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北沢かえるの働けば自由になる日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2015-05-27 みな様と私

胃ろうをめぐるエトセトラ

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「胃ろう」という選択をすると、どういう問題が起きるのか?

現状、あまり評判のよくない治療法であるし、それはなぜなのか。というのを知りたくて、この本を手にとった。タイトルの付け方もおもしろいし、多方向からの意見が読めるんじゃないかと思ったんだが。


読みつつ頭の中に浮かんだのは、「胃ろうのように、高齢者を安易に延命させる治療の是非」という問題は、そもそも存在するのだろうか。という大前提を崩すような疑問でw

モンスター介護者とか、社会的入院とか、医療資源の無駄遣いのように言われることも、当事者にとっての必要性はあり、個々に状況も違うから、是非を評価するのは難しい。

「日本人は死生観がないから、安易に延命を選ぶ」とよく言われるが、それは実態とはかなり違う。死生観のような主観でどうこうなる話ではない。あろうがなかろうが決断をいきなり迫られる。

むしろ、胃ろうにまつわる問題とされるものは、現状のシステム内で、インセンティブの置き方を考えることで、かなりが解決できる。しかし、それは同時に別の問題を生む。トレードオフってこった。


もやもやしつつ読んだが、後半で登場した、デイサービスの所長をしている若い人の言葉が、いちばん的確で、心に響いた。

「"通りすがり"の人は、見てみぬふりできないんですよね。だけど、僕たちのようにずっと見ている人は、見て見ぬふりができるんだと思うんです。

(中略)

僕たちとしては、"通りすがり"の人が決めるのではなくて、もっとそばにいる人たちが意思決定に関われるようにしてもらいたいと思います。短期間で決めないといけないのは酷です。やらざるを得ないとわかっていても、ものすごいスピードで決断を迫られるので、割り切れない思いが残ります。

僕たちはずっと本人に接しているから、いい意味で"いい加減"に接することもできるようになるし、それは人間としての生活の中では大事なことだと思っています。だけど、"通りすがり"の人たちのように、遠くから"正しさ"を持って迫ってくる人がいるわけです。彼らからすると、その"いい加減"はいけないことです。こうやって身近にいる人たちと、"通りすがり"に"正しさ"を振りかざしてくる人の間に、隙間があることが問題かなと思います」


"通りすがり"とは誰なのかねぇ。



追記

著者は、病院で行われる医療が、患者の生活と結びついていないという辺りに問題があるとしている。一時的に関わる人が重大なことを決めてしまう。それが、根本的な問題なのか、一時的なムードなのか、わからないが。

介護をしている側から見ると、常識的なことすら、スルーしてOK? ホントにそれでいいの? という感じの状況ではある。

例えば、

「食べられるようにしたい」

というように生活の一部を治療するとき、"この人はどういうものを好んで食べ、どういう風に食事をとってきたか?"みたいなことを知らない人たちが、「口から食べられないんだから、胃ろうで栄養補給」という判断をしていいのか? 

介護職の人なら、聞きとりすることからはじめるのが常識だと思うだろう。食事や排せつなどは、介護される人自身の生活と深く結び付いていることだから。その人の要望や生活習慣、生活環境に沿った形での介助を考え、これからの生活を想定していく。障害がある子もそうなんだけど、「これがしたい」と表現するのが難しい場合は、どういう方針で介助するか、家族と綿密に打ち合わせをするもんなんだがねぇ。

そもそも、2番目のリハビリ病院も、その次の病院も、父親が長年抱える難病についての知識が乏しい上に、「こう言う時にはこうだから」みたいに説明をしても、引き継ぎで話題にしないのか、共有されていないのには、まいった。

きちんと診察して、きちんと治療して、きちんと投薬して、きちんとリハビリすれば、良くなる。

良くならないのは、あなたのせい。あなたの努力と協力が足りないから。

私たちはがんばっているのに。

みたいな発想では、無理だろうなぁ。って思った。

リハビリ病院だから、専門家だしなぁと思いつつ、付き添っていたんだが。

なんで、こんなに発想が乏しいの。

これには、乾いた笑いしか出なかった。

ははは。

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2015-05-26 通りすがりの捨て台詞

たった3か月その6

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胃ろうの手術をするために、また、父親が入院しなければならない。手術といっても、胃カメラを飲みこんだ延長で行うので、病院によっては日帰りさせるところもあるそうだが……せっかく家に帰ったのに、また入院かよという思いもある。プラス、手術代は仕方ないにせよ、差額で支払う室料がバカにならないのだ。

