Hatena::ブログ(Diary)

北沢かえるの働けば自由になる日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2015-07-31 けだものだらけ、ばけものだらけ

今日の今日まで勘違いしていた映画『バケモノの子』

| 今日の今日まで勘違いしていた映画『バケモノの子』を含むブックマーク

娘がね、言っていた。

「これは、きっと、『サマーウォーズ』プラス『おおかみこども』だよねwww」

バケモノの子」、全然違いましたw


予告を見てもらうとわかりやすいが。

http://www.bakemono-no-ko.jp/index.html

母親が死んでひとりぼっちになった男の子が、渋谷の街をうろついているときに、ある男に声をかけられる。

「お前、オレといっしょに来るか?」

男は、渋谷の横町からつながる異世界「渋天街」から来たバケモノ・熊徹(くまてつ)だった。

熊徹は、渋天街一の腕自慢。渋天街をおさめる宗師(そうし)の次期候補として、その力ゆえに注目はされていたが、人望がない。近々引退する予定の現宗師から、熊徹は「弟子をとらなければ、宗師候補には選ばない」と言われて、仕方なく人間界まで行って、弟子を探していたのだ。

熊徹にスカウトされ、9歳だからという理由で「九太(きゅうた)」と名付けられた男の子は、すぐに逃げ出す。しかし、熊徹と同じく宗師候補と目される猪王山(いおうざん)と熊徹の対決を見て、熊徹の強さを知った九太は、弟子入りを志願する。

「あんたといたら、強くなれるか?」

そうやって修行を積むうちに、九太と熊徹には、強いきずなが生まれるのだが……って書くと、師弟を装った父子ものみたいな話に思えるが、そうではないのが、この物語の面白いところだった。

わかりにくいから、父子ものの枠にはめて、宣伝しているけれど、違うと思った。

熊徹が強いから、九太は弟子になった。というのは確かなんだが、九太は熊徹のやり方に素直に従わない。熊徹自身も九太に教えるつもりはあっても、師匠としての器がない。どうやって強くなったのかというと、師匠も持たず、自分の経験からすべて積み上げてきた。良く言えば天才肌。悪く言えば無手勝流

ある意味、誰にも理解されない熊徹は、常に孤独を抱えているわけだ。


九太が弟子となるのを決めたのは、そういう熊徹の弱さを知ったからで。つまり、これは孤独な魂の持主同士が、どうしても魅かれあってしまう。というお話なんだよと。

例えば、九太は、熊徹から教わるというよりは、その技を見て盗む。盗んでいるうちに、熊徹以上の技をある部分では習得してしまう。それに気づいた熊徹は、“強くなること”には貪欲であり、恥ずかしいとか、威厳がとか言わずに、弟子である九太に叱られながら、その技を学ぶ。そうやってお互いに補い合いながら、強くなっていく。

人間とバケモノ。まったく違う存在ながら、修行を通じて、親子のような愛情を感じていく……みたいなことを期待していると、なんだこりゃ。という感じのエピソードが挟み込まれながら、物語は進んでいく。

一方の九太も、熊徹の数少ない悪友のバケモノ・多々良(たたら)いわく、

「世話焼いているのに、お礼ひとつ言ったことない、くそ生意気なガキ」

というようにまったく弟子らしくない。掃除や洗濯など家事はやるが、教えを請う態度はまずない。熊徹の友人の百秋坊(ひゃくしゅうぼう)たちが、さりげなく熊徹との仲を取り持とうとしても、熊徹に対して父親に対するような尊敬や愛情はまったく見せない。

そして、成長して、充分強くなった九太は、ある日、あっさりと熊徹を捨ててしまう。


だからこそ、この話はおもしろかったし、最後の展開にも納得がいった。

予告だけ見ると、渋谷で出会う女子高生の楓に、九太がひかれていって、あー恋愛のせいで捨ててしまうのかと思うが、そうじゃない。もっとシンプルに、

「なぜ、親とか、子とか、人間も、バケモノも関係なく、お互いを求め合い、

 いっしょに生きていこうと思うのか?

 なぜ、自分は生きているのか? 

 なぜ、生きてこれたのか? よく考えろ!

 それはこういうことじゃないのか。おい、考えろ!

