KAFKAESQUE(日垣隆検証委員会)

主に作家の日垣隆、猪瀬直樹、岩瀬達也、岡田斗司夫、藤井誠二などを検証しているブログです。

ピカレスクの肖像ー検証・猪瀬直樹『ミカドの肖像』盗用疑惑(その参)

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※2014/3/26追記:エントリーを微修正しました。


 ・ゲイ六輔さんからの情報提供(ゲイ六輔さん、いつもありがとうございます)に基づく、荒井香織氏による相変わらずの猪瀬直樹擁護ツイート。

 筒井康隆《【※猪瀬都知事について】もはや作家にも戻れまい」と言ってるやつがいたが、何を言うておるか。作家ならばどんな悪いことをしても不名誉ではないのだ。麻薬常習者もいればジャン・ジュネみたいな泥棒もいれば殺人者だっている》 http://shokenro.jp/00001006

2:29 - 2013年12月20日*1

 「AERA」で佐野眞一の師匠・小板橋二郎氏が猪瀬都知事についてコメントしており興味深い。「いつも生意気な口をきくから『世の中はお前のおっかさんばかりじゃないんだ。舐めた口きくと張り倒されるぞ』と怒鳴ったこともあった」だって。

14:36 - 2013年12月25日*2


 上記の小板橋二郎氏のコメントとは、『AERA』(2013年12月30日−2014年1月6日号)の「猪瀬知事を甘やかした?「3人の女性」の存在」という記事に載ったものでしょう。ネット上で公開されている記事本文には次のようにあります。

 ライター活動が本格化したのは、ジャーナリストの小板橋二郎氏が率いたライター集団「グループ915」に、山根一眞氏や佐野眞一氏らと共に所属したときだ。

 「アンカー(記事原稿の執筆)の仕事は早くこなしていたが、よく遅刻するから叱ったことがある。すると『子供の頃から遅刻しないように走って汗をかいていました』なんて妙な言い訳をするんです。それにいつも生意気な口をきくから『世の中はお前のおっかさんばかりじゃないんだ。舐めた口きくと張り倒されるぞ』と怒鳴ったこともあった」(小板橋氏)

AERA』(2013年12月30日−2014年1月6日号)「猪瀬知事を甘やかした?「3人の女性」の存在」


 現実問題として、猪瀬が今更文筆稼業に復帰できる芽はないでしょう。復帰できたとしても、ここぞとばかりに徳洲会スキャンダルについて突っ込まれるのは必至です。猪瀬がまた上から目線で偉そうな放言をしても「では、貴方が徳洲会から受け取った五千万円は?」と突っ込めばいいだけですから。この期に及んで猪瀬を執拗に擁護する荒井氏の信者ぶりは、ある意味、見上げた忠誠心ですが。


 尚、『ミカドの肖像』でデータマンを務めた池田房雄氏も以下のようにコメントしています。

 ここまで往生際が悪かったことに、猪瀬氏の幼少期からの人間形成が関係していると見る関係者は多い。

 「幼いときに父親を亡くし、母親に育てられた。母親だけに育てられた人間というのは、気が弱い傾向があるのですが、対社会とか対世間になるとものすごく強気を示します。自分を守るというか、別の言い方もできるのに強く出てしまう。これは自信がない裏返しで心理学の初歩として認識されています」

 こう話すのは、猪瀬氏が30代のころを知るジャーナリストの池田房雄氏だ。

AERA』(2013年12月30日−2014年1月6日号)「猪瀬知事を甘やかした?「3人の女性」の存在」


 池田氏東京新聞で『ミカドの肖像』のネタ本隠しを告発した件といい、猪瀬に対し一貫して辛辣極まりない。旧知の仲だからこそ、誰よりも冷やかなのでしょう。


●『ミカドの肖像』とネタ本との比較照合

 会員制月刊誌『ベルダ』(2012年12月号)の告発記事「■猪瀬直樹にもあった「ネタ本隠し」の過去 大宅賞作品『ミカドの肖像』 参考文献リストにも載せず」の有料部分(雑誌本体)から。

