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北沢かえるの働けば自由になる日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2018-06-15 良かれと思っての地獄

躾と虐待のあいだ

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目黒区の5歳の女の子が亡くなった件。やりきれない話で、聞くと、赤の他人でまったく関係がなかろうが、どうにかできなかったのかと思ってしまうんだろう。テレビを見ていたら、あの子が亡くなったマンションの前に来て、泣いている大人が何人もいるらしい。

今回の件で刺さったのは、このつぶやきからはじまる意見で。

今回の虐待死の話、なんてひどい親なんだって話に違和感がある。だって、4歳5歳の子供が、親の言うことを聞き分け、ひらがな自分で書けて「自分がいかに悪かったか」を反省する手紙を自力で書いてるわけでしょう? 「世間様が認める立派な子供」じゃん。「完璧な親を求める人が理想とする子供」だよ。

https://twitter.com/hollyhockpetal/status/1006348895473958912

私も、追っていてすごく気になったのは、義理の父親は厳しかったが子どもを大切にしているようだったという周囲の評価だった。東京都目黒区に来たのは「虐待するようなダメな親」という評価を恐れていたのかなとか。そもそものはじまりは、世間から評価される“いい子”にしたいという期待なんじゃなかろうかとか。モヤモヤした。なぜなら、かわいくて、モデル体型で、遊びもせず、親の言うことを聞いて、勉強に励む。そういう子に育てたいと思っている親は少なくないから。

それが虐待になって、最悪の結果になってしまったこと。

そこは考えないとまずいなと思った。子どもを育ててみるとわかるが、そんなに親の思惑通りにはならない。だから、高いお金をかけて躾ける幼児教室が流行るわけだし、体操やバレエ、水泳など習い事が人気なんだ。そして、大人が思う“いい子”にしていくことが、乳児期や幼児期の子どもにとって、必要なことではない。この時期に身につけることとしては、もっと、もっと大事なことがあるんだよ、今は!!! ってのは発達心理学等々を学ばなくても、きちんとした育児書を1冊読めば書いてあるんだが。

親は、もっと、楽しく、適当に、子どもがしたいことに付き合うべきなんだがなぁ。

定本育児の百科 (岩波文庫)〔全3冊セット〕

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そして、子どもがいない大人たちには、見知らぬ子の虐待に、怒ったり、泣いたりしてくれる気持ちがあるなら、あなたの目に入る範囲にいる子どもには、寛容になって欲しいな。

子どもと親の、バカで、愚かで、ダメな部分を見ても、苦笑いして欲しいよ。困っていたら声をかけてやってほしい。

ここんところ、TLを騒がしていた「車内で子どもを騒がせるな、きちんと躾けろ」というつぶやきが賛同を得ている件と、この虐待の背景はつながっている気がするんだな。


冷静と情熱のあいだ

冷静と情熱のあいだ

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2018-06-14 それが苦手

「右でも左でもない、平和を愛する、普通の日本人」

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「自分の生まれた国を好きで何が悪い!」と叫んだ話を聞いて、なんとなく思い出した件。

先月、立山黒部アルペンルートを通り抜ける旅行に行ったとき、どこにも外国人観光客がいて驚いた。東京以上に、土産屋も、食堂も、外国人観光客に対応していて、進んでいるなと思ったんだが。

インバウンドがどこも多いから」

とビジネスで関わっている人たちは言っていたが、本当に、地方の観光地は、外国人頼みのようだ。

中でも、東南アジアからのツアー客が多かった。恐らくは、中国や台湾からなんだろうなと思ったのは、立山へ向かうケーブルカーの乗り場は漢字が飛び交っていたから。観光客同士がしゃべる中国語は、東京で聞く中国語よりは、語気が鋭いというか、角が取れていない感じがして、楽しかった。このポンポンと進む感じがいいよなぁとニヤニヤしていた。

というわけで、駅構内がうわんうわんなるほど、ツアー客の中国語がうるさかったので、いっしょにケーブルカーを待っていたおばさんたちが、ツアーのガイドに声をかけた。

「あなたたち、どこから来たの?」

ガイドは、香港映画の色男風、ホイ三兄弟のサミュエルみたいな感じだったので、広東か福建辺りかと思ったんだが。

台湾からです」と彼はにっこり答えた。

「あぁ、そうなの。そうじゃない方かと思ったわ。台湾で良かったわよね」

とおばさんは、となりのおばさん、おじさんに同意を求めた。

「あー良かったよね、台湾だもの」

「そうそう、あっちじゃなくて良かった」

台湾だから良かったわよね」

その辺の微妙な空気が伝わったかわからないんだが、台湾から来たガイドはニコニコしながら、日本はいいところと話をしはじめた。

「私は、台湾で日本人向けにガイドをやっていたんですが、何回も何回も案内して飽きたので、日本に来て、台湾人へのガイドをはじめたんです。日本はいいですね、台湾よりは見るとこもたくさんあるし、サービスもいいし。食事もいい。自然はきれいで、交通も整っている。台湾はもっとがんばらないと」

