2010-10-29
巻取り式グラビア輪転印刷機
1949年(昭和24年)ころから、海外でグラビア多色切手がボツボツ発行され始め、それから数年を経ずして、各国でグラビアの多色化が急激に進んできました。
このような世界的すう勢に刺激され、日本の印刷局でも1954年(昭和29年)3月にドイツからゲーベル社製の多色グラビア輪転印刷機を輸入しました。
最初に搬入、設置されたのは2ユニット(2色分)でしたが、同年10月にさらに2ユニット連結され、4色刷グラビア輪転印刷機が初めてわが国にも出現することになりました。
★異版式組合わせ切手製造用印刷機
現在の印刷切手にはグラビアが圧倒的に多く使用されています。
それはグラビアの持っている階調の豊富な再現という特質が切手印刷に向いているからです。
しかし他の版式にもそれぞれ持ち味があり、切手をさらに良くするために、それらの特徴をも活かしたものが考えられます。
そこで生まれたのが異版式組合わせ切手です。
たとえばグラビアに凹版を組合わせたり、ドライオフセットに凹版を組合わせて切手を印刷するのです。
最近海外でも、このような異版式を組合わせた切手の発行が目立ってきました。
異版式組合わせ切手は、異なる版式の印刷機械を用いて重ね刷りすることによっても製造することができますが、機種の異なる印刷機で刷り合わせよく印刷することは非常に困難であり、図案上にも多少の印刷ずれが生じても、見苦しくならないような配慮を必要とします。
1955年(昭和30年)代に、いくつかの組合わせ切手がありますが、図案上制約されたり、刷り合わせ誤差による不良品が出やすくなったりして、量産には向きませんでした。
そこで、日本の印刷局では、1つの印刷機で異なる版式が印刷できるコンビネーション印刷機の開発をおこなってきました。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-10-28
枚葉式平ら板グラビア印刷機
グラビア切手発足当時の印刷機は、用紙には枚葉紙を使用し、版面には板状の金属版を使用した、枚葉式平ら板グラビア印刷機でした。
当時のグラビア印刷機
版胴には0.6ミリの銅板にグラビア製版した版面を巻きつけ、両端を固定し、版面のないギャップ部分には円弧状の鉄板をはり、完全な円筒になるようにします。
圧胴には、版面位置に対応してゴムブランケットが巻かれていて、印刷中、紙をくわえる爪がついています。
グラビアインキは非常に流動性のよい、乾燥の速いものが用いられ、インキタンクに溜められています。
インキローラがインキタンクのインキに浸漬していて、回転しながら版面にインキをつけます。
版面の表面全体につけられたインキはドクター(鋼鉄の薄刃)によってかき落とされ、グラビア版面の凹部にだけインキを残します。
平ら板グラビア印刷機は、紙差板から1枚ずつ手で紙が圧胴の爪に与えられ、圧胴と版胴との接触で加圧され、印刷されます。
印刷された紙は紙取胴の爪にくわえ替えされ、約半回転したところで爪を開き、デリバリーテープの上に落とされます。
テープに載った紙はテープの移動によって紙受台まで運ばれ、人手で紙受台に揃えられます。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-10-27
その他の凹版輪転印刷機
凹版切手の製造には、その他の凹版輪転印刷機を用いる場合があります。
たとえばジオリ4P型凹版輪転印刷機、大型国産3P型凹版輪転印刷機の使用、あるいはドライオフセット・凹版輪転印刷機やグラビア凹版輪転印刷機の凹版印刷部の単独使用などです。
ジオリ4P機、大型国産3P機は、先述のジオリ2P機と機構的に大差がなく、版胴に、同一模様の版面が4枚取りつけられるもの、3枚取りつけられるものという相違があるだけです。
いずれもインキ装置を3組もっていて、3色ザンメル印刷まで可能です。
★ラビア切手製造用印刷機
日本で最初にグラビア切手が出現したのは、1936年(昭和11年)7月10日発行の「富士箱根国立公園」1銭5厘、3銭、6銭、10銭の4種です。
グラビア印刷は凹版印刷方式の一種ですが、写真的な技法で版を作製するため、濃淡の表現力が豊かで、あたかも絵画のように、表現できる印刷法であることから、諸外国では1925年(大正14年)ころから切手印刷に採用が始まっています。
日本の印刷局でも、これを採用するため、グラビア印刷機の設置を計画しましたが、最初のグラビア切手は民間の印刷会社に依託されました。
印刷局に最初にグラビア印刷機が設置されたのは1936年(昭和11年)12月です。
それ以降、1937年(昭和12年)用の年賀用切手(#N2)、同年6月「寄附金付愛国切手」3種を始め、各国立公園切手につぎつぎと傑作を生みました。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-10-26