 おい、お前、わかったか? 」

って話なんだと思った。

それに気づかないんだよ、最後の最後まで。だから、泣ける。


10歳の息子といっしょに見たんだが、息子にはすごく響いたようだった。原作本も買ったし。

親子愛とか、恋愛とか、そういうとこじゃない。もっとシンプルなところを描こうとしていたんだと思うんだな。バケモノだっていいんだよ。人間だっていいんだよ。オレを受け止めてくれるのなら。って切実さに胸を突かれたがなぁ。


というわけで、ここからは、ネタばれありで書きます。

見た人だけ読んでください。


続きを読む

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/kaerudayo/20150731

2015-07-26 わからないと言える勇気

「いじめが自殺の一因」と結論 岩手・中2死亡

| 「いじめが自殺の一因」と結論 岩手・中2死亡を含むブックマーク

目をこすってしまった。

岩手県矢巾(やはば)町で中学2年の村松亮さん(13)が今月5日に自殺した問題で、村松さんが通っていた中学校は26日、生徒や教職員への聞き取り調査をまとめた報告書を村松さんの父親(40)に渡した。1年生の時からいじめを継続的に受けていたと認定。「いじめが自殺の一因だったと考えられる」と結論づけた。学校全体に危機意識が欠け、情報を共有できず自殺を防げなかったと認め、父親に謝罪した。

「いじめが自殺の一因」と結論 岩手・中2死亡で報告書:朝日新聞デジタル

「いじめが自殺の一因」かぁ。学校だけじゃなくて、他にも問題があった。暗に家庭にも責任転嫁したいんだろうね。

鹿川くんのころから、ホント、学校は変わらんなぁ。


今回の件、絶望的だなぁと思うのは、あれだけSOSを発信していても、先生は助けてくれないってこった。何人もの子が死んで、子どものSOSをキャッチし損ねたことを学校も悔いるようになり、日々の記録ノートやカウンセラーの巡回、電話相談というシステムを整えたのに。この記事の続きを読んだら、先生らの危機意識のなさに、呆れた。

 村松さんが4月20日、「生活記録ノート」に「死にたい」などと書いたことについて、担任は学校の聞き取りに対し、「『死』という言葉が出た初めての日だと記憶している」と述べた。だが、教諭は一方で「死に結びつくような表情は見受けられず、生活記録ノートとのギャップを感じた」とも答えたという。

 報告書は、担任が村松さんを「常に気遣い、配慮してきた」と述べる一方、学校の対応については「からかいやちょっかい、けんかと捉え、いじめと認知することができなかった」とし、「重大事態に発展するかもしれないという危機意識に欠けていた」と認めた。

学校でいじめられていた子どもが亡くなったことについて、多少の関心があり、心を痛めているなら、こういうすべてが重大なサインになるってのは、想像できると思うがな。


私が住んでいる辺りでは、子どもや保護者が相談しやすいように、いじめについてのホットラインがあり、専門的なチームが対処をするというぐらいシステムが整っているんだが。

この間、息子がいじめられた時、カウンセラーから「相談して、アドバイスをもらったらどうでしょう」と言われて、そのホットラインにかけてみた。しかし、彼らが専門的なアドバイスをしてくれるのかと思ったら、そうではないようで。

「先生たちも、いじめについての研修を受けていますから。経験もありますから」

ということで、最終的には、学校に任される。保護者のみなさん、彼らを信じて! みんながんばってますからw


なんだがなぁ。

岩手のケースのように、いじめへの意識が鈍いのか、自分で抱え込むタイプなのか、どちらかかわからないが、情報を共有して、相談を持ちかけることが苦手なタイプの人が、担任だったときはどうなるんだろう?


以前、2chで見た「学校にイヤな思い出がない奴だけが、学校の先生を目指す」ってコメント通り、先生たちは「いじめ」がわからんだろうなぁと思う。まず、いじめられた側に立ったことなんてないんだろう。ってくらいのん気な認識なので、もう、どう説明していいのかわからなくなる。


“これだけ怒られたら、先生に見えるところでやるわけないだろ”

“なかよくします。二度とやらないなんて、いくらでも言える”

“何年も楽しんでいたもん、1回怒られたぐらいで止めるか?”

