透析医療をやめるということ。
最近のニュースで気になったのは、公立福生病院で行われたとされている透析中止です。わたし自身が透析患者なので、より切実な問題と感じます。
わたしは腹膜透析という自宅でする透析を行っていますが、毎月主治医の診察を受けるために病院の透析室に入ります。そのときに血液透析を受けている人たちを目にしますが、週3~4回、1回に4~5時間ベッドに拘束されているのは結構つらいものだろうなと思います。
治療を続けることで受ける苦痛から逃れたいという気持ちは誰でもあるはずです。そんなときに、「透析中止という選択もありますよ」といわれたら、「やめたい」と思うかもしれません。それが患者の本音でしょう。患者の意思は尊重されるべきです。しかし、「では、透析は中止しましょう」では、医師は医療者として最善を尽くしたといえるでしょうか。
かつては患者は医師にお任せで、治療法は医師が決めるものでした、しかし、いまは
どういう治療を受けるか、受けないかは患者自身が決められる時代になりました。それだけに患者自身の選択が大きな意味を持つようになったのです。
今回のニュースのように、血液透析を中止するあるいは血液透析を受けないという選択をすることによって死を選択したことになってしまったのです。
インフォームドコンセントという言葉はいまは常識で、どんな病気でも、医師は患者に病気の内容や治療方法をわかりやすく伝え、治療については患者の意思を尊重するのが当たり前になりました。それはとても良いことなのですが、実際、患者になってみると、患者が自分で決定することのはたいへんむずかしい。つくづく感じます。
わたしの場合でも、腹膜透析にするか血液透析にするか、がんとわかったときに抗がん剤治療を行うか、放射線治療を受けるか、あるいは治療せずに経過の道を選ぶか、選択を迫られました。
人よりは医療知識があると自負している私でも、自分で決断するとなると悩みます。どんなに丁寧に説明されたとしても、患者は医療のプロではないので判断はむずかしい。インフォームドコンセントだけでは足りないのです。
いま、注目されているのが、「シェアード・ディシジョン・メイキング」というものです。患者は医療者に自分が医療に求めるもの、自分が大事にしたいことを話し、医療者は医療のプロとして患者が求めるものに最も近いものを探し、いっしょに最善の選択は何かを考えるというものです。
いっしょにくり返しますが最善策を探すというのがポイントになります。
最善策は、いったいどんなものになるでしょうか。
今回の事件では、患者に選択が丸投げされていたのではないかと思います。医師は医療のプロとして、患者が判断を間違えないように、治療方法について丁寧に説明し、患者にとって何が最善かを考えたのかということが問われるのではないでしょうか。
薬について
痛みに関する講習を受ける。
内容は、目新しいものはないだろうと、思っていたが、個別の相談にのってもらえたのがうれしい。
痛み止めはたくさん出ている。
それだけ需要もあるはずだが、知らずに知らずに飲んでいると、副作用が怖い。
知らず知らずに飲んでいて、おなかに穴が開いてしまったこともあると聞くとぞっとする。
処方箋がなければ服用することができかなったのだが、医師の処方はあれば飲めるようになってきている。
それだけ慎重にしなければならない。
医師の処方がすべて正しい、とは限らないし。
医師が処方する薬のほうが多い。
個人の事情もある。
伴走のゼッケンの陰に
皇太子さまが昨年の夏、パラリンピック銀メダリストの伴走をしていたことがわかった。来年5月1日の新天皇即位まであと半年。「国民の中に入っていく皇室」を目指す新しい天皇像の一端が見えてきた。
6月26日夕。木々に囲まれた東京・赤坂御用地。
「走りやすいですか」。皇太子さまが隣のランナーに声をかけた。リオデジャネイロパラリンピックの視覚障害者女子マラソン銀メダリスト、道下美里さん(41)=三井住友海上=だ。
皇太子さまは「伴走」と書かれたビブス(ゼッケン)を身につけ、蛍光の黄色の伴走用ロープを右手でにぎり、左手にロープをつかむ道下さんに声をかけながら約1・5キロの道を走った。
■ロープ自ら用意
