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北沢かえるの働けば自由になる日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2018-06-13 ここでなければ探せばいいさ

なにができたのだろうか。

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新幹線内で乗客が刺殺された件、今回、驚いたのは、すぐに肉親が取材に応じ、次々と加害者のプロフィールが明らかになったことだ。その中で出てきた言葉がとげのように刺さった。発達障害、いじめ、不登校、親との不仲、理解不能な言動、家出……。

「どうしていいのかわからなかった」

という父親の言葉には真実があると思った。

捜査はこれから進むのだろうが、「自分は価値のない人間だ。自由に生きたい。それが許されないのなら死にたい」と漏らし、殺人をするまでになった経緯を知りたいが、それは容易には説明されないだろうなと思った。親でさえ、断絶を感じていたんだから。

ここ数日、夫との間ではこの話を何度かし、さぁ、これはどうしたもんかと思う一方、肉親たちの発言をまま信じるとしたら、子どものころから問題はあったのだが、その問題をどう扱っていいかわからないままに育ってしまったのかもなと思った。

20年前は、「発達障害」という概念はまだ世の中に定着していなかったし、専門家も少なかった。今なら適切な配慮がされる子であっても、単にわがままで、言うことを聞かない、扱いづらい子。というように扱われて苦労しただろうなぁ。感覚過敏や独特の思考法を理解されることはなかっただろうなと思った。

しかし、これも推測でしかないから。



結構な衝撃だ。

それで、私たちは子どもたちになにができるのか、いや、できたのかわからないが、これではないかとやってきたこととはなんだったんだろうと、振り返ってみると、専門家のアドバイスのこれが一番効いたなと思った。

「居場所をたくさん作ってください。学校、習い事、近所の友だち、スポーツ……それがどのぐらいあるかが、大事です」

要は、学校でイヤなことがあっても、塾へ行けばそのイヤなことを忘れられる。塾で点がとれなくてガッカリしても、習い事ではほめられた。習い事がうまくできなくてむしゃくしゃしたら友だちとゲームをすればいい。ゲームしすぎて怒られたら、学校へ行って友だちに「DSを取り上げられた」と嘆けばいい。そうやって、なんとなく、いろんな居場所をぐるぐると移動できること。その居場所を増やせるのは、親というか、大人の力が必要だと言われた。

学校に通えるぐらいの、ちょっと面倒くさい子たちは、問題が深刻でない分、手厚くされることはない。それはしょうがないんだけれど、放っておくと、凝り固まってしまう印象がある。ひとつの考えにはまると、そこからなかなか出てこれない。イヤな目にあうとあうとイヤな目のことだけであたまいっぱいになってしまいがちだ。

死にたい気持ち。それに取りつかれないように。

そうならないように、逃げ場を用意して、イヤになったら逃げる。無理せず、すっと気持ちを切り替える。みたいなことを学ばせるようにした方がいい。

というような話をいちばん大切にしていたと思う、個人的には。


自分の中ではつながっているんだが、下の本を書いた熊谷先生の講演を聞いた時、興味深く感じたのは、

「健常者とは、依存先をたくさん持っている人で、障害者とは、依存先が限られている人たちだ」

というようなフレーズだった。

要は、好きなように、自由にふるまえる健常者とは、自立しているのではなく、無意識にいろいろな人に依存できるし、依存することを許容されている。障害者は、その障害により限られたリソースの中で、依存できる先を探すから大変なんだと。

発達障害の場合は、自分から依存したいとか、依存してもいいんだろうかとか、そういう発想ないから。

なんていうか、自立というといいように聞こえるが、要は、自分からうまく関われず、孤立していて、社会とつながりがもてないし、受けられるサービスも限られるし、簡単に周囲に依存できないってことなんだ。

そうならないように、なんか、親としてはいろいろと動いてみたんだが、そういう考え方すら、昔はなかったことを思うと、なんだか、哀しくなった。

つながりの作法 同じでもなく 違うでもなく (生活人新書)

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