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北沢かえるの働けば自由になる日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2014-08-21 芸術は難し

「バレエ・リュス展」を見に行ってきた。

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今日は新国立美術館の「バレエ・リュス展」を娘と見に行ってきた。

1909年にパリで鮮烈なデビューを果たしたバレエ・リュス(ロシア・バレエ)は、革新的なステージにより一世を風靡した伝説のバレエ団です。主宰者セルゲイ・ディアギレフ(1872-1929)の慧眼により、同バレエ団はワツラフ・ニジンスキー(1889-1950)をはじめとするバレエ・ダンサーや振付家に加え、20世紀を代表する作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)ら、数々の新しい才能を輩出しました。ロシアのエキゾティシズムとして人気を集めたバレエ・リュスは、やがてピカソマティスコクトー、ブラック、ローランサンシャネルら、当時パリで活躍していた前衛の若手アーティストを取り込み、新しいスタイルの「総合芸術」として、バレエだけでなく美術やファッション、音楽の世界にも革新と興奮をもたらし、大きな影響を与えました。

本展では、オーストラリア国立美術館が有する世界屈指のバレエ・リュスのコスチューム・コレクション32演目、約140点の作品を中心に、デザイン画や資料などと併せて、これまでにない規模でその魅力の全貌を紹介します。

http://www.tbs.co.jp/balletsrusses2014/

衣装の展示はがっかりすることが多い。布や刺繍は保存状態によって、傷みが激しく出るので、正直、期待していないところもあったんだが。今回、展示された衣装は、かなり状態が良かった。衣装が使われた演目の音も流して、トルソーやマネキンに衣装を着せて、表からも裏からも立体的に見せるようにしていたし、よくわかっているなぁと。

もちろん、デザインがどれも素晴らしかったが、単に見栄えではなく、踊る時の効果を考えて作られているものが多かった。実物を見られて良かったな。

改めて、革新的なバレエ団というか、バレエの歴史を塗り替えるようなことを次々やったんだなぁと思った。中でも、ディアギレフのプロデューサー力、半端ないな。日本では誰がその位置にいるんだろう。うーーん、バレエ団を作って、興業として成功させたと言えば……世界の熊川哲也かなぁ。

と思ったら、やっぱり、熊哲本人も自身との共通点を見出したんでしょうかw

バレエ・リュス展」のイヤホンガイドで、なんと、熊哲がナレーターを!!!

ってことで借りて聞いたんだが、前半のニジンスキーの活躍した辺りまでは、熊哲節だったが、後半のバレエ・リュスが財政難に陥って活動が尻つぼみになっていく辺りから、女性アナに代わってしまって、なんだこの、あからさまな感じは、後半興味ないのねとw



しかし、こんなに素晴らしいバレエ団だったのに、興行的に成功しても、台所は苦しかったようだ。ディアギレフの妥協を許さない姿勢のせいで、舞台の製作費や衣装代にかけ過ぎてしまったとか。

バレエは大変だよね〜」

「芸術は理想を追えば難しい それにつけても、金の欲しさよw」

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2014-08-19 猫で発見!

猫って変だねw

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うちの猫は、体がかゆいのか、時々歩いていく先に寝っ転がって、じっと見つめる。大抵、このときは、

“ブラッシングをしろ”

ということで、急ぎの用事がない時は、「はいはい」とブラッシングをしてやる。

最近、発見したのは、「ドイツ国歌」を歌いながら、ブラッシングをしたときが、いちばん気持ちいいようだw 他の歌よりノリが違うw


今日、図書館で、娘が猫をテーマにしたマンガを借りてきて、読んでいたら、そのマンガに、うちの猫が体をこすりつけるは、かじろうとするわ、大変な騒ぎ。

「なに、してんの」

と何度も止めたんだが、まとわりついて離れない。

「あー、他の猫の匂いがついているのかもな」

よく見ると、その本の表紙や天地に、猫の爪跡やかんだような傷が。

いいのかよ、図書館の本なのに。と思ったりw

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2014-08-17 ぜんぜん終わってない

「だから、あんなに言っていたのに!」

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あー、ぜんぜん宿題が終わっていないことに、今気付きましたか。

あー、来週キャンプへ行くんじゃなかったんでしたっけ。

あー、観察日記、7月と8月の2回分やるはずなのに、もう7月じゃないですよ。

あー、漢字と計算ドリルは、まだ、半分以上残ってますよ。

あー、読んでもいない本の読書感想文書くと、バレますよ。

というわけで、1日、息子に付きっきり。宿題を片づけさせた。



風呂に入って落ち着いた。っていうか、疲れたぁ。

うーん、この計画性のなさは誰譲りなんだろうか?