“説明できない、気のせいにできるレベルのいじめってのもあるんだぜ”


専門知識があろうが、システムが整おうが、その対応にあたる人員が状況判断して、的確な動きをとれないなら、なんにも意味がないってこった。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/kaerudayo/20150726

2015-07-24 億千万の胸騒ぎ

大人が知らない中高生のLINE&SNS

| 大人が知らない中高生のLINE&SNSを含むブックマーク

興味深い記事。

中高生たちのLINEやSNSの使い方についてのレポートなんだが。

大人が知らない中高生のLINEグループの使い方を調査したら、闇が深かった。 | kakeru.me


想像しているよりも巨大な、一万人規模のグループがあって、そこで活発に交流をしているようだ。

・巨大LINEグループにはライトな層とディープな層がいる

・若者は誰かと常に繋がっていたい欲が強く、LINEの通知が来ないと不安

大雑把にくくると、かつてmixiのコミュニティの掲示板で盛り上がっていた内容がLINEのグループ内で展開されている印象です。ただ昔と今で違うのは、ユーザー同士の距離感が非常に近いこと。

“知らない誰か”と繋がることへの恐怖心がなくなっているように感じました。Twitterからグルチャ、ニコ生からグルチャと段階を踏んで交流を深めることや、同じ中高生同士ということで安心感が生まれるのかもしれません。

これからの夏休みシーズン、親御さんにとってはちょっと心配ですね。


娘の言っていた話とは、ズレがあるので、メモ。

高校1年の娘は、LINEには入っている。入っていないと連絡が回ってこないからというので、仕方なく許して、習い事から部活の連絡まで毎日のように活用はしているんだが、顔見知り以外とは交流しないそうだ。

「だって、きもいんだもん」

小学校高学年のころ、アメーバピグが流行って、娘がはまっていた。そのころは、ピグでよく見知らぬ人に話しかけられたそうだ。それが、ほとんどが中高生ではない。おそらくオジサン。

「年もごまかしているし、住む場所もごまかしているし、なんで話しかけてくるの、きもいって感じw」

ネットで、積極的に、見ず知らずの女の子たちと仲良くしたがるのは、なりすました大人。って経験を小学校高学年のころにしていると、ネットでの話をそう簡単には信じなくなるようだ。“あぁ、きもい人だよね、ネットで近寄ってくるのは”という意識があるので、何人とつながっている自慢とか、どれだけ大きなコミュニティに属しているか自慢も、ピンとこないようだ。

ネタになるような動画は大好きで、昔はニコ生でもネタを見つけては、友だち同士で盛り上がっていたようだが、今は巡回している感じはない。友だちが貼った動画を見て、ゲラゲラ笑っている程度で、そこからさらに生主のファンになるというのもないようだ。

趣味が細分化しているせいか、本アカとは別のアカウントを趣味用に作って、チャットで盛り上がる……というのはあるようだが。そうなると、『アーティストのライブの前に集まろう』みたいオフ会もあるようだが、そこに来るのは中高生だけではないので。

「友だちが、とれなかったチケットを譲ってもっらっちゃったよ!」

という話を聞くと、相手はずっと年上で、共通の趣味の話題で盛り上がっても、それっきりで、また、盛り上がりたかったら、グループチャットで会いましょうという関係らしい。

趣味があれば、そういうつながりをネットに求めるのは、あるのかもなぁ。


「LINEはもめるからね、最近、見ないようにしているのよ」

と娘。以前に比べたら、断然使う時間を減らして、必要な時にしか見ないし、見続けないようにしているんだとか。

見ていると、どうしたって、かちんとくる一言に文句も言いたくなるし、ケンカを止めに入りたくもなる。それに関わるときりがないからだそうだ。毎日小さな揉め事がどこかのグループで起きているから、見て起きたことを知ってしまうと、それなりに態度を表明しなければいけない。だから、なるべく見ない。見なければ、揉め事を知らないで済ませる。

「部活も忙しいし、勉強もあるから、ほとんど見ないって。周りに言ってあると、平和だよw」

そういう態度の子も増えているというか、「既読が〜既読が〜」みたいなこだわりをしている子は減ったようだ。やっと慣れてきたんだろうかね。


ちょっとおもしろかったのは、娘が、一時、LINEのアカウントの名前を全部歴史上の人物に変えてしまったことだった。

「なんなのこれ?」

「いや、これで見ていると、藤原鎌足がくだんねぇこと言っているよ。お、徳川家康はスイーツ食べ放題へ行ったのか。空海内村鑑三がもめてるwwww となるのがおもしろくない?」

「たしかにwww」

誰が何を言っているのか、誰ともめているのか、ワンクッション置いている分、真剣さがないというか、別世界観が出るというか。あんまり、深く悩むことも、関わることもなくなるよなぁ、これじゃw うまいアイデアだと思った。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/kaerudayo/20150724

2015-07-21 仕方ないかぁ?

