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2014-07-12

個人的イノベーションのジレンマ「ピーターの法則」

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ピーターの法則というものがある。

ピーターの法則(ピーターのほうそく、英: Peter Principle)とは組織構成員の労働に関する社会学の法則。

  1. 能力主義の階層社会では、人間は能力の極限まで出世する。すると有能な平(ひら)構成員も無能な中間管理職になる。
  2. 時が経つにつれて人間はみな出世していく。無能な平構成員はそのまま平構成員の地位に落ち着き、有能な平構成員は無能な中間管理職の地位に落ち着く。その結果、各階層は無能な人間で埋め尽くされる。
  3. その組織の仕事は、まだ出世の余地のある、無能レベルに達していない人間によって遂行される。

なぜ上司(特定の人をささない)は無能になるのか、組織はなぜ無能なのか、人間の根本的な階層社会の問題点の話だ。

よくある話として、小さな会社が急に大きくなって中間層が相対的にいなくなり

結果として、カオスやおもいっきり統制を取り過ぎて硬くなり、結果として事業がうまく行かなくなるという話がある。

インターネットは、フラットだ、フラットネットワークだと言ってそれを解消したかのように思えたが、現実に起きる組織と言うのは階層社会をベースにしており、そこを超越しているような状況にはなっていない。

階層化の限界

今までなんとなく、おかしいと思っていたポジションとボーナスの関係性問題が人間の本能が望む階層化によって発生するものなのだ。

個人がうまくいった場合に、その人は有能だと評価されるため、それをスケールするためにポジションを上におくり、ボーナスを貰う。しかし、有能さは、万能なものではなく、レイヤーによって必要な能力が全く違うため、無能になる。そのため、無能になるまでポジションが上がり、結果上位レイヤーはみんな無能で埋まる。

有能さにベクトルがなければ、階層化モデルはうまくいくのだが、実際には有能さにはベクトルがあるためにうまく行かなくなる。

どうすればいいのだろうか?幾つか階層モデルに変わるモデルを考えてみる。

階層モデルに変わるモデル

まずはすでにある既存モデルを並べてみる。

完全フラットモデル

github社がやっているという完全フラットモデル。全員給与固定で役職なし。

確かに階層モデルは解消する。解消するが・・・なんか夢がない・・・。

階層+主体性モデル

階層化で報酬を払いつつ、評価する価値観として主体性を強く評価するというモデル。主体性とは、自ら組織の価値観を評価して、自己の評価によって行動を決定するモデルだ。視点と頭の良さが必要。

完全に解消するわけではないが、階層モデルに比べるとまだましだ。

2つのモデルをみると、階層性を完全に廃したモデルと、階層性の中に価値観としてのフラットを強く取り入れたモデルとなる。この他にあるか考えてみる。

実現したいコンセプト

  1. 組織として目的が達成し続けることができる実現力を持つ
  2. 組織の内部の人が現実的なレベルで幸せである

幾つか考えてみるが

組織の結果と人の状態の2つが最低要件であるように思える。

組織として結果を出す、人が快適だと思える組織である。

この2つはそのまま接続をするとコンフリクトを起こす。

その前に、組織としての結果と人が快適だと思える状態というのは、おそらく星の数ほどあって、そもそもここにいろいろな状態が入るため、全て十全にはならないということは想像に難くない。

さて、複数のレイヤーの問題を同時に解くというのはひどく難しい。それはそれぞれのレイヤーでよいと思われることがほとんど必ず、ぶつかるからだ。これをとくためには更にレイヤーを足して目的でまとめるのがよい。

今回だと市場経済を追加すると良いと思われる。

まとめると

  1. 市場経済
  2. 組織

の3層問題を同時に解く形になる。

市場経済が求めるものは、発展と安定性である。

ただ、地球リソースが限界があり、発展をするためには今までに発展していないところの市場を切り開いたり、今までの市場の上に更に市場を作ったりといったイノベーションが最近のトレンドである。組織に求める次点として、マーケティング的なポジションや、組織的な能力としてケイパビリティが求められる。