ジオリ凹版輪転印刷機
この印刷機は銀行券製造量が急激に増加した昭和30年代後半に、凹版速刷機に代って登場したものです。
それまでの銀行券の凹版印刷は、速刷機を主体として小型凹版輪転印刷機が用いられていましたが、銀行券の需要の伸びは予想をはるかに上回り、新たに高速大型の凹版輪転印刷機の導入を図らなければならなくなりました。
そのため、当時くジオリ機構〉という銀行券用印刷機の開発、販売をおこなう組織が開発したばかりのジオリ凹版輪転印刷機を輸入することが決定され、1961年(昭和36年)から65年(昭和40年)にかけて、つぎつぎに印刷局の各工場に設置されました。
最初に設置されたのは、版胴円周面に沿って同一模様の版面を2版取りつける構造の、いわゆる2P型でしたが、その後はさらに能率のよい4P型となりました。
4P型はほとんど銀行券専門に使用され、凹版切手製造にはもっぱら2P型が使用されています。
ここではジオリ2P型凹版輪転印刷機について説明します。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-10-25
着けローラ
着けローラの直径は版胴のちょうど6分の1になっていて、版胴1回転に対して6回転します。
そして着けローラの円周は版面の有効長さになっています。
したがって、版胴に巻きつけられている同一模様の3つの版に対して、まったく同じパターンにインキをつけることができます。
このようにして、1つの版に3色のインキが配色された版面は、ワイピングローラと接触して、余剰インキは、一度に拭き去られます。
紙でこすって拭き取る方式と違って、ローラワイピング方式では、各パターンに配色されたインキをあまり混合させることなく、瞬間的にしかも局所的に拭き取ることができます。
したがって、この版面と1回の接触が印刷された印刷物は、つねに同一の配色をもったザンメル印刷物となります。
こうして得られた印刷物は重ね刷りで得られた多色印刷物とはまったく異なったものとなります。
重ね刷りで得られる多色印刷は、色毎に異なる版面を用いるために、いかに刷り合わせがよくても、一本の画線が途中から色が変わるという芸当はできません。
したがって、ザンメル印刷は普通の印刷機ではまねることが不可能なので、偽造が困難となるため、多くの国で、紙幣や有価証券類の印刷に用いています。
本機の印刷最大寸法は40×46センチで、印刷速度は毎分65枚程度です。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-10-22
ザンメル
「ザンメル」とは、ドイツ語で「集合」という意味を表わします。
何が集合しているかというと、1つの版面に異なる色が集合しているのです。
そしてワィピングローラによって凹版画線のなかにだけ残されたインキは紙と1回接触するだけで多色の印刷ができることになるのです。
このような印刷のしかたをザンメル印刷といいます。
異なった色のインキを2色用いる場合を2色ザンメルといい、3色用いる場合を3色ザンメルといいます。
小型凹版輪転印刷機は3組の着肉装置を持っていますので、3色ザンメル印刷まで可能です。
この機械でザンメル印刷するには、まず3組の着肉装置の着けローラを部分的にくり抜いて、版面の必要部分にのみインキがつくようにします。
各色必要個所にだけインキをつけるようにくり抜かれたローラが3本用意されます。
この着けローラのことをパターンローラともいいます。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-10-21
本機の印刷部
本機の印刷部は、さきの旧型凹版輪転機とは大きく異なり、凹版印刷に必要な強い印刷圧力が加えられるように設計されています。
版胴と圧胴は直径が大きく、同一模様が製版された凹版版面が版胴の円周に沿って3版取りつけられ、圧胴も同様に円周に沿って3分の1に分割して胴1回転で3枚の印刷ができる3P型です。
また着肉装置は3組持っていて、3枚の同一版面すべてに3色のインキをつけることができます。
版面上の余剰インキの拭き取りは、これまでの印刷機が紙とか布でおこなっていたのとは異なり、版胴の回転のつれ回り方向とは逆方向に回転する逆転ローラを使用しています。
このローラのことをワイピングローラといいます。
またこの方式で拭き取るようになっている機械をローラワイピング方式の印刷機といいます。
このワィピングローラは版胴と強く接触しているので、版面上の余剰インキは、1回の接触でたちどころに拭き取られます。
ワイピングローラは下部の方が溶剤タンクに浸漬されており、拭き取ったインキが付着しているワイピングローラの表面をブラシ等できれいに洗浄します。
つぎの版面に対しては、再びきれいになったワイピングローラの表面が接触します。
