うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の日中と、【第1に、実際起こったことーーつまり観察可能な出来事(“おかあさんがこれをした、あれをした”)に変換する何らかの方法がなくてはなりません。】





 今日は職員配置があり過ぎていて(笑)、帰りたい方がいましたが(笑)、現場に入って頂き、午後から自分が溜まっている事務仕事をさせて頂きました!
 池ノ原を散策してから、お薄を頂きましたが、皆さん本当に美味しそうに頂いていました。
お菓子や、お薄が出て来ると、きちんとお辞儀をしたり、皆さん慣れています。
 夏場は、寒天や羊羹のような和菓子が多く、少し敬遠気味(笑)でしたが、秋になってからは、練りキリ的な物になっているので、個人的にも楽しみです!

 お昼は、話し合いの結果、すき屋さんに行きました。
今日も3班に分かれていて、自分はいつも外出組です!
 お昼を皆さんと頂き、昨日持って帰った仕事を、午後から大体片付けました!





 本は早めに出て、ファミマで読みました。核心に迫った内容になっていましたが、下記の辺りをしっかり読み込んでいないと、理解が難しい(読んでいても自分には難しい.......。)かも知れません。

 人生物語を作る手助けをさせて頂く、と言うのは現場でも有効ですね。
例えば、失尿してしまった時に、支援者から叱られるのでは?と身構える方には、今まではそういう支援の中で生きて来られたかもしれませんが、ここにいれば、安心安全であるという、新たな物語を作ることが出来るようにするためにも、きちんとしたアセスメントが必要だし、親御さんの、その方に対する態度も、その手助けになる事が多いですね。いくら重度の方でも、意味理解が出来ていなくても、本当に周囲から愛されてこられた方々は、失尿しても、身構える事がないように思われます。









  〜これら2つの乳児の部分的合流は、次の3つの理由によって必須です。第1に、実際起こったことーーつまり観察可能な出来事(“おかあさんがこれをした、あれをした”)に変換する何らかの方法がなくてはなりません。被観察乳児と臨床乳児の双方が参加するのは、この交差点です。2つの見方は重なり合いはしませんが、ある地点で互いに接し合い、交流面を作り出します。この交流面抜きには、精神病理の起源は決して解明されないでしょう。第2に、被観察乳児についてよく知っている治療者ほど、より的を射た人生物語を患者が創る手助けをできる立場にあるでしょうし、第3に、臨床乳児についてよく知っている乳児観察者ほど、観察すべき新しい方向を思いつきやすいかもしれません。