道下さんによると、皇太子さまは最初のでこぼこの道で「これは何とお伝えしたらいいのでしょうか」と戸惑いを見せていたが、数分走ると息が合い始めた。カーブの手前で「右に曲がっていきます」、足場の悪い道の手前で「でこぼこがあります」。1キロ7分のペースが6分のペースに変わり、リズムがよくなった。
皇太子さまは、伴走者の声のかけ方や道下さんの走りの特徴を動画サイトで調べたという。伴走用のロープは自身で用意。走る直前には専用のゴーグルをかけて御用地内を歩き、視覚障害者の感覚も体験した。
ジョギング後は右腕を道下さんにつかませてアテンド。「飲み物は何にされますか」と気遣いもみせた。
■園遊会きっかけ
2人が出会ったのは昨年11月の園遊会。道下さんが「機会があれば一緒に走りたいです」と伝えたところ、皇太子さま側から返答があり、伴走が実現した。
道下さんは山口県下関市出身。小学生の時に角膜の病気で視力が落ち、中学の時に右目の視力を無くした。25歳で左目もほぼ見えなくなった。最初はダイエットのためにはじめた陸上だが、頑張るほど結果がついてきて、のめり込んだ。昨年出した2時間56分14秒は視覚障害女子の部の世界記録だ。
2020年パラリンピック東京大会で「前回より良いメダルを取って、また園遊会で報告できるように頑張ります」と伝えた。
皇太子さまの思いについて、よく知る関係者は「初めての場所で走る体験を通し、道下さんの世界を広げるお手伝いがしたかったのではないか。ご自身も公務の場面だけではなく、より身近なふれ合いを通して国民への理解を深めたいとお考えになったのでしょう」と話した。(緒方雄大)
皇太子が、新しい天皇となるにあたり、新聞にもさざまな報道がなされています。
先日、伴走者のゼッケンを付けた皇太子が載っていましたが、実際にそういう活動をされているのです。
国民とともに走るという姿勢はこれからの皇室によって、良きイメージを与えることでしょう。
うまいものに出会った
今年の冬、いままで食べていたものはなんだかのか、という衝撃に襲われたものがある。
それはイチゴである。
イチゴは別に目新しい食べものではない。
スーパーなどでもよく見かける。
いままで購入していたものと、大きく異なり、甘さ、みずみずしさ、香りとすべてが違う。
思わず、もっと欲しいと手が出てしまう。
これらの違いがどこにあるのかを、思い知ったのは最近のこと。
同じ農場で育てられてイチゴをいただいた。
いただいた先は、知り合いの医師のお宅。
ちょっと前にもらったものだけど、渡されたのはものすごくおお大ぶりのもの。
わたしの家ではめったにお目にかかれない。
さっそくいただくと少し味が違う。
まず、味が回って古くなった印象だった。
市場から直接買い入れてもすぐに食べなければおいしさを味わえない。
とくに果物はそうだ。
食欲がないわりに食べるものにはうるさい。
新鮮なものがいちばん。
古来、地産地消といって、その地でとれたものがおいしい。
その土地ではぐくまれたものがおいしい。
■
先日、ある新聞記事に目が留まった。
タイトルに、
『痛みに涙、坂本龍一の治療 がんの究極の原因に気づいた』
とある。
いわゆるがんの闘病記のひとつかと思われたが、読んでいくとわたしとよく似ている。
彼はのどのがんである。2014年のとき、62歳。ステージはⅡとⅢの間。
それまで自分ががんになるとは思ってもみなかったという。
わたしも同様で、腎臓病で亡くなることは覚悟していたが、がんになると思っていなかった。
彼はあらゆる選択肢を検討し、そのときの標準治療に身を任せた。
わたしも、痛みがなければ、透析を受けていなければ、標準治療を選んだ。わたしの場合でいえば、抗がん剤治療となる。
原因不明の痛みに襲われ、かつ透析をしている患者でのデータが少なく、主治医も抗がん剤を勧めてこない。
「様子を見ましょう」
ということになるが、これはたいへん重要な言葉になる。
彼の場合、放射線治療を行うことになった。7週間の治療で口から喉全体に口内炎になり、唾をのむ、食べる、などすべてのことが苦痛を伴う。
治療が折り返しにさしかったとき、大泣きして、『やめさせてくれ』と訴えた。
そして、この間自分を苦しめているものは、いったい何者かを調べた。
その結果、がんは誰にでも起こる病気であり、生きている限り襲われる可能性がある。がんを受け入れるしかない。