リアリスト風に諦めて、いやーん

| リアリスト風に諦めて、いやーんを含むブックマーク

先週、安保法制が衆院で可決されたら、「だ〜か〜ら〜現実を見ろよ」的な意見を表明する方々が出てくるはくるはで、苦笑している。やっぱ勝ち馬に乗るでしょう。世の中w

はーーーあ。っとため息をついてから読んだ藤原先生のコラムが当たり前過ぎる意見で、ホッとした。

 新安全保障法制が衆議院で採決された。賛成できない。政府は法案を撤回しなければならない。

 私がそう考える理由は、立法手続きに瑕疵(かし)があるためだ。今回の新安保法制については、数多くの憲法専門家から法案憲法に反すると指摘された。違憲の疑いがある法案については、国会において他の法案以上に慎重に審議を行う必要がある。与党が議席の多数を占めるからといって採決を急ぐことは適切ではない。まして参議院での行き詰まりを見越したかのように衆院における再議決を想定した政治日程を組むことは、慎重な審議とは正反対の選択である。衆院の多数に頼って憲法との関係が争われる法案を押し切ることは、民主政治の根幹を揺るがす行動であり、認めることはできない。

(時事小言)集団的自衛権の行使 慎重な判断、期待できない 藤原帰一:朝日新聞デジタル

藤原先生はリアリストだよ。軍事力の効果も意味もわかっているから、慎重にしろと書いている。

 国際政治において軍事力の果たす役割を否定することは難しい。軍事的威嚇によって戦争を抑えることがないとはとてもいえない。だが、軍事力の行使によって諸外国の国民にも自国の国民にも大きな犠牲を強いる可能性があることも否定できない。そして、戦力の保持を全て否定するのでなければなおさらのこと、軍事力の行使が本当に必要なのか、それに代わる手段によって平和を保つことが不可能なのか、徹底した検討が必要となる。その検討を行わない者が軍事力を手にすることほど危険なことはない。

 安倍晋三首相はキャンベラワシントンなど世界各地を訪問する中で、戦争への反省に基づいた言論の自由を守る民主主義国家としての日本を訴えてきた。だがその安倍首相が、新安保法制を審議するなかで第2次世界大戦における日本の戦争責任を正面から議論したとはいえない。過去の侵略戦争に対する責任を自覚しない政府に対して、将来の国際紛争において軍事力の行使に慎重な判断を取ることは期待できない。今回の新安保法制が今後さらに極端な軍事力行使の承認につながる懸念も残るだろう。

 安保条約憲法の間には緊張がある。その緊張があるからこそ、集団的自衛権が認められる条件について十分な国民の合意が必要となる。その合意が得られるまで、新安保法制を認めてはならない。

http://d.hatena.ne.jp/kaerudayo/20120611#p1


ここで、ド・正論を吐かずして、なにを言うやなんだがな。


で思い出したこと。

原発が止まって5年目の夏。あの暑い夏を迎える前に、「原発が止まったら、日本はつぶれる!」とリアリスト風な意見を吐いていた方々、お元気ですか? 冷房は止まっていますか? 日本はつぶれましたか? 

新国立競技場の騒ぎを見ながら、あー、ホント、コスト計算をしようが、専門的見地から反対意見が出ようが、“御聖断”がない限りは止まらないのか。この国はと思った。

参考

先週、野田総理の「原発を再稼働する、再稼働して使い続ける」という演説を聞きながら、ガッカリした。

あの演説で言いたかったのは、誰かの「豊かで、人間らしい暮らし」には、誰かしらの犠牲が必要であり、これからも犠牲を強いて行くよ。だから、再稼働するってことなんじゃなかろうか。現実を見ろ、大人になれよとwww

しかし、自分が嫌なことを誰か強いること。金で解決しようが、それがどういう結果を産むのか。見ないふりをしていても、いつか、つけがくる。取り返しのないつけが。

ってのを、福島で、充分見たじゃないかと思うんだがなぁ。

“それはまずい。まずいよ。二度とあってはならないよ”

って意識を抱いて、311以降は過ごすべきなんじゃなかろうか。できる限り、誰かしらを薪にしてくべないと、成立しない社会はやめようぜ、これからは。と思っていただけに、ガッカリした。


