努力でなんとかなるなんて嘘だ!!

努力はやっぱり大切だよね?

「基礎が大事」という本当の意味を理解しているか? - teruyastarはかく語りき

努力する人が最後には”できる人”になる - じゅんいち☆かとうの技術日誌

という話を見ました。一見、反対の意見のようで同じようなものだけど、それをみた感想みたいなもの。

努力がどうのこうのというのを聞くのが大嫌いだ!

そんな事言われてもという話ですが、私は努力がどうのこうのという話を聞くのが大嫌いです。それはなんでかというと、努力で物事は解決しないからです。努力という言葉は、幅が広すぎて、正しい努力より間違った努力がかなり多く含まれているからです。成功した人は、それを振り返って努力と言うのかもしれませんが、それを聞いたひとが思い浮かべる努力というものは全く別物であることに気がついてないかもしれません。

天才が天才となるために努力の期間を必要とした、努力をすれば天才になれるというのは馬鹿げた話だと思いませんか?私は馬鹿だと思いますし、毒だと思います。単純努力で解決できる物事というのは、既に価値観の固まった新しくない分野でのみです。それも、突き抜けて一番になったりすると、通用しなくなる、つまり追いつくだけにしか使えないものです。さて、どうやって天才になれるのでしょうか?

努力じゃなくて試行錯誤と言え!

努力は、何も成長しない期間を経験を積んでいると仮定して、いつかはレベルが上がるから我慢しろという成長モデルです。しかしながら、順応の初期段階において発生する学習というのは、ある段階で止まってしまいます。それをもっと努力すれば超えられるのでしょうか?超えられないのは努力が足りないからですか?本当に?

私は努力で物事を解決したことが1度もありません。試行錯誤と仮定と検証の結果、よりよい結果を出し、そのことが今までの認識を変えることで、より大きく最適化を踏むことができるというプロセスは何度も回したことがあります。どんなに、仕事で努力を積んだところで、業界ごと滅びることは過去に何度もありましたし、これからもあるでしょう。努力を積んだ結果、どうなったのでしょうね?それは一部の例外ですか?私はそうは思いません。たしかに昔だったら、ずっと同じことをしていても、問題の無い時代はありました。

それは本当に努力で手に入れたもの?

仮定した上での行動と、ただ単純にこれは努力なんだと言い聞かせた行動は全く違うものであると思います。私がみてきた中で、スゴイと思えるような結果を残した人は、必ず「自分で考えている」共通項がありました。頭が良い、頭の回転がいいとは方向が全然違います。流れてくる情報をただ受け入れずに、検証し、自分の目的とする方向に加工した上で考えること。それは「正しさ」とも違い、あえて表現するならば、正しく考えられるように試行錯誤を行うというスタンスです。

それはよくある言い方をするならば計画、実行、評価、改善の回転、つまりPDCA回路を回すといい、さらにそこには、どちらの価値基準を評価するかという前提条件が含まれています。私が何者で、周りがなんなのか、そしてこの行動で何を得たいのか、きちんとした評価には定義が必要とされます。つまり、当然の話しのようですが、自己スタンス、自己定義が出来ていないと何かを達成することが出来ないということです。努力を続けるとそれらが達成できますか?私にはとてもそうは思えないから、努力を声高に叫ぶ人が嫌いです。もちろん、毒を流そうとして流しているのなら別に目的が違うだけで一貫性はあるとは思いますが、そうでない場合が多いように思えます。

というわけで、私は成果を産まない努力が嫌いで、成果を生み出すための試行錯誤が好きです。