ここで凹版ザンメル印刷とは何か、またこの印刷機でなぜザンメル印刷ができるのかについて説明しましょう。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-10-20
小型凹版輪転印刷機(国産)
戦後の混乱期もようやくおさまり、1950年(昭和25年)ころから切手の多色化が世界的におこなわれるようになりました。
日本でもグラビアの多色化につづいて凹版の多色化を図るために、1版多色刷りのできる輪転印刷機の設置が要望されることとなりました。
印刷局では、すでに高額銀行券用の凹版多色印刷ができるように速刷機を改良した多色印刷用速刷機の開発が完了していたので、これらの貴重な経験を生かし、凹版多色輪転印刷機iの試作研究が1956年く昭和31年)ころからおこなわれました。
そしてついに1957年(昭和32年)12月に小型凹版ザンメル輪転印刷機の第1号機が完成しました。
用紙は給紙装置(ストリームフィーダ)から1枚ずつ給紙板上に流れ、紙の前と横位置をきめるゲージによって位置ぎめされ、渡し胴を経て圧胴の爪にくわえられます。
圧胴と接触しているので、圧胴にくわえられた紙は圧胴と版胴と版胴間で圧力が加えられ、印刷された紙は紙送り胴を経て、2段組の送紙ボルトに載って紙受台に運ばれます。
図は初期の構造のもので、ベルトで運ばれた紙は人手で受けて紙受台におくようになっていますが、その後、排紙装置はチェーンで運ばれて自動的に排紙台に落下させるよう改良されています。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-10-19
8面掛けのと6面掛けの2種類
着肉装置はインキみぞ、インキ出し調節板、インキつけローラからなり、インキつけローラはラシャ布等でできていて、インキを版面の凹部深くつめ込むようになっています。
また拭き取り装置には2本の布または紙の巻き取りが取りつけられ、拭き取り部分を4ケ所に設け、それぞれ荒ら拭き、中拭き、仕上げ拭きをおこなっています。
この輪転印刷機には8面掛けのと6面掛けの2種類があって、つぎのような仕様になっています。
、このころの凹版切手は主として速刷機に頼っていたので、本機での切手製造は戦後になってからでした。
最初の製品となったのは、1951年(昭和26年)3月23目発行の文化人シリーズ、「内村鑑三」8円(#C181)でした。
版面は1台に6版取りつけ、1版にシート4面分が機械の幅方向に製版されたものでした。
その後「樋ロ一葉(#C182)」、「森鴎外(#C183)」、「菱田春草(#C185)」などがこの機械で印刷されました。
給紙板から差された紙は前と横のゲージで位置ぎめされ、紙渡し胴の爪にくわえられ、さらに圧胴の爪にくわえられます。
圧胴は版胴と接触しているので圧胴にくわえられた紙は、圧胴の回転につれて圧胴と版胴問で圧力が加わり、印刷されます。
印刷された紙は紙送り胴を経て紙送り紐によって紙受台に運ばれます。
一方、インキは着肉装置によって、版胴に取りつけられた版面に一様につけられ、拭き取り装置によって余剰インキを拭き取ります。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-10-18
本機の構造の概略
給紙板から差された紙は前と横のゲージで位置ぎめされ、紙渡し胴の爪にくわえられ、さらに圧胴の爪にくわえられます。
圧胴は版胴と接触しているので圧胴にくわえられた紙は、圧胴の回転につれて圧胴と版胴問で圧力が加わり、印刷されます。
印刷された紙は紙送り胴を経て紙送り紐によって紙受台に運ばれます。
一方、インキは着肉装.置によって、版胴に取りつけられた版面に一様につけられ、拭き取り装置によって余剰インキを拭き取ります。
着肉装置はインキみぞ、インキ出し調節板、インキつけローラからなり、インキつけローラはラシャ布等でできていて、インキを版面の凹部深くつめ込むようになっています。
また拭き取り装置には2本の布または紙の巻き取りが取りつけられ、拭き取り部分を4ケ所に設け、それぞれ荒ら拭き、中拭き、仕上げ拭きをおこなっています。
この輪転印刷機には8面掛けのと6面掛けの2種類があって、つぎのような仕様になっています。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-10-15
旧型凹版輪転印刷機(国産)
旧型凹版輪転印刷機は凹版速刷機が円圧式加圧方式であるのに対し、輪転加、圧方式である点で大きな特徴を有しています。
この印刷機は1933年(昭和8年)11月に目本の印刷局で試作されたものですが、試作された動機はつぎのような事情があったからです。
大正の中ごろ、わが国が国債をアメリカで売り出すために、アメリカの株式取引場に照会したところ、アメリカの有価証券の規格に合格しませんでした。
というのは、その規格では凹版印刷でなければならなかったからです。