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2014-08-16 東京タワーだよ、おっかさん

東京タワーに行った

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息子と甥たちといっしょに東京タワーへ行った。

子どもらは歩いて登ったが、私はエレベーター。

湾岸の方を見ると、いいねぇ。夜、来てみたいな。

でも、高層ビルが増えて、タワーからでさえ、遠くが見渡せなくなったのが、悲しいね。

エレベーターが古いせいか、微妙な振動音が気になって、怖かった。

エレベーターを降りてすぐのカフェで、「東京タワーパフェ」を食べた。

ボリュームたっぷりで、お得。

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2014-08-15 戦場の狂気を考える

負けたらこうなった

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終戦記念日ということで、戦争に関した番組がここのところよく流れている。その中でこれはと思ったもの感想を。

玉音放送の後の特攻

ニュース23」のコーナーで放送。8月15日、玉音放送の後で、第五航空艦隊司令長官宇垣中将を載せた中津留達雄大尉が操縦する艦上爆撃機「彗星」は、特攻に飛び立った。それに従って飛び立った11機。彼らは終戦を知って飛び立ったのか? それとも、知らなかったのか? 11機のうち途中で故障して特攻しなかった機に乗っていた操縦士の証言から、「なぜ、終戦がわかっていたのに、特攻は行われたのか?」を推理したもの。

重大な事実として知っておいた方がいいのは、宇垣中将に従った22名の操縦士たちは、玉音放送を聞いていなかった。生き残った操縦士の証言によれば、玉音放送が行われたころは、基地から離れた河原で待機させられ、その後、午後4時ごろに飛び立つという命令に従い、準備のために基地へ戻った。彼らは、重大放送があることは知っていたが、内容は知らなかった。だから、「5機を用意しろ」という宇垣中将の命令を聞いて、「我々もお供します」と続くことになったのだと。

webを検索すると、宇垣中将を擁護する書き込みもあるが、中将が正式な命令もなく特攻を行ったため、戦死とは見做されず、「敵空母見ユ、ワレ必中突入ス」という打電も真偽がわからない。どうやら、15日の夕刻、沖縄県伊平屋島の海岸に墜落した「彗星」に乗っていたらしいと推測されている。特攻が大成功して空母を撃沈していたら、それはそれで大問題になっていただろうから、「中津留大尉がなんらかの形で特攻を避けた結果ではないか」というように番組は推理をしていたがな。

しかし、死ななくてもいい若者をよくも巻き込んだものだな、宇垣中将

中津留大尉には、生まれたばかりの娘がいた。大尉は娘を一度抱いたきりで、二度と会えなくなってしまった。その娘さんが番組に出てきていた。怨むとは言わなかったがねぇ。


○ペリリュー 狂気の戦場

パラオ諸島ペリリュー島での、日米両軍の死闘を、今年米国で発見されたフィルムを元に再現したドキュメンタリーなんだが……「戦場の狂気」とは簡単に言うが、まさに、こういう場で狂気は育まれていくんだなと。米海兵隊の最精鋭部隊と言われる第1海兵師団第1連隊の死傷率は、史上最も高い約60%というが、日本側も1万数1千人の兵士のうち、生き残ったのは300人弱だったはず。洞窟基地から徹底抗戦を仕掛ける日本軍に対して、米軍は火炎放射機やナパーム弾で対抗するんだが……それは後の硫黄島から、沖縄戦東京大空襲へ、抵抗を許さない殲滅戦の思想へとつながっていくという恐ろしさ。

ここに反響が。NHKスペシャル「狂気の戦場 ペリリュー」に関するツイート - vanacoralの日記

戦前パラオに行っていた祖父は、ここの飛行場建設に関わっていたらしいんだが、開戦直前にケガで日本に帰国。

「おじいちゃんは、その時は日本にいたけれど、残っていた人のほとんどが亡くなったそうだよ」

という祖母の話は……こういうことだったのかと。

同じ題材を扱っても、フジのドラマはアララだったが……地上波のドラマでは耳障りのいいエピソードを並べるしかないわな。この“狂気”を描くわけにもいかないだろう。

ちなみに、この戦いに参加した米軍兵士の書いた手記に基づいたドラマもあるそうだ。

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○“戦闘配置”されず 〜肢体不自由児たちの学童疎開

日本で最初に開校した肢体不自由児の学校・東京都立光明(こうめい)特別支援学校では、数年前から古い文書や撮影フィルムが相次いで発見されてきた。

そこには、昭和初期の開校当時から戦後に至る学校生活の様子が記録されている。

戦中から戦後にかけて校長を務めた松本保平さん(故人)が残した手記には、肢体不自由児の境遇をめぐるさまざまな出来事と思いが生々しくつづられていた。

国による学童疎開の対象から外された不安と憤り。しかたなく校庭に防空壕を掘り、都心部から通う子どもたちと教師が校舎で共同の避難生活を送ったこと。

それを他校の教員から非難され、子どもたちを非国民扱いされた屈辱。

そして、自力で疎開先探しに奔走した苦労・・・・・・。

最後に校長は問う。「光明学校が育ち盛りを過ごした太平洋戦争とは、一体何であったか」−。

NHK【ETV特集】“戦闘配置”されず?肢体不自由児たちの学童疎開? 2014年8月9日(土)夜11時、再放送:2014年8月16日(土)午前0時00分(金曜深夜)

英国障害者スポーツが発展したのは、第一次大戦後に傷痍軍人の生きがいやリハビリのためって話を聞いて、なるほど、「障害者になる」ということを踏まえて社会が設計されていくこと。戦争は社会を変える契機にもなるんだななどと思ったんだが。

振り返って、日本はどうなんだろうか? ってのが気になっていたので、この番組は見たいなと思っていた。

こんな歴史もあったんだという驚きと、行政はあてにならないとか、最後の最後は、熱意がある個人に依るしかないとか、現在もよく見るようなことだった。戦争でこの学校がどうなるかが見どころではあるが、感動したのは、当時の生徒たちが達者で生きていて、人によっては医学の進歩のおかげで肢体不自由ではなくなっているとか。受け入れた地域の人たちが、学校が疎開してきたことを、記録として残していること。いろいろ発見があった。


続きはまた書くつもり。

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