というような、リップサービスを聞きつつ、

「やっぱり、そうなのね」

「そうなの、ああそうなのね」

と、おばさんとおじさんたちは、ニコニコと満足げだった。


それを見ていた私は、こう言いたくなった。

「ねぇねぇ、日本をそこまで誉めなくていいよ。台湾にだって、日本人が大勢行っているし。日本には日本の良さあるが、台湾には台湾の良さがあるよ。私は知っているから。別に、そこまで言わなくてもいいさ。サービスでディスらなくていいよ、台湾を。もっと台湾のいいところの話をしようよ」


しかし、“台湾だからいい”、ってなんだよ。中国語にイライラしていたくせに。もし、中国だったら、なんか問題なのかよ。シンガポールはどうなんだよ、タイにだって、マレーシアにだって、中国語ガンガン使っている人たちはいるし。後ろに並んでいるグループは、たぶん、台湾でも、中国でもない、どこかの東南アジアの国に住んでいる中国系だと思うぜ。

こんなカジュアルに、普通の人が、中国disって、台湾を上げるみたいなのを、目の前で見せつけられて、驚いたよ。

やばいな、この国。

「右でも左でもない、平和を愛する、普通の日本人」ってこういう感じなのか。

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2018-06-13 ここでなければ探せばいいさ

なにができたのだろうか。

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新幹線内で乗客が刺殺された件、今回、驚いたのは、すぐに肉親が取材に応じ、次々と加害者のプロフィールが明らかになったことだ。その中で出てきた言葉がとげのように刺さった。発達障害、いじめ、不登校、親との不仲、理解不能な言動、家出……。

「どうしていいのかわからなかった」

という父親の言葉には真実があると思った。

捜査はこれから進むのだろうが、「自分は価値のない人間だ。自由に生きたい。それが許されないのなら死にたい」と漏らし、殺人をするまでになった経緯を知りたいが、それは容易には説明されないだろうなと思った。親でさえ、断絶を感じていたんだから。

ここ数日、夫との間ではこの話を何度かし、さぁ、これはどうしたもんかと思う一方、肉親たちの発言をまま信じるとしたら、子どものころから問題はあったのだが、その問題をどう扱っていいかわからないままに育ってしまったのかもなと思った。

20年前は、「発達障害」という概念はまだ世の中に定着していなかったし、専門家も少なかった。今なら適切な配慮がされる子であっても、単にわがままで、言うことを聞かない、扱いづらい子。というように扱われて苦労しただろうなぁ。感覚過敏や独特の思考法を理解されることはなかっただろうなと思った。

しかし、これも推測でしかないから。



結構な衝撃だ。

それで、私たちは子どもたちになにができるのか、いや、できたのかわからないが、これではないかとやってきたこととはなんだったんだろうと、振り返ってみると、専門家のアドバイスのこれが一番効いたなと思った。

「居場所をたくさん作ってください。学校、習い事、近所の友だち、スポーツ……それがどのぐらいあるかが、大事です」

要は、学校でイヤなことがあっても、塾へ行けばそのイヤなことを忘れられる。塾で点がとれなくてガッカリしても、習い事ではほめられた。習い事がうまくできなくてむしゃくしゃしたら友だちとゲームをすればいい。ゲームしすぎて怒られたら、学校へ行って友だちに「DSを取り上げられた」と嘆けばいい。そうやって、なんとなく、いろんな居場所をぐるぐると移動できること。その居場所を増やせるのは、親というか、大人の力が必要だと言われた。

学校に通えるぐらいの、ちょっと面倒くさい子たちは、問題が深刻でない分、手厚くされることはない。それはしょうがないんだけれど、放っておくと、凝り固まってしまう印象がある。ひとつの考えにはまると、そこからなかなか出てこれない。イヤな目にあうとあうとイヤな目のことだけであたまいっぱいになってしまいがちだ。

死にたい気持ち。それに取りつかれないように。

そうならないように、逃げ場を用意して、イヤになったら逃げる。無理せず、すっと気持ちを切り替える。みたいなことを学ばせるようにした方がいい。

というような話をいちばん大切にしていたと思う、個人的には。


自分の中ではつながっているんだが、下の本を書いた熊谷先生の講演を聞いた時、興味深く感じたのは、

「健常者とは、依存先をたくさん持っている人で、障害者とは、依存先が限られている人たちだ」

というようなフレーズだった。

要は、好きなように、自由にふるまえる健常者とは、自立しているのではなく、無意識にいろいろな人に依存できるし、依存することを許容されている。障害者は、その障害により限られたリソースの中で、依存できる先を探すから大変なんだと。