最近は特に、金融経済が安定性の点で限界点に達しており、これ以上上の上位構造も特に無いため困ったものだという状態になっている。次に起きるのは崩壊か、進化かだろう。

他にグローバリゼーションによって、個別の地域での組織ポジションというものがなくなりつつある。世界で1位以外に価値はなくなってしまう恐ろしい世界だ。更にこれは戦争で世界が壊れる以外には不可逆である。

組織の求めるものは、発展と安定性である。

最近は、人類があまり増えないため市場が飽和しており、新しい市場を見つけるということが非常に困難になってきている。ただそれでも組織にとってイノベーションは一発逆転の夢であるため、そこは担保しておきたい。イノベーションと安定性という逆の価値観を同時に融合させる必要がある。プロダクトとして多産多死を制作チームとして少産少死を目指すという無茶な注文だ。しかし、これを出来ないことには、未来がない。

人間の求めるものは、発展と安定性である。

最近は市場があっという間に飽和するため、結果して求められる能力が数年単位でかわり、かつての終身雇用など夢のようになっている。どんな年齢であっても学習を辞めてしまっては安定性から落ちてしまうのだ。このような場合、個人としては市場性のあるスキルを学ぶか、安定性のある組織に所属するといった策を使うことになる。


まとめてみると、発展(成長)と安定の2つを各レイヤーで必要されている事がわかる。

このへんのモチベーションというか法則というのは、この世界でよく見るタイプのものだ。つまり、生命に関わる時によく出るものだ。カオスのエッジの状態を維持する複雑系の問題だ。

理解は進んだものの、さてどうしたものか。

teruyastarteruyastar 2014/07/14 21:19 完全フラットモデルでいいと思います。

夢がないというのは給与面だとしたら、
開発者、クリエーターの報酬は名誉や、でかい仕事で構わない。

全員給与が同じなら、
組織の総出力/人数=自分の給与なので、
自分しかできない仕事で自分の価値を上げるよりも、
どんどん自分ができる事を人に教育した方が得になり、
偉い人や管理職しかもってない決定的な情報を、
全員で共有して最適化を考えることができ、
自分より優秀な人の人材採用や、
現場で働いたほうがいいプロデューサーなども、
自然と役職におけるピーターの法則の回避になります。

完全フラットモデルが、世界一となる組織の全体最適化に一番近い。
能力のある人が給与面で不利ということはあるかもしれませんが、
成立すれば(働かない人も含めた)全員の給与が100倍になる可能性もあります。

あと、名前を出していけばその名誉がより高い給与でヘッドハントされることもあるでしょうけど、フラットモデルでは教育システムが自然最適化されるのが強みなので、どんどん人が育つ強い組織となります。

世界一を取る組織の条件は、
■上司の評価を気にしない
(評価はない)

■全社のプロダクト成果を気にする
(直接給与に反映される)

■給与のせいでピーターの法則が発生しない
(自分が現場に降りてあいつに任せたほうが結果給与が上がる)

■決定的な情報を全体で共有できて判断できる。
(組織の金の流れ、秘密のプロジェクト、人事考査、現場が言っても無駄、あるいは自分なんかがおこがましいと思って眠ってるイノベーションは多すぎる)

■給与が個人出力で決まるといっても、仕事が10倍できても給料は2倍にはなりません。個人の出力はどこまでも部分最適化でそのまま会社の出力にならないからです。むしろ仕事ができるほど2次曲線で余計な仕事が増えるばかり。

そんな組織の教育はするほうも、「される方」も大きなコストになり、うまくいくことはなく、土台が何年たってもできあがりません。しかし給与が全体出力で決まるのなら、教育や土台作りは頑張りと比例する効率のよい、限界のない給与アップとなり最優先に近づきます。


給与なんか気にしない、かつての2chFlash板やニコ動などはクリエーターの才能がいかんなく発揮されます。しかし、給与が発生すると想定外だった能力が給与内に収まってしまう。給与のために働くようになると、給与との駆け引きが関わる全てのスタッフに発生してしまい、みえない内部闘争におちいります。こうならないのは、印税が比例収入となりワンマン体制に限りなく近い漫画家や小説家、ミュージシャンなどでしょう。