 「ミカド」が高く評価された大きな理由は、第I部「プリンスホテルの謎」で、西武鉄道グループ創業者・堤康次郎による土地買収の実態を取り上げたことにある。実際、興味深い事実が満載で、後にそこだけ独立刊行されたほど読み応えがある*3。肝は旧皇族所有の土地を買収する手口で、その核心部分が初版帯文にこう記されている。

 《西武グループプリンスホテルのうち最大規模を誇る新高輪プリンス*4は、旧皇族北白川家の跡地に建てられている。その約四万平方メートルの土地が、北白川家から西武鉄道に売買されたのは、昭和二十八年七月二十四日であった。しかし、北白川家から西武鉄道に所有権移転の登記がなされたのは、昭和五十四年十一月十三日なのである。四分の一世紀のあいだ移転の登記がなされずじまいのまま、という事情のなかに、いったいどんな謎が秘められているのだろうか。(本文より)》(原文ママ、以下同様)

 その答えは、「ミカド」の五年前に刊行された「帝王学*5」の中に、すでに書かれていた。

 《売買は堤が衆議院議長時代(昭和二十八年五月十八日〜二十九年十二月十日)に行われた》《しかも、この北白川邸は戦後ずっと衆院議長公邸であった。堤はそれを再び北白川邸に返すよう(原文ママ)尽力》《北白川に返還したはずの土地がすぐに西武の手に渡っているのでは、まるで初めから西武が買い取るために関係者が結託したと指摘されても否定はできない》《となれば、売買があってもすぐに登記しないのは当たり前》《政治問題化することは必至である》

 ちなみに、こうした売買がおこなわれた背景には、皇籍離脱により民間人となった旧皇族が、税金を物納せざるをえなかったという事情があった。

「■猪瀬直樹にもあった「ネタ本隠し」の過去 大宅賞作品『ミカドの肖像』 参考文献リストにも載せず」月刊誌『ベルダ』(2012年12月号)P48


 早川和廣『堤義明 悪の帝王学』(エール出版社、昭和56年12月25日第1刷発行)から。

 あの『週刊新潮』でさえも見抜けなかった康次郎のウソの手口とは

 さて、康次郎が築いた今日の西武王国の原点は、康次郎自身が述べているように“土地”であった。目的のためには手段を選ばなかったピストル堤が用いた土地取得法について、そのパターンのいくつかを次に紹介しよう。

 それは、いわば“だましのテクニック”である。

 まず最初に強調すべき点は、当然ながら彼の政治力、政治的地位を十二分に発揮、利用した露骨なまでの土地取得法であろう。

P92
(中略)

 実際には高輪の土地は、とうの昔に西武の手に渡ってしまっていたのだ。ただ世間には公表せず、北白川が高輪ゴルフセンターを経営しているようにPRしていたので、みんなだまされたのだが、『週刊新潮』といえども、そのウソを見抜けなかったところに、西武・堤の違法ではないが意図的な操作があったと見るべきだろう。

 即ち、この土地、港区高輪三丁目の三万九四七七・四三平方メートル(一万一九四二坪一八)が売買によって北白川家から西武鉄道に所有権が移転されたのは、昭和二十八年七月二十四日である。ただし、その時点では登記されていない。だから、お互い(北白川家と西武鉄道)が口裏を合わせているかぎり、売買の事実はわからないわけである。

 これが登記されたのは、なんと売買から二十六年を経た昭和五十四年十一月十三日である。

 このことは何を意味するのかといえば、売買は堤が衆議院議長時代(昭和二十八年五月十八日〜二十九年十二月十日)に行われたということになる。しかも、この北白川邸は戦後ずっと衆議院議長公邸であった。堤はそれを再び北白川邸に返すように尽力しているのである。

 ちなみに、当時の衆議院事務総長は大池真(西武グループの池袋地下駐車場会長)。この大池の二人の息子は共に、西武に勤務している、その意味では堤ファミリーである。北白川に返還したはずの土地が、すぐに西武の手に渡っているのでは、まるで初めから西武が買い取るために関係者が結託したと指摘されても否定はできないだろう。