この規格に合わせるためには、従来の速刷機よりはるかに大型の輪転印刷機で印刷する必要が生じたわけです。
このような大型の凹版輪転印刷機は、世界でもまだ試作段階であり、どうしても国産で制作しなければなりませんでした。
当時の印刷局の工作課の人たちが鋭知をしぼって、昭和8年にようやく完成しました。
その後、本機は公債証券や銀行券など、大量かつ要急製造にもっぱら使用されるようになりました。
本機が切手製造に使われたのは戦後の一時期だけでした。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-10-14
着肉装置
着肉装置はインキつぼ、インキ出し調節板、インキ出しローラおよびインキ着けローラからなり、インキ着けローラはゴム布またはラシャ布を輪形に切り抜いて心棒に通して締めつけ、外周を研磨仕上げしたもので、弾力があるのでインキを版面の画線の凹部深く押し込むことができます。
インキ拭き取り装置は鉄のフレームの底部に皮のカバーをかぶせ、表面に長巻きのしわ紙を通して、版面と接触させながら移動させ、版面上の余剰インキを拭き取ります。
このフレーム偏心軸によって前後左右に摺動し、インキを画線内に押し込みながら非画線部のインキを効果的に拭き取る作用をさせています。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-10-13
凹版速刷機
凹版速刷機は1902年(明治35年)2月27日に、紙幣印刷用として初めて日本の印刷局に設置されました。
この機械は従来使用されていた手刷り凹版印刷機よりもはるかに能率の高い、自動化されたものでした。
凹版版面として平面版を用い、これを円筒形の圧胴で加圧する円圧式印刷機に分類される機械です。
着肉やインキの拭き取りは、自動的におこなわれます。
この機械はアメリカのアール・ホー社やミーレ社で最初に製作されました。
わが国ではこれを凹版速刷機と呼んでいます。
従来の手刷り機にくらべ、印刷速度が飛躍的に向上したことから、「速刷機」と名づけられたものです。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-10-12
凹版切手製造用印刷機
日本で最初に凹版切手が登場したのは1896年(明治29年)8月1日発行の「目清戦勝記念」の2銭2種、5銭2種の切手であり、普通切手として凹版印刷が最初に用いられたのは、1908年(明治41年)2月20日発行の5円と10円という、当時の最高額面の切手でした。
前者の記念切手は凹版手刷印刷機でしたが、後者の普通切手からは凹版速刷機が用いられました。
凹版速刷機は敗戦後も長い間使用されています。
そのほかに凹版切手の印刷に用いられた印刷機には、旧型凹版輪転印刷機(国産)、小型凹版輪転印刷機(国産)、ジオリ凹版輪転印刷機、大型凹版輪転印刷機(国産)などがあります。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-10-08
試作切手製造に使用した印刷機
試作切手の製造に使用した印刷機は、ローランド4色オフセット輪転印刷機です。
この機械の構造の概略は2色印刷が可能な印刷ユニットを2組もっています。
1つの印刷ユニットは版胴2本、ゴムブランケット胴2本、圧胴1本の合計5本の胴から構成され、各胴は同一の直径になっています。
これらの胴が圧胴を中心にそれぞれゴム胴と版胴がV字型に配列されています。
給紙部に積まれた用紙はマベク式のストリームフィーダによって1枚ずつ繰り出され、給紙板を流れて、位置ぎめされ、スイング式の紙渡し仕組によって印刷第1ユニットの圧胴にくわえられます。
圧胴にくわえられた紙は、圧胴の回転によって1番目のゴム胴に接触し、1色目が印刷され、つづいて2番目のゴム胴に接触して2色目が印刷されます。
色印刷された紙は、チェーンに連動する爪にくわえ替えられ、によって印刷第2ユニットに運ばれます。
ここで同様に3色目と4色目が印刷され、再び別のチェーンによって排紙部に運ばれます。
一方インキ装置と湿し装置は各版胴に対して1組ずつ取りつけられ、各インキっぼに必要な色のインキが供給されます。
この機械に付属している給紙装置マベク式ストームフィーダは、ハリス型オフセット機のユニバーサルフィーダと異なり、紙の分離や前進させる噴出口は後部についていて、前に送った紙の下にもぐらせたまま前進させるようになっています。
したがって給紙板を流れる紙は少しずつずれて、重なったままの状態になっています。
そのため、印刷は高速でも、給紙板上を流れる用紙の速度はゆっくりでよく、それだけ圧胴にくわえられる前の位置ぎめを正確におこなうことができるという利点があります。