ですが、ほとんどの人は給与をベースに物事を考え、給与をベースに組織を作るので、この矛盾から抜けだせません。


斎藤一人流に言うなら、この世界はクラス対抗戦です。
テストの40人の総合得点で勝負が決まる。
しかし生徒への報酬は個人の得点のみで全体の得点によるボーナス率はかなり低い。
(このボーナスは先生と校長(役員)がほとんどもらいます。)

なので、生徒は40点の仲間を教えて80点に引き上げるより、
自分が頑張って85点取ったほうが得になります。
先生はその生徒を褒めながら、
なぜそれが全体で共有できないのか悩みます。

金のある学校は、40人分のエースをあっちこっちから引き抜きますが、
生徒の引き抜き料が高くて赤字になるリスクを持ってます。

そうじゃなくて、80点取れる奴がいたらみんなで教え合って
もう一人80点取れる人を増やしたほうがいい。
1人で100点目指すよりも、
みんなのレベルが上がるほど、100点を攻略しやすくなります。


トヨタの全体最適化は、製造や流通やプロジェクトにも応用されてますが、給与面でボトルネックをなくすことで、人材というイノベーションを最大源活用できます。


人は環境で成長します。
実力がなくても役職や大きなプロジェクトが人を成長させます。

これはつまり、役職以外の人は全員自分で
能力やアイディアにフタをしています。
役職すら、社長以外は自分で気づかずに役職までの制限をかけています。
階層モデルではむしろ能力全開にすると、
周りが混乱して迷惑となる(その人が成功しようと周りの報酬はほとんど増えず、かつ負担にしかならない。)ので全開にしないようにたくさんの無意識の制限がかかります。だから階層モデルでは余計な能力を発揮してもらわないための圧力が多方面からかかります。


フラットモデルは、その無意識の発想や常識からフタを外そうということに他なりません。
階層モデルは、社内で自分が成功しようと自分の利益のため他人の足を無意識に引っ張るゴールドラッシュモデルです。
フラットモデルは社内で自分が成功するよりも、むしろ社内の他人をどんどん成功させようという力学が自然と働くリーヴァイスモデルです。

http://www.rengyouji.com/%E8%93%AE%E8%A1%8C%E5%AF%BA/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%88%E7%89%88/%E5%A4%A9%E5%9B%BD%E3%81%A8%E5%9C%B0%E7%8D%84%E3%81%AE%E9%95%B7%E3%81%84%E3%81%AF%E3%81%97/

「普通」の会社はみんな全体がみえてなく
地獄の箸の使い方をしてるので
天国の箸の使い方をしようということです。

ちなみにgithub社は、githubというエンジニア版Youtubeを作りたいとのことだったので、githubという制限を自らに課してます。なので現時点で大儲けするための会社ではなく、世界のプログラマのための会社かと思います。

いくらフラットといえど、会社の目的と規模ばかりは、創業者の野心が決めることかもしれません。

teruyastarteruyastar 2014/07/14 21:19 、、、相変わらず、コメント書き始めると本記事以上の量になってすみません(ヽ´ω`)

kaerusanukaerusanu 2014/07/15 06:03 フラットは内部的に一番うまくいくのは知っているが、人間の本能的に一番違和感があるモデル。
情報モデルとしては正しい。

以下現実問題として語る。

問題としては4点
・我々のサイズの限界問題
 我々だと思えるサイズはいくつか?
・個人の成長のレベルデザインの報酬が少ない(=フリーライダーの発生)
 優秀でない人ほど理解をしないため、フリーライダーになる
 人間の本能としての夢がない
・他の組織形態からの優位性(給与)の少なさ
 優秀な人が引き抜けない
・免疫系の問題
 有害な人をどうやって弾くか