 となれば、売買があってもすぐに登記しないのは当たり前であろう。登記をして、その事実が発覚するようなことがあれば政治問題化することは必至である。こと土地については百戦錬磨の堤が、そんな愚かなことをするわけがない。が、二十六年後に登記をしたのは、仮にこの事実が知られたところで、すでに時効だからである。
P93〜94

早川和廣『堤義明 悪の帝王学』(エール出版社、昭和56年12月25日第1刷発行)P92〜94

 
 原典に当たってみると、早川氏が猪瀬の『ミカドの肖像』の単行本が刊行される5年前、1981年(昭和56年)12月の時点で既に西武鉄道グループによる旧皇族・北白川家の土地買収の実態をレポートしていたことが分かります。

 引き続き「■猪瀬直樹にもあった「ネタ本隠し」の過去 大宅賞作品『ミカドの肖像』 参考文献リストにも載せず」の有料部分(雑誌本体)から。

 八三年刊の「悪の構図*6」でも、この北白川邸に関する記述が、三章「堤ファミリーは土地買収の天才だ」の中で七ページ半ほど費やされている。そこで著者の草野はこう断り書きを入れている。

 《すでにこの問題は『堤義明 悪の帝王学(早川和廣)(原文ママ)』(エール出版社)で触れているが、二ページ半ほどでかけぬけているので、ごく最近の取材分を含めて記していきたい》

 「ミカド」は、第I部「プリンスホテルの謎」が一九一ページあり、第二章「土地収奪のカラクリ」は四六ページ。核心部となる北白川宮竹田宮の話に三二ページ半を割いている。

 この部分は前記二冊の俗に言う「パクリ」ではない。フリーライターが時間的資金的制約から数ページ分しか割けなかった部分を、大手出版社の資金力と動員力で綿密精緻に取材し直したもので、当然その記述は前期(原文ママ)二冊よりも詳細である(「ミカド」は『週刊ポスト』で八五年八月一日号から翌年八月一日号まで一年間続いた連載がベースになっている)。

 しかし草野が「悪の構図」の本文中で「帝王学」に触れているのに対し、「ミカド」はそうした最低限の礼儀さえ失している。もっとも当時、早川や草野らが表立って抗議することはなかった。

「■猪瀬直樹にもあった「ネタ本隠し」の過去 大宅賞作品『ミカドの肖像』 参考文献リストにも載せず」月刊誌『ベルダ』(2012年12月号)P48〜49


 草野洋『西武商法 悪の構図』(エール出版社、1983年3月)から。

 3章 堤ファミリーは土地買収の天才だ

 角栄もびっくり“宮家”土地買収の手口

 新高輪プリンスホテル」には北白川家の怨念がこもっていた

 いまでもあるだろうが、堤家には分室があって、故康次郎時代は、康次郎の寝室の隣にいつも秘書が交代で夜番をしていたという。

 「大将は、それこそ寝ても醒めても事業のことを考えていて、夜中でもいきなり呼ばれてメモをさせられるんです。それほとんど土地をこうする、ああするといった話でした」

 と、その事業欲の並でなかったことを証言してくれた元秘書は「そんななかから出てきたのが北白川家の土地を何とかしてみよう、ということだった」とつづけて話してくれた。

 すでにこの問題は『堤義明・悪の帝王学(早川和廣著)』(エール出版社)で触れているが、二ページ半ほどでかけぬけているので、ごく最近の取材分を含めて記していきたい。

P80
(中略)
 
 前出の国土計画の元取締役のNは、当初一坪七〇〇〇〜八〇〇〇円で北白川の宮家から入手した康次郎の手口を心よく(原文ママ)おもっていなかったらしく、西武鉄道に移転登記する前に、北白川家の執事Mに対して、西武から追加金を請求するよう入れ知恵したらしく、当時西武鉄道社長だった小島正治郎(故人)にMが申し入れたという。

 そこでの和解条件として北白川家に提示したことは、毎月30万円を支払う。そして運転手を一人提供する、ということだった。もちろん運転手のKは西武鉄道の社員であり、現在もこれは実行されている。