ここまで非常によく似ている。
坂本氏は、津波ピアノに出会う。震災に会い、調律していないままのピアノを1昨年8年ぶりに作ったアルバムで使う。ピアノは狂ったといわれるけど、これは本来の姿ではないかと。
人間は愚かなもので、自分の意識がすべてを決定しているように、思っているけど、生命システムが動かしているのではないだろうか。意思はわずか5%ぐらいではないかと思っている。
人間に働きなどはほんのわずかなことにしか過ぎない。
これも同意。
健康という言葉は、独り歩きしやすい。
健康は病気ではないということだけを考えても深いのに、健康を簡単に考えていないだろうか。
病気になることは、別の世界を知ること。
これが大事。
エンディング医療のコスト
「最後の1カ月間の延命治療はやめませんか?」――。文芸誌「文学界」(1月号)に掲載された若手論客の対談が、ネットなどで波紋を広げました。財政危機の中で終末期医療にはお金がかかっている、との認識があったようですが、実際はどうなのでしょう。また、人生の最後を「コスト」で語ることを、どのように考えたらよいのでしょうか。(高橋健次郎)
■命が「従」に違和感/安易な回答求める風潮
「文学界」では「『平成』が終わり、『魔法元年』が始まる」と題し、メディアアーティストの落合陽一氏(31)と、社会学者で著書が「芥川賞」の候補にもなった古市憲寿氏(34)が対談した。
超高齢社会を話題にする中で、古市氏は「お金がかかっているのは終末期医療」としたうえで、「胃ろうを作ったり、ベッドでただ眠ったり、その1カ月は必要ないんじゃないですか、と。順番を追って説明すれば大したことない話のはず」と語った。落合氏は「終末期医療の延命治療を保険適用外にするだけで話が終わるような気もするんですけどね」と述べた。
こうしたやりとりに対し、ネット上では「人間を『数』か『コスト』としてしか見ていない」などの批判の声があった。落合氏はその後、「延命治療を保険適用外に」の発言などについて、「反省し撤回」を表明した。朝日新聞が両氏にコメントを求めたところ、落合氏側はスケジュールの過密を理由に回答は難しいと説明。古市氏からは、公表を前提にしたコメントはなかった。
「お金が『主』で、命が『従』という考え方ではないか。違和感があった」。相模原市のパートの女性(54)は、そんな気持ちで対談を読んだ。
夫(64)は5年前、進行性の若年性アルツハイマー型認知症と診断された。症状が進むと、体をうまく動かせず、人工的に栄養を送る「胃ろう」が選択肢になることもある。夫は健脚で、今でも週に数回10キロ走る。それでも、記憶障害があらわになってきた。「稀勢の里、引退するんだって」。ニュースを見るたび、繰り返す。「終末期」の意思を尋ねても、返答はない。
対談で古市氏は、胃ろうに触れている。女性は夫の意思を推察し、延命のために胃ろうを作ることはしないつもりだ。それでも、夫の親族の意向次第ではわからない。
女性は夫との「最後の1カ月」について、「どんな状態でも、『別れ』に向けた準備期間にしたい。夫と過ごしてきた時間を家族で共有し、ゴールに向かいたい。家族の新たなスタートのためにも」と話す。かつて、スキーで国体に出場した。息子が病気がちだった時、心配しても仕方がないとあまり気に掛けてはくれなかった――。夫の人柄や子育て時の不満も、3人の息子と語り合いたいという。
オウム真理教事件などの取材で知られるジャーナリストの江川紹子さんの父親は、入院先で誤嚥(ごえん)性肺炎になった。意識不明になり、入院から1カ月と10日で亡くなった。85歳。「『最後の1カ月』はあくまで結果。前もってはわからない」と話す。
江川さんは「終末期」と「お金」が結びつけられる背景には、「コスト」や「生産性」など経済活動に関わる言葉で物事を評価する見方が浸透していることがあると指摘。「安易で早い回答を求める風潮と、経済用語はなじみがよいのだろう。だが、それが、人の命にまで及ぶことに危機感がある。命の切り捨てにつながる」と語る。「自分が病気になったり、年を重ねたりすることに考えが及んでいない。想像力が貧困になっているのです」
■亡くなる1カ月前の医療費「全体の3%程度」