くらいかな。平均給与だとどうしても現実問題それほど上げられない。
優秀な人ほどその会社に行くメリットは少ない。アウトプットとしてフラット系の会社が現状の会社を駆逐するかという点について、情報系に関してはうまくいくかもしれない。

kaerusanukaerusanu 2014/07/15 06:28 人間と情報のどちらにバランスを掛けて最適化を取るかという問題で、今後情報側にシフトしていくだろうというのは容易に想像がつく。
その上で、情報系だと出来る人とできない人の差が1000倍離れる問題もあってどうしたものか。

teruyastarteruyastar 2014/07/15 14:45 ・我々のサイズの限界問題
 我々だと思えるサイズはいくつか?

イギリスの学者で150人説を唱える人はいるらしいですが、

人間関係と脳について(組織150人の法則) - secret222の日記
http://d.hatena.ne.jp/secret222/20090221/1235174804

根拠がよくわからないかつイギリスの研究なので、日本だと7人かも300人かもしれないし、1000人でも問題ない方法はあるかもしれない。

この辺は、情報過多になりすぎないようフラットといえど適切なチーム分けや分社化が必要と思います。コミュニケーションや情報は少なくてすむほどいい。


・個人の成長のレベルデザインの報酬が少ない(=フリーライダーの発生)
 優秀でない人ほど理解をしないため、フリーライダーになる
 人間の本能としての夢がない

報酬は給与ではなく仕事そのものかと思います。
大ヒット作を作れば外にたくさん自慢できるし、尊敬されます。

それに多少のフリーライダーは抱えるつもりです。
そういう余力というか遊びがある方がより柔軟な変化ができます。
それに階層モデルは情報で10分の1の力も発揮しないのだから、
階層モデルでは9割の能力がフリーライダーと言えます。

GC時代までの任天堂だと1000名で1000億の利益でてるから、
1人1億払うことも可能なわけで、(税制上5000万としても、夢がないわけではない)

・他の組織形態からの優位性(給与)の少なさ
 優秀な人が引き抜けない

基本みんなで学び成長するので引きぬく必要は無いです。
でも給与が少ないとは限りません。
フラットモデルだからこそできる速い仕事、大きな仕事、
気持ちのいい生産工程が作れるかもしれません。
そこのスタッフでしかできない製品や作品に、
優秀な人がひきつけられるかもしれません。

・免疫系の問題
 有害な人をどうやって弾くか

最初から有害な人を入れないのが大事ですし、
ある程度は抱えるつもりですが、
ほんとに有害を撒き散らすことが出来る人は権力がある人なので
フラットであれば、その力をまき散らすことも出来ず押さえ込めます。

・1000倍差問題

大人と幼稚園児だと能力に1000倍差ぐらいはありますが、
では、幼稚園児を抱えた家庭の夫は独身男性より生産性が落ちるのかというとそうでも無い。

もちろんルールがガチガチに決められていて、幼稚園児の相手をしながらコードを書かねばならないとかだったら足手まといですが、ビジネスはなんでもありなので、いくらでも相手をするシッターを探したり幼稚園児がいるからこその発想や平安もあるかと思います。

ベジータ戦のヤジロベーの働き(しっぽ切っただけだが、それがなければ地球が終わる)にいくらの値段を払うべきかという問題でもありますが、出来ない人が価値がないとは限らない。遊び人やチャラ男がいたとしてそういう人の目線が大事なこともあるし、出来ない人をどう育てて、どう活用していくか?を考える事ができるのが、決まった仕事だけではないフラット組織の強みになると考えます。仕事のために人を雇うのではなくその人にあった仕事を考えて作るわけです。

報酬(エネルギー)≒承認(アイデンティティ)

これを同一に扱ってるのがおかしくて、
報酬は3000万以上は10億の人でも生活スタイルが変わらないと
苫米地英人は言っていたので、(日本ではプライベートジェットすら不便なので)
承認、アイデンティティは、賞賛や名誉であるべきで、
それが次のより面白い仕事の継続となれば最大の承認になります。