また給紙装置の紙積台の上の紙が全部送られて、新しい紙を補給するとき、機械を止めずにおこなうことができるようになっています。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-10-07
今一番手に入れたい切手
私が今一番コレクトしたい切手は、世界で始めて印刷・使用された切手ペニーブラックです。
ペニーブラックは、イギリスの切手で、今と同じように郵便用の切手として印刷されました。
使用方法が同じなのは、切手は考案された最初から、
郵便代を前納してもらうために作られたものだからです。
1800年代から170年も使用方法が変わらない切手、やっぱり歴史があり私はその普遍性に一抹の興奮を隠し切れません。
そんな最初の切手、ペニーブラックですが、この名前は通称です。
なぜこう呼ばれ始めたかというと、まず金額が1ペニーだったのと、
印字がブラックだったからです。(当時はブラックしか印字できなかったわけではなく、ブルーで印字されたものもあります。)
図柄もデザイン性に優れ、採用されたデザインは、世界史で必ず勉強するヴィクトリア朝でお馴染みのヴィクトリア女王の横顔です。
イギリスの国家元首にもなり、植民地だったインドの初代女帝としても知られ世界的に有名なヴィクトリア女王をデザインに採用したことも今日の記念切手のルーツなのではないかと思っています。
デザイン自体はヴィクトリア女王のメダルを基にしたと言われていますので、このデザインは意外と目にする機会が多いです。街中の時計屋さんや、骨董品屋でもアクセサリーのデザインで似たものを見つけたことがあります。
だからこそ、忘れていても目にしたときに欲しくなってしまうのです。
またやはりコレクターとして、その稀少度にも注目しています。
印刷されたのは1840年でバースのパーキンス・ベーコン社で印刷されました。
このパーキンス・ベーコン社は1861年に、政府からの許可なしに不正コピーをしたとして切手を印刷する契約を失ってしまいましたので、同じものは二度と作れません。
また、今みたいにミシン目はなく注文されるたびに販売員が丁寧にハサミで切っており、各切手には番号が振ってあり、番号どおりに並べると一枚のシートに戻る、いわゆるパズルのようなものでした。
実はこのパズルという点が非常にレア度が高く、どのペニーブッラクも、そのシートの中で一枚しかないのです。
更に、発行数は比較的レアな割りに約6,000万枚と多く発行されていますが、様々な模造品もあり、購入の際は気をつけなくてはなりません。
贋作が横行している背景には、1から11までの12版があり、各2種類あるので24種類もあるからです。
切手コレクターにとってはやはりかなり貴重なものなので、
市場相場もとても高額です。
また知名度も高いため、私のように細々と集めている人間には、
手の届かない金額です。
前に、あるオークションで使用済みのペニーブラックが50ドルで販売されていたので、
悩んだのですが、鑑定書もなかったので、悩んだ挙句やめておきました。
これから先、出会うことがあるか分かりませんが、
出会ったらまた悩んでしまうことでしょう。
とにもかくにも切手の大いなる一歩を踏み出したペニーブラックを、
喉から手が出るほど欲しいのです。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-10-06
私、大木一雄と切手の思ひ出でございます。
私が切手と初めて出会ったのは「もはや戦後ではない」なんて言われていた時代より10年ほど後の1960代頃だったように記憶しています。
当時の大木家は、引越をしたばかりでその挨拶やら手続きやらで忙しく日々を過ごしておったのですが、そんなある日、1通の手紙が届きました。
それは母方の祖母からで、「一雄ちゃん、引越で慣れない生活が始まるけれど、体調に気をつけて頑張るんだよ。一雄ちゃんは体は弱いけど芯の強い子だから無理しすぎないよう気をつけてね。」と書いてありました。
確かに、当時の私は本当に体が弱く風邪でもないのに発熱したりしていました。そんな私を気遣ってくれる祖母からの手紙がとても嬉しく、その手紙を大切なお守りにしていました。
辛く苦しいときにはその手紙を読み、元気をもらっていたのですが、何度も読み返していると、文面は暗記してしまうものです。ふと表を見た時に切手に目が止まりました。
それには剣道の構えに空と海が書かれた沖縄の記念切手でした。
今でこそ価値がわかりますが、当時の沖縄はアメリカの統治下にあり、その切手は滅多に手に入るものではなかったと思います。
それをわざわざ、私の健康を祈るためか、とてもかっこいい切手を付けてくれていたのでした。
私はその剣道の構えに空と海が書かれた切手をとても気に入り、今でもコレクションの一つとして大切に保管しています。
私の大切なコレクションの第一号であり、私大木一雄の切手を愛好するルーツの話でした。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-10-01
