる、私だけ何か述べることができるかという問いがここで自ら生じる。別の機会に発表した分析技法の「柔軟性」の試みに従って、生の喜びが弱くなっているこうした症例では、治療過程で患者の行為能力への要求をますます緩めざるを得なくなった。ついには、患者をしばらくの間あたかも子どものように好きなようにさせなければならないとしか言いようのない状況が現れた。アンナ・フロイトが、子どもの分析に欠かせないと考える「前治療」と似ていなくもない状況を、このまま好きにさせることで、こうした患者に子ども時代の無責任さを楽しむことをそもそもはじめてゆるすことになるが、それは後の存在のために肯定的な生の衝動と動機を導き入れることを意味する。いつもは私たちの分析を特徴づけている欲求不満要請にはのちになってようやっと注意深く進むことができる。しかしながらこうした分析も他のすべての分析と同じで、どうしても引き起こされずにおれない抵抗の除去と、欲求不満に満ちた現実への適応として、望むらくは現実にそれが与えられたときに幸福を楽しむ能力が加わって終わらねばならない。