落合氏、古市氏が対談で語ったように、「終末期」の医療には、お金がかかっているのだろうか。
対談では繰り返し財政危機が説かれ、古市氏は「お金がかかっているのは終末期医療、特に最後の1カ月」と述べた。2013年1月には、麻生太郎財務相が「さっさと死ねるようにしてもらうとか、考えないといけない」「(自分の延命治療が)政府のお金でやってもらっているなんて思うと、ますます寝覚めが悪い」と発言した。
政府の社会保障国民会議で委員を務めた権丈善一・慶応大教授(社会保障・経済政策)は「エビデンス(証拠)に基づかない『ポピュリズム医療政策』の一環」と語る。「亡くなる1カ月前の医療費は、全体の3%程度だというエビデンスがあることは、この問題に関わる人は知っている。(元気で)急に亡くなる人も含まれるので、実際はもっと少ない。そもそも、『最後の1カ月』は予測がつかない」
終末期の医療については、「コスト」ではなく、「本人の意思」を尊重する方向性が明確になっている。病院での終末期の延命治療中止をめぐり、社会問題化したことなどを受け、厚生労働省が07年にまとめたガイドラインでは、本人の意思に基づくことを基本に、医療チームや家族も加わり治療方針を判断するとした。昨年3月に改定されたガイドラインでは、認知症や病気の進行で意思を確認できないこともあるため、前もって繰り返し話し合いを重ねることを推奨している。
この記事を読んだときに、同じような内容ものを取り上げたことを思い出した。
わたしは、アドバンスケアプランニングといったのだが、自分がどのような治療を受けたいのか、医師などに伝えておくことが重要だ。
しかし、これはあくまで個人が行うものであり、誰かが指導して行うものだろうかという不安はある。
とくに医療従事者が行うと、医療を前もって縮小させておくような印象がある。
行政担当者が行うこともに同じように抵抗はある。
自宅で死にたいと本を書いたときに、これと同じような質問が頭に浮かび、それに対する対応案を記しておいた。
こうした書類が必要になるのは、70歳を過ぎてから。また、何か病気を背負ったときなどだが、コストを語るべきものではなく、人生を生きるものして考えるものである。
何より重要なことは、本人に意志である.
最期をどのように迎えるか、それに対する意識の低さを高齢者に感じることがある。
漠然と、なんとくなく長生きできるのではないかと思っていないだろうか。
自戒を込めて。
放射線治療の内容
まず、放射線治療とはどういうものか、専門家の意見から。
「私は診療放射線技師ですが、診療放射線技師の仕事は幅広く、胸部X線撮影(レントゲン)から始まり、
手足の撮影など簡単なものから、CT、MRI、血管撮影(心カテ、脳など)
撮影部門があります。次に核医学部門があります。最近ではPETがいい例です。
しかし昔からある骨シンチや心筋シンチなども代表的な検査になります。
今まで2本の柱を紹介しましたが、3本目の柱が放射線治療になります。
私はかかれこれ20年近く放射線治療に携わって来ています。その中に相澤病院
での陽子線治療がありました。粒子線治療をやりたかったので、大変貴重な体験
を致しました。まして立ち上げからずっと主体でやらせてもらいましたので、
感謝しております。
実は諏訪日赤には1年間だけの契約で入職しております。
来年より別なところに行く事が決まっていまして、その準備期間として
諏訪日赤で働いております。そんな状況です。
また機会があればお話ししたいとも思います」(前島技師)
放射線治療のひとつは
検査。いわゆるレントゲン撮影するものから、骨のシンチグラフや心筋のシンチグラフ.。放射性物質を体内に入れて撮影するもの。
最近ではPETという動的な撮影もできるようになっています。主にがんの進行状態を調べます。
今回は治療ということでお伺いいたします。
わたしの例で述べますと、尿管がんが見つかり、すぐに切除手術を受けました。
3か月後の検診で、転移が三か所ほど見つかり、その中でいちばん大きいところに放射線治療を行いました。日曜日を除いて、ほぼ毎日一か月間放射線治療にうかがいました。
放射線治療がどのように効果を発揮しているのでしょうか。
時間がかかる理由は、効果の判定は。
関連する質問など。