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北沢かえるの働けば自由になる日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2014-09-19 もの食う人びと

「都内の電車内でカール開けたのかおまえ。バカじゃないのか」

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今日、突き刺さった記事。全体を読むと首をかしげるところもあるんだが、彼氏に電車の中で菓子を食べたことを叱られた辺りが、うわぁあと。

学生のころ、当時付き合っていた彼と電車に乗っている時に、カールを食べたことがある。

すると、彼から「電車でカールを食べちゃダメだよ。車内の常識だろ」と叱られた。

わたしは知らなかったので、「ごめんなさい」と謝った。

なんだかもやもしたから、このことをおじさんに伝えた。すると、こう言われた。

「おまえはいくつになってもかわいいし、いくつになっても元気でアホな子な感じだ。そういうひとにはみんな寛容だから、誰も非常識を指摘してくれないんだ。だからおまえは常識を知る機会が少なかった。

その一方で、彼は、非常識を厳しく指摘されて生きてきたひとなんじゃないか。そういう彼がおまえの非常識を指摘してくれるのは、ありがたいことと思っていい。

彼からすれば言わなくてもいいんだから。

しかし、都内の電車内でカール開けたのかおまえ。バカじゃないのか。」

もちろん、ありがたいと思う気持ちはあるんだけど。

でも、なんかこう、彼が恥ずかしい思いをするのが嫌だから叱られた気がしたんだよ。

結婚できない

え、車内で、食べちゃいけないの? 

カール、お菓子なのにダメなの?

あ、あぁ、そうなんだ。


かなり前に「たま」のボーカルと白シャツの人が、山手線の中でサンドイッチを食べていたのを見た人が

「今日は、ビックリしたよ」

と話題にしているのを小耳に挟んで、あぁ、「たま」に会うなんてビックリだよねと思っていたが、実は、「山手線の中でサンドイッチを食べる」というところが、ビックリするポイントだったのねwww

でも、私は平気で食べちゃうなぁ。移動時間に済ませないと、昼食をとるのが無理とわかると、パン1個と飲み物ぐらいは食べる。電車内での5分で済ませる昼食に抵抗感ないんだがな。

そうか、そうか、私は“非常識”なのかぁ。はぁ。

しかしながら、そんな私を

「どこでもよく食うよなぁ」

と豪快に笑い飛ばしてくれた人と結婚したわけで。

「結婚できない」なんてことはない。

世の中、広いよ、大丈夫。


もの食う人びと (角川文庫)


追記

元記事のブコメを見ると、「寛容さ」について考え込むね。

同じ育ちをしてきたわけじゃない相手といっしょに暮らす時に、どこで妥協点を見つけるか。

車内でカールがダメだってのは、ある人にとっては常識かもしれないが、ある人たちには無問題。

というのを理解して、自分が絶対じゃないってのを、うまく意識できるかどうかかなとか。

あと、「カールがダメ」は叱られた人の人格否定じゃないから。

最近、叱られると、全人格否定されたと思いこみやすい人多いなと。思ったことがあったので。

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2014-09-18 ヤンキーしかいない

ヤンキーはラッセンが好きなのか?

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今日、読んでいた記事で、ラッセンが再評価と言うか、あれはなんだったのかと分析した本が出たようで。

2013年、このクリスチャン・ラッセンの作品は、巷でちょっとしたブームになっていたようです。日本で初となる本格的なラッセン論、『ラッセンとは何だったのか?』も刊行され、私もちょっと遅れることになりましたが、これはかなり面白く読みました。というわけでこのエントリは、こちらの本の感想文でもあります。

美術史、ヤンキー絵画を語る『ラッセンとは何だったのか?』

どうやら、ラッセンの絵は、「日本人の垢ぬけない田舎っぽい部分へ訴えている」ことから、「ヤンキー文化」のひとつにカウントされているらしい。へぇ。

ラッセンの絵のどこらへんがどう「ヤンキー」なのかというと、これはいろいろ本も読んだのですが、言葉にするのがけっこう難しいです。あえていうなら「露骨」「わかりやすすぎる」「意外に保守的である(体制をひっくり返そうなどとは考えない)」あたりの言葉で括るのがいいのかなと思うのですが、具体例をあげて、そのなかに混ぜてしまったほうが早いかもしれません。

実家のある町は、国道16号線沿いのザ・郊外。入学した中学の生徒の90%はツッパリ。今で言うヤンキーだった。というような生い立ちの私からすると、ラッセン。特別好かれていなかったなぁ。そんなに好かれていたら、フレンドリーな空気をまとったイルカが描かれたデコトラを見かけただろうし。ツッパリがたむろっている喫茶店にはラッセンのポスターぐらいはあっただろうに。そういう記憶がない。

