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KAFKAESQUE(日垣隆検証委員会)

2012-09-08

DARKER THAN DARKNESS1977.1.22ー検証・日垣隆「弟の死」の真相(補論A)

・初めて当エントリーを読まれる方は「日垣問題の記録」「日垣隆(Wikipedia)」「ガッキィスレまとめサイト@ウィキ」の御一読をおススメします。
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日垣隆の両親が、日垣の弟さんの死に関して起こした民事訴訟判決を報じる新聞記事

前々回のエントリーにて、日垣センセイの御両親が日垣の弟さんの死に関して起こした裁判判決文を全文載せました。

その後、本年9月8日に再び大きな動きがありました。2ちゃんねる日垣隆スレッド【ガリレオ・ガリレオ】日垣隆★96【教皇避暑中】スレッド61に「ID: kZ1+rSxL」の方が、裁判判決を報じる当時の新聞記事のスキャン画像を投稿して下さったのです(「ID: kZ1+rSxL」さん、ありがとうございます)。


http://i50.tinypic.com/20uodo8.jpg

http://i48.tinypic.com/3129sw8.jpg


上記のURLのスキャン画像からは、日垣センセイの地元紙である信濃毎日新聞昭和52年1977年)1月22日付の朝刊の記事であることが分かります。以下は、その全文の引用です。


※前々回のエントリーに載せた判決文は、事件関係者存命などの可能性を考慮し、一部の人名を部分的に伏せ字で表記していました。従って、判決の原文では明記されていた日垣センセイの母親の名前も敢えて伏せ字にしていました。しかし、本記事の信憑性を皆さんに判断してもらうためにここで明かしますが、母親の名前は日垣寿三子です。名前は、判決の全文を所収した『判例時報867』(発行・判例時報社、発売・日本評論社昭和52年12月21日号)P100〜108のうちP100に「当事者 原告 日垣寿三子」ともう一人の原告である父親の名前(日垣秀雄)と共に明記されています。

学校登山の中学生死亡

長野市側が敗訴

地裁が賠償支払い命令


さる四十八年、長野市内の中学校の集団登山で、生徒の一人が、宿泊した旅館の除雪溝に転落し死亡した事故で、その両親が「事故がないよう指導、監督すべき学校と市側がその義務を怠った」とし、長野市を相手取って起こしていた、損害賠償請求訴訟判決が二十一日、長野地裁で言い渡され、永井紀昭裁判官は、原告側の主張をほぼ認め、市側に六百八十五万円余りの賠償金支払いを命じた。判決の中では、事前調査の不備や、事故当夜、事故防止措置を怠った教職員の過失が指摘された。

市側は、この判決を受け入れる方針だが、県下では学校教育の過程で起きた事故に対する補償制度が十分に確立されておらず、学校行事における教職員やそれを監視する行政のあり方も含めて、この裁判を契機に再検討を迫られそうだ。

訴えていたのは、長野市若槻団地、高校教員日垣秀雄さん(五一)と寿三子さん(四八)夫妻。

訴えによると、日垣さんの三男明君は、市立北部中学校一年生だった四十八年七月十九日、同校一年生二百二十人で白根・岩菅へ集団登山した際、山ノ内町発哺温泉の旅館に宿泊。この夜、明君らは旅館の前庭でクラスごとに分散、花火などのレクリエーションを行ったあと、友人と後かたづけ作業をしていたところ、旅館の軒下にある幅二・二メートル、奥行き〇・六メートル、深さ四メートルのコンクリート製の除雪溝に転落。病院で手当てを受けたが、頭の骨を折って四日後に死亡した。

この除雪溝は、旅館の窓ぎわにあり、庭の方から旅館へ入る場合、昼間ならすぐに発見できるが、夜は庭つづきに見え、その存在が確認しにくかったという。

このため、日垣さんらは「集団登山は学校教育の正課であり、学校の教職員らは生徒らが立ち寄る場所に危険があるかどうか、十分な下見をして生徒に指示説明をする義務があった。また市教育委員会も教職員らを指導、監視すべき立場にあったにもかかわらず、これを怠ったため、事故が起きた」ーとし、市側に逸失利益、慰謝料など千四百四十三万円余りの支払いを求めていた。

日垣夫妻はこの事故で、五十年一月、長野簡裁に調停を申し立てたが、市側に誠意が見られないと判断、調停手続きを打ち切って本訴訟に持ち込んだ。また旅館側からは慰謝料として六百五十万円が支払われている。