 これに対して、現在東芝第一国際事業部中国室長の北白川道久は「私の方が西武に反感をもったことで土地売買の事情が明るみに出ることを防ぐためのものではありません。ただ、当時安く土地を入手したことで、執事と小島社長との話し合いでそうなったわけです」と全面的に認めている。しかし、なぜ二六年間も所有権の移転登記をしなかったのか、という質問に対しては「お互いの事情がありまして……」と言葉をにごした。

 それもその筈で、都税事務所の評価でさえも七四億四五六〇万三六〇〇円なのだから、二十八年当時とはいえ、坪八〇〇〇円として一万二〇〇〇坪だからとてつもない安値で西武に渡したことになる。つまり八〇倍にもなっているのだが、これは都税事務所の評価額だから、実際の市価では一〇〇倍を軽く超えているであろう。

 議長という地位で衆議院事務局だけでなく大蔵省も欺き、一方の宮家の足元を見て広大な土地を手に入れた、という意味で康次郎は非難されるべきである。
P84〜85

草野洋『西武商法 悪の構図』(エール出版社、1983年)P80〜85

 西武鉄道グループによる北白川家土地買収の顛末は早川本のP92〜94、草野本のP80〜85にそれぞれ出てきます。草野本ではさらにP85〜86で、西武鉄道グループと旧皇族・竹田家との因縁にも触れています。

 一方、猪瀬の『ミカドの肖像』では、文庫版(小学館文庫)の場合、P110〜142に例の北白川家の記述があり、後続のP143〜150では竹田家も取り上げています。

 『ミカドの肖像』とネタ本たる早川・草野本を一読して確認したところ……完全に同一の表現は見当たりません。従って、盗用とみなせるか否かは微妙というか、グレーゾーンだと考えられます。少なくとも、直ちに「クロ」と断定することはできません。寧ろ剽窃に当たる可能性もあり、その場合は翻案権が問題になりますが、仮に生前の草野氏がそれで裁判に持ち込んだとしても、ただでさえ司法の著作権侵害認定のハードルは高いですから、勝訴するのは難しかったでしょう。だからこそ、草野氏は敢えて法的措置に踏み切らなかったと言えます。

 とはいえ、論証といい、構成といい、着眼点といい、語り口に至るまで『ミカドの肖像』の記述はネタ本、特に草野本のそれと驚くほど酷似しています。焼き直しではないかと、既視感を覚えるほどです。例えば、上記の草野本にあった北白川家当主(当時)・北白川道久のコメント(インタビュー)が、『ミカドの肖像』でも後追い取材のような形で再現されているところなどです。

 いよいよ渦中の人物に会わなければならない。夕刻の帝国ホテルのロビー。向こうから、痩せ形で銀行員のように姿勢のよい紳士が近づいてくる。

 旧皇族北白川家の嫡男は、いま一介のサラリーマンである。濃紺の背広、薄いブルーに白のストライプの入ったワイシャツ、髪は綺麗に櫛が入れられていた。東芝第一国際事業部中南米部長北白川道久は四十七歳のはずだが、端整な顔立ちは、年齢より五歳ほど若返らせている。もの静かなエリートサラリーマンと対座していると、皇族北白川宮家が皇籍離脱により窮地に立たされたのは、もはやはるか昔の出来事のような気がしてくるのであった。

 やがて彼は、慎重に言葉を選びながら語りはじめる。平家物語のひとつの結末、そういうことになるのだろうかー。

 最上階のバアに所を替えて、質問は核心に入っていく。近くの席で、着飾った女性たちの嬌声が聞こえる。

 昭和五十四年に登記を書き換えたわけですが、その際には北白川家の印鑑証明が必要なはずです。西武側としては、そういう弱みがあったわけですね。そのとき、ある金額が一種の穴埋めとして北白川家側に支払われたという噂が……。