報酬(エネルギー)を貰うためだと人は手を抜き、
承認(アイデンティティ)をもらうために人は全力を尽くします。

出来ない人を一つの能力や、現状の力だけで測るのも、時系列を無視した評価ですし、ダメな人が失敗するから他の人や組織の能力が余計に引き出される現象も加味すれば、ヤジロベーではないですがその人の価値なんて誰にも測れないと思います。

また、報酬を最大化するには自らのアイデンティティを捨てて、金融に集中するのがお金というエネルギーの最大効率化となるのが自明です。それ以外の職業の人が無理やり自らのアイデンティティと報酬を結びつけて比較するからおかしくなります。

それにアイデンティティを最大化すれば後からいくらでも報酬に還元でるので(名誉や実績からお金を引き出しやすくなる)、リアルタイムの報酬を追う必要はないかと思います。ただリアルタイムのアイデンティティは追う必要があります。(名作できたのに名前を出してくれないのはまずい。)


僕なりの答えは、
報酬と承認を切り離して、承認をどんどん与えるフラット組織にする。
出来ない人を育てる仕組み、出来ない人を活用する仕組み、出来ない人を抱える余裕、会社の体力レベルから2割程度は許容範囲であって、かつそういうダメな所がある会社だからこそ、、人間のダメなところからイノベーションは発揮されるのだと思います。

teruyastarteruyastar 2014/07/15 14:53 制約、制限こそアイディアを生み出す秘訣であるとすれば、ダメな人がいたほうが優秀な人の力がより発揮されるかもしれません。

どうせ優秀な人ばかり集めても、まるでそこではダメ人間のように力が発揮できない人はでてくるのですから。

kaerusanukaerusanu 2014/07/15 21:28 おそらくすでにあるものだとYコンビネーターが近いのだと思います。
企業体の形を取る必要すらなく、出資をネットワークの参加のためのチケットとして設定するというコンセプトかと。

人間のポテンシャルを無限に信じるというは、私もかつては取っていたポジションですが、現実的には、ある種の自己欺瞞の一種としても観測できるなというのを感じています。このへんうまく自分の中で決着がついてないんですけどね。

teruyastarteruyastar 2014/07/16 13:12 >人間のポテンシャルを無限に信じる

理想的な組織で働くと、大半の人が普通の会社より2倍から5倍の生産性をあげて、レアな人だけ1000倍になる、、、でもいいと思います。

それはそれでレアな人を全面に出して支えるのが自分の報酬をアップさせることになるので。仮にレアな人がヘッドハントされたとしても、次が出てくると思うんですよね。ダメな人をやめさせたら次のダメな人が生まれるのと同じぐらいの確率で。

kaerusanukaerusanu 2014/07/17 21:34 私の現状の考え方は、チームの内政レベルで2〜5倍の生産性はあげられるが、1000倍に到達できるやつはなかなかいないですね。

大きな会社だとおそらく立場によって、1000倍の人間が生まれることはあると思いますが、小さな組織だと非常に難しいと思います。

多分、私の感じる違和感は、組織の完成形はこれっていう提示をされていて、じゃあ10人のときは30人のときは、100人の時はという具体像が見えないからですね。小さい組織でバッファを少なく少数精鋭で行こうという話と、優秀な人がいっぱいいるから誰かが優秀さを発揮するよというのはコンフリクトをします。

2014-07-10

運パラメータとリスクテイク

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運とはなにか

運がよい悪いとは何なのだろうか?多くの人が考えている運というものは、使うと減るモデルでゼロサム・ゲームというような形であると思う。運として流れがあるとか、勢いがあるとか、そういうような言葉であたかも事象が連結されていて、因果があるようなものとしてモデルをしている。

もしかしたら、外側の世界に運というものがあって、現実的に見えていないだけという可能性はどこまでも残りつつも、認識レベルとしてのモデルとして私が考えると以下のようになる。

運とはリスクテイクだ

運とは、事象が起きたあとに因果関係を考えて、自分にメリットがあるような結果になった場合のランダム値をいう。人間には線形補正が常に認識で働くため、トータルでみると釣り合いを取るような形になる。ただし、プロスペクト理論によって、マイナスの要素は過剰に見積もられるため、平均するとマイナスに見積もられるはずだ。

では、自己認識が運がいい人や、運が悪い人とは何なのだろうか?