ときどきね、震災直後の気持ちを思い出すんだよ。


「もう、“現実を見ろ”的なもの言いってのは、なんていうか、バカに見える。

これが現実か、ホントに、ホントに、現実なんですか、オーマイガーって状況で、

「お前、わかってないんだろ、これが、げ・ん・じ・つなんだよ」

って脅しは、効かないようだ。

例えば、昨日のサンデル先生の番組でも、「原発推進か、脱原発か」の命題について、

「この夏の冷房をどうするんだ! 40度の暑さを耐えられない、死者が出る。原発を止めたら、電気が足りない」

という意見で、原発推進を支持する男子学生がいて、

 “おま、その程度でこの議論に加われると思ってんか”

とか思った。

夏の暑さも、冷房用の電源が足りないのも、予想できていることなんだから、対処していくしかないし。対処していけば、死者を出 さないことはできる。そういう現場な話を詰めていけば、その被害はどうにかできるレベルだろ、ここはそういうレベルで話をする場じゃないだろ、だからさぁ、「現実を見ろ」的なレベルの低い脅しを議論に混ぜるなよ。イライラすんなあぁ。って」


 豊かで、人間らしい暮らし - 北沢かえるの働けば自由になる日記

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/kaerudayo/20150721

2015-07-18 道は違えど

多摩美術大学のオープンキャンパスへ行ってきた

| 多摩美術大学のオープンキャンパスへ行ってきたを含むブックマーク

娘の高校の宿題で「大学のオープンキャンパスへ行け」というのが出ていて、その宿題に付き合って、多摩美術大学へ行ってきた。まだ、どういう道に進むかはわからないんだが、いろいろな学校があって、高校を出た後も学ぶチャンスはあるってのを知ろうというのが、この宿題の主旨のようだ。なので、取り合えず、やってみたいことや、できそうなことに近そうな大学に行ってみた。

多摩美術大学には、2年前ぐらいに演劇舞踊デザイン学科というのができた。ここは、ダンスや演劇の作り方を教えるんだが、デザインとして舞台を考えて作るという点で、今までの舞踊・演劇系にない感じではある。

行ってみると、美大は楽しいなぁと。そもそも、物を作ったり、イベントっぽいことが好きなので、全然関係ない学科の展示も、娘は楽しめたようだ。


それで、演劇舞踊デザイン学科といえば、実際にどういう授業をしているのか、模擬授業を公開していた。


ダンス用の床材が貼られた教室で、10数人の生徒が現れると、それに講師がマイクで指示を出しつつ、身体をほぐすというもの。

ほぐすといっても、約40分、ぶっ通しで動いて、休ませない。

ジャンプを上下にしつつ、呼吸に合わせて、高く跳んだり、低く抑えたり。重心の移動を使いつつ、指示どおりに動いたり。呼吸を使いながら、身体全体を思うように動かせるように整えていく……シンプルなんだけれど、きついなぁ、これは。

教授に就任している勅使河原三郎が率いるカンパニーでやっているメソッドだそうだが、娘、唖然w というか、この学科を志望している子たちが大勢見学していたんだが、みんな、結構、ビビッていたwww

「ダンスをする以前に、身体を整えつつ、身体を知らないと」

ってメッセージ。そこまでバレエ教室で教えてくれるのかなぁ。高校生にもなると、解剖学の知識を仕入れつつ、頭で理解しないとできない技もおぼえるから、理解はなんとなくできただろうが。実際、現役の学生たちと言うと、どちらかというと、演劇志望の子が多く、指示に付いていくのがやっとという気がした。だから、“踊れる身体を作る”ということからスタートなのかもしれないが、きついだろうなぁと思った。精神的にもw

娘いわく、見学している子たちを見ていて、舞踊経験者はすぐわかったそうだ。

「どこかしらで指示とリズムに合わせて、息を整えているからw 指なのか、身体全体なのか、いろいろいるけど、見ながらリズム刻んで、指示を受け取っていたからw 癖って言うか、結構な人数の子が刻んでいたね」

「えぇ、どうかな? みんな、受験すると思う?」

「どうなんだろう。この程度でビビッたら、そもそも受験するのが間違っているんだろうねw 私にとっては、40分やれと言われたら、途中で止めるって感覚がわからないんだよね。『やれって言われたら、やる』のみ。動けなくなるのは、自分が悪い。レッスンにのぞめる状態に持ってきていない自分が悪い。ってのは、バレエやっていると当たり前になるんだけど……」

どうなんだろうなぁ。すごくおもしろいメソッドだと思ったんだけど。

「こんなことはできない、絶対無理って思っても、なじんでついていきそうな自分がイヤ〜ンw」

と嘆いていたね、娘w

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/kaerudayo/20150718