ローランドオフセット印刷機
平版切手は、緊急時代を過ぎた1947年(昭和22年)頃から姿を消し、再び平版単独の切手として場することはありませんでした。
切手として登場してきたのは、従来の平版、すなわち湿し装置を用いたウエットオフセット方式ではなく、版面に凸版を用いてオフセット印刷機で印刷したドライオフセット切手としてでした。
これもドライオフセット単独の切手ではなく、他の版式と組合わせて印刷をおこなったものです。
これについては後で述べることにします。
平版切手は偽造されやすいということで、長い間とだえていますが、最近のように印刷機の精度が向上し、網どりに用いるスクリーンにこまかいものが使用できるようになると、もう一度平版切手を見直してよい時期にきているのではないかと思います。
そこで印刷局ではマイクロスクリーンを用いて製版した平版切手をいくつか試作しています。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-09-30
平版印刷
紙の分離には空気の噴出を利用し、持ち上げには真空の吸口を利用しています。
また給紙板上の用紙の移動はテープとコロによっておこなっています。
この種の印刷機で印刷された平版切手は、大正末期の記念切手に用いられましたが、平版は元来偽造されやすい版式であるために、これが切手に用いられたのは関東大震災直後とか、戦時中あるいは敗戦直後のような緊急処置の場合が多かったようです。
1945年(昭和20年)7月以降、民間印刷工場に製造を依頼していた切手は、第3次昭和切手と呼ばれていますが、当時は従来の凸版印刷から平版印刷に切り替えられ、無目打ち、のりなしのものでした。
この状態は1947年(昭和22年)頃まで続きましたが、印刷局の郵券(切手)工場が復旧されるにしたがい、しだいに平版切手は姿を消していきました。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-09-29
切手印刷技術論その7(by大木一雄)
平版を用いる印刷機には湿し装置がついていて、まず版面に水を与え、その後にインキをつける構造になっています。
平版版面が巻きつけられた版胴は下にあるゴムブランケットを巻きつけたブランケット胴と接触して回転しており、版面の画線部にだけついているインキを一旦ゴムの表面に移します。
ブランケット胴の横に圧胴が接していて、紙差板から紙が差されると紙は圧胴の爪にくわえられ、回転にっれて、ブランケット胴のゴム表面につけられたインキを紙に移します。
印刷された紙は紙取胴の爪にくわえられ、さらにテープに移されて紙受台に積みあげられます。
この印刷機には、ユニバーサル型と呼ばれ自動給紙機る自動給紙装置が付属していて、紙を手Z50図5-5ハリス型オフセット印刷機で差す必要がないため、手差し式の印刷機にくらべ高能率でした。
ユニバーサル型自動給紙装置の構13印刷機とその技術造は、紙を1枚1枚分離する機構、分離された1番上の紙を持ち上げ、前方へずらす機構、ずらされた紙を印刷部まで運ぶ機構からできています。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-09-28
平版切手製造用印刷機
日本で最初に平版切手が登場したのは、1921年(大正10年)9月3日発行の「皇太子殿下御帰朝記念」1銭5厘、3銭、4銭、10銭の4種です。
この頃、印刷局にはハリス型四六半裁のオフセット印刷機が2台、四六全判の印刷機が2台ありました。
記念切手の印刷には半裁判のオフセット印刷機が使用されました。
イ)ハリス型オフセット印刷機この印刷機の機構は、〔図5-5〕に示すとおり、印刷部は版胴、ブランケット胴、圧胴の3胴をL字形に配置したものからなり、版胴に金属平版が巻きつけられ、版面には湿し装置で水が与えられ、つぎに上部のインキ装置で着肉されます。
平版の版面は油を受けつける画線部と油を受けつけない非画線部との化学性質を異にする2つの部分からできており、前者は水分を反発して印刷インキを受けつけ、後者は水分を受けつけ印刷インキを反発します。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-09-27
切手印刷技術論その6(by大木一雄)
ゲーベル凸版輪転機の切手には印刷前に裏のりが施されていて、シート同士がくっつくおそれがあるため、印刷後排紙されるシートの間にシートと同寸法のグラシン紙を1枚ずつ挿入していました。
従来、この間紙は手でいれていましたが、1954年(昭和29年)7月に機械で自動的に入れる装置を取りつけました。