「お金がないと、本当にしんどいだろうね」

「バカみたいにお金が出てくよね〜。はぁ」

と母親とふたりでため息。

地獄の沙汰も金次第ではないが、金がなくては、生きていけない。人生の終わりを迎えると、しみじみと感じる。人間らしさを獲得するにも、金、金、金かよと。


この病院で担当になる看護師にこれまでの経緯を説明した。胃ろうにする理由は、肺炎治療で4週間絶食というか、経管栄養ができるんだからと、水も飲ませてもらえなかったせいで、嚥下能力が落ちてしまったから。しかし、嚥下能力をつけるリハビリをしっかりするには、経管栄養の管が邪魔になるので、どうしても管をとりたいと。

「せめて、肺炎が改善した段階で、少しは口から食べさせてくれれば良かったんですが。水が欲しくても、一滴も飲ませてもらえなかったんですよ」

「肺炎の治療はそういうものですから」

かぁっと血が上ったね。

"そういうお前、4週間、水一滴も飲まずに、耐えてみろよ。それができてから、言って見ろ。『肺炎の治療はそういうものですから』って"

頭の中で、英国人のおばあちゃんが怒った時の姿。日傘でバンバン叩く。モンティパイソンによく出てくる、あのイメージを浮かべたよ。脳内で、おばあちゃんにその看護婦を叩いて、叱り飛ばしてもらって、うさばらし。まぁ、もう慣れた。

一事が万事なんだが、治療と称してなんでもやることが、どんだけ患者自身を壊すか。その後の患者の運命を左右するか。なんて想像したことないんだろうなぁ。

「これからの一生、口からなにも味わえなくなるかもしれない」

っていうような決断をせまられたことは、なかったんだが。どこかで、そういう説明があったのかねぇ。


以前、小児がんを患った子が、生きのびることを優先したせいで、低身長や発育不全などに、成人になって苦しむと言うドキュメンタリーを見たことがあった。途中で彼らの将来を思って、なんらかの手を打てなかったのか。生き延びたとしても、その後の人生をどう過ごすか。余裕がない患者任せではなく、周囲が考えてやれよと。見ながら思ったりもしたが。そんなことは、どんな医療現場でも起きているんだな。

建前上は、自己決定権とか、インフォームドコンセントとか、どんな医療を受けるのかを、患者自身がある程度は決められるシステムは整っていると思っていた。実際、そういう立場になってみると、そんな選択をする時間も、情報も与えられず、流れですべては決まって行く。「ER」で見慣れていた、救命救急などでは、まぁ、一刻を争うことだから仕方ないとは納得するが。危篤状態を脱して、考える余地が出てきたなぁと思っても、

「助かりたいなら、これで」

と医療側から差し出されるだけ。一方的に。選択の余地なんて、ない。

または、もっと露骨に、

「この病院で、治療を受けたいなら、これで」

「引き受けてもらいたいなら、これで」


「これで」と医療側が主導して作った流れは、変えようとすること自体が異例で。それは、肺炎の治療やリハビリの手順とかだけにとどまらず、どの部屋のベッドになるか、どの病院へ転院するか。みたいなことまで、差し出されたものを受け取るしかない。


最初に書いたように、ひとつの提案として、割といろいろ言って見たのだ。

はてなダイアリー

「薬の飲み方を変えてください」

「管は使わないでください」

「病状が落ち着いてきたら、水を飲ませてください」

「あの病院には戻りたくないので、退院させて、家に帰らせてください」

合理的な説明をしてお願いはしたんだが、このレベルの要求すら聞いてもらえなかった。どうしても通すには、ものすごいプッシュが必要になり、結果を出せたのは、

「家に帰らせてください」

だけだったのは、かなり衝撃を受けているんだな。

それすら、2軒の病院と各1時間ずつ、猛烈にやりあって、やっとのことでなんだぜw

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2015-05-23 オレを踏み台にしたぁ

組体操の教育的な意味とは?