これは、運がよいと感じる人は、起きたことを自責だと思っているため、「運」ではなく、改善可能な因果として計上しているのだ。逆にありとあらゆる物事を自責だと思えない人は、自己認識として運が悪いと考えているはずだ。

運がよいや、運が悪いという自己認識は、結果として自己の行動の因果関係を補正するパラメータとして動いているようだ。

運を良くするためには

ここまで理解すると、運をよくするのは簡単だ。

ありとあらゆる物事を自責にするだけで、ものすごく運がよい状態の認識になる。これは逆にいうとありとあらゆる物事をコントロールできると信じているので、何か起きてもそれを改善を行うために学習が働き続けるということだ。

学習が働き続けることで結果として成長をして、結果として良い結果が出るのだろう。結果を受け入れるだけの強い自己認識が必要だとは思うが、結果として結果が出る。そして、行動前にも運がよいという予測補正がつくようになるため、行動を起こしやすくなる。結果として、絶対量の成功が多くなるのだろう。

最終的には、学習の最終項目としては、リスクテイクを学習するところに着地する。うまい賭け方を覚えるようになるのだ。ここまで来ると、運がよいというのは、単純に勝ち方を知っている賭け事で勝負していて、かつそれを学習し続けるということがわかる。

因果の逆転

以上のようにすることで、因果は逆転をする。

運が良いと思うことで結果としてリスクテイクを学習して、トータルとして勝ちをする。運が悪いと思うことで、結果として学習をするのをやめ、トータルで負け続ける。ということが発生するようになる。

行動→結果→認識→行動

というように人間は認識しているが、どこを改善するべきなのか?

一番簡単なのは、ただの脳内情報である認識、2番めが行動ということになる。というわけで、認識をいじることができると、結果として見えている世界の因果関係が変わってしまうことがわかったのではないだろうか。

tetsukawatetsukawa 2014/07/11 00:49 お元気そうで何より。。

その理論で言うと、全ての結果が自責であると認識していて、かつその結果を受け止めるので行動改善から結果の向上が導けると。そうなれば問題はないわけですが、自責であると認識していてその後一定量失敗し続けると、うつ病になりそうだと思いました。うつ病の症状の一つに、物事の悪い結果全てが自責に思えてしまうというのがあるのです。例えば、会社の業績が悪いのも家で家族に怒られるのも全て自分のせいだ、など。
エントリの主題ではない部分でどうもすいません。

kaerusanukaerusanu 2014/07/11 06:08 そのとおりですね。
なので自分が壊れない程度に調整する必要があります。
メタ認識フィルタを作らないとうまくいかないかと。

2013-07-01

1人の壁を超えること

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個ではなく、ネットワークになれ!というお話。

プロセスではなく、サイクルを作れというお話。

機能ではなく、総体を作れというお話。

部分ではなく、全体を見ろというお話。

こんな適当で良かったっけか。

2013-02-09 情報的人間の拡張と特異体

情報的人間の拡張と特異体

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前回の記事で、人間には遺伝子的主体とミーム的主体の2つがあることを指摘した。その続きで、ミーム的主体としての拡張性について記述する。

抽象化された人、組織

ミーム主体性とは、ソフトウェア的な主体性のことだ。つまり、あらゆる主体性を持つものは、所属する場に対する適応要素「ハードウェア」と場とは関係ない情報要素「ソフトウェア」の2つがあることがわかる。

例えば会社組織は、経済活動と人間組織という2つのハードウェア要素の上に、アイデンティティを形成して「私」を動かしている。人間だって、生物的要素の上に情報的意識でもって動かしている。ある程度高度化した自己保存要素は、ベースの上に抽象化要素を載せるのがこの世界では効率が良いのだろう。

