うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

事業者ガイドブックと、自動通報装置と、【たとえば、二人の「正常」な治療者(普通、治療者は正常なことになっています)が、あたかもその意味が共有されているかのように「現実」という場合、その内容ははたして同じでしょうか?】


 自分に荷物が届いたと、管理者さんから言われて、事務所に行ったら、事業者ガイドブックでした(笑)
請求などは、もう主任さんがやってくれているので、主任さんに直ぐに連絡しました。

 報酬編は、去年に比べて、大分分厚くなっています!
4月から大きな変更があったので、国保連さんも何度も請求ソフトの変更があり、主任さんが苦労されていました。

 事務所に入ったら、自動通報装置が設置されていました!なんか物々しいですね!




 本は、夜勤明けにファミマで、目覚ましのコーヒーを飲みながら読みました。


 夕方、親分が支援者は親代わりにならないといけないのか?なってはいけないのか?と直球の質問をしてきました(笑)
親と言っても、支援者は本当の親にはなれませんが、大文字の親が、本当の親としたら、支援者は何も問題がない時には、小文字の親でいいのでは?と思っていますし、何かがあった場合に、自分の造語ですが、中文字の親になって抱えさせて頂ければ良いのでは?と思って今までやらせて頂いてきましたが、それはそんなに間違っていない気もしています。みなさんはどうでしょうか?

 下記は、今読んでいる本で、親分の質問に近いような箇所に感じました。
親分との議論は、最後までは行きつきませんでしたが、ウィニコットが言うように、自分の真似をしてもだめだ!自分のやり方を見つけなさい!的な所に結局は行ってしまうのでしょうか?今まで乗り越えて来た苦労は、何かの折には無駄にはならない事の方が多かった気がしています。




3)転移
 精神力動的な考え方を学ぼうとする初心者の場合(フロイトもその意味では初心者です)、治療過程を『治療同盟』と『転移』とに大きく分けると、理解がすっきりします。たとえば、患者が、自由連想においては治療者を「あたかも母親であるかのように」とらえて母親転移を起こし、治療者が解釈を与えると、それを治療同盟のもとに「大人の耳」で聞く。まことにすっきりした説明ですからね私も入門書『サイコセラピー練習帳ーーグレーテルの宝捜し』ではその説明を用いました。しかし治療の実際はそれほど単純ではありません。たとえば、「治療者をあたかも母親であるかのように見る」とはどういうことでしょう。患者は治療者と母親を混同しているのでしょうか?そうなら患者は「神経症」ではなく「精神病」です。それとも、患者の対応のパターンが、当時の母親に対するそれと似ているということでしょうか?転移は「現実の歪曲」であるとよく言われますが、患者にとっての現実を、患者より治療者の方がよく理解しているとどうして言えるのでしょう?というより、そもそも現実とは何でしょう?たとえば、二人の「正常」な治療者(普通、治療者は正常なことになっています)が、あたかもその意味が共有されているかのように「現実」という場合、その内容ははたして同じでしょうか?特に、文化的な色彩が強い「自分らしさ」がテーマの場合はどうでしょう?また、観察、共有可能な現実と、患者より心の中の現実(心的現実)との関係はどうなっているのでしょう? 考えれば考えるほど、答えより疑問の方が多くなります。〜