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この間、息子の小学校で運動会があったんだが、高学年は組体操だったなと。

で、あぁ、やっぱりねというニュース。

名古屋大学教育学部の内田良准教授は、日本スポーツ振興センターの資料をもとに、組み体操による事故を調べていて、平成25年度までの31年間に障害が残った事故の件数は88件にのぼることが分っています。

内田准教授が事故の内容を詳しく調べたところ、子どもたちが円形になって、3段以上に積み上がるタワーでの事故が最も多く26件で、次に多かったピラミッドの事故の2倍以上にのぼることが明らかになりました。

タワーは円形になって積み上がったうえで下の段から順番に立ち上がっていく大技で、事故の多くは、途中で崩れて、上の段の子どもが転落したり、下の段の子どもが下敷きになったりして、骨折などのケガをするケースです。

http://www.nhk.or.jp/tokai-news/20150522/4924101.html

組体操、なんでやるんだろうね。

息子が通っている小学校は、3年前までは、娘も通っていたんだけれど、そのころは組体操をやっても、せいぜい4人で手をつないで「扇」とか、お互いに倒立し合うぐらいだったんだがなぁ。去年から、いわゆる「ピラミッド」をやるようになった。昔ながらではなくて、安全性を考えて、二重三重に配慮した組み上げ方法ではあるんだがなぁ……基本的にギリギリのところまで挑戦させたいらしく、傍から見ていてとても危なっかしかった。

そして、今年、高学年になった息子は、運動会で、組体操をやることになった。

息子は、背が高い方なので、当然のごとく、下で支える役を担当することになった。3人で土台を作って、小さい子が上にのる「二段タワー」や数人でひとりを支える「アーチ」、そして大技、学年全員参加の「ピラミッド」。毎日、練習で何回も人を持ち上げた息子は、ぼやいていたなぁ。。

「お母さん、今日も運動会の練習なんですよ。今日も、また、組体操なんですよ。もう、毎日クタクタ」


持ち上げたり、踏まれたり、いちばん下の段の子たちは、なんの意味もわからず、ただ耐えるだけなんだよね。意味のないことをやらされるほど、しんどいことはないんだよね〜。プラス、ケガをしても、させてもいけないから、組体操の間はずっと緊張し続けるんで、息子は心身共に疲れ切っていたな。


そして、運動会の本番を見た娘は怒り狂っていたな。

「こんな大きな組体操は、中学生がやるものだよ。身体がしっかりでき上がっていない小学生にやらせちゃダメ! 高学年といっても、ひとりひとりの背の高さが違い過ぎるし、骨格も整っていなし、集中力も続かないんだから。危なすぎる。そもそも、組体操で、なにが鍛えられるの? 誰かがやるとうれしい」

意外とまともな怒りじゃないかと思ったんだがね。

そもそも、組体操でなにを鍛えるんだろう。校長先生は「仲間と協力することの大切さ」と言っていたが、それを教える科目は、体育じゃないでしょうにね。

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2015-05-22 明るい夜

6時過ぎたのに!!!

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明るくて、驚いたよ。

日が長くなっているんだねぇ。

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2015-05-19 次のフェーズへ

たった3か月その5

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家に帰ってきてから、定期的に看護師が来てくれている。毎回、バイタルのチェックをしてから、吸引や口腔ケアをしてくれる。この間は、ちょっとの居眠りだからと、ミトンを付けるのを忘れていたら、チューブを抜いてしまったので、予定ではない日にも関わらず、駈けつけてくれた。そして、「ちょうどいいから」と経管栄養のチューブを交換してくれた。

在宅介護になってからの主治医は、看護師経由で父親の状態を知っているようなので、まだ、1回しか往診に来ていない。それでも、安心していられるのは、「いつなんどき困ったことがあれば、どうぞ」と携帯の番号を教えてもらっているから。もし、主治医が出なくても、もうひとつの番号にかければ、当番医が対応し、気軽に相談できる体制が整っている。

母親の通院や買い物は、週2回のデイサービスの時に済ませている。"寝たきり同然の状態でデイサービスなんて行けるのか?"と思っていたんだが、受け入れ先の看護ステーションは、極一般的なこととして受け入れてくれた。そのおかげで、母親は外出しなければいけないことがあっても、困ることはない。