そもそも、ヤンキーたちは自宅から数キロの生活圏から出ない習性があったはずなので、その生活圏にはラッセンの絵を売ってるような店はないからw


なんだろ、ラッセンのような、欲望のままにてんこ盛りした絵画というと、思い浮かぶのは、17世紀にオランダの金持ちが、豊かさを誇るために、こぞって買い求めた絵。なんでも詰め込んで描かせた静物画、獺祭画だったが。

その手の豊かさを誇り、いいとこ取りするためだけに盛りに盛るみたいな流れ。

例えば、ディズニー・プリンセスみたいな、作品が違っていようが、盛り合わせて豪華に見せる。仮面ライダーウルトラマンが大集合して、スペシャルな映画を作るとか。あんな絵柄の違うプリキュアも集めたしなw

欲望のまま、それに応えて集めていくみたいな、意匠やコンセプトの方を見ると、ヤンキー文化とは、別のラインの気がするなぁ。

というか、「時代も、国も違うが、俗物が好むものは、似ている」みたいな話で片付く気もしたりねw

ポピュラー」ってことかな、うまく言えないけど。

ああいうのが欲しい人がいる。だから、描かれ、売れている。 

ってことかと。萌え絵もなんでいいのか、説明しきれないからねぇw

ラッセンとは何だったのか? ─消費とアートを越えた「先」

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2014-09-17 ニッチな農産物

気になるね、秋田県

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今年の夏は、秋田県産の枝豆を何回食べただろうか。

枝豆といえば、山形や新潟、群馬辺りが多かったんだけれど、今年は、秋田県産がどのスーパーでも攻勢をかけていたなぁ。最初は、ブランド枝豆の半分ぐらいの値段だから買ったんだけど、食べてみると、味も良くて、へぇと思った。ブランド枝豆に負けない味だったので、それからは秋田県産があれば、それを選んでいたんだが。

で、今日は、丸ナスを買ったんだが、これも秋田県産。

丸ナスは柔らかくておいしいんだけれど、東京では値段も高くて、手が出せなかった。それが今年の夏は、手頃な値段で売っていて、どこ産だと思ったら、秋田産で。うまいところに目を付けたなぁと思った。

潜在的需要と言うか、あーこうなら買うのに、みたいなところをうまくふたつの農産物は突いたなと思ったんだけど。

どうやら、枝豆は、全県挙げて、作戦を練って努力した結果のようだ。

目指せ えだまめ日本一 | 秋田県公式Webサイト 美の国あきたネット

面白いねぇ。

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2014-09-16 違和感が頼り

「江戸しぐさ」について、私が知ってる2、3の出来事

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今朝、「江戸しぐさ」を批判する本の書評を読んで、あー、そういうことなのかと腑に落ちた。

その本はこれ。

江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統 (星海社新書)