この装置は、印刷機の下部に巻取グラシン紙をセットし、印刷、目打ちの終わった製品と2枚重ね合わせて本機の断裁部に送り込むもので、グラシン紙は製品と一緒にスリッターおよびクロスカッターによって仕上寸法に断裁され、紙受台に積重ねられるようになりました。
この装置によって、能率は著しく向上しました。
この頃が戦後の凸版切手の一番盛んなときで、その後凸版による普通切手はしだいに減少してきました。
当時一番発行量の多かった10円法隆寺壁画(#293)が凸版2色切手として生き残り、その他はグラビアに移行されていきました。
10円切手も1961年(昭和36年)4月に図案改正がおこなわれ、凸版切手はすべて姿を消すこととなりました。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-09-20
復旧後のゲーベル凸版輪転機
復旧後のゲーベル凸版輪転機で印刷された凸版切手の第1号は1947年(昭和22年)2月発行の「日本郵便」左書き30銭法隆寺でした。
ゲーベル凸版輪転機による戦後最初の2色凸版切手は48年11月20日発行の、<産業図案シリーズ>2円農婦(#267)でした。
しかしこの切手は同系色の2色刷りであつたため、2色刷の効果は、あまりよくでていません。
そのためこの切手は一般には単色刷と誤解されているようです。
2色刷りの効果がでた切手の最初のものは、1951年(昭和26年)12月25日発行の5円尾長鶏(#291)(濃緑と黄榿)でした。
この頃から、新しい普通切手シリーズの生産が軌道にのり、ゲーベル凸版輪転機による切手製造量が増大してきたため、生産性を高める改良がおこなわれました。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-09-15
切手印刷技術論その5(by大木一雄)
ゲーベル印刷機の目打ち装置は、切手100面のシートを一操作で目打ちをおこなう非常に大型の全型目打ち機です。
連続して流れてくる印刷された長巻紙に、紙の流れ速度に同一の速度で前進しながら一度に目打ちし、終わればただちに装置はもとの位置まで後退し、つぎの目打ち動作にはいるという大がかりな装置です。
このような巨大な装置の調整は非常に熟練を必要とし、印刷機の能率を支配する大きな要因となります。
番号器が凸版印刷部の圧胴の回転と連動していて、各シートの耳端部に4桁数字の番号を印刷し、重量単位で扱われていた巻取紙は、ここでシートの枚数単位で管理されることになります。
このように、印刷されたシートを枚数単位で管理することは、切手のような金券印刷物では、事故防止を図るうえで大変重要なことです。
1シート分ごとに番号印刷された長巻紙は、スリッターで、横方向の断裁がおこなわれ、クロス・カッターで流れ方向の切離しがおこなわれて、シート状となって製品受箱につぎつぎに重ねられます。
この印刷機は印刷、目打ち、断裁という3工程をすべておこなう便利な機械でありながら、作業者は小人数ですみ、しかも印刷物も高級な2回転印刷機に劣らぬできばえであったため、わが国の切手印刷には重要な役割を果たしました。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-09-14
ゲーベル印刷機
ゲーベル印刷機は、ドイツのゲーベル社から輸入された、凸版2色輪転機です。
この機械は1号機が1924年(大正13年)8月29日に受けいれられました。
用紙として巻取紙を使用し、目打ち装置も付随されていましたので、切手印刷専用機としては、当時まさに画期的な機械であったといえます。
機械の構造はのように、すでに裏のりが施された幅250ミリの巻取紙を機械の右端下方に取りつけるようになっています。
この巻取紙は一連のローラ群を通過して巻きぐせが除去され、表面についている塵などをブラシで取り除き、上にあがって印刷部に送り込まれます。
第1色印刷部と第2色印刷部を経る間に2色の凸版印刷がなされます。
印刷部は版胴、圧胴、インキ装置からなり、版胴には厚さ4.9ミリで2×5の10面判の版面が22個取りつけられます。
1列目と11列目の印面を省略して、20個の版面を取りつけると、切手の印刷工程シートを2シート分取りつけることができます。
印刷速度は毎分60シートですので、1台でじつに年間5億枚もの切手の製造が可能でした。
2色の凸版印刷を終えた長巻紙は目打ち部にはいります。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-09-13
回転印刷機
回転印刷機はに示すように、平らな版と円筒形の圧胴が相接していることは、停止円筒印刷機と同じですが、印刷機とその技術紙差台と圧胴がギヤとラックで連結されていない点で異なります。
すなわち、版盤の下のラックフレームには、上下に相対するラックがあり、そのなかにあるベッドギヤがまず上側ラックとからみ合って回転し、版盤を左から右に移動させます。