本当にありがたい。介護サービスを使おうと決めたら、ここまでできるんだってことに、驚いている。

このチームを組んでくれたのは、以前から世話になっているケアマネージャーで、連休も関係なく走り回ってくれた。骨折する前からの付き合いなので、"このまま寝たきりにしたくない"という思いをよく汲んでくれたなぁと。


「絶対、無理ですよ。お母さんひとりで、おむつ交換に、経管栄養、薬の管理。絶対世話できませんよ。今、転院しておかないと、自宅に帰ってから、転院先は見つかりませんよ」


って、あの脅しはなんだったんだろう。あの病院は、医師だけでなく、看護師も揃って、無理無理と嗤っていたからなぁ。


例えば、退院前に「感染症が怖い」と消毒の必要性をがんがん言われて、毎回、食事の際には、手指をアルコール除菌して、器具はすべて哺乳瓶並みの消毒と言われたので、その準備も整えたのだが。

「経管栄養といっても、食事ですから」

というわけで、今の看護師からは、栄養注入用の道具も、通常の食器と同じような扱いでいいし、作業する人の意識も食事の支度の時と同じレベルでいいと教えられた。

紙おむつにしても、入浴にしても、褥瘡予防にしても、聞きかじっていた在宅介護の話とは、全然違うし、病院で必死に習ったことのいくつかは、医療行為らしさのポーズじゃねという気がしている。


今の主治医や看護師に聞くと、うちだけ特別なサービスをしているわけではないそうだ。要は、在宅ならば在宅らしいやり方があるってことだ。病院と同じでなくても必要な処置はできるし、ベタに付いていなくても充分に看護はできる。前の病院で受けていたよりも、ずっと合理的で簡便なやり方で。


あまりにもスムーズに進んでいるので、訪ねてきた看護師にお礼をいった。

「どうなることかと思っていましたが、これならどうにかなりそうだと。ホッとしました」

「患者さんに合わせて体制を整えているだけなんですが」

「悪いですね、なんかこんなに来てもらって」

「とにかく肺炎が怖いので、こまめに診させてもらっています。経鼻でチューブを使うと、その危険性は高くなりますからね」

「そうなんですか」

「肺への道、気管支と食道を分ける弁のところに、チューブを入れて、無理やり開けた状態にしていますから、どうしても危険性は高くなるんですよ。だから、このままでは、口で食べるための訓練はできないんです」

「チューブが邪魔ってことですね」


というわけで、胃ろう手術を行うことになった。


昨今、大変評判の悪い、あの、「胃ろう」ですよwww

その結果、またまた、いろいろなことを見聞きすることになったのだが。

それは、また、落ち着いてからw


参考 胃ろう(胃瘻・PEG・ペグ)と栄養に関する情報を提供する|NPO法人PEGドクターズネットワーク(PDN)



追記

そうそう、病院の主治医から受けた、いちばんアホらしい脅しは、

「自宅に連れて帰ったら、肺炎になっても、重体になるまで誰も気づかないでしょ。毎日医師を往診させるんですか? 肺の音を聞いてもらうだけに!!! そんなことできないでしょ? すぐに手遅れになって、また入院ですよ!」

というもので。

さすがにバカなと思ったので、

「あの、医師でないと、肺炎の兆候はわからないものなんでしょうか?」

「そうですよ!」

「あのぉ、看護師では、肺炎の徴候に気づけないものでしょうか? 訪問看護ステーションから、できるだけ来てもらうようには頼んでいるんですが」

「毎日なんて来ませんよ! みんな忙しいんだから」


話が終わった後で、母親とこっそり。

「心配ならば、毎朝聴診器を使えばいいよ。訪問してくる看護師から、お母さんも、私も、肺の音の聞き方を習おうよ。平時の肺の音を聞き慣れていれば、違う音が出ていれば、気づくでしょう」

「そういえばそうだね。いつもと違った音がしたならば、そこで看護師を呼べばいいんじゃないかな」

それを相談した結果、ケアマネが組んでくれたのが、週2日のデイサービスと、週2回の入浴サービスと、随時の訪問看護で。看護ステーションが運営しているデイサービスだと、家を出る前にバイタルをチェックするから、肺の異変に気づくわけだな。入浴サービスも、看護師が付いてきて、バイタルをチェックするから、やっぱり気づくわけで。

知恵があるって、すばらしい。