その書評はこれ。

【読書感想】江戸しぐさの正体 - 琥珀色の戯言

とてもよく問題点を指摘してくれているので、どうぞ。

中でもこのくだりについては、ちょっと身に覚えがある話があったので。

こんなふうに、歴史的根拠に乏しいというか、歴史の捏造ですらある「江戸しぐさ」。

しかしながら、こういう「いい話」の矛盾というのは、なかなか指摘されにくいというのも事実です。

「じゃあ、その嘘で、誰が傷つくんだ?」

「そういうエピソードで、現代人のモラルが向上するのであれば、フィクションでも良いじゃないか」

 実は、僕自身にも、そんなふうに思ってしまうところがあって。

 少なくとも、これは「悪い嘘」じゃないのでは……とか、つい考えてしまうのです。

数年前ぐらいから

江戸しぐさ、ヤバい。ちょっといい話を装っている、トンデモネタ」

という話は、ネットで見聞きして、用心はしていたんだが、まさか、それが、身近に現れるとは思わなかった。


去年、学校で配られた親向けのプリントに、「江戸しぐさ」の文字を見つけた。

江戸しぐさ」は江戸時代から続く他人への思いやりの一例として上げられていて、あちゃーと思った。

いきなり、学校からかい。うわぁお。

しかしながら、

「江戸の昔からこういうちょっとした気配りや親切があったので、こんな巨大な都市でも、東京は暮らしやすかったのです」

というような話の展開だったので。

ま、いいか。

書いてあることは大筋間違ってはいないし、突っ込んで騒ぐのもなぁとスルーした。

それからしばらくして、子どもたちには、「江戸しぐさ」を絵とともに紹介するプリントが配られていたことを知って、頭を抱えたよ。

さて、どうしたものか。

「これ、ヤバいんじゃないですか?」

と学校側に話を振った時に、どう思われるか。

「別に間違った話をしているわけではないでしょう? 話の本質は真っ当ですよ」

「お互いに思いやりを持とういう、たとえ話の一種に、そんな目くじら立てなくても」

考えれば、考えるほど。先生や学校に向かって、「こんなトンデモ、やめてください」と言い出すのは難しいよと。


どうしたものやらと心の片隅にひっかけたまま、日常をあわただしく過ごしていたら、気付いたら新学年スタート。今年は、まだ、『江戸しぐさ』の話は、学校で出てきていないようだ。どうやら、誰か言ってくれたみたいで、今年はプリントも配られていないようだ。

良かった、良かった……いやぁ、違う面で憂鬱だなと。

たぶん、「江戸しぐさ」がトンデモかどうかなんて、普通の親は気にしない。先生が子どもにしてくれる「道徳講話」としてなら無問題だろう。今回、もしも、私のような、なにかとうるさい親たちの誰かが文句言ったから、止まったんだとしたら、、学校の認識としては

「また、モンペが騒いでいるんだよね。ホントに細かい」

という感じで、本当に望むべき、「トンデモが広がらなくて良かった」という風じゃないんだろうなぁ。


これはまずいなぁと思ったんだが、指摘はしなかったし、できなかった。


お恥ずかしいが、恐らくできないだろう、次があったとしても。


難しいなぁ。




ここからは余談。

江戸しぐさ」を知ったのは、地下鉄構内に貼ってあったポスターだった。そのころは、これはパロディだと思っていた。ホイチョイプロダクションが作った「見栄講座」みたいなもので、「江戸から伝わる、古き良き伝統と見せかけて、マナー向上を訴える広告」の一種なんだろうなと。

なぜ、パロディと思ったのか?

昔から、池波正太郎が好きで、よく読んでいたんだが、そこに描かれている江戸の庶民の姿と、江戸しぐさがどうしても重ならなくて、ギャップがあったからだと思う。

池波自身が書いているんだけれど、「江戸」は明治維新で終わったわけではなく、江戸時代から生きていた人たち、池波の祖父母の世代の生活の中には、確実に残っていた。戦前に池波が過ごしていた東京には、江戸の街並みがあり、商売があり、気風があった。その記憶と感覚を頼りに、池波は、江戸を舞台にした数々の小説を描こうとしてきた。

江戸しぐさ」は、そんな池波が描いた“江戸の生活”と比べて、違和感がどうしてもぬぐえなかった。なにがなんだというのではなく、“江戸の人たちはこんなことしないんじゃない?”みたいな感覚が残った。

だから、これは、きっと、おもしろおかしく見せるためのパロディなんだろうと。

そういう江戸から東京へ、つながった歴史の中で、私たちは生きている。祖父母、曾祖父母たちから受け継いだものが、うまく伝わっているなら、シグナルが鳴ると思うんだがなぁ。

「これはどうよ?」って。

なので、ここまで広がって、なおかつ、ここまで信じ込まれているってのは、まずいよね。



見栄講座―ミーハーのための その戦略と展開むかしの味 (新潮文庫)真田太平記(一)天魔の夏

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2014-09-14 はしゃぐぜ、大人も

祭りに行くと、いいことがあるかもという話。

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やっと終わった。

昨日から、この辺はお祭りで、今年はいろいろやらなければならなかったので、がんばったわけだが、無事終わって良かった。事故がないこと、揉め事がないこと、子どもも大人も楽しく過ごせたことに、感謝。


山車神輿の巡行を手伝っていると、遠巻きに見ている親子に会った。

同じ町内だからね、声をかけた。

「どうぞどうぞ、良かったら、山車引いてください。ご褒美があるよ」

「お神輿、かついでみたいなら大丈夫だよ。声かけて入れてあげるから」

なかなか、入ってはくれないのが残念だったな。子どもが嫌がらなければ、いっしょに町内を回って、少しでもお祭りに参加してみると、単にお菓子のご褒美をもらうだけでなく、いろいろいい経験をすると思うんだが。

