人が満たされるとき

満たされるという意味

心理的に満足をするという意味は、おそらく満足をするという意味しかない。これはただの、それを十分に受け取ったという印でしかない。つまり、満腹と同じ仕組みだ。世の中の人は、そこに感動や宗教的な意味を求めたりしている。もちろん間違いではない。だって、全てのものは人間が意味を付けたから付いているのだから。

人間が物事を認識して、意味をつけなければ、この世界に何の意味は無かった。そういう意味で「認識」という仕組みこそ、世界を構築した力と言えるのではないだろうか。そして、それを共有する「言葉」という仕組みこそ、個別の認識世界を繋げた力と考えることが出来る。この世界にはもともと意味など無く、意味を創ったのは人間だった。

意味の意味

意味とはなんだろうか?哲学遊びのようになってしまうが、少し考えてみたい。意味とは、物事の属性、認識の切り分け、記号、形だ。なぜ意味が必要なのか。認識するため。なぜ認識する必要があるのか。物事を理解するため。なぜ理解する必要があるのか。生存するため。なぜ生存する必要があるのか?

「生きる」ということの意味って何なのだろう。たまたま、生まれて、たまたま生きていて、たまたま動いているだけなのだろうか?まず、生物というもののデザインは、種として死なないようにうまく出来ている。逆にそれが出来ない種は滅びただけなのだが。生き延びるって何だろう?生きる意味って何だろう?

逆に言えば、意味を作ったのは人間だから、その意味もまた創るのだろう。それが宗教だ。動物に宗教は無い。それは、意味が作れないからだ。人類がこれほどにも宗教というシステムを求める(日本人は無宗教が多いが)のは、「生きる」という意味を与えてくれるからだ。宗教以外の手段ならば、家族というシステムか、又は自分で意味を作るしかない。生きる意味は、創らないと無い物だ。

何しろ、生きるために生きているのだから。生きる目的は、生きるだ。

自分の満足では満足できない

まずは、自分を満たすことだ。それが出来たら、自然に他の人も満たすことが出来る。自分が満足していないのに、他人を満たすことは難しい。出来ないことは無いが、非常に難しいと思う。偽善というのは、目的は自分側に存在する。よく見られたいために〜するという仕組みだ。相手は自分の引き立て役であって主役は自分だ。だから、偽善を唱える人は、〜してやったのにと言う。

私欲だけを満たそうとする人は、私欲が満ち足りていない人だ。満ちていないから、他人を欺いても、蹴落としてでも、自分を満たそうとする。そういう人は、世界は「勝ちと負け」があって、一人しか勝ちを手に入れることが出来ないと考えている。実際にその人の認識する世界では、矛盾無く(又は気づかず)動いている。その世界を意味づけたのが自分だと知らずに。

「世界の意味」は、自分で決めている。あなたが望む世界を、あなたは見ている。辛いのならば、辛い世界を見たかったのだろう。幸せならば、幸せな世界を見たかったのだろう。何しろ、物事の意味は全て自分で決めているのだから。今見ている世界は、あなたというものそのものだ。世界は自分を映す鏡だ。

私は違う。仕方なく不幸になっているという人もいるだろう。不幸というのは、その人の認識でしかない。本当に幸せになりたかったのだろうか?よく考えて欲しい。あなたがいつも言っている口癖はどんなこと?不幸自慢を好き好んで言っていませんか?他人の不幸を考えていませんか?あなたは幸せになりたかったのだろうか?むしろ、望んで不幸になってはいないだろうか?

認識と意味

認識というのは意味によって決定される。そして意味は、認識の積み重ねによって形成される。だから、全てフォーマットはフリーということになるはずだが、実際はプレセットされたものがかなりあるので、それを無視するわけにはいかない。プリセットされたものは、人間という物理的な形と生存するための感覚と感情だ。それを無視すれば、心理的な乖離が起こり、幸福ではなくなってしまう。だから、ある程度、それに添った形で行うことが満足度をもたらすのだろう。

プリセットされたものと自由な書き換えできるものの大きさはどのくらいだろうか。人間の生きるというシステムに歯向かう人もいるくらいだから、自由なほうが少しだけ大きいのだろうか。違うな、自殺とか犯罪とかも全て、自分が快楽を受ける方向に進んでいる。よって、プリセットの方向のほうが大きいということだろう。

だから、同じ方向にベクトルの足し算をすれば一番幸せになるんじゃないかという単純な計算が出来る。人間の生きるという方向、つまり簡単に言えば、食欲、性欲、睡眠欲を満たし、群れる欲求、認められる欲求、などを満たし、最後に自己実現を満たせば完璧というわけだ。当たり前の結論に達しました。

生きるというのは、創り出すことだと思う。創ることが生きる意味だと「私」は思う。