これに対し市側は、除雪溝があったことを知らず、生徒に説明しなかった点は認めたものの、「旅館の管理者から事前に除雪溝の存在についての説明がなく、教師らの過失とはならない。訴訟以前の調停の際、原告が市側からの見舞金支払いを拒否した」などと争っていた。

判決の中で永井裁判官は、事故原因について、生徒にも過失はあったが、学校側も慎重な下見調査をして危険個所を事前には(原文ママ)握し生徒に伝えるべきだった、などと学校側の過失を指摘した。

この判決に対して、長野市側は、原告の不満がなければ全面的に受けいれる方針だ。森次男同市教育次長は「お気の毒な事故だったが、これによって、大切な生徒の学校行事や特別活動を縮小することは考えていない。今後は、いっそう慎重な下調べや注意をはらって、再びこのような事故を起こさないようにしたい」と話している。

この結果について、原告弁護人は「賠償金額は算定方式が異なっただけで主張はほぼ認められた」としている。しかし日垣夫妻は、学校事故の補償制度が不備な現状や、こうした事故に対する責任を回避しようとする態度をとっていた当時の教職員や市側に対する“告発”の意味も含め、訴訟を起こした、としているだけに、「結果的に賠償だけの話になってしまったのは残念だ。自分自身も教員なので学校行事のあり方に対する反省とともに、事故の補償制度を確立するよう努めたい」と、話していた。

信濃毎日新聞』(昭和52年1月22日朝刊第一社会面)


この記事を読んでも、やはり日垣センセイの弟さんの死は「不幸な事故」以外の何物でもないでしょう。何処が「他殺」なのやら……。

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バカとテストと読書術(その七)ー日垣隆『つながる読書術』検証編(補論)

・初めて当エントリーを読まれる方は「日垣問題の記録」「日垣隆(Wikipedia)」「ガッキィスレまとめサイト@ウィキ」の御一読をおススメします。
・当ブログへの御意見・御感想は、下記のメールアドレスまで御連絡下さい。
kafkaesque1924@gmail.com

・日垣センセイの弟さんの死の真相が明らかになり*1唐沢俊一検証blogのコメント欄でも話題になるなど、各所で静かに波紋が広がっています。そんな中、「日垣問題の記録」さんが、さらに突っ込んだ検証記事を載せています。以下は、そのリンクです。


日垣問題の記録 ~ 日垣隆 研究報告 ~: 問題の新聞記事・判決文と日垣隆氏による記述の一致

日垣問題の記録 ~ 日垣隆 研究報告 ~: 日垣隆氏による兄弟(弟)についての記述・発言一覧

日垣問題の記録 ~ 日垣隆 研究報告 ~: 「日垣隆氏による弟についての記述」への疑問


他にもAmazonレビュアーの【懸垂百回】さんが、「日垣隆は「弟の死」の真相を明らかにすべきだ」と題して日垣隆『少年リンチ殺人ームカついたから、やっただけー《増補改訂版》』(新潮文庫、平成二十二年二月一日発行)に関する従来のレビューを全面的に書き改めて、この問題を取り上げています。

今後、日垣センセイが、自ら真実を明らかにすることは、あるのでしょうか……。いや、『すぐに稼げる文章術』(幻冬舎新書、2006年11月30日第一刷発行)で発覚した「第1の盗用事件」についてさえ、未だに完全沈黙して「無かったこと」にしている日垣センセイには、期待できませんね*2


日垣隆が読書を本格的に始めた時期は?

日垣隆『つながる読書術』(講談社現代新書、2011年11月20日第1刷発行)のP33〜34から。

私自身が「本読み競争」に参加したのは高校三年の三月からです。それまで書店で本を買ったこともなく、本好きの姉にバカにされていました。

「本を読まない男に価値はない」と宣告されたときは、「多感な年頃のかわいい弟に、こんな言葉を投げつけるとは」と少々落ち込みましたが、今思えばこれは、神田川くらいには深い姉心。自分の弟が、侮辱されると奮起するということを知っていたのでしょう(ということに、とりあえずしておきます)。