というわけで、ちょっとお祭りの効用を考えてみた。子どもがいる家庭向けに。


  • 知らない大人と気軽に付き合える。

 小学生ぐらいになっても、親か、祖父母か、先生ぐらいとしか付き合ったことがない子も多い印象がある。親戚も少ないから、気軽に大人に話しかけたり、話しかけられたりが足りないというか。そういう、大人からかわがられる経験が手軽にできるのは、お神輿山車に参加した時だと思う。ジュースくれたり、アイスくれたり、金券くれたり。精神的にも、「大丈夫か、肩に入れた方が楽だぞ」とか気遣ってくれたり、「よくがんばって、かついだな」とほめてくれたり。ただ参加するだけで、こんなことないでしょ、他には。


  • 近所の子と出会える。

 幼稚園や保育園が違うと、近所に住んでいても遊ぶ機会がなかなか持てない。でも、お祭りだと、結構、子ども同士で顔を合わせて、なんとなくなかよくなるチャンスが生まれるみたい。祭りをきっかけに、児童館や公園で会えば遊ぶようになったりしたこともあるから。あと、上下に年が離れた子でも、知り合いになれるのもいいし、お神輿山車などいっしょになにかをした経験と言う奴は、連帯感を生むんじゃないかなと。


  • 親が情報を得られる。

実は、小学校入学前にはなかなか子どもが一堂に集まるチャンスがないが、祭りには、近所に住む子たちが集まる。小学校へ行く時に「どんな子たちが同級生になるんだろう」というのは気になるけれど、正直、就学前診断の会場に行くまではわからない。でも、お祭りに参加している子たちは、ほぼ同じ小学校に通う子たちなので。また、乳幼児のころでも、どのぐらいの子たちが近所に住んでいるのか見えてくる。同世代の子を持つ親に思い切って話しかけてみると、どんな幼稚園やどんな保育園へ通っているのか。どんな習い事の教室が近所にあって通っているのか。子ども向けのスポーツチームはあるのか。などネットや雑誌では得られない、ご近所情報が手に入る可能性が高いよっと。


  • 子どもの安全は、ご近所づき合いから。

祭りのいちばんの効用は、近所の人に顔を知ってもらえること。お年寄りに顔を売っておくのも大事だよっと。

子どもは小学校に入ると、ひとりで出かけられる範囲を、少しずつ広げていくんだけれど、やっぱり、トラブルはある。

うちで、いちばん多かったのは、

「鍵を忘れてしまった。それなのに、私が外出していて、中には入れない」

ある時は、私の帰りが遅くなっていて、7時過ぎぐらいまで帰ってこれなかった。携帯を持っていなかった娘は玄関前に座っていたんだよね。それを見た人が自宅に入れてくれて、うちの玄関にはメモを残してくれていた。

なんていうか、子どもにはどうにもならないトラブルが発生した時、近くに住む大人を頼るしかない。その時、その子はご近所の顔を知っているかどうか、その方がその子を知っているかどうかが、大事になるんだよね。


「でもさぁ、新参者には、いきなり入りづらいよ」

というのは当然だし、同じ町内に引っ越してきたからと言って、いきなり付き合うのは難しいだろう。だから、子どもをだしに使って、うまくきっかけを作るといいんじゃないかと思う。

例えば、東京西部のこの辺りでは、お祭りがおこなわれることは、街角の掲示板にポスターが貼られるのでわかる。店にもポスターが貼ってあることが多いので、地元に密着した店先を注意していれば気付くと思う。

祭りの前日には「神酒所」と言われる、神社からの出張所のような建物が、町の中にできあがる。

どこに参加したらいいのか、迷うならば、そこを見つけて聞けばいい。

「近所に引っ越してきたんですが、子どもをお祭りに連れて行きたいので、山車神輿の予定を教えてくれませんか?」

そう言ったら、意地悪する人はまずいないと思う。もしかしたら、住所を聞かれるかもしれない。町内会と住所の町名がずれている地域も多いので。でも、大抵は自分の家からいちばん近い神酒所の近くから、自分が所属している町内の山車やお神輿は出る。

「いきなり、参加したら、なにか言われるんじゃね?」

手伝えと言われるか? 誰だお前と言われるか? ただで出られると思うなよとかw

いやぁ、見知らぬ子が参加していると、昔は「どこの子? 近所?」と聞かれたりもしたが、今はそれほどうるさくはない。「どこに住んでいるの?」と聞かれるかもしれないが、もしも隣の町内だったとわかっても、「あぁ、そうなの」というぐらいだと思う。子どもが昔よりはずっと少ないので、誰でもウェルカムなところが多いはず。


今年の、秋祭りシーズンは、まだはじまったばかり。

よかったら、ご近所のお祭りに参加してねっと。

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