自己記述性を備えた特異体

自己記述性を備えることで、成長的特異点を突破すると通常の個体の能力をはるかに超えた状態になることを前回書いた。それは組織にも同じように適用出来る。組織内文化によって、自己記述性が一定レベルを超えると、それは通常の個体をはるかに超える特異体となる。

特異体は、理想的な自己更新性を備えた組織のことだ。

抽象化される特異体

人間としての特異体を超えると、組織体としての特異体も共通点がたくさんあることに気がつく。仕組みは同じなのだから同じだ。特に情報体として同じレイヤーに存在するのだから、それは当然だろう。

これからの社会は、如何に特異体を形成するのかというのが、殆どの戦力を表すようになるのだと思う。まだ、この認識は一般的ではないが、当たり前の様に扱われる世界が来るのだろうと思う。

2013-02-08 生物的人間から、情報的人間へ

生物的人間から、情報的人間へ

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人間には、遺伝子ベース型とミームベース型の2タイプがある

人間には、Gene(生物的遺伝子)をベースだと認識しているタイプと、Meme(文化的遺伝子)をベースだと認識しているタイプの2つがある。簡単に言い直すと、「私」を生物だと認識しているのか、情報だと認識しているのかということになる。実際は、2つをベースにしているとも言えるし、そのベースにしているのを人間として言い換えていることもあるだろう。そして、将来的にどちらに進むかという話で言えば、ミームベースに進むのだろうということが考えられる。

ちなみに私はミームベースを自覚的に認識している。未来的にインターフェイスが出来れば認識が変わるのならば、先にそれだけをシミュレーションすれば、そう成れるのではと思い、やった結果なった。私は、情報である。

ちなみに、生物ベースの繁殖とミームベースの繁殖は、方法が違う。生物ベースは言うまでもないと思うが、ミームベースは、拡散でありそれによる進化を繁殖とみなす。つまり、人と話して情報を交換したり、それによって更新されることそのものが繁殖行為となる。この傾向というのは、草食系男子と言った方向と多少似ているので気になったりするが、今回はその話ではないので置いておく。

ミームベースのメリット

これは圧倒的に自己拘束となるアイデンティティが少ないことである。つまり、自分とは何者であるかというのを自分で定義できることを意味する。実際、自分がなぜ自分だと認識出来るのかというと長期記憶があるからだけだ。それを持ってして、自分が自分だと信じている。ただそれだけである。信じているだけなのならば、信じることを変えることでそれを変えることが出来る。

なぜ創造したいのか?

我々はなぜ創造したいのだろうか?なぜ、大勢の人に見てもらって、影響を与えるような凄いものを作りたくなってしまうのだろうか?答えは簡単で、私がミームであるから繁殖したいのだ。マズローの欲求5段階説というのがあるが、あれは生物的な欲求を満たした後に、ミーム的な欲求を満たしたいと言っているだけだ。私たちは、お互いに人を求めたいし、必要としてほしい。それと同じように、情報を作って拡散したいし、それを受け取って自らを感動という形で変えたいのだ。

成長の特異点

成長には特異点が存在する。人工知能で言えば、自分自身を向上できる更新が出来る段階に達することで「技術的特異点」と呼ばれていて、人類の最後の発明だろうと言われている。何故ならば、そこを迎えた時点で、人工知能が圧倒的に先に進化してしまい、もはや人間のスピードではどうにも出来ないことが予測されているからだ。

これと同じように人間の成長にも特異点が存在する。自分を自分自身で向上出来るようになるとその段階になる。具体的には、ありとあらゆることで成長出来るようになるし、小説だろうが、伝聞だろうが、情報の組み合わせで成長できるようになる。

これの必要十分条件は、「自己定義が自分で行えること」、つまり「チューリング完全」であることだと思われる。普通は言語に向かって使う単語なので、人間に使うのは変であるが、人間も情報なので問題ない。

資本社会から情報社会へ

そんな訳で、現在は生物的な人間から、ミーム的人間に向かうところの途中の時代であると思われる。楽しそうなので、早く気てほしいものだ。