 「それ相当の、としか言えません」

 僕の調べたかぎりでは、一億円と。

 「いや……でしたら、十億円とお答えしましょうか(微苦笑)」

 結局、質問は、はぐらかされた。そして、昭和二十八年当時、まだ子供だったと何度も強調した。さまざまな経緯は、水戸部孚でないとわからないというのである。その水戸部は九十四歳で死ぬまで、一万二千坪のゴルフ場とともにあった。西武側も彼が死ぬまで新高輪プリンスホテル建設に手をつけようとはしなかった。

 元白川宮家執事長水戸部孚もまた朝香宮家の中田虎一と同様、“西武王国”に寄食しつつ懸命に綱引きをしながら宮家を保存しようとしてきた忠臣であったのかもしれない。堤康次郎と水戸部孚、勃興する新しい階級と消えゆく貴族の家臣、その共犯と共存の構造が、謎の登記謄本の陰に隠されていたのである。 

猪瀬直樹ミカドの肖像』(小学館文庫、2005年4月1日初版第1刷発行)P138〜140


 猪瀬が早川本はともかく、草野本を下敷きにしていることは火を見るよりも明らかです。断言しますが、草野本こそ『ミカドの肖像』の核心部分です。『ミカドの肖像』の「参考文献」は西武鉄道グループによる北白川家の土地買収などを扱った「第I部プリンスホテルの謎」だけでも、実に86冊もあります。にもかかわらず、猪瀬は何故か核心部分のネタ本を明記せず、その存在が公になることを異常なまでに恐れ、ナーバスになっていました。ここからは個人的な推測ですが、法的云々はともかくとして、猪瀬本人にやましい気持ちがあったからではないでしょうか。ジャーナリストの魚住昭氏から「「自己愛」と権力欲の塊」と評されるほどですから*7、『ミカドの肖像』が実際には独創性に乏しく、他者の先行取材(研究)の後追いに過ぎないとみなされるのに我慢がならなかった可能性もあります。猪瀬自身、都知事の就任会見で記者に「『ミカドの肖像』を読んだか? 読んでない? どっち」と逆質問するなど、代表作と自負していましたから*8

 いずれにせよ、猪瀬が早川・草野両氏の先行取材に敬意を表せず、一切無かったことにした上で、ちゃっかりネタを拝借していた事実が改めて分かります。

 次回は、月刊誌『噂の真相』(休刊中)を舞台にした草野氏の猪瀬に対する反論告発などを検証していきます。


★参考資料 

北白川道久 - Wikipedia

翻案権 - Wikipedia

高輪プリンス地区

ミカドの肖像(小学館文庫)

ミカドの肖像(小学館文庫)

ピカレスク 太宰治伝 (文春文庫)

ピカレスク 太宰治伝 (文春文庫)

ドリアン・グレイの肖像 (新潮文庫)

ドリアン・グレイの肖像 (新潮文庫)

*1:Arai Kaoru on Twitter: "筒井康隆《【※猪瀬都知事について】もはや作家にも戻れまい」と言ってるやつがいたが、何を言うておるか。作家ならばどんな悪いことをしても不名誉ではないのだ。麻薬常習者もいればジャン・ジュネみたいな泥棒もいれば殺人者だっている》 http://t.co/iflIyNn1qe"

*2:Arai Kaoru on Twitter: "「AERA」で佐野眞一の師匠・小板橋二郎氏が猪瀬都知事についてコメントしており興味深い。「いつも生意気な口をきくから『世の中はお前のおっかさんばかりじゃないんだ。舐めた口きくと張り倒されるぞ』と怒鳴ったこともあった」だって。"

*3:独立刊行されたのは、『ミカドの肖像 プリンスホテルの謎』(小学館ライブラリー、1991年8月1日初版第1刷発行)のこと。

*4:2007年にグランドプリンスホテル新高輪に改称。

*5:早川和廣『堤義明 悪の帝王学』(エール出版社、昭和56年12月25日第1刷発行)のこと。

*6:草野洋『西武商法 悪の構図』(エール出版社、1983年3月)のこと。因みに、発行日はカバーに記されているものの、カバー付きの原典を入手できなかったため、詳細な発行日は不明。

*7:第六十五回 ワケあっての悪口(魚住 昭) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)

*8:http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121219/lcl12121901030000-n1.htm