発達障害の場合は、自分から依存したいとか、依存してもいいんだろうかとか、そういう発想ないから。

なんていうか、自立というといいように聞こえるが、要は、自分からうまく関われず、孤立していて、社会とつながりがもてないし、受けられるサービスも限られるし、簡単に周囲に依存できないってことなんだ。

そうならないように、なんか、親としてはいろいろと動いてみたんだが、そういう考え方すら、昔はなかったことを思うと、なんだか、哀しくなった。

つながりの作法 同じでもなく 違うでもなく (生活人新書)

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2018-06-08 機械と暮らせば

基盤の入れ替えをしたら。

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今年に入ってから洗濯機の調子が悪くて、風呂水の吸い込みが悪いし、途中で止まったりもするし、なんだろうと思っていた。

そして、遂に電源を入れると警告音が止まらなくなったので、慌てて、修理を頼んだ。

修理に来た人は、パネルを開けてすぐに、

「あ、これは基盤からいかれてますね」

と言った。予想通り、機械的な部分ではなく、制御する部分がおかしくなっていたようだ。

「それで、修理はできますか?」

「大丈夫です。すでに部品の保証期間は終わってますが、このタイプは人気が高いので、まだ、基盤ありますから」

「あ〜良かった」

とホッとしたら、真顔で言われた。

「でも、基盤ごと交換してしまうと、今までのこと、全部忘れますから。まっさらになりますよ」

そうだ。基盤こそが、この洗濯機の脳に当たるわけで、交換したら、確かに、今までの“彼”とは違う個体になってしまうってことではないか? 脳の移植ってことだから。

そう思うと、なんだか、哀しくなってきた。

息子が生まれる直前に買って、家族が増えるんだからと、大きめにして。男の子だから、汚すことも多いだろうと、がんばってくれよと使っていたんだよ。

ところが、服を着替えるのが大好きな娘が、日に何枚も服を洗濯に出すもんだから、予想とは全然違っていたなぁとか。

いろいろなメーカーの家電を使ってきたが、やっぱり日立のモーターだろと、そのブランドを信じて、日立にしてよかったよなぁと夫と話し合ったっけ。前の洗濯機が何回も故障したからなぁ。

最初に洗い上がったときの、白さ。びっくりするぐらいにきれいになっていて、感動したんだよ。

などなどが走馬灯のように頭を巡った。本当にいい仕事を日々してくれていたじゃないか。その経験も時間もすべて消えるのか。えー、なんか、それやっちゃっていいことなのか。修理とはいえ。

確か、星新一ショートショートにこんな話があった。

人間型ロボットだけが働いている工場がある島にある。そのロボットたちはとても高度な作りなので、何百体もいっしょに働いていると、あたかも人間のように恋をして、カップルができ上がる。工場を管理する人間たちも、それを黙認して、見守っているのだが。年1回の一斉メンテナンスを受けると、あっという間にカップルは解消。なにごともなかったかのようになってしまう。要は、ロボットの脳をメンテナンスして、ゴミだの無駄な情報だのをクリーンアップすると、人格が変わって、百年の恋も冷めてしまう。彼らの恋とは、ほこりや油の残りで出来上がった、ある種のバグみたいなものなのだった。

そんな話を思い浮かべつつ、修理をお願いした。

そして、基盤を一新した洗濯機は、別人になった。

ぜーぜー、ふぅふぅ言いながら仕事していたころと比べると、軽やかに鼻歌を歌いながら、動いているイメージ。なにもかも忘れていたから、もう一度設定をし直したんだけど、それもすんなり受け入れて、ハイよと片付けていく。


とってもありがたいんだけど、なんだか寂しくもある。

AIが当たり前に家庭に入ってきて、いっしょに暮らすようになったら、この辺の感覚変わるのかなぁ。いきなりのアップデートで、慣れ親しんでいた人格が消えたら、ショック受けそう。

私はなかなか慣れない気がするなと思った。

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2018-06-07 低音ドッキリ

これが声変わりというものか

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息子の声がいきなり低音になって、驚いた。

2週間前ぐらいから、なんか声が安定しないなと思っていたんだが、今朝、気づいた。

なんだ、この低音は。

いきなり別人の声になるんだねぇ。驚いた。

息子の感想。

「ぼく自身はよくわからないんですが、歌うのが辛いです」


息子とは、保育園の帰り道、歌いながら歩いたな〜。

好きだった「きみのこえ」が今も耳に残っている。

どんどん大きくなっていっちゃうんだなぁ。

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