「負けてたまるか」と意地になった私は、大学入学直前の春休みから「一日一冊」というノルマを掲げ、飲み過ぎや発熱で朦朧としていても本を読み続けました。きつい日は薄いブックレット、読めそうな日は二段組みの分厚い本を、とにかく最後まで読み通す。秘訣は「いったん読み始めたらやめない」ことでした。ほとんどもう、修行と意地の領域(笑)。

当時の大学生には本読みが少なくなく、私は明らかに「出遅れ組」でした。しかし、みんながゆるやかな下降をたどっていく二〇代から三〇代、一定のペースでたゆまず読み続けたことで、アドバンテージが取れたことは確かです。気づけば友人を見渡しても負けないくらいの本読みにはなっていました。

日垣隆『つながる読書術』(講談社現代新書2011年11月20日第1刷発行)P33〜34



新潮45』(新潮社、2005年12月号)P132〜139の日垣隆マルクスから学んだ七つのこと】から。

全集

高校を卒業するまでまったく本を読まなかった私は、ようやく大学に入ってから、それまでの反動と羞恥と見栄のために、やや過度な読書を開始していました。私が直接または間接にカール・マルクスから学んだのは思想ではなく、むしろその形式です。文筆活動を始めてからの人生の大半を亡命者として過ごした点は、憧れはしましたが、望んでそうすることではありません。

大学一年生のとき私は、無知蒙昧を多少なりとも穴埋めするために新書約一〇〇〇点を端から読むこと、正しいと確信できたら必ず行動に移すこと、社会主義を名乗る国々を自分の目で見て歩くこと、卒業までに全集を一〇種は読破することを自分に課しました。その最初が『ヘーゲル全集』で、次が『マルクスエンゲルス全集』です。なんでも良かったのですが、「マルクス」は同時代の左がかった学生はたいてい読んでいました。話題にできた、と言ったほうが正確かもしれません。二食つき寮費の半月分に相当する『資本論』は、貧乏なはずの寮生の二割くらいは持っていました。

(略)

では、なぜ「全集」を買うようになったのか。全集を編んでもらえる人は偉い。単純にそう思ったからです。

まず量を書いていなければなりません。さらに、時代の制約を乗り越える必要もある。そして、それなりの読者がいないと市場には出ない。出たとしても、増刷は続かない。それに全集がなかったら、書き手の全体像をつかむことは難しい。私は『マルクスエンゲルス全集』を、第一巻の最初のページから第四一巻の最終ページまで、およそ三カ月かかって読み通しました。お恥ずかしいことに、生活と本代と交際費のためバイトで毎月十五万円ほど稼ぎつつ、大学祭の実行委員長やら、投票で選ばれる全学自治会連合の委員長やらを二年生の秋から二年間やっておりましたので、読書はいつも夜遅く帰ってきてからです。

日垣隆マルクスから学んだ七つのこと】『新潮45』(新潮社、2005年12月号)P133


日垣センセイが読書を本格的に開始した時期の記述が、明らかに食い違っています。些末なことかもしれませんが、「高校三年の三月」「大学入学直前の春休み」(『つながる読書術』P33)からなのか、それとも「大学に入って」(『新潮45』2005年12月号P133)からなのか。

また、日垣センセイは「高校三年の三月」まで「書店で本を買ったこともなく」(『つながる読書術』P33)と書店で本を購入した経験がないと断言していますが、実は『信州教育解体新書』(信濃毎日新聞社、平成三年十二月二日)のP244〜245で以下のように述べています。

少額の小遣いをためて、僕が生まれて初めて自分の金で買った本は、藤森栄一著『石器と土器の話』という、はっきりいって専門書に属する一冊だった。昭和四四年のことだ。クラスで、回し読みもした。ルビなどふられてはいなかったが、雰囲気でむさぼり読んだ。たて穴式の住居跡を毎週のように見学して歩き、石器や土器は何箱分も集めていたから、雰囲気でも十分に読めた。わからないところは、頭のいいやつや知識の豊富なやつに、きけばよかった。四年生の好奇心をもってしても降参したときは、大御所たる担任にきけばよかったのである。

日垣隆信州教育解体新書』(信濃毎日新聞社、平成三年十二月二日)P244〜245


上記の引用部分では、日垣センセイが「生まれて初めて自分の金で買った本」(『信州教育解体新書』P244〜245)を何処で購入したかなどは不明ですが……まさか、自分でこうして自著に書いておきながら、忘れている可能性も。

つながる読書術 (講談社現代新書)

つながる読書術 (講談社現代新書)