その際に圧胴は少し下って、その下を通過する版面と接触して印刷がおこなわれ、つぎにベッドギヤが下側ラックとかみ合って回転すると、版盤は戻りの行程となります。
そのとき圧胴は回転しながら上昇して版面とはなれます。
このような版盤の往復運動を、マングル運動といっています。
インキ装置は紙受台の下部にあり、平盤式とローラ式とが併用されています。
紙は紙差台から差され、圧胴の爪にくわえられ、この回転とともに印刷され、反対側にある紙受台に出されます。
この印刷機では、印刷圧力が強く、版盤の移動が等速運動であり、インキが練盤でよく延ばされるので印刷物が鮮明で、ベタ模様がよくつぶれて高級凸版印刷に適しており、印刷速度も、手差し式の場合、停止円筒印刷機より3割ぐらいアップが可能であったため、昭和の初めから敗戦直後の1947年(昭和22年)ころまで、さかんに切手印刷に使用されました。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-09-10
インキ装置
インキ装置は版盤の上部にあって、インキみぞから出されたインキはよく練られ、2本の着肉ローラによって版盤の往復時に版面に着肉(インキを着けること)するようになっています。
この印刷機は、明治から大正にかけて、切手印刷にさかんに使用されましたが、昭和にはいってからは、2回転印刷機の方がよく用いられるようになりました。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-09-09
テルノー型
高台式停止円筒型凸版印刷機(テルノー型)は、平らな版と円筒形の圧胴が相接しており、版面を取りつけた版盤はクランク運動機構によって往復運動されています。
すなわち、クランク軸が回転するとクランク運動によって連結棒が動きます。
2の先端は版盤駆動ギヤの中心3につながっていて、そのギヤを移動させます。
このギヤは、その下にあるラックとかみ合って回転しながら、左右の往復運動をおこないます。
版盤の両端の死点で回転方向が逆になります。
一方、版盤駆動ギヤは、上部で版盤下面にあるラックともかみ合っているので、このギヤの回転によって版盤は往復運動されます。
版盤には上面にもラックがあり、これが圧胴の側面についているギヤとかみ合っています。
版盤の往の行程では圧胴のギヤとかみ合いますが、復の行程ではかみ合いがはずれて、圧胴は回転を停止するようになっています。
この印刷機で切手を印刷するには、枚葉紙を紙差台にのせ、圧胴のくわえ爪に1枚ずつ紙を差し、用紙をくわえた圧胴が版盤に取りつけられた版面と接触しながら加圧されて印刷されます。
印刷された紙は捲糸によって運ばれ、あおり木によって紙受台にあおり出されます。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-09-08
切手製造用印刷機
みなさんの持っている切手がどのような印刷機で印刷したものであるか、それらの印刷機について具体的に説明したいと思います。
1946年以降に発行された切手には、凸版切手、平版切手、凹版切手、グラビ』ア切手・グラビァ+凹版切手・ドライオフセット+凹版切手などがあります。
これらの切手はどのような印刷機で印刷されたのでしょうか。
版式別に年代を追って順次説明しましょう。
凸版切手製造用印刷機初期における切手は凸版と凹版だけで、そのなかでも凸版印刷は、第2次世界大戦終結後まで、切手印刷の主流を占めていました。
初期の頃の凸版切手に主として用いられたのは、ドイツから輸入された停止円筒型凸版印刷機で、その後2回転印刷機やゲーベル印刷機が使用されるようになりました。
(大木一雄=切手愛好家)
2010-09-07
凹版輪転印刷機
多色グラビア輪転印刷機はユニット型であり、多色凹版輪転印刷機は集中型になっています。
つぎに用紙の片面にのみ印刷する片面印刷機と、用紙の両面に同時に印刷する両面印刷機があります。
切手などは片面にのみ印刷すればよいので、片面印刷機が用いられます。
さらに、版面を版胴に一版のみ取りつける1版掛け印刷機と、2版以上取りつける多版掛け印刷機があります。
凹版輪転印刷機では、版胴のまわりにインキ拭き取り装置などを設置する関係上、どうしても直径の太い版胴を用いるので、1本の版胴に同一の版面を2版以上取りつけるようになっています。
2版取りつけるようになっているものを2P型、3版取りつけるようになっているものを3P型、4版取りつけるようになっているものを4P型、といっています。
これらは版胴が1回転すると、それぞれ枚葉紙が2枚、3枚、4枚印刷されることになります。
その他、印刷機の名称には、用いる紙の大きさを表わすために、四六全判とかB半裁判などを付すこともあり、また印刷機のメーカー名を付してローランドオフセット印刷機とか、ジリオ凹版輪転印刷機などと呼ぶこともあります。
(